第11話 大昔の話より
竜が鳴く。苦しそうに、力無い声で鳴く。
子どもの竜を育成する建物には魔法師が何人もいるが、誰もこの状況を好転させられる者はいない。
「……このままで大丈夫なのか」
子どもの竜が寝苦しそうな様を前に、何度目になろうかという誰かの呟きが落ちた。
闘技場で何やら騒ぎがあった。その頃この場では竜が体調を崩し、体調は回復せずに本日まで来た。
「こんなに体調を崩すなんて、過去の記録にも例がないぞ」
「起こったことは、仕方ない。だけど前触れもなかった。原因も分からない。出来ることはした。……だから問題だ」
尽くせる手は尽くしたからこそ、回復しない状態に焦りが積もるどころではない。このままでは、竜は――。
希望の無さと疲労が濃い場を、白い光が包み込む。
*
「これで良し。入ろうぞ」
「は、はい」
微笑むシーヴァーの後に続き建物の中に入ると、見知った先輩達が倒れているのでアリアスは気が気ではない。
「何、眠らせただけのこと。朝になり起きれば体も軽くなっておろう」
単に眠らせただけでなく疲労も取り除くとは気遣いだ……と思うべきか迷う。
明らかに疲労の濃い顔色をしている先輩方を見ていると、アリアスは不可抗力とはいえ眠っていたわけで申し訳なくなるところがある。出来る限り早く復帰して働こう。
倒れている先輩を右に左と見ながら奥へと進むと、「……キュ」と小さな小さな声が聞こえた。
「ファーレル」
声に走り寄って、竜の側にしゃがみこむ。
竜は反応して頭をもたげる。動作が重たげだ。アリアスの膝の上まで頭がくると、力尽きたように頭は落ちた。
鱗に覆われた顔を持つ竜には、人ほど表情は出ない。牙を剥けば、怒りが表れるくらいだ。
けれど夕暮れ色の瞳に映る感情は色濃い。声にも感情が宿り、今は苦しみを訴えてきている。
「弱っておるな」
女性の竜を後ろに、来たシーヴァーが膝を折り、子どもの竜に触れる。
「この歳の竜が魔族の気配等に触れると、酷く弱る」
「シーヴァー様、苦しみを取り除いてあげられませんか?」
竜を撫でるシーヴァーを見上げると、彼は言う。
「既に少し、安らいでおる。制限を直したとはいえ、おまえの魂から出ていた力を覚えておるのだろう。さぞかし心地よかったろうな」
膝の上のファーレルを見下ろすと、瞼を下ろしている。安らいで、いるのだろうか。
「私に、完全にファーレルのことを癒すことはできますか」
「出来ぬことはないが、今は止めよ。我らがおる」
シーヴァーが後ろを促すと、女性の竜も膝を折り、たおやかに両手を小さな竜の体にあてる。掌に癒しの光が灯ると、膝の上の竜から無駄な力が抜けていくことを早くも感じる。
「元々人の元にいる竜は我らよりも弱い。大事にならず良かった」
竜の回復を見守っているとそんな言葉が聞こえて、両方共が『竜』と呼ばれる存在にも関わらず明らかに違いがある竜を思った。
「……シーヴァー様、お聞きしても良いですか?」
「何ぞ」
「人の元にいるこの竜達は、どうして人の元に預けられるのですか?」
どうして卵が竜の巣へ置いて行かれるのか。自分達で育てず、人の元に。
「おまえは、どう思う?」
「私?」
問い返された。シーヴァーは頷き、アリアスを見て待っているようだから、アリアスは答えるべくファーレルを見下ろす。
シーヴァーを初めとした、人里に姿を見せない竜達は全員人の姿を持っているようだ。だが騎士団の竜は人の姿を持たない。これが違いの一つ。
また、様々な魔法が使えないことも違いに加わる。アリアスは、魔法を溶かす炎が例外なく「全ての竜」の魔法だと思い込んでいたが、それは騎士団の竜のみの話だと分かったばかり。
分かっているだけで二つの違い。
「……この姿にしかなれず魔法も一つしか使えないから……」
それらの違いがあるから、人の元へ。そうとしか考えられなくて言うと、シーヴァーは少し首を傾ける。
「当たっておるとも言えよう。しかしな、アリアス。そのように生まれる理由がある」
シーヴァーの瞳が人に育てられる竜を慈愛に満ちた目で見る。
「この子らはな、全て嘗て魔族と戦ってくれた竜だ。その竜達のみが、人と通わせる言葉を話せず、翼を持つ姿しか持たずに生まれる宿命を背負う。同時に人を守るために生まれてくるため、人の元に預ける」
「人を……?」
「そうだ。――良い機会だ。昔話をしようか」
――遠い、遠い昔の話。全ての原因が起こった時代の話だと彼は静かな声で言った。
「遥か昔、我らが気がついていなかっただけかもしれぬが、この地には人がいなかった頃。この地にいたのは魔法族と呼ばれる者達のみであった。この『魔法族』とは、元々は竜と魔族と呼ばれる我ら両方のことを示す」
「……『魔族』だけではなくて、ですか」
「そう、今では我らの方はその名を棄てておるが、竜と魔族は同じ存在であった時がある」
竜と魔族は元は同じ。「信じられぬことだろう」とどこか哀しげにシーヴァーは言った。
そろって独特の色彩を持つ彼らの色は違う。魔法から感じるものもまるで違う。シーヴァーの言った通り、アリアスは信じられない。
「しかしあるとき魔法族は二つに別れた。……争いを好む者達が現れた。思えば気がつくことが遅かったほどに、我らは性質が異なる存在となっておった。後に魔族と言うことになる者らから離れることを決めた我らは、心地の悪い魔法に侵される故郷を棄てることにした。遠くへ遠くへ、宛もなく空を翔んだ。我らが竜と呼ばれるようになったのは、空を翔るためにとった姿を人間がそう呼んだからだ」
空を飛んで行った先で人間に会ったのだという。
竜は、出会ったばかりのとき魔法の力を手にしておらず、飛ぶことできない人間を乗せてあげた。人がそれを竜と呼び、彼らは魔法族という名を捨て、『竜』と名乗った。
「我らは人と暮らすようになった。人も魔法の力をその身に宿し、我らは魔法を教えた。長く、平和な時であった」
当時それほど多くなかった人と竜が暮らした地こそが、現在グリアフル国のある場所。それは歴史書にも記されている。
しかし歴史書には記されていないが、世界は今よりずっと広かった。その世界が別たれるまで。
「平穏が崩れたことは、突然ではなかった。徐々に魔族の魔法力が迫ってきていたのだ。我らがあちらの魔法力を避けて離れたように、魔族も我らの魔法の力を居心地が悪いと感じたのだろう。魔族はその魔法に我らがいる地をも巻き込み始め、争いと血の臭いを持ち込んだ」
大地を自分達の魔法力で染め、荒れさせるだけでなく、竜と人にもその手を伸ばした。その様に、もう片方の魔法族を『魔族』と呼んだのも人。
「だが争いを望み、それに適した能力を持つ魔族と異なり、我らは戦うことを望まなかった。戦いの危機で唯一の魔法を見つけた人間は魔族に対抗する術を得たが、力の大きさそのものが遥かに魔族には及ばぬ。戦いの流れは明らかであった」
守りに重点を置いた側――竜と人間の側は劣勢の一方。
「これではいかぬと行動を起こした者がいた。それが――この竜達の魂を持った嘗ての戦士達」
強い願いは魔法力で、魔法という形になる。
人間が自分たちも守りたいものが守れるように魔族に対抗できる魔法を手にいれたように、竜もまた、望んだ。
「今人の元にいる竜の炎は魔法を溶かすが、傷つけようとしなければ人間は傷つけないとても無害なものだ。魔族と戦った時は、魔族や地を焼きつくす力を持ったものだった。……そうだ、この地を荒らしたのは、最終的には魔族だけではなかった。しかしここで思い違いをして欲しくない。決して地を荒そうと、戦禍を広げようとしたのではなかった。守るべきものを守るために身を呈した。仲間を奪われた哀しみの末、覚悟して持った力ゆえだ」
滅びる先を予感して、守るために、本来にそぐわない力だとしてもと覚悟を決めた竜が力を手にした。
そうして攻撃的な魔族に対して攻撃的な力を得た竜が魔族を追い詰め、今に知られるように追い払い、空間を隔てた。
だがその直後どうなったのか。めでたしめでたしではなかったのだ。
戦いを望まないからこそ、魔族と道を別った竜。それなのに戦うための力を得て、力に身を焦がした彼らが魔族との戦いを終えて得たのは、安寧に有らず。彼ら――一部の竜だけは安寧を手に出来なかったとシーヴァーは語る。
「魔族と戦った後止められた竜たちは懸命に癒されたが、狂暴でさえあった力は竜の魂に適合しないもの。命を燃やし尽くしてしまった」
守るために力を願い、戦った。けれど理由はどうあれ、彼らが得た力は本来竜に有らざる力。
「……意図せずして、竜の中でも道を別ってしまった。今まで以上のものはもう失わぬように戦ったが、その際に戦いに耐えるために理性は消され、人間も傷つけてしまっていた。その唯一の罪を償うために、嘗て戦った竜は巡り、ものは言えぬ竜として人間の元に託される。今度は人間を守るために。姿は一つと制限され、力も制限される。
『罪』を償うと共に、魔族を殲滅せんとする本能を完全に無くすことも目的だ。魔族との戦いは終えたからには得た力もいらぬ。竜には本来無い力だ。そうして人の元を経て、また一度巡り、ようやく本来の竜として生まれてくる」
人の元の竜は雄雌がない。それは竜という他の生物とは一線を画した存在であるから、当たり前に受け止められていた事だが、同時に繁殖能力がないことも示していた。竜の卵は時折置いて行かれるもののみ。
人と竜の、子を作る過程が異なるのではなく、人の元に来ることになる竜だけが
――彼らは昔も人を守り、そして今も人を守ってくれているのだ。
膝の上の、まだ子どものこの竜も。
「人の元の竜には目の前にいれば直感するという程度のはずだが、まだ少し魔族を敵と認識し、排除しなければならないという意識がある」
その反面力は制限されており、身体の作りも少し弱い。魔族に対抗するには何かと足りないそうだ。
闘技場で攻撃を受けて鱗が貫かれていた灰色の竜を思い出すと、そういえば巣にいるはずの竜の内ヴァリアールだけがあの場に現れた。
「ヴァリアールが……他の竜の姿はなかったのに灰色の竜だけが闘技場に現れたのは、その意識が強いのでしょうか」
「灰色の竜とな。――それはもしやゼロと契約しておる竜だろうか」
「そうです」
「ならば
その魂によって、普通人と契約で作られる繋がりよりも強い繋がりを持つから。
「ヴィーグレオの魂は巡る準備は既に出来ていたはずだが、一番長く、皆が巡り終えた最後に巡ってくるはずであった。そう願っておったゆえ。しかし魂が巡ったと知った時には、魔族に備えて巡ってしまったのかと思っておった」
「魔族に備えて?」
「魂に刻み込んだ魔族殲滅の意識が完全に消えるのは、再び我らの元に巡って来たとき。それ以前の状態では未だ意識は残り、今再びこの地に魔族が現れたとなっては、谷におる竜は戦えぬ。巡ってくることは考えられた。――しかしながらその時はそこまで深刻には考えていなかったのだ。魔族がいない世になりしばらく、既に人の元には魔族と呼ぶべきか何と呼ぶべきか分からぬ者がいたものでな」
師のことだ。
魔族の本質が曲がった師であれば、正体が魔族でその事実がどこまで行こうと消せなくとも、害がないと判断したのだとか。それで念のためと封じを施されて、ゼロは帰った。
「違ったんですね」
シーヴァーの言い方に推測は難くなかった。案の定、シーヴァーは顎を引く。
「北の地にある境目を知っておろう」
「はい」
「あれが二年ほど前に少し開いてしまっておったことも知っておるな」
「はい」
「あれは何十年か前にも封じが綻んでしまっておった」
今では住む場所が離れた竜と人だが、この間にはとある特別な『契約』があるという。この先もずっと消えないそれは、境目を管理し、この大地を守るというものだ、とシーヴァーは明かす。
北の地、『荒れ果てた地』にある境目は一番大きなもので、無理矢理に隔てた証の空間の繋ぎ目は普通でも扱いが容易ではないところ、最も管理が難しいそうだ。
「今になり分かったことだが、何十年――五十年余り前に境目の封じが効力を失った時、一つの魔族の魂が『こちら』に来てしまっていたようだ。此度、おまえが救った人間の魂のことだ」
「サイラス様の……」
「ゼロの魂が巡ってきたのは、実はその魔族の魂によることであったのだと事が起きて初めて分かった」
「もう終わったことではあるな」とシーヴァーは呟いた。
魂の巡りというものは、アリアスには図り知れない。そんなことがいつから始まっていたというのか。
「……北の境目は、何十年後かにまた開くんですか?」
「いいや、その心配はあるまいよ。封じは普通、力によるが百年は必ず続くもの」
「……?」
でも、さっき何十年か前に開いたと。これまで聞いたことのある話では、おそらくそのときに師は『こちら』に来たのだ。
アリアスが疑問を感じて首を捻ると、シーヴァーは苦い笑みを過らせた。
「この世には上手く行かぬことが多数ある。そのときも封じは行われたが、想定外の事が起こり、二年前以前の封じは三百年、四百年と続く力を持つはずが脆くも崩れた」
想定外の事、とは。
「境目を封じる役目に選ばれた魂を持つ竜は確かに境目を封じた。ただその前に魔族の魂が出て来ておったと考えるべきでな、魔族の魂が巡り、ヴィーグレオの魂が巡る。魔族の魂が目覚めこの地を荒そうとしたときには、ヴィーグレオが魔族に対抗するために目覚める。そして――」
シーヴァーは言葉を切った。
「――それら故にな、封じに不具合が生じた。これから二百年、三百年は封じは続こうぞ。……長く話をしてしまった。幼き竜は寝入ったようだ」
流れるように話が区切られたが不自然さを覚えていたアリアスも、無意識に撫で続けていた下を向く。
確かに竜は静かに眠っていた。寝顔は心なしか穏やか。
「これでもう大丈夫でしょう」
「ありがとうございます」
回復を行っていた女性の竜が微笑みを残し、下がる。
「では周りの者が目覚める前にこの場を去ろうとしよう」
そうだった。周りには、一見すると心配になる倒れようが繰り広げられているのだ。仮に今目覚めたとすれば、色彩は魔法で誤魔化したとしても人の姿をする竜たちは誰だとなり、アリアスも……。
「ファーレル、また来るからね」
ひとまず回復は確認した。先輩達が起きてファーレルの様子を確かめた後、謎の回復として記録紙に記されるだろう。たぶん。
そっと竜の頭を下ろして、去る準備をする。
「ファーレルか。良い名を貰ったな」
「生まれてきてから、何度も話し合われた結果決められた名前です」
他の竜の名前も教えてくれるかと言われて出入り口に向かい歩きながら教えると、シーヴァーはその度に頷いた。
「人は我らに『竜』という存在の名を与え、今も共に生きる竜に名を与える」
竜の魂に刻まれた名前があるというのなら、ファーレルにも人の元にいる他の竜にもあるのだろう。今呼ぶ名前は人がつけたもの。けれどきっとそれでいい。
彼らはその名前に反応し、認識し、人と生きている。
「おや」
シーヴァーがそんな声を出した。
向くのはもちろん前。外に出る、というところ。
「来たようだ」
と、シーヴァーは、柔らかにアリアスに笑いかけた。
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