第10話 全ては過ぎた事






 部屋に入ってきた兄弟子は、ベッドに座るアリアスを目にして一瞬動きを止めてから、ベッドの側に歩み寄ってきた。アリアスを見つめ、やんわりと肩を掴み、そこからが始まり。


「――体は大丈夫か?」

「はい。ルー様心配をかけてしま」

「問題は収めてくださったとして、怠くないか? 意識ははっきりしているか? 違和感とか、痛いところとか、あとは――」

「ルー、一度止まれ」


 身を屈めて目線を合わせ、問い続けていたルーウェンの声が遮られる。

 止めたのは後から入ってきたジオで、ルーウェンの勢いに押されていたアリアスが見上げると紫の瞳が一瞥してから壁に寄っている竜へ向く。


「呼んだということは、問題はないんだろう」

「魂は落ち着いた。後は元の通りに魔法力を制限するのみ」

「だそうだ。――アリアスの言うことも聞いてやれ」


 アリアスが目を前に戻すと、ルーウェンの心配の色がありありと表れた顔と影が過っている瞳が待っていた。


「ルー様」

「……うん」


 いつものように呼びかけると、アリアスはこうして起きているのに、兄弟子は今にも崩れてしまいそうな色合いの目をした。

 思い返すと、ルーウェンとアリアスが最後に顔を合わせたのは闘技場。一嵐が過ぎ去った後に心配はないからと別れたっきりで、次にアリアスが帰ってきたと思えば意識がなかったとは想像するととんでもないことだったかもしれない。


「驚かせて、すみません」

「……驚いた、どころじゃなかったよ」


 ベッドに腰かけて待っている時間も体は起きた後そのもので、変調はなくて、危険性があったとは思えない。五日という時間も実感する術もなかったが、全部兄弟子の様子で分かった。

 あの地に連れて行ってくれたのは、灰色の竜。その場で願い、したことにより今の状態に陥ったわけだから、きちんと理由を言おうとアリアスは考える。


「ルー様、私」

「いいんだ。アリアスがしたことは、アリアスが望んだことだから」


 ルーウェンは何もかも分かっているように首を振り、慈しむ眼差しをアリアスに注ぎ、言う。


「無事であれば、もういいんだ」


 ――セウランが行った後にどうなるか分からない方法があればと言われたとき、アリアスは死なないから大丈夫だと言い、訳もない自信があった。アリアスには大切なものがあるから、負けてはいられない。必ずしてみせると覚悟があった。

 こうして戻ってこれて、本当に良かった。まざまざと思い、染みる。


「アリアス、どこにも違和感はないか?」

「ありません」


 もう一度尋ねられたことに、アリアスはしっかりと返した。真っ直ぐに見つめ返したルーウェンは返答を聞いて、ようやく身体の力が抜けたようだ。


「そっ、か」


 緊張が解け、和らいだ表情。

 ここまでは深刻さが違えど、いつもの兄弟子であると言えよう。アリアスが熱を出したり怪我をすると、聞いて駆けつけ心配そうな表情で身体の調子を聞き、何の問題もないと分かって息をつく。

 けれど今、一つ違うところは。

 身を屈めていたルーウェンが、落ちるように床に膝をついた。


「ルー様?」


 手もアリアスの肩から滑り落ちた。

 急に崩れたルーウェンに、どうしたのかと様子を窺うが、目線の下にいった顔があげられていないため顔があまり見えない。


「まずいな……」


 手で口元を覆っている様子での呟きに、アリアスは「大丈夫ですか?」と慌てて彼を追って、しゃがみこむ。


「いや、気にしないでくれ。これは――」


 そういう訳にもいかない。どうしたというのか。アリアスは何でもないともう片方の手で主張する兄弟子の様子を確かめようと、した。


「……安心して、急に……」


 手で顔が覆われる直前、涙が一筋流れる様子が見えてアリアスがかけようとした声が消えた。

 兄弟子が、泣いていた。


「……あー……今、見せられる状態じゃない」


 手で顔を覆ったまま苦笑を滲ませた声だけが聞こえて、ルーウェンが立ち上がる動作をしたことを感じたアリアスが咄嗟に服を掴む。

 彼は驚いた拍子に手を浮かせたから、目が合う。青空の瞳から涙が一筋零れる。


「ルー様、心配させて、ごめんなさい」


 夢か現実か分からないときに彼が泣いていた光景を見たことがあったような気はするけれど、こんなにはっきりと見たのは、初めてだ。

 つまりはそれほどまでに心配させてしまったことになる。


「心配はそれはもう、した。今までにないくらいにな」

「……はい」

「でもアリアスがしたことを、アリアスは後悔していないんだろう? 望んだんだろう?」

「はい」

「サイラスさんを救ったのはアリアスだ。それは喜ぶべきことだ」


 兄弟子は、緩く微笑む。


「目覚めてくれたから、それだけでいい。俺のこれは俺自身まさか今のタイミングでこうなるとは思わなくて動揺しているんだが……」


 涙を示して困り顔を混ぜ、「アリアスに見られたくないから、一旦落ち着いてくるついでにゼロを探してくるよ」と、言うのでアリアスが服から手を離すと、立ち上がり――


「すみません師匠、順序が逆でした」


 ――ジオに言い、竜に会釈して出ていった。




「後で本当にルーが落ち着いた頃合いに会えばいい」


 閉まったドアを見続けていたら、上から声が降ってきた。ドアの横で待っていた師が近づいてくる姿を、アリアスは下から見上げる。


「そういえば……ルー様も知っていたんですか?」

「俺が言っていたからな」


 自分が知らなかった魂の事情。師だけでなく兄弟子も知って、いたのか。言い様のない不思議な感覚。

 二人は知って、アリアスが気にし過ぎているように思えることを気にかけてくれていたのだ。いつまでも守られているだけではいけないと思いながらも、アリアスはずっと知らないところで守られていた。


「いつまで床に座っている。やり難いからベッドに座れ」


 話をそこで切った師はどこまでもいつも通りの様子だ。指示は聞こえていたけれど、アリアスはじっと師を見上げる。


「……師匠」

「何だ」

「ああいうお別れは、嫌です」


 言ったのは、師が『荒れ果てた地』でサイラスを止めるために境目を開いて自分共々『あちら』に行き、戻って来ないことを何の躊躇いもなく決めたこと。

 別れをきちんとして欲しかったという話ではないが、今になるとあんな別れがあるだろうかと抗議したい。


 怪訝そうにアリアスを見下ろしていたジオは、アリアスの言に心当たりを見つけたのだろう。僅かに目を逸らし、またアリアスに視線を戻して一言。


「座れ、それが先だ」


 再度促されたのでアリアスが床からベッドに戻ると、右側に師が腰かけ程度に座る。


「前を向いていろ」


 言われて前を向く直前、師が耳飾りを手にしているのが見えた。あれが魔法具だとは、しげしげ見たい気もするけれど大人しく前を向いた。

 存外丁寧な手つきで横髪を指で退ける師は、おもむろに話しはじめる。


「俺は、お前に何もするなと言ったな」

「……はい」


 あのとき師が最後に残した言いつけだ。動かず、何もするな。その言いつけをアリアスが破ったのは、このまま流れに任せそのとき存在した方法どれに転んでもサイラスは言わずとも、そしてゼロもどうなるか分からず、師は帰って来ない。


「……師匠が帰って来ないことも、他の選択肢も、受け入れたくありませんでした」


 ――全てが受け入れられなかった。


「願い等という言い方は甘いまやかしだ。物事には必ずそれ相応の代償がいる」

「……はい」

「その大きさは知っていたか」


 アリアスは頷いた。


「その上でしたというのなら、それを傲慢と言う」


 怒られたという記憶が薄く、分かりにくい師は今確かに怒っていた。ルーウェンとは反対に、行動に対する批評。


「結果的に救われた餓鬼がどうかは知らんが、少なくとも俺はそれを望まん。今お前がこうしていられるという事実はただの結果であり、最悪のことが起きる可能性は高かった。俺は魔族だ。本来いるべきは『あちら』。魂と人としての性が違っていたとはいえ、サイラス=アイゼンもまた魔族の性に負けていたからには『こちら』に相応しくなかった。――お前自身を代償にしてまで救われるべき存在でない」

「……師匠、知ってたんですね」


 そうする方法があることを。


「当然だろう、俺がここにいるのはかつて同じようにしてくれた者がいたからだ。お前とは違い、歴とした竜だったがな。――そうだ。何もさせなければお前が気にかけていたあれを失うことは知っていた。失わせることを知っていて言った。

 だから俺は、その道しか与えないのであれば俺も多くを望まず『あちら』に還ることが道理だと考えた。……そしてやがて消える。あるべき道だ」


 方法を黙っているからには、自らも大人しく『あちら』に還る。

 そんなことを、考えていたのか。師の本音を初めて聞いた気がした。


 ジオの声が途絶え、静寂が生まれた空気に晒されたアリアスの耳に冷たい指が触れ、続けて耳たぶに金属の冷たさが触れる。


「――だが、悪かった」


 カチと微かな音が鳴り時間かからず耳飾りがつけられたことを察すると、瞬間ジンと耳が強く熱を持ち、それは身体中を駆け巡った。

 アリアスが師の方を振り向くと、戻ってきた耳飾りの重みが揺れる。


「最終的な結果であるとはいえ、お前が無事にこうしているのであれば、その選択を飲み込ませようとしたことは謝る」

「言い方が、すごく言い訳っぽいですよ」


 どうやら結果、多少気にしているらしい。言うと、図星なのか師は一旦口を閉じた。

 別に責めようなんて思っていないのに。

 ――「今お前がこうしていられるという事実はただの結果であり、最悪のことが起きる可能性は高かった」この言葉が、アリアスの身を考えたことだということを示していたから。


「別れ云々に関しては、次そんな機会があれば善処しよう」

「え、縁起でもないこと言わないでください」

「俺も『あちら』に行かされるのは勘弁してもらいたいものだが」


 それなら言わなくてもいいではないか。

 自分で言っておきながら辟易した空気を纏ったジオは、アリアスに再度前を向かせて最後に魔法具の確認をしてから立ち上がった。ぽん、とアリアスの頭に一瞬手を置いて、一歩下がる。


「魔法力はこれからも体に満ちぬようにせねばならぬゆえ、それは外さぬようにせよ」

「外すなと言っても、どうせ引っ張ろうと外れんがな」


 入れ代わりに歩み寄ったシーヴァーが耳飾りを手で掬う。


「ふむ、順調に働いておるようだ」


 満足げに微笑んだシーヴァーの指の先を模様に覆われた石が滑り、小さな高い音を立てて宙に揺れた。


「手を」


 差し出された手に、アリアスが浮かせたのは模様が刻まれた方の手。

 そちらで合っていたようで、シーヴァーは上と下から手を覆い隠す。手の甲を撫でていった手が退くと、手の甲に描かれていた印は消えていた。


「竜の声は未だ聞こえるか」

「……いいえ」

「竜の声とは何だ」


 アリアスとシーヴァーのやり取りに、訝しそうなジオが問いを挟んだ。


「少々目覚めた魂の影響が出てしまっていたようでな。目覚めた後、アリアスが何処かで苦しむ竜の声を拾うた。心当たりはあろうか」

「竜の体調が優れないようだと聞いたな。孵った竜はこの敷地内におり、魔族の魂を持つ者が収容されていたのは地下の牢。敷地的にはそんなに離れてはいない。力を目覚めさせ牢を出たと考えるのが妥当だろうから、魔法力の影響を受けた可能性がある。どうやっても具合が良くならんと言っていた」

「具合如何によっては脅威が去れども影響は残り、人の魔法で魔族の魔法を癒すことは叶わぬ」


 シーヴァーがアリアスを見る。


「竜の元へ行こうか」










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