第16話 消える
ジオが城の方角を見て呟いたことを耳にしアリアスも同じ方を見ていると、視界を淡く染めていた光が収まったことに気がつく。はっとして目を離していたルーウェンの姿を探すと立ち位置は変わらずすぐそこに兄弟子はいた。その身体に帯びていた光はというと、やはりついさっきまで見ていたことが嘘のように何事もなく収まっている何の変鉄もない姿。
「ルー様、大丈夫ですか?」
一度、かなり狼狽えて問うたことを今一度確かめずにはいられない。
「うん、何ともない」
ルーウェンも急に発され急に消えた光に微妙に首を傾げて手を開いたり閉じたりしていたが、アリアスの問いには顔を上げて微笑んだ。彼自身もよく分かっていなかった魔法の力は消え、その姿はいつもの兄弟子。
だが、よく分かっていなかった現象が起きていたことは確か。
「師匠、結界が何か」
手のひらを無意味に握ったりすることを止めたルーウェンはジオが結界かとの呟きをしていたことを聞き逃さなかったようで問う。
「お前が引っ張られていたという方向は城だろう」
「おそらく」
「今はその感覚はあるか」
「……さっきほどは」
「そうか。俺は結界が揺れていると感じたが……それも少なくとも今ここからは感じられんな」
「城の結界がですか」
「そうだ。一度俺は見て来るからお前達はここで待っておけ」
師が言うなりその姿は白い光に包まれ、瞬きした後見ると師の姿は消えていた。
「師匠、どこに……」
「城の結界に何かあったと感じていらっしゃったみたいだから、城の結界の魔法具を見に行かれたんじゃないかな」
さっきルーウェンの突然の状況の際、ジオは城の結界に異常を感じたという。
側のルーウェンがいなくなった本人の代わりに答えてくれた。
「お城の結界が揺れたとしても、それがルー様のさっきの状態と関係なんてあるんですか……?」
「分からない。だが城の結界が揺れたのならそのこと自体が良くないことだ。それに……結界の揺れと俺のさっきの状態をつなげるとしても俺だけがああなったとは限らないんじゃないかと思うのが問題かな」
青みを帯びた白い光が表す魔法は王族の血筋に受け継がれるとされる独特な結界魔法。ルーウェンの父親はハッター公爵たる現在の王の弟であるから、彼にも容姿の色彩のみならずその魔法が受け継がれている。
先ほど原因が分からず本人の意思とは関係なしに発されたものの正体はその魔法。他の王族、独特な結界魔法を要する人たちも同じことになっていたとすると……。
「ルー様、本当に、何ともないんですか……?」
「全く。とりあえずは師匠が戻ってくるまで待っておこう」
突然の事にも驚いていたのは最初だけで、取り乱さず事を分析しているらしいルーウェンはまずは師を待とうと冷静に言った。
考えたことをそのまま口に出したことで、それを聞いたアリアスがもっと表情を曇らせ当事者よりもまだ動揺が残ったままの心を見抜いたのかもしれない。
「大丈夫だ、アリアス」
微笑み、頭を撫でられた。
手の大きさ、手の重み、力加減が馴染んだもので、アリアスは今度こそやっと静かに心が落ち着いていくことを感じた。
大丈夫。兄弟子にはもう変な様子はないし、師もいるのだから。
「そうだ、暖炉に火をつけてでもして待っていようか」
「……ルー様……」
しかし冷静を飛び越えてそんなのんきな、と次の兄弟子の発言にはそう思わずにはいられなかった。
「ここでずっと待つと寒いだろう?」
「そうですけど」
「じゃあ師匠の部屋でも借りてよう」
どれほどで師が戻ってくるかは分からないが、じっと待っているのには寒い気温。
アリアスが納得させられたタイミングを縫ってルーウェンがアリアスの背を押してくるりと方向を変えてしまう。
「じゃあルー様は座っていてください。私がやります」
「アリアス、具合が悪いわけじゃないんだから」
ルーウェンが苦笑するけれど、さっきの様子を見ておいてそうですかと素直に受け取ることはできない。
「何だか反対になっちゃったなー」
アリアスがもう大丈夫だと言っていた最近のことを示しているのなら、兄弟子の気持ちが分かった気がした。
でも、原因不明では不安の種類が異なると思うのだ。
師は中々戻って来なかった。
結局はアリアスとルーウェンが二人で普段使われていないジオの部屋の暖炉に魔法でではなく自分達の手で火をつけられる準備をし、火をつけるくらいの時間は帰って来なかった。
パチパチと小さな音を立てて火が爆ぜて、安定して燃え続けるようになっても帰って来なかった。
「……」
遅い、との感覚は正しいのか誤りなのか分からない。
師が
城の結界を張る魔法具がどの程度あり、また何かしらの異常が見られたとすればそれはどれほどの異常さを表すのか、または危険なのか。
結界に異常があったとすれば、何が原因なのだろう。そしてそれがルーウェンの原因不明のあの状態のときに起こったことはただの偶然なのか。
暖炉に火を入れる間気がかりで様子を窺う度に兄弟子は微笑みを返してくれるものだから新たな不安は生まれることはなかったけれど、待っているだけだからか遅いと感じる。
あとどれくらいこの火をぼんやり眺めていたら――。
気がついた。
いつから、どのくらい前から黙り込んだままだったのだろうか。火のもたらす温かさを暖炉の前で感じ、ゆらゆらと揺らめく大きくはない火を眺めてどのくらい。
それは同時に、ルーウェンもまた声を発していないということ。
アリアスがぼーっとしているとこんな場合はきっと彼はアリアスの意識を逸らすために気がつくように呼びかけてくるはず。実際にはぼんやりとしていただけで良からぬ思考には傾いていなかったアリアスはそう気がつくことができた。
どうしたのだろうと隣を見ると、兄弟子もアリアスと同じように生まれた火を見続けているようで青い瞳に火の色が薄く揺らめいているよう。
じ、と片膝をついてわずかにも動かずに火を見続ける横顔が真剣で、アリアスに声をかけることを躊躇わせた。
「――アリアス」
「はい」
けれどもあちらから声をかけられて、無意識に引っ込んでいるところだった声がちょっと変な風に出てしまった。咳き込みそうでそこまでには至らない微妙な感覚にアリアスが顔をちょっと歪ませていると、こちらを見ずに呼びかけてきた兄弟子はそこでアリアスに目を向けた。
「少し、行ってくる」
そして、そう言った。
アリアスは喉を擦りかけていた手を止めて唐突な発言に聞き返す。
「行くって、どこにですか」
「城に」
「ルー様も結界を見に行くんですか?」
「いや違うことで気になることがあるんだ。師匠が戻って来たら、すぐに戻ると言っておいてくれ」
「え、ルー様?」
最低限すぎる問答をすると、兄弟子はすっと立ち上がるではないか。
「ルー様!?」
そのまま、アリアスの驚きの声にも止まることなく彼もまた魔法でその場から姿を消してしまった。
取り残されたアリアスはの兄弟子がこの場からどこかへ行った、という事実を中途半端に腰を浮かせた状態で遅れて理解した。完全に立ち上がる前にルーウェンは行ってしまったのだ。
「どこに……」
彼までもどこに、いや城に行くと言われたのだったか。師があまりにも遅いから見に行こうとしたのだろうかと思ったが、違うと言われた。ではどこに。どこかという詳細は問う暇なく行ってしまった。
一体どうしたというのか。
呆気に取られているのと、消える前に見たルーウェンの真剣な表情が思い出されて……。
「……あ」
そのとき新たに白い光が部屋に生まれ、誰かの姿が現れた。
ついさっき同じ魔法で姿を消したルーウェンでなければこの場に戻ってくるのは一人しかおらず――まさに入れ違いに廊下ではなく部屋にジオが戻って来た。
戻って来た師の「まずいな」という呟きが聞こえた気がする。師の目は戻って来た部屋の中ではなく彼自身の手元に向けられているようで、呟いたあとに暖炉の前にいるアリアスを見つけた。アリアスに定められた目はすぐに逸らされて、いるはずだと思われた姿を探して……探せずにアリアスに戻ってくる。
「ルーはどうした」
「さっき魔法でどこかに行ってしまって……」
「どこへだ」
「城へとしか」
「他には」
「結界とは違うことで気になることがある、とか」
ジオは怪訝そうな目をした。
しかしながらアリアスも戸惑っているし、他には何も聞いていないのでそれ以上に答えられることはない。
「引っ張られている感覚があると言っていたな……それか」
ジオはルーウェンがどこかへ行ってしまった理由の推測をぼやき、手に持っている何かを収めるには上着は着ておらず白いシャツのポケットでは小さいのか、ズボンのポケットに何かを仕舞って一度目を閉じた。
何かを探るように、集中しているように。
温かさが滲みはじめている室内が温い静寂に包まれ、一分足らず。
「城の、地下か」
目が開かれた瞬間、息を潜めてジオを見つめていたアリアスは師がまた魔法で移動するつもりだと直感した。長年の師の前触れない空間移動を見ていたたまものだ。
同時に行き先は話の流れからしてルーウェンの元だとも直感。
「私も行きます」
師が行ってしまう前にとほとんどとっさに勢いよく、立ち上がるより前に言うと間に合ったらしい。師は姿を消すことなくアリアスの声を聞いて顔を向けて無言でそのまま。
「……仕方ないか」
ため息をつきそうな雰囲気のジオは許可すると解釈できるそれを溢すやいなや、アリアスに向かって歩いてくる。
「行くぞ」
師がすぐ近くに来る前にはアリアスの視界が真っ白に塗りつぶされていた。
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