第17話 地下通路の先





 一瞬後、強い光の影響が残ることなくあったはずの白い光がことごとく失せた世界は様相を変えていた。

 様相どころか場所が変わっており、塔のジオの部屋ではなく塔の通路のどこでもない場所、ジオの言った通り城のどこかに移動したのだと理解するにかかった時間はごくごく僅か。


 急激な場所の変化に瞬いていたアリアスが師の姿を探すと、ジオは歩みを止めずいつの間にかアリアスの横を通りすぎて止まる様子もなくどんどんその先へ向かっている。そのこちらに向けられている背中、暗闇の先に黒髪が消えていってしまいそうでアリアスは見えなくなる前にと急いで走り追いかけると、靴音が響く。


「ここ、どこですか」


 追いついて師の歩く速さに合わせて離れないようにして、どうせよく見えないのに左右をきょろきょろしながら尋ねる。

 少しでも離れてしまえばすぐにでもその姿が見えなくなるであろう場所だったのだ。左右が石の壁だと何とか判別できることと前にときおり左右に伸びる先があることからどこかの通路には間違いないだろうが、如何せん灯りがなく、窓もなく陽の光も入らないところ。靴音だけがよく響く。


「城の地下通路だ」


 城の地下通路、と聞いて頭の中にもしやと思い当たるところがあった。

 大分前に一度だけ入ったことのある、知る者が限られているという迷路みたいな隠し通路だろうか。

 城の地下にある地下通路がどのくらいの範囲広がりそのどの位置にいるかも分からないアリアスは何気なく後ろを振り返ってみた。やはり何も見えず前に向き直ると、足の運びが疎かになっていたのか師との距離が少し開いていたから慌てて距離を詰める。


「ルー様はこんなところにいるんですか」

「それは確かだが、正確な場所を計ることができなかった」


 ルーウェンの居場所に正確に現れることができなかったことが不可解そうな言い方。

 真っ暗な中、ジオは魔法で灯りを出すこともなく通路の地図が頭に入っているから歩けているというよりはずっと先まで見えているように歩く。

 実際に見えているのだ、とアリアスは確かな理由はないけれどその淀みない足取りに感じた。


「おかしいな」


 それは数分歩き続けた頃、ジオが唐突に足を止めた。アリアスには数メートル先には壁があるのだ、と遅れて目を凝らすことでやっと分かり師が明らかに行き止まりがあるために止まったから思った通り見えているのだな、と確信に変わった。アリアスならこれだけ速く歩いていたら壁に気がつかずぶつかっている。

 それにしても、行き止まり。ルーウェンの元へ向かっているはずなのに前には道はない。師が道を辿り損ねたとは思えないからアリアスも行き止まりに首を傾げる。


 するとジオが行く手を阻む壁に近づき、にわかにその場にしゃがみこんだ。


「仕掛け自体は上の入り口と同じか」


 何をしはじめたのか師の姿と暗闇とで見えないが、そこまで長い時間は経たずに師が立ち上がり前に進む――と、行き止まりだったはずの前から壁がなくなるではないか。


「もっと地下にいるな」

「まだ下があるんですか……?」

「俺も知らなかったが、そのようだな」


 壁が扉のように前に開き、出来た道に何ら躊躇わずジオが行きはじめるのでアリアスも続いて通り抜けると、次に出てきたのは階段だ。

 見下ろしても一番下なんて見えるはずもない、だからこそ余計に長いだろうと思わせる、今いる場所より下へ下へと行く階段。

 元から地下通路があること事態も過去に関わった事により知ることになっただけなのだが、それよりもっと地下に通路があるとは。一つ目、この階の地下通路の存在は知っていた最高位の魔法師である師も知らなかったこの先の通路とは何のためのものなのだろうか。


 それより、本当に一体兄弟子はどこにいるというのか。

 師が行く先に彼がいることは確かであるため、アリアスは足を踏み外さないかと不安の過る階段を手始めに一段降りた。







 歩いた距離は分からない。

 無事に階段を下りて、階上と大して変わらないと思える迷路のように入り組んだ通路を黙々とジオの後について歩き続け、何分。十数分にもなるかもっとかも真っ暗であることで感覚が正常に働いていない中、アリアスは違和感に気がついた。

 明るいとは言い過ぎではあるものの明かりがある、ということ。

 いつからか微妙に足元が照らされている事実に気がついて、どうせ見えないと思い込み続けていた視界を急に意識する。師が今さら灯りをつけるはずもないし、アリアスもつけていない。そもそものところ、近くに灯りがある照らされ方ではないと思われる。

 では光の源はどこにあるのかと離れないようついて行き続けている師の横からひょいと前方を覗くと、光の根元を見つけるより前にこの暗い空間に来てはじめて人影を見つけた。

 それも、


「ルー様」


 光に縁取られるように浮かび上がる、紛れもない兄弟子の姿。

 理由不明で姿を消したルーウェンの後ろ姿にアリアスは息をつきたくなった。安心に似た、力が抜けそうになるような感じ。

 けれど肝心のルーウェンはアリアスの声が聞こえなかったのか、さらに後ろから響く靴音にも反応を示さなかった。

 軍服の後ろ姿、光が生まれている源があると思われる前を向いているばかり。彼の見ている先には何があるのか。


「ルー」


 ようやくルーウェンが反応を示したのはジオが歩み寄り、肩に手をかけたときだった。


「…………師匠」


 振り返り、肩に手をかけた人物を認めたことに次いでアリアスにも視線が下りてきてアリアス、と呟かれる。その声はぼんやりしている響きが混ざっていて、アリアスは少し不安になる。


「すみません、師匠が戻られるまで待てば良かったのですが」

「別に構わん。それで、お前が来た理由は」

「やはり少し引っ張られる感覚が気になり、ここまで辿ってきました。――あれを」


 ルーウェンは視線を前に、すっと指で示す。

 指を真っ直ぐ辿った延長、遠く先には途中からアリアスに視界を与えていた光の源らしきものがあった。青白い光だとこのときになってはじめて分かり、それは氷の柱みたいに見えるものが天井まで長く太く木が根差すように存在し、その中心から清らかな光を眩いまでに発していた。

 光は離れたアリアスたちを照らすまでなのに目を閉じたくなる刺激はない。


「師匠、あの中にあるものは……」


 不思議な光に目を奪われていたアリアスが固い声に兄弟子を見上げると彼は険しい表情、師も何かを見極めようとせんとする目付きで先を見据えている。

 アリアスもつられて目を前方に戻すと、さっきは気がつかなかったことに気がついて息を飲んだ。


 ――清らかなる柱の中、青みを帯びた白い光に紛れて存在する空間のひずみをそこに見た。


 単に黒いと表現してもよいのか、明らかに柱のひび割れではない、禍々しく歪んだ裂け目。。あれは――。


「何を封じているのかと思えば、境目を封じていたのか」

「やはり、そうですか」


 清らかな光に全く似つかわしくないものを凝視しているアリアスの耳に境目、と聞こえた。

 そうだ、かつてアリアスはあれと同じ歪みを見たことがある。境目――人々と竜が住む『こちらの世界』と魔族と呼ばれる禍々しい魔法を扱う者がいる『あちらの世界』、大昔に別たれた空間の繋ぎ目とも呼ばれるもの。以前に見た場所はここではない地、あんなものがあってもおかしくはない血が染み付いた土地で見た。だがここは。


「ここからすぐに出るぞ」

「え、あれは、いいんですか?」


 何をすることもなく師が直ぐ様そんなことを言うから、アリアスは何とかぎこちなく小さくも存在感を放つ歪みから目を引き剥がして尋ねた。


「解決の方法が今すぐには見当たらん。おそらく俺があれを無理に塞ぐのは場所を考えると止めた方が良いだろうからな」


 師はさっさと出るぞと言わんばかりにアリアスとルーウェンの前に立ちはだかって光る柱を見えなくしてしまった。


「でも、」

「心配はいらん。今のところ封じられている、解けかけてはいるがな」

「アリアス、出よう」


 前は師に遮られ、師の言葉の終わりに被さり気味に声を発した兄弟子に背を押されて反対方向に身体を向けられてしまう。

 何が何だというのか。背を押されて進めさせられた歩みを促す二人の足取りが一刻も早くここから離れるべきだと読み取れる様子で歩みが進められるのでアリアスもそれについて行かざるを得ない。


 後ろを気にしながらも押され促されるままに歩き離れて行くと、青白い光が遠ざかりやがて真っ暗になるとルーウェンが一人で来たときにはそうしてきたのだろう、魔法で手のひらの上に灯りを出現させる。

 周りは真っ暗な中、アリアスが見上げ窺った魔法の灯りで照らされた二人の顔は、ジオはいつも通りルーウェンは真剣な顔のままだった。


「……あれ、どうするんですか……?」

「内輪で解決することは出来んようだから知らせるだけ知らせておいて、会議にでもなるだろう」


 会議、でため息でもつきそうな雰囲気を出したのでそんな場合かと思う。同時にそこまで深刻なことではないと思わせるそれでもあるから、不思議だ。


「どのみちお前が心配することではないから忘れておけ」

「いや、そんな簡単に」


 忘れられるわけないですから、とアリアスが言ったと入れ替わりに黙っていたルーウェンがジオに訊ねる。


「そういえば師匠、結界の方はどうでしたか」

「揺れたことに間違いはなかった。今は元に戻っているように見えるが放っておけば同じことが起きるだろう、今すぐにでも全ての魔法具を変えるべきだ」

「魔法具全てに不具合が?」

「全てというほどではないが」


 ジオがズボンのポケットから取り出したものを横を見ずにルーウェンに差し出して見せる。


「この魔法石に魔法を込めたのは誰だ」

「それは……城の結界を張るためのものですか」

「そうだ」

「そうであれば、その時の担当の魔法師がだと思います」

「それなら魔法具を作ったのは」

「作ったのは魔法具職人――」


 答えを思い出すようにルーウェンは言葉を一区切り、少しして改めて口を開いた。


「ここ最近手掛けていたのは、サイラスさんです」

「誰だ」


 一度は問い返したジオはああ例の、と誰に教えられるまでもなく理解の言葉を発した。


「なるほどな。こういうことにもなるはずだ」


 何がどうなっているのか、二人の会話を聞いていても結局アリアスにはちっとも分からない。ただ一部、出てきた名前にまたか、とわけも分からず塔の部屋で目覚めた日からある感覚が、奥に押し込めていたはずが滲み出た。


 一人大きく納得したようなジオは城の最も地下から天井を見上げた。






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