第3話 確信犯
当たり前だが何も身構えることなく歩いていたアリアスは後ろから伸びてきた何かに捕まって動きを制限され、危うく悲鳴に近い声を出しそうになった。
「アリアス」
けれど、降りてきた声に喉の奥で止めることに成功する。同時に伸びてきて自らを囲ったものが腕であることを認識する。腕が身に付けている衣服が軍服のそれであるとも。
ただし、驚きで心臓が跳ねたことは間違いがなく、ばくばくとした余波ある状態で後ろを見上げる。後ろにいる人は、背が高いから。
「……ゼロ様……心臓に悪いので急には止めてください……」
「急にじゃなかったらいいってことか?」
「えぇ、と」
背後から現れるときはたいていそうであるように、足音、物音なく近づいてきてアリアスを後ろからその腕でもって捕まえたゼロは軽く笑った。
どこから現れたのだろうと考えることは無駄だろうな、とアリアスはその笑顔を見上げながら頭の隅で思う。
「あの、ゼロ様、とりあえずもうちょっと離れて……」
「無理」
至近距離で即答されたので言う言葉に詰まったアリアスであったが、視線の先でゼロが口元に笑みを浮かべてこちらを見ているものだからちょっと困る。何も言うことも出来なくなってしまう。
でも、何しろここはただの通路であって、今は人通りはないけれど今にも人が通ってもおかしくはなくて……
「俺にこうされんの嫌か?」
ときょろきょろと挙動不審になりかけていたところでそんなことを言われてアリアスはとっさに振れる範囲で首を振り、口でも同じ事を言い表す。
「い、嫌じゃないですよ」
「なら、俺はこのままがいい」
耳のすぐ側での声はさらりと主張した。低く、甘いようなそれにアリアスはくすぐったいのと、恥ずかしい……というより照れくさい思いがする。
それと共に誘導された、と気がつく。でも嫌ではないのは事実であって……言葉にならないしどうすればいいか今さら分からないので小さくうぅ、と困った声を出すことになった。
するとそこでなぜか灰色の頭がアリアスの肩にまで下がってきて……ふるふる震え始めているではないか。
「……笑ってませんか?」
「笑ってねえよ」
「笑ってるじゃないですか!」
明らかに。微かにくっ、と笑い声がしたことをこの距離で聞き逃すはずもなくアリアスは笑っているではないかともう一度確信をもって言う。
けれども、それに返ってきた言葉にアリアスは何度目か詰まって、さらには顔の赤みが増すことになる。
「悪い、可愛いからつい」
「そ、そういうことさらっと言わないでください……」
「何で」
「……恥ずかしいので」
横にある顔が上げられこちらを向いて、アリアスは灰色の目と合って気恥ずかしくなりつい目を逸らしながら呟くようにして答える。
瞬間、上げられていたはずの頭が瞬時に下がった。何事。
今度は震えていない、ということは笑っていないということで。
「……そういうところが可愛いんだって」
「もう限界なんですけど……」
呟きみたいな声にしても聞こえるのだ。
許してくれとでも言いたくなる。アリアスの容量はもういっぱいいっぱいだ。
「それならよ、」
「はい……?」
「本当なら毎日会って好きだって言いてえって言ったらそっちのがいいか?」
極端だ。何がどう極端かは説明できないが、極端だとアリアスは思って、それからずるいということも思う。さっきからどうもアリアスが答えられる答えがひとつの方向にしかない問いをされているような。
「……さっきから分かって言ってますか」
「何が」
「また笑ってるじゃないですか……」
「笑ってねえって」
再びアリアスに向いた顔の口元は弧を描いていて、犬歯が覗いている。その笑みは整った顔を甘く見せる種類のもの。
分かってやっているに違いない。アリアスばかりが慌てて照れて、ゼロは余裕に見える。そういえばゼロとルーウェンは同じ歳だったか。それならばアリアスより八つほど年上ということになって……こういうことには慣れているのだろうかと考えが行き着く。
「アリアス?」
「……はい何ですか?」
ふっ、とアリアスは顔を上げる。いつの間にか下を向いていた。
ゼロが眉をわずかに下げている。
「どうしました?」
「やり過ぎたかって思って」
自覚はあったのか。そう感じることと一緒に何だか彼の表情に笑いたい気分になる。
その傾けられこちらを覗き込むような顔には不自然には思えないほど馴染んでいる眼帯がある。
彼のその眼帯に覆われた左目は、夕暮れの色。竜の魂を持っているのだと目を見張るようなことを知ったのはつい先日。『離れないでいてくれるか』と聞いたことのない弱気な声音にしっかり頷いたのも同じ日。
この人が好きだとしっかりと感じたのも――
「そういうわけではないですよ」
……いいや待て。そういうわけではあるのでは。
つい否定したけど、そうではある。でも視線を下げてしまっていたのはそうではない。あれ、何を思っていたのだったか。
アリアスが少し混乱まではいかないがもどきに頭の中でなっている間にゼロはアリアスの微笑での言葉に目を細める。
「アリアス」
「……はい」
「好きだ」
「……っ」
ああやっぱり耳元で囁かれるのはさらに心臓に悪いと思うのだ。そのことばかりが原因ではなく、言葉そのものが照れに拍車をかけるのだけれど。
何だかもはや色々限界に達してどこかに隠れたい心持ちになったものの、落ち着くために少し離れることもできない。
というより、言っているではないか結局。
「アリアス」
それなのにも関わらず、なおも名前を呼んでくる声にアリアスは無意識にぴくりとする。
やけに鋭く――敏感になったような感覚でまた耳元で口が開かれたことを察する――
「ゼロ、お前急にいなくなったと思ったら……」
「――る、ルー様!」
その場に通った声。ばっと顔を前方に向けるアリアス、そこから現れたのは何と軍服姿で歩いてくる兄弟子である。
アリアスはさっき言われた言葉やらこういう状態やらで必要以上に驚いてしまう。
「何だルー来たのかよ」
「来るだろ。ちょっとした間にどこに行ったかと思えば……ゼロ」
ぎゅっと後ろからの腕の力が少し強くなって、アリアスの顔に新たに朱が入る。さっきまでも恥ずかしかったが、兄弟子の前でされるとまた何というか……。
「んだよルー」
しかしながら、ゼロの方はというとそのままの状態で、平然と、やって来たルーウェンに応じている。声は頭がルーウェンが来たことにより上げられていて、アリアスの頭のすぐ上でとなっている。
「俺の前でいい度胸してるな」
対して、いくらか前で足を止めたルーウェンの眉がぴくりと動いた気がした。心なしか、笑っているはずなのに唇の端がひきつっているような……。
「恋人の『特権』だからな」
それにゼロはにやりとした笑みをする。
その言葉に反応したのはルーウェンはさておきアリアスもだった。
アリアスは気恥ずかしさやらなんやらでどこを向いていればいいのかと視線をうろうろさせて、最終的には兄弟子と目が合ってぎこちなく笑うことになってしまった。
何だこれは、どういう状況なんだろう。
とりあえず今ばかりはゼロに離して欲しくて仕方がない。とアリアスは切実に思った。
そのとき兄弟子が緩い笑顔をこちらに向ける。
「えぇとですね、ルー様、」
「おはよう、アリアス」
「おはようございます」
ゆるり、と笑む彼は普段通りに朝の挨拶を口にし、次いで目線を上にずらし、
「ゼロ」
ゼロを呼んだ。そして、簡潔に言った。
「会議だ」
「おう」
ゼロも分かっているというように短く返事した。だが、
「まだいいだろ」
時間はまだあると言いもした。
けれども、そこでアリアスはそうかゼロは会議だから城に来ているのかと思い立った。それは大丈夫なのか、ここにいて。
「あの、ゼロ様、会議であるのなら……」
「そうだぞゼロ、会議は大事だ。いいから今すぐ会議に行くぞ」
最終的に、ルーウェンが緩やかな笑みのまましかし声音は問答無用でゼロに詰め寄り、アリアスの言も利用して――それから最後に再度優しく彼女の頭を撫でることを忘れずに――とっととゼロを連れていった。
「……念のため言っておくけどな、」
「何だよ」
騎士団の会議に出席するため――本当はまだ時間はある――にアリアスとわかれた二人の間。沈黙を破る声を通したのはルーウェンで、それは普段通りの声……に聞こえる様子で横にいる人物に向かって話しかけた。
横を歩くゼロはゼロで多少不服そうに頭に手をやりながら応じる。
「最低でも成人までは手出し厳禁だからな」
「……」
「おい」
「いてえな……分かったって」
「本当だな?」
「信用ねえな。つーか、手出しってどこからどこまで――」
「聞きたいか」
「あー聞きたくねえからいいわ」
「本音で言って俺の前であれだけのことをされるとまー殴りたくなる」
「言ってんじゃねえかよ。それにあれだけのことって大げさだな、我慢しまくってる方だろ――危ね」
重ねて「ルー最近お前手が先に出てるぜ」などとルーウェンは言われたわけで、最近と言ってもどんなときでもではなくて、こんなときだけだと言い返したくなる。が、
「心配すんなよルー、今はあれでいいって思ってる」
「側にいれるっていうのが実感できりゃそれでいい」と、そこでいつもからは考えられない穏やかな笑みをゼロは見せた。その友人にルーウェンは内心驚きを隠せない。
何だ、元気のなかった妹弟子の元気は戻ったで良かったが、さっきのことを思うと何だか兄弟子としては複雑だったわけで。でも色々考えるとあの日心持ちゼロの背中ぶっ叩いてそれはもう良かったのだろう、が、やはり複雑だったのだが。
どこかゼロの雰囲気が変わったような気がした。
二人の端から見ての態度で上手くいったことは間違いないが、一体アリアスは彼をどう言って受け入れたのだろうか。その辺りは知らないのに、アリアスとゼロが『仲直り』したその日のことが関係していると確信したルーウェンであった。
それで、ようやく自然に笑みとなって頷き相づちを打つ。
「そうか」
「まあたまに、いや結構ぐっとくることあってそれ以上したくなってっけどな」
ルーウェンは無言で隣の友人に向かって鋭く腕を突き出した。
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