第2話 戦争の兆し
大きな円卓が広い部屋の中央に位置する、城の一室。いくつか並ぶ窓にはカーテンがきっちり引かれており、磨きあげられているはずの肝心の窓自体は覗かず、ただ布の隙間からは朝日が射し込んできていた。
大きな円卓には八名の者が席についている。椅子も全部で八つ、空いている席はないということだ。その内七人が男性。一人が女性であることが分かる。
奥の方に座する者たちは最高位の魔法師たちであり、入り口に近い方の席についているのは魔法師騎士団の団長三名だ。
「ブルーノの話と二年前のことを考え合わせるに、レドウィガ国が戦争をしかけてくることは確実じゃろう。ということはもうすでに言ったのう」
八名の中の一人。立派な髭を蓄えた老人、最高位の魔法師アーノルドがよく通る朗々とした声で言う。
「隣国の将軍、カイル=クラインの言葉は宣戦布告であるというわけじゃが……新たにレドウィガ国に関する情報が入った。かの国にいる密偵の報告じゃ。やはり軍が動きを見せておるな」
二年前は、レドウィガ国自体が戦争を仕掛けるのではなく、他の国と戦争をさせようとしていたと見られていた。だが今回、はどうも方針を変えてきた。
「先だってのいくつもの件はそのためのもので、我が国に混乱を起こそうとしたということであるということじゃが……」
「しかし、魔法師の質、戦力の大きさから見ようと我が国は周辺の国々の中でも秀でた軍事力を持っていると言えます。レドウィガ国がいくら混乱の種を蒔いていたとしても、現在の状態からでは正面からぶつかればグリアフル国が勝つだろうと考えられますが」
「そうじゃな、そのことに関して言っていなかったが早めに言っておきたいことがあってのお」
もっともな点を指摘した厳めしい顔つきをした最高位の魔法師の一人である男性にアーノルドは相づちを打って、ちらりとその目を自らの横に向けた。向けられた方には背もたれに完全にもたれかかっているジオの姿がある。隣の老人に視線を向けられていることに当然気がついた彼ではあるが、無言で視線を返して視線を戻した。
「魔族が現れたようじゃ」
魔族、魔法族その名称は一般には知られておらず、また歴史と伝承の合間の存在『邪悪なもの』として広まっているだけに過ぎない。竜のように見る機会などそうそうないが確かにそこにいるのではなく、実際に見たものが少なくともいないからだ。存在を感じられない。
だが、この魔法師をまとめる立場にある彼らにはその存在が伝えられ、信じるようにされてきた。
「まさか、この地には入ることは出来ないはずでは……?」
レルルカが驚きを隠せない様子で反応を示す。他の数名も似たり寄ったりの反応。
その中でようやくジオが仕方なさそうに口を開く。
「『繋ぎ目』に綻びが生じているようだな。永い時が経てばそうもなるだろう」
「封印が……? そうはおっしゃられますが、そうだとしてもこの地の魔法を受け付けないはずだと記憶しておりますわ」
「だから男を介している」
「男とは、まさか報告にあった件の将軍たる者のことですか」
「その通りじゃ」
矢継ぎ早の問いと返答。
「将軍と名乗った男のみならず人にも有らず竜も持たぬ色彩をもったそれも目撃されておる。魔族が現れたことは間違いはない」
数日前にもたらされた報告。
竜の異変、王の部屋にあった黒の魔法石、王子の毒殺未遂、さらにはブルーノ=コイズの件。全てに関わると思われる男と接触したことはジオ、ルーウェン、ゼロによってすでに話されていた。しかしながら、男と共にいた『魔性の存在』に関しては今日初めて明らかにされた。
そのため、隣国の将軍に関わった三人に視線が散った。三人共微動だにしない。それが事実であると黙認の形をとる。
「この国の人間であれば土地に染み込んだ魔法の力を受けて育っておる。中心部に近ければ近いほどな。ゆえに、同じようなことをするのは不可能。魔族が嫌がるのじゃな。隣国の将軍たる者は魔族を宿らせることが出来る強固で稀な体質であることに加え、この地の恩恵を受けていない隣国の人間だからこそ可能だったことだろう。おそらくこちらの地を訪れたことがあったと考えられる。それも――『繋ぎ目』の近くにのお」
魔族は今より遥か遥か昔、追い払われたというよりは土地ごと、空間的に人間と竜と住む場所を隔てられることとなった。グリアフル国がある土地にかつて魔族を追い払い封じた地がいくつか存在する。
この場で『繋ぎ目』と称されるのは『こちら』――グリアフル国――と『あちら』――魔法族たちのいるとされる空間――の境目、互いに干渉することがないようにと封じられたそれを言う。
封じられていたはずのそれに綻びが出ていても不思議ではない、と先ほどジオはいつもの口調で言ったのだ。
いくら土地に魔法が染み付いているといっても永遠ではない。魔法を宿し生まれてくる人口が減ることは、土地の魔法の恩恵が薄れていることも指している。同様に、境目を封じた魔法も薄れる、と。
「かの国の将軍は魔族の力を借りておるようじゃ。それゆえに、竜を弱らせることが可能じゃった、むしろそのために将軍という地位の者が来たということじゃったか。ということでな、魔族があちらの国にはついておると考えておき行動した方が良い」
「ですが、一体なぜ魔族が人に力を貸すのです」
「さての……人であるわしらには想像などするだけ無駄というもの。その存在をしかと頭に入れておるわしらだけは忘れてはならん。魔族はその昔、人と竜の魔法と根本から質を違えた魔法を持ち、共存など不可能と空間さえも違えることとなった存在なのじゃ」
立派な髭を撫でながらアーノルドはまさに人のよい老人のそれのままの声音と表情のままでその場にいる全員に忠告する。現れたものは仕方がない。問題はそれをいかに受け入れ対処するかであると。一秒にも満たない時間、目が鋭くなった。
場にいる魔法師は一人残らずその意をしかと理解しアーノルドを見返す。もう、魔族に関して『なぜ』『まさか』という声は出なかった。
「納得してもらえたようじゃな」
空気が引き締まったことを感じ、よしよしと満足げにアーノルドは頷く。
「戦に関しては騎士団に任せるとしよう。くれぐれも先ほどのことを念頭にな――魔族がどのように関わってくるか分からんからのお。……さて、次は流行り病についてじゃ、レルルカどうなっておる」
「はい、国境方向で急激に広まり始めたとのことですが広がるばかりですわ。そこで、治療専門の魔法師及び治療の術を身に付けている魔法師と治療士の両方から人数を抽出し、治療団を結成することでもう進めています。数日の内に発てるでしょう。もとろん戦いには支障は出ないようにしておりますわ」
「ほう、ではその件はもう任せることにするわい」
「承知いたしましたわ」
「これにて今日は一度解散とする」
アーノルドの言葉で、会議は閉じられた。
時間は有限とばかりに各々次々と立ち上がる中、ジオが立ち上がる、と。すでに席から離れようとしていたレルルカが目ざとく彼に顔を向ける。
「ジオ様、魔法での移動をするつもりではないと信じていますわ」
「移動時間の短縮だ」
本日の会議においても魔法で姿を現したことと普段の行動から、レルルカが先回りしてにこやかに制したにも関わらず、ぱっと白い魔法の光が発されジオは長い黒の髪ごと消えた。
聞く耳をもたないとはこのことである。
直後、栗色の髪の美しき女性は笑顔を美しいままに固まらせたが、何事もなかったようにドレスの裾を翻して扉へと向かう。
入り口近くの席からその様子を見ていたルーウェンは師の行動に慣れたもので感想は抱かなかったが、ただレルルカの単なる笑顔に終わらない笑顔には静かに部屋を後にする背を見送った。
「慣れるといけないな……」
今さらのことを今さらに意味なく呟いたルーウェンは三十分後には騎士団の会議が予定されていたはずなので、一旦開かれた両開きの扉から目を戻す。
すると次に向けた、隣の席にあたる椅子に座っていたゼロも例外なく立ち上がってはいたが、じっとある方向に目を向けていた。
誰もいない、空席の椅子があるばかり。正確にはどの席か。先ほど魔法で場所を移動しおそらく自らの部屋に戻ったジオのいた席――
「次は騎士団の会議だよな」
ふいとその視線を自然に離して、八人しかいなかった部屋からもはや人がいなくなりつつあることに気がついてかゼロは言いながら扉へと向かい始めた。
ルーウェンは師のいた席を見てから、自らも部屋から出ていった。
「戦争になるなんてすぐに広まるんだろうな」
「仕方ない。大規模なことだ、準備で分かる」
通路に出ると、自然と会話は会議での話題に関することだ。
しかし、室内ならまだしも通路で大っぴらに話すことではないのですぐに途切れる。それにどうせ……と言っては何だがこの後に細かく細かく話し合っていくのだ。
窓側を行くゼロは窓の方に顔を向けていた。
ルーウェンの記憶の限りでは、外は早朝から快晴。それこそ雲ひとつなかった。時期的には戦争に向かうのにはいい方かという思考が働く。その一方で横を行く友人がさっきから何を思っているのか。
「なあルー、俺には分からねえ」
少しの沈黙が続いたほど、ゼロがにわかに言い出した。声から察するに、窓の方を向いたまま。
「あの人、
急な言葉だったろうか。だが、ルーウェンとしてはそれは考えていただろうなと、ここで来たかという心持ちだ。
つい先日、魔族を目撃した彼はその色彩を重ね合わせているに違いない。あの、漆黒を。
同じ場所に現れた師に。
言葉を耳に入れたルーウェンは真っ直ぐ通路の先を見ている、そのまま少し考える。
「どう見える?」
「どう見えるって」
「お前のその目にはどう映る、どう感じる」
不自然ではない時間考えた結果、そんな返しをした。
「あの人はただ、俺とアリアスの師匠だよ、ゼロ」
ルーウェンが答えたのは、それだけだった。全てを知っているわけではないのだから。それに加え、同じく先日妹弟子と話したことを思い出してその返しの選択をした。
「――そうかよ。まあ確かにここで俺が考えてること肯定されても何か釈然としねえ部分あるし、別にいい。お前がそういう感じなら
「ああ」
「あのとき明らかに『魔族』って本能で分かったあの魔族の姿見るまで、まるで気づかなかったっていうこともある」
さっきの質問なかったことにしてくれ、とゼロは意外なほどすんなりと引き下がった。
それからまた通路に聞こえるのは足音と金属のぶつかり合う些細な音だけとなる。
『魔族』――ジオによって向かった空間で少しだけ目にしたその存在。漆黒の髪に……距離があっても分かるほど存在感ある深紅の目。
歩きながら少しの間だけ思考に沈んでいたルーウェンはふいに思うことあっておもむろに口を開く。
「国境あたりの病のこと、まだ詳細は明らかになってないがどう思う?」
急に発生した流行り病。タイミングを考えるに、魔族が関わっていると考えられた。王の病のように――
「……ゼロ?」
しかし、返ってくる声は少しもなく、前に向けていた目を向けた横には友人の姿はなかった。後ろを振り返ってみてもない。ルーウェンは疑問を抱く。さっきまでいただろう。自分が思考に沈んだ短い時間の内にどこに行ったというのか。
ひとつだけルーウェンの目についた箇所といえば、開かれた窓。他には窓は開かれていない。ひゅう、とその窓からはそよ風がわずかばかりに入ってくる。
「飛び降りた、のか?」
思いついたことはそれだった。
それにしても、なぜ。
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