第6話 率直に述べて
アリアスは、城のゼロの部屋の合鍵をもらっている。
だからゼロがいなくても入れるようになっており、もしも今彼がまだ部屋に帰ってきていなくても中で待つことができるようになっているのだ。
仕事は終え、夕方と夜の合間の時間。アリアスはゼロの部屋の前についた。
夕方、あのときは狼狽したものの驚きからきていたのだろう。よく考えると、慌てる理由はない。問題はと言うと……目撃されて聞かれていたことにどんな顔をすればいいのか、全く分からないことだ。何しろ初めての事態である。ああいったことは、話すものなのだろうか。話すとしても何をどう言えばいいのか。それさえも分からないため、部屋の前まで来たのに入る前になって悩む。
「何で入ってねえんだ?」
ノックしようかどうか考えつつもノックしあぐねていたら、部屋の主はまだ戻ってきていなかったようで、今現れた。仕事を終えて今部屋に帰って来たらしいゼロは、部屋の前のアリアスに歩み寄りながら首を傾げた。
思考に耽っていたアリアスは全く気がつかなかったので、驚いたことをひた隠しながらも「いえ、今来たところで……」と言う。
「そっか、なら良かった。待たせたかと思った」
部屋の鍵を開けるゼロは全くもって普段通り。考え込んでいたアリアスは、拍子抜けすると共に考え過ぎだったのだと思った。ゼロは気にしていないのかもしれない。漠然と考え過ぎていたのだ。
考えていたことがふっと取り払われた気分になったアリアスが中に促されて見慣れた部屋に入ると、背後でドアが閉められる。
「で、夕方のことなんだけどな」
不意を突かれて、心臓が軽く跳び跳ねた。
即座に振り向くと、ゼロと向き合うことになる。
「偶然とはいえ、盗み聞きみたいな真似して悪かった」
「い、いいえ。いいんです。そこは気にしないでください」
謝られて、手と首を振る。
「あの……」
話題が出てきたことで何か言わなければいけない気がしたのに、それ以上何を言えばいいのか見当はつかなくて口を閉じる。
何だろうこの時間。空気。ゼロの前でこんなに居心地が悪くなったことがあったろうか。目で彼を見上げて様子を窺うと、再度目が合う。
満ちるのは、沈黙。それも、どちらも何か言い出せないような良くない沈黙だ。アリアスをじっと見ている灰色の目がゆっくりと瞬きをして、口を開いたのはゼロの方だった。
「正直に言っていいか」
「は、はい」
「その前に、なんでそんな様子おかしいんだ」
「……夕方に会ったとき、ゼロ様がすぐに行ってしまったので少し、不安になって。いえ、仕事だったからで、ゼロ様は気にしていないとは思うんですけど……」
何を聞いて、何を思ったのか。何もまずいことはしていないけれど、不安になった。こんなことは初めてだから。
ゼロは聞いてしまったというだけなのかもしれないのに。
「俺が、気にしねえと思うか?」
アリアスの整理のついていない言葉に、ゼロは首を傾けて言った。
「すぐに離れたのは悪かった。ああいう場面に行き合ったのは初めてだったからな。驚いたのと、聞いたことで色々思ってあの場で話せる状態じゃなかった」
「色々、ですか」
「色々」
ゼロはすぐには続けず、アリアスの髪を撫でる。優しい手つきで滑る手は、輪郭を確かめるように顔に至る。
「正直、時々思うことがある」
ぽつりと、彼は呟いた。
「アリアスがジオ様のところにずっといたら他の奴の目に触れることが少なくなるのにって」
始まった話にとっさには繋がりが見つけられず、アリアスはゼロを見つめ続ける。
「アリアスが学園行く前に、俺が言ったこと覚えてるか?」
「……?」
「側にいれねえのが嫌だ。俺が側にいねえ間に誰かが近づくのも嫌だ」
学園にこれからも通うとゼロに告げた日だ。あの日のことは、様々なことが重なって二年も経った今も覚えている。
「気にするに決まってるだろ。俺は別にアリアスのこと誰かに奪われるなんて思ってねえけどな、面白くねえもんは面白くねえ。あんな場面に遭って思った一つはそれだ。もう一つは、だから嫌なんだってとこだな」
とても率直に述べるゼロがおもむろに身を屈めて、より近くなる。
「アリアス」
「はい」
「かなり今さらなんだが、俺はこういう男だ」
――出来ればどんな男の目にも触れさせたくない。今回みたいに好意を寄せる奴が現れるなら、特にそう思うらしい。好意を持ってる奴には触らせたくないどころか、近づかせたくもない。
すぐ近くで、真っ直ぐにアリアスの目を捕らえたまま彼は囁いた。
「それが馬鹿みてえな考えだってことは自覚してる。俺の我が儘で、独占欲の塊だ。――俺はこういう部分を持った男だ」
正直で、率直な思い。
「…………ゼロ様」
「ん?」
「なぜだかですね、とても不安になりました」
「夕方のことでアリアスが気にする必要なんてどこにもねえよ。ろくに反応せずに行って本当に悪かった。俺もそんな余裕なかったみてえだ」
「いいえ、私が勝手に感じていたことだったので。……でも今、何だかとても、ほっとしました」
安堵したと言うと、ゼロは首を傾げた。
ゼロに率直に言ってもらえて良かった。アリアスは、見られていても見られていなくても前にあったときの同じでしばらく考えてしまっていたと思うから。
自然と微笑みが溢れると、身を屈めていたゼロがもっと近くなった。と思うと、深く抱き締められていた。
「あー、俺ってとんでもなくな情けねえな……」
耳元で聞こえた。ゼロは身を屈めたまま覆い被さるようにアリアスを抱き締める。
「一回あの場離れたのはいいが、時間経つにつれて、無性に抱き締めたくなって仕方なかった」
腕の中にいるアリアスは、とても会いたくなっていたことを思い出して、ゼロの背に手を回した。すごく落ち着く。
「愛してる」
紡ぎ伝えられた言葉は、声のみならず全体で感じる。
まだ知れていない部分がまだあっても、その部分を含めて好きだ。彼は、アリアスとってそう思える人だから。
――大好きなのは、あなたなので。
ほどなくして、入ったばかりの場所で立ち止まっていたことで、場所はソファーに移った。
ただし並んで座っているのではなく、アリアスが座ったところに横になったゼロが頭を乗せていた。言うところの、膝枕。
実はこれで二回目なのだけれど、アリアスはこれは案外好きかもしれなかった。いつも見上げているゼロが下にいることが新鮮であることと、とても無防備な体勢を預けられているのが嬉しいような気持ちになる。竜にするのとは当然勝手が違い、若干恥ずかしいことに目を瞑れば、けっこう好きなのだろう。
あと、ふと頭に、というか髪に触れたくなって危なくなる。
と、下から見上げる灰色と橙色の目を見つめているとアリアスがそんな動作に至りそうになっているとは知らないゼロは、眼帯を外した姿だ。
外に出ているときは眼帯をすることが身に染み付いているゼロとて、左目の覆いを外すときはある。部屋で二人のときは、彼は大抵眼帯を外していた。
「……あいつ、一回目じゃねえのか?」
何となく話の続きで、学園での後輩なのだと話していると、どの拍子でかゼロがそれを嗅ぎとったため、アリアスはこの際とこれに関しての隠し事は無くして学園でのことを白状した。手紙にも書けないし、時を置いてわざわざ言い出せなかったことだ。
「やっぱり学園だよなあ」
片手で目を覆ったゼロがぼやいた。だから嫌なのだと、さっき聞いたばかりの言葉が聞こえそうな言い方であった。
「良い子なんですよ?」
「人柄に関しちゃあ否定する材料は俺にはねえが、骨ありそうではあったな」
「あ、主席卒業だったそうです」
「学園の成績はけっこうそのまま出るからな……今年の一番の有望株か。同じ騎士団じゃねえのが残念だな」
「どうしてですか?」
「そりゃあ、しごいてやれねえからだろ」
「それは……」
「冗談だ」
冗談だと言いつつも、笑ってはいない。けれどゼロはこういうことで公私混同する人ではないと分かってはいるので、アリアスは苦笑に近い形で微かに微笑む。
そういえば、レオンにゼロだとは言わなかった。
手を目の上から浮かせたゼロと再び目が合う。
「まあ面白くはなかったけどな――嬉しかった」
「嬉かった、ですか?」
どの辺りが。
唐突で、心当たりがないために首を捻っていると、ゼロが下から手を伸ばして、アリアスの頬に触れた。
目線の下という珍しい位置でゼロは笑っていた。言葉通り、嬉しそうに。同じ感情を反映した声でも言う。
「好きになれるのが自分以外にはいないって言われるのは、嬉しいだろ」
思い出した。
――「私には好きな人がいます」
――「その人以外は恋愛という意味では好きな気持ちは抱けないと思ってます」
それは鮮明に、今日、それも何時間ほどか前に自分がはっきり言ったばかりのことを思い出した。思い返すと、相手が真剣なのだから誠実に返すべきだと言ったことは、事実だとしても普段言わないことを言ったではないか。
「…………忘れてください」
思い出して考えた結果、小さくそう頼んだ。
「何で」
「だって、……まさか聞かれているとは思わないじゃないですか……」
あの場ではそんなこともなかったのに、後から会話に引き出されると急激に恥ずかしくなってきて顔を背けてしまう。事実である。事実ではあるが……。
思いきって自分でゼロに言ったのではなくて、思いもよらず聞かれていた形だ。一番の不意打ちかもしれない。
「俺には面と向かって言ってくれねえのか?」
無理だ。沈黙で答えると、太ももの上にあった重みがなくなった。
逸らしていた視線を戻すと、そのときにはすでに起き上がったゼロが目の前にいて、手を伸ばす。アリアスの頭の後ろに宛がった。
息がかかるくらい近くにきたゼロは、笑みを浮かべて、直前にこう囁いた。
「じゃあ忘れてやらねえ」
そうして彼はキスをした。
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