第16話 新しい一年も、その先も
外に出ると、様相をすっかり夜とした世界には月明かりが降り注ぐ。シーヴァーの白い髪が光を受けて、月光に染まる。
「ええっと、セウランとはどこまで一緒にいましたか?」
「ふむ、外に出たときには確かに共に」
「じゃあ、ここからお城に行くまでの道をまず探しましょう」
竜を含め先輩がぐっすり睡眠状態にあることで、セウラン探しのために出てきたアリアスは早速歩く。
セウランがどこにいようと、色彩を誤魔化す魔法を使っているのならその点は問題ないが、子どもの姿で一人となると誰かに不思議がられるのは時間の問題だ。
とはいえ元から限られた人しか来ない場所であるので、今のところ全く他に人が見当たらない。まだ竜が育つ建物からそんなに離れていないから迷うとすればこの先から城までにはぐれて、というところだろうか。
「おや」とシーヴァーが何かに気がついた声を出した。
「シーヴァー様?」
「どうやら、連れて来てくれたようだ」
見るは、これから行こうとしていた前方。
暗い先の方から声が、聞こえる。
「――しくて、道が分からなかったのです……」
「だからちゃんとついて行く努力をしろって言ってんだ。お前、前来たときも迷子になってたじゃねえか」
「こ、今回は途中までは一緒だったです。建物の外に出た後に……です」
「毎回途中から離れるんだろ。そういうのを迷子って言うんだよ」
知っている声が二つ。月明かりでぼんやりと見える範囲に現れる姿も二つ。片方は背が高く、もう片方は小さな子どもの大きさ。
姿の片方、情けない声を出していた白の緩い装束の少年の方が「あっ」という顔に変化する。
「長!」
探そうとしていた少年、セウランがぱっと駆け出してシーヴァーの元に行った。
「おおセウラン、ちょうど今探しに行こうとしておったのだ。一体何時から側にいなかったのか」
「分かりませんです。気がついたときには長がいませんでしたですから……もう会えないかと思いましたです……」
「大袈裟な」
涼しげな音色で笑う竜がセウランを抱き止める傍ら、アリアスは現れていたもう一人が今ここで会うとは思っていなくて少し驚いていた。
「ゼロ様、どうしてここに」
『春の宴』に出ているはずのゼロは、まさに装いはそれ。
時刻はまだまだ祝いの場は続く、日付も変わっていない頃。セウランを見つけて、連れて来てくれたのだろうか。
「途中でうろうろしてるセウラン見つけた」
アリアスの方に一直線に歩み寄ったゼロは横の方の竜を見た。
「しかしセウラン、連れて来てくれるとは手柄だ」
「俺が連れて来られたってことになるのかよ」
「最後に顔を見に行こうと思っておったのよ」
よしよしとセウランを側に寄せるシーヴァーが微笑み変わらずゼロに話しかける横で、セウランがアリアスを見つめていた。アリアスは首を傾げて、少し身を屈める。
「どうしたの? セウラン」
「……お別れが寂しいのです……」
どうやらこの竜は別れを残念がってくれているようで、表情を曇らせている。
「私も寂しい」
「本当です?」
「うん。でも全く会わない可能性だけじゃないってシーヴァー様が言ったから」
もしかすると、というだけの話かもしれない。けれど、アリアスは幼い子どもが泣き出す直前のような目をするセウランの小さな手を両手で握る。
「また会える日もくるかもしれないよ」
人と竜とが住む場所は隔たれているわけではない。アリアスには彼らとの見えない繋がりがあるから、アリアスは笑いかける。
「セウラン、色々ありがとう。元気でね」
本当にありがとう。
小さな体をしながらも今回人々を守り、アリアスを助けてくれた竜は大きく頷いた。
「さて帰ろうか、セウラン」
「はい」
頭上では、ゼロに言葉をかけていたシーヴァーの方も話を終えていた。セウランが涙を堪えた瞳でシーヴァーを見上げると、彼らの衣がどこからともなく起こった風に煽られる。
直後、一瞬の閃光。
「……あ」
セウランに目線を合わせていたアリアスが引き寄せられたように立ち上がると、ゼロに抱き寄せられる。
意識を惹きつけられている前方には、白い髪を持つ、人と同じ姿はもうなかった。
白い竜。
穢れ淀みのない色。これほどまでに美しい白を見たことがない。騎士団のどの竜よりも大きな体をした竜の鱗はまさに清らかな月光色で、一つ一つが澄み、輝く。あまりの美しさに息を飲んだ。
姿を『竜』と呼ばれる形に変えた彼らの、橙の瞳がアリアスとゼロを見ている。
並ぶ二つの巨大な姿。片方より遥かに大きな白き竜が、鋭い歯の生え揃う口を僅かに開く。
「我が子達よ、望むままの道、良き道を歩んで行け。また、会おうぞ」
地にまで届く響きのある声は、そう言った。
――白い竜は、その翼で空へ。大きな白銀の月に向かって遠くへ遠くへ。やがて月と同化して見えなくなった。
行ってしまった。今度こそお別れで、人の国には非日常的であった存在の彼らは元の場所へ帰って行った。
視線を空から地上へ。竜のいなくなった場所にいるのは、アリアスとゼロのみ。
「――あ」
自らを抱き寄せる腕を自覚してアリアスが側のゼロを見上げたら、ゼロは「どうした?」と顔を傾ける。
「ゼロ様、戻らなくてはいけませんよね」
どこでセウランと会ったかは置いておいて、連れてきてくれた彼はここにいる予定の人ではないのだ。
「いや、戻る気はねえけど」
「え?」
「俺は元々アリアスに会いたくなったから来たからな」
思わぬことを言われ、アリアスは目を丸くする。
「それって、いいんですか」
「いい。あれは仕事の一環と言えば一環だが、それは参加までが義務で、ある程度顔を見せりゃ終わりだ。後はあくまで祝いの日に集まって交流する場に過ぎねえな」
「でも、ゼロ様がいないと気がつかれるんじゃ……」
「俺とどうしても会いたい奴なんていねえよ。毎年毎年だ、顔ぶれなんてそんなに変わらねえし――毎年特別な日を過ごすなら俺はアリアスがいい」
前髪が避けられ、額に柔らかく口づけられた。唇が離れた後、近い距離で視線が交わる。
「アリアスは嫌か?」
アリアスの心配を何ともないような口振りで悉く払い除けていたゼロが、そんなことを聞いてくる。
視線を合わせる目はアリアスを離さないような目をして、腰を抱く手も離す気がないようなのに。
「……その質問は、ずるいです。わざと聞いていますよね」
アリアスが嫌だと言えようはずもないし、そもそも嫌だと言うはずもないのだ。
聞き方がずるい、とアリアスはどうにか目を伏せた。
視界もゼロの顔から逸れたところで、その端に指先が過ったかと思うと、愛おしむように指の背が頬を撫でる。
「まあアリアスにいて欲しいって言ってもらいたいっていう俺の願望だな」
その言葉にアリアスが視線を上げると、ゼロが覗き込むようにして笑っていた。
アリアスだって、一緒に過ごしたいという気持ちはある。それは知っていてほしい。
「私も一緒にいたいです、けど」
「けど?」
「ただ、ゼロ様、折角の格好しているのにもったいないなと思って」
果たしてアリアスだけが一人占めしてもいいものだろうか。手に頬を委ねながら、本当に彼はここにいてもいいのかなと気がかりで。
「格好良いか?」
やはり戻った方がいいのではと裏に隠した言葉に気がつかないゼロではないのに、彼はそれを無視して、問いかけとともに首を傾ける。
冗談を帯びた問いを受けたアリアスはといえば、愚問ではないだろうかと思った。
他に参加するであろう貴族とは趣が異なる、騎士団所属と表す軍服を模した装飾の施された白い衣装。腰には儀礼用の細い剣。
それら装飾の全てが着ている人を飾っている状態にはならない。似合っていて、いつもとは少し異なる髪型と服装のせいか、普段とは違った雰囲気。
正直改めて前にして意識してしまうとどきどきするのは、ゼロに見つめられているせいもあるだろうか
格好良いことは確かなので、アリアスは微笑んで頷く。
「はい、とても格好良いです」
ゼロが驚いたように僅かに目を見開き、動きを止めた。
「……たまに不意打ちで言われると照れるな。すげえ嬉しい」
表情が、蕩けるように笑顔に。
指の背で頬を撫でていた手が顎にかかり、そっとアリアスの顔を仰向けたかと思うと、甘い笑みになったゼロは堪えきれなかったように顔を寄せて、唇を合わせた。
重なった唇が離れたのは、十分な時が経ってから。
目を開いたときアリアスは熱に浮かされたようになっていた。目の前のゼロは甘い、甘い笑みを口元に浮かべ、見つめる瞳に色彩と反対の熱が宿り、アリアスを見ていた。
「底が見えないくらい、アリアスのことが好きだ」
不意打ちなのは、ゼロの方だと思う。これはいつものことなのだけれど、アリアスこそ口づけの後の真っ直ぐな言葉に照れて頬を濃く染めた。
その頬にも、口づけが落ちる。
「ゼロ様、」
「ん?」
「あのですね、ちょっと恥ずかしいので、この手を離していただけると嬉しい、です」
頬の手を。
俯けなくて、赤面した顔を見られていると思うと落ち着くものも落ち着けない。何度されても慣れないものは慣れないことと、こういうのは、思うと何だか久しぶりな気もする。だからか、今日のゼロはいつにも増して心臓に悪い。
さ迷わせそうになる目をゼロに向けて、肝心の手に触れて言うと、首を傾げる動作をしたゼロは「ああ、手な」と頬から手を離してくれた。頬からは。
視界の外で、手に触れていた手が絡めとられる。
「アリアス」
「はい」
「今年はこうだが、来年からのこの日は予約しといてもいいか?」
こんなことを言う。
「今日を境に新しい年になるっていう日は、やっぱりアリアスと過ごしてえから」
改めて言われると嬉しい言葉だった。春からまた新たな一年が始まる。その始まりに合わせて催される『春の宴』。今日日付が変わると、もう新しい一年に変わる。
その瞬間を、一緒に過ごしたいと言われるのは他に感じ難い感情が湧く。
「その日だけじゃなくて、他の日も」
アリアスが答える前に重ねられた言葉があった。
「俺がどんな日も一緒に過ごしたいのも、見ていたいのも、側にいたいのも、アリアスだ」
見る前で絡めとられていた手が持ち上げられ、指に唇が触れる。熱い息を感じて指先がピクリと揺れた。否、揺れたのは、熱を増した瞳が強い光をもって射抜くからかもしれない。
もしくは――
「ずっと」
囁くような声までも甘い響きを孕み、彼の全てがアリアスの感覚全てを支配してしまったからかもしれない。
「俺はこれから先もずっとアリアスと一緒にいたいし、いてほしい」
いますよ。とすぐに出そうになる答えはあったのに。
合わせたゼロの目を見ていたらあまりに真剣で、強くて、大事なことを言おうとしている気がしたから、目が離せなくなると共に声は出なかった。
だから指を僅かに握ると、握り返される。
ゼロが瞬きをする様子がやけにゆっくりに見えて、現れた灰の目が再びアリアスの姿を映す。
「アリアス」
彼の声は、とてもとても丁寧に一人の名前を音にした。
「俺と結婚してくれ」
紡がれたのは、好きや愛していると同じくらいの気持ちが込められた、許しを請う言葉。
真摯な眼差しを目の前に注ぐ中向けられる声は、優しくて、芯が通った声。力強く鼓膜を震わせた言葉を理解したアリアスは、ゆっくりと瞼を下ろし、瞬きをした。
ゼロの言葉はいつも、いつも真っ直ぐだ。言葉だけではなく、眼差し、行動全て。時を重ねても変わらないそれはきっと彼の本質そのもの。
名前を呼ばれ、言葉を交わし、目が合うたび伝わる気持ちが増えるような気がした。
アリアスも惹かれていくばかりで、この気持ちがなかった頃はもう考えられないだろう。
だから数年前のアリアスにしてみればまず身近にはなかった結婚ということも、周りの身の上の話の中で聞いてもやはり他人事であったけれど、彼の口から出てくると一番に出てくるのは嬉しいという感情だ。
つまりは、そういうこと。
未来が不確かで、不安なんて思わない。重なる手の主がゼロだから。その未来は重なった手の中にあり、彼が重なる手をこれからも続くものにしてくれると言うのなら――。
アリアスは瞳で再びゼロを見て、目が合って、花開くように微笑んだ。
「はい」
気の効いた返事もろくにできずそれだけになってしまったけれど、ゼロは嬉しそうに笑って、この上なく優しく指先にキスをした。
あなたと歩んで行ける道は、どんなことがあっても、きっと側には幸せがある。
今宵、二人の間で交わされた言葉を見聞きしていたのは春の月夜のみ。
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