『閑話』

昔の話 こんな頃もありました


 



 小さな手が大きな扉の取っ手を掴んで、よいしょと開いた。重い扉を全身を使ってある程度まで開いたところで覗いた向こうの光景に、アリアスは「うわぁ」と声を上げた。感嘆ではない。眉を下げたくなる「うわぁ……」だ。何しろ本が床にたくさん散らばっているのだから。

 どうして本棚があるのに、仕舞わないのだろうかとつくづく不思議でたまらない。今まで見たこともない量の本を見たときに驚いたが、扱いの雑さにも驚いて、こんな風にするなんてと信じられない気持ちもいっぱいだ。


 本を消耗品として扱う犯人は、本を顔に被せて奥のソファーで寝そべっていた。もう昼なのに。

 アリアスは師となった人を起こそうとソファーに行こうと思って、その場から動くには本を取り除かなければならないことに気がついた。ところどころの隙間にはアリアスの足の大きさなら入るだろうけれど、隙間ばかりを歩んでいくには足が届かない。

 仕方なくアリアスは本を拾って進むことにした。

 腕の中いっぱいに拾ってはひとまず横に置き、拾っては積み重ねておきを数度繰り返すと、ソファーが迫ってくる。

 この一回で辿り着けると、アリアスはよいしょ、よいしょと顔を上向けなければいけないくらいに欲張って本を拾う。で、うっかり躓いて転んだ。


「うわっ」


 為す術なく床に倒れ込むアリアスの腕の中から本が旅立ち、前方向かって派手にぶちまけられた。

 本がどうなるかまでは追えず、床に手をついたアリアスは「いたぁ……」と尻をつけて座り込んだまま顔を歪める。つかの間、転んで出来た痛みにだけいっていた意識が「あっ」と空っぽになった手に気がついた。二度目の「あ……」で本が飛んで行った先を見上げた。


 座ったままで、見上げたソファー。見たところ、師の上に乗っている本が増えているような増えていないような……。正直、増えている。

 わざとではない。わざとではない、が。

 顔の上の一冊が二冊になり、腹の上に新たに二冊。気がかりなのは顔の上に増えた一冊で、隠れていなかった頭か額にぶつかったのではないだろうか。


 アリアスがどうすることも出来ずに見ている間に、ソファーに寝転んでいた師が動き、顔から本が滑り落ちる。頭を無造作に擦り、起き上がる。その起き上がる様子をただ見上げるしかなかった。

 起きたジオは床の上のアリアスを見つける。


「……新しい起こし方か」


 紫の眼が身体を滑り落ちた本を見下ろす。やはりその程度の威力をもって本はぶつかったらしい。


「ぶつけて、ごめんなさい。師匠」


 わざとではないのだと小さく付け加えておきつつ、アリアスは謝った。


「たんこぶ、できちゃいましたか?」

「痛くもないから出来ないだろうな」


 痛くなかったのか。

 どうも何か物がぶつかったからやっていたらしい手が離れた額は、赤くなることも青くなることもしていなかった。

 心配はなくなり、アリアスは手をついてしまっていた本を新たに手に立ち上がる。


「師匠」


 改めて師と向き合う。


「かたづけたほうがいいとおもいます」


 本をぶつけてしまったことはごめんなさいと思うけど、そもそも足を取られるような床状況でなければ起こらなかったことだと思う。

 持った本をちらりと見てから当然未だ散らかる部屋を見渡す。ひどい有り様だ。どうしてこんなに散らかせるのか。


 そのときのアリアスの子どもながらに嘆かわしいと言えそうな様子に思うところあったのか、ジオはにわかにアリアスに手を伸ばした。正確にはアリアスが持つ本に手を伸ばし、触れる。

 白い光が生じて、アリアスが瞬いたあとには本は手になかった。手を閉じたり開いたりしてもない。本が消えた。


「魔法ですか?」


 白い光が特別な事象を起こすものだとすでに知っていたアリアスが尋ねると、当然のようにそうだと言われる。

 とても大きな魔法を使える「まほうし」の師がソファーの上の本を見て床の上を見ると、白い光が本を包み込んで、さっきと同じように本を消してしまう。


「魔法はきょくりょく、つかってはいけないとルーさまが言っていました」


 魔法の光が順に床に生じる様子を見たアリアスが、兄弟子に聞いたことを言うと、師は一度魔法を使うことを止めたようだ。光が生まれなくなった。

 そして何を言うのかといえば、こう言う。


「こっちの方が早いだろう。手で地道に片付けるなりするより手間もなければ、時間も短縮出来る」


 早いし手間もかからない。この方法の方が遥かに良いと堂々と言われるので、小さなアリアスは「たしかに」と納得した。魔法を使ってはいけないとかいう話はずらされたことには気がつかず、まるめこまれたアリアスの意識は別の点へと移っていく。


「本はどこに行ってしまったんですか?」

「別の部屋だ」


 ――師の部屋の隣のドアを開けたアリアスが本の雪崩に巻き込まれるまで後二日。

 本に埋まって半泣きになることをこのときのアリアスは知らず、すっかり本をなくしてしまった師をすごいと見ていた。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る