今の話 緊迫の報告




 


 恋人が、晴れて婚約者となった。

 求婚を受けてもらえたことがまず何より嬉しいが、これがまだ入り口程度で先に待つ未来というものがあるのだから、末恐ろしい。

 まだ夫婦ではなく『婚約者』となっている理由は、『結婚』という形を行うことは究極に言えば紙一枚で可能なことだが、それまでに順序を踏む――互いにしておきたいこともあり、婚約者という期間が出来上がった。

 その内の一つとして、最初に出来るものがアリアスの師、ジオ=グランデへの結婚の報告及び挨拶である。アリアスは「いいですよ、わざわざゼロ様がいらっしゃらなくても私が報告だけしますから」と言ったが、ジオがアリアスの親でないとしても彼女を幼い頃から見てきた人物にして師だ。これは通すべき筋だとゼロは思う。


 そのため、早めに報告をする運びになった。

 あまり来ることのない一つの廊下。ゼロも城の方に部屋を持っているとはいえ、最高位の魔法師の部屋がある筋とは若干異なった場所で、今回の目的の部屋はさらに異なったところにある。ひっそりと、誰も来ないような部屋が周りにある場所をあえて選んだかのような静けさを持つ廊下であった。


「少し照れくさいです」


 隣を歩くアリアスは、照れを滲ませた微笑みを溢した。


「でもとても嬉しいです。ありがとうございます、ゼロ様」

「礼言われるようなことじゃねえよ」


 六歳の頃から面倒を見てもらい育ててもらったようなものだから報告を一緒にしてくれ、出来ることは嬉しいと、彼女は微笑んだ。

 こういう笑顔をされるとゼロの方こそ堪らなくなるので、いくらこれから報告をしに行く相手が反応が読めない相手でも、すでに余り余るものを得られた気分だ。


 限りなく黒に近い茶色の扉の前に着くと、緊張と言うには至らないがそういった種類の感覚を覚えた。

 緊張はしていない。結婚報告であって、結婚の許しをもらいに行くわけではない。緊張する理由がないのだ。

 アリアスの兄弟子にして、友人であるルーウェンには『春の宴』の後伝えた。笑顔で変な圧力をかけられたが、友人であることも手伝って簡単にいった方だ。


 扉の前で立ち止まり、アリアスと視線を交わしてゼロは扉を叩く。前もって今日訪ねると話は通していたのでいるはずだ。いる、はず――――ノックした扉の向こうはうんともすんとも言わなかった。


「まさか留守か?」

「……いえ、違います」


 まさかと呟くと、アリアスから即座に違うと返ってきた。見ると、彼女は表情を曇らせるような思わしくなさそうなそれに変えて、「すみません、ゼロ様」となぜか謝った。


「何で謝んだ?」

「たぶん師匠、寝てます」

「寝てる?」


 時刻まで伝えておいたのに? とゼロが疑問に思っていると、アリアスはこの間にも返事のない部屋の中へと繋がる扉を開いた。

 来るのは初めてである部屋は、壁一面が本棚と表すことの出来るものだった。高い天井まで続く壁全てが本で埋め尽くされている。


「――師匠、どうして寝てるんですか」


 アリアスの後に入った部屋を物珍しげに眺めていたゼロは、声に部屋の奥を見る。

 部屋の奥には向き合うように置かれたソファーがあり、奥にある方に一つに姿がある。長い黒髪を垂れ流し、軽い格好で横になっている男。

 ジオ=グランデ、大抵は会議があるときに会議室でしか見ない男の見たことのない姿に意外に思ったりしないでもないが、――完全に寝ている。

 と、辛うじて見えていた顔がアリアスの後ろ姿で隠れる。


「師匠、起きてください。今日って、時間まで言ったじゃないですか。昨日も、絶対ここにいて起きておいてくださいって……」


 見るからに寝ている姿を揺り動かしていることが分かる。遠慮のない起こし方だ。


 ――いずれ自分も、一緒に暮らすとああいう風に起こしてくれる日が来るのだろうか

 その声、後ろ姿、動作。離れたところから見ているゼロは、ふと思った。

 予定をすっかり忘れられて寝られている状況とは忘れて、アリアスの後ろ姿を見ていた。

 結婚か、と受け入れられて日の浅いそれはまだ正確には手に入れられていないとしても、とても愛しいものに思えてならなかった。大切で、これからの時間を共にしたい彼女と過ごしていける、形としてあるものなのだから。


「不幸になんてするはずねえよな」


 一生をかけて、幸せに。友人に言われなくとも、彼の代わりではなく、それ以上に彼女の顔が曇ることなんてないように。


「……何だ、アリアス。仕事はどうした」

「何だじゃないですよ師匠……」


 気がつくと、どれくらい時間が経った後かソファーの上で彼女の師は身を起こして、その眼がゼロを捉える。ぼんやりとしていたような紫の眼は、すぐにゼロが見慣れた目付きになった。


「ゼロか……ああ、そういえばそうだったな」


 呟く男の前で、アリアスが振り向いた。


「起きました。ゼロ様、すみません」


 不思議と全く気になっていなかったため、ゼロはいいと笑ってみせた。







 ジオが起きたことで、ようやく話に入れる準備が整った。話と言っても、知っているかもしれないが結婚をする旨を改めて伝えるだけだ。

 隣同士に座ったアリアスの若干の緊張を感じながら、ゼロは真面目に報告及び挨拶を行った――のだが。


「…………何か、言ってもらえますか?」


 時折見る軽い服装のままで、向かい側に脚を組んで座る男はゼロが口を閉じても、一言も発さないばかりか微動だにしない。

 却下されても困るが、何も言われなければ言われないで進むものも進まない。ちょっと黙る時間が長すぎやしないかと思ったゼロがさすがに沈黙を破ると、やはり無言で視線がゼロに向けられる。

 じっと何を考えているのか分からない目を向けられるところは何なのか。


「師匠……?」


 ゼロより余程付き合いの長いアリアスまでも違和感を覚えたらしい。隣から、戸惑いが含まれた声が問いかけに近い感じで呼びかけがされる。

 そのときゼロに定められていた目がゼロの隣、アリアスに向けられたかと思うと、視界の端に白い光が生じた。


「――アリアス」


 直ぐ様何事か確かめると、いたはずのアリアスが消えていた。部屋の中にも、姿はない。瞬時に消えたことと白い光を思うに、空間移動の魔法。

 ゼロが使っていない――そもそも使う理由がない――以上は、この部屋の中に置いて使った者はただ一人。前触れもなく自らの弟子をどこかに移動させた男の眼は、ゼロを見ていた。


「……念のために聞きますが、アリアスはどこに」

「すぐそこに飛ばしただけだ」


 一体、何のために。ようやく口を開いた男は、アリアスがいては出来ない話でもするつもりなのだろうか。そうだとしても、どんな話だ。


「ゼロ」


 アリアスやルーウェンは違うのかもしれないが、自分には感情の読めない声。


「お前はあれの安寧を約束出来るか」


 一言、男はゼロに静かに尋ねた。

 アリアスの安寧が約束出来るか。それは、言った相手を考えると重い質問だった。

 今まで、アリアスは守られてきた。師匠と兄弟子に。過保護なまでに、過剰なほどに。

 兄弟子はひたすらに害悪から遠ざけ、師匠は師匠で意外な過保護さに理由はあった。

 彼らが幼い頃から見守り続け、育ててきたとも言える彼女と自分は結婚しようとしており、これから誰よりも近くにいることになる。

 この上なく嬉しいと際限なく出てくる想いと共にあるのは、責任。彼女の一番近くにおり、絶対にこれからは自分が守っていくのだと心に決めたことへの、改めての責任だ。


 だからこそ、最早聞かれるまでもないことだった。


「約束します」

「こういう質問への即答はあまり信用出来ない」


 そっちこそ返しが早い。おまけに全くの相手のされなさだ。兄弟子よりももしかして師匠の方が厄介なのではないかと気がついてしまう。

 何だこれ。父親に娘をもらいに行くとすれば、寸分違わずこんな気持ちなのだという確信があった。

 ああ今なら確信できる。完全に父親だこれは。いくら見た目が若かろうが、師匠らしいところなんてあるのかと疑っていたときもあろうが、だらしないところを目撃しようが、――この男はアリアスに過保護にしていた師匠である。


「俺の何もかも、一生をかけて――約束します」


 一生なんてかけなくてもいいと彼女アリアスは言うかもしれない。けれどこれはゼロの覚悟であり、想いそのものだった。

 大切な人だ。自分の何に代えても守りたいと心の底から思ったときもあった。愛していると思い、口にし、伝えても本当に自分が抱えている気持ちがそのままそっくり伝わる日なんて来るのかと思う。伝えても、伝えてもまだ収まらないからだ。

 それを伝え続け、今度は自分の手で、叶うならば我が儘であっても全ての害悪から遠ざけたいとゼロは願う。

 愛しい彼女が笑顔であれるよう。


「……まあ構わん。口先だけであればこれまでに既に露呈していたことだろう」


 ぽつりと言われたそれは、許しと捉えられそうなもの。


「俺が聞きたかったのはそれくらいだ。結婚なんて自由にしろ」

「……いきなり投げやりになりすぎだと思いますが」

「法によればそもそも俺の許しは必要ない。自由にしろも何も、周りに反対する決定的な権限もないだろう」

「あればするんですか」

「してやろうか」


 一切止めてくれ。腹立たしいが、勝てるかどうか怪しい。


「――それにしても、人間の子どもの成長は早いな」


 いやに染々とした言葉が、終わったと同時。扉が、開いた。


「師匠、どうして魔法で飛ばすんですか……!」


 戻ってきたアリアスは、当然抗議もするだろう。実に突然、訳も分からず移動させられたのだ。


「手が滑った」

「手が滑っても魔法は滑りませんよね」

「……まあいいだろう」

「よくないですよ。どうして私を――その前に、無闇な魔法の使用は駄目ですから」

「……小さな頃の方が扱い易かった……」

「何の話ですか」


 こうして見ると、今までどうしてそう見えなかったのかが不思議なくらいに父親と娘のそれに見えた。さっきのやり取りのせいだろうか。


 とりあえず結婚を反対しない代わりに妙な圧力をかけてくる師弟だ。

 心配しなくとも、もう彼らの手元に彼女を返すつもりは毛頭なかった。


「早く結婚してえな……」


 ゼロは一人、心の底からの言葉を洩らした。




 





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