第8話 願いと贈り物






 前日と同じような流れを次の日もした。

 魔族がいなくなった後のこの地の詳細を聞いた。魔族と戦うことに大きな役割を果たした竜がどうなったか、竜と人は住む場所を分けたこと、人の国が増えたこと。この荒れた地の向こうに、人の国がいくつもあること。人間は随分数が増えたようだ。

 空を飛んで、あるいはこっそり人に紛れて歩き回って見たという景色と様子等事細かに話されることを、聞いた。

 ジオの体は段々と変調を強く、この地は合わないと主張してきた。まあ歩けないほどではない。



 三日目の夕刻、夕陽が赤にほど近い濃い橙で地を染め上げた頃、竜の娘は突然言った。


「そろそろ境目も限界ね。ジオともお別れ」

「そうか」


 あの裂け目、空間と空間の境目をどのような方法かで閉じる時が来たようだ。

 では自分はどうするか。元いた方に戻ることが正しいのだろう。あと何年、何十年かかるか分からないが寝て『その時』を待つか――。


「だからジオに贈り物」


 とん、と両手が胸元に当てられた。


「何だ――」


 一体何だと問いかける声は消えた。

 竜の両手から目映い白い光が溢れ、ジオを飲み込んだ。視界も真っ白に、竜も見えなくなる。

 攻撃ではなかった。攻撃であったところで身構えたかどうかも怪しいところだが、結果攻撃ではなく――。





 意識が飛んでいた。いつの間にか視界は回復し、離れた竜の娘が笑っていた。


「……何をした」


 竜は微笑むばかり。

 その姿と重なる姿を今、このタイミングで古い、古すぎる記憶の奥底から拾い上げた。

 この竜と会ったのは、初めてではない。元々空間が分かたれる前から互いに生きていたのなら、姿を見て会っていてもおかしくはなかった。


 争う前の時代に会ったことがあるのかどうかはこの期に及んでも思い出せなかった。ジオに甦った記憶は、全ての地を巻き込んだ戦いの最中の断片。

 魔族が攻撃的であるとすれば、竜は様々な魔法の技能の他、癒しの術をよく心得ていた。その中でも癒しの術が最も優れていた者がいた。

 その竜の乙女は、元は同じ魔法族と言ったところを遥か昔に道を違え、地を荒らす一方であった魔族でさえも、癒そうとした。戦を止めようと命知らずにも呼びかけにきたことがあった。

 姿、そのもの。


「――何を癒した」

「傷だらけの魂を。ジオ、ようこそ『こちら』に」


 やはり彼女はにっこりと笑いかけてきた。


「どう? 身体は楽になった?」


 言われて、気がつく。

 身体の怠さ、この地に『あちら』のものと混ざり、漂う『こちら』の空気が合わないと訴える何もかもがない。


「あなたは『こちら』で生きられるようになったの」

「……そんなことが、可能なのか」

「普通の魔族では不可能。普通っていうのは今も『あちら』で本能に忠実に戦い続けている魔族のこと。ジオは別。ジオの魔族の本質は変わっていた――曲がっていたと言う方が正しいかもしれない。だから後は身体から、魂から、その邪気を取り除いてあげればいいの」


 信じ難いことだった。さすがにジオは言うことを無くしていた。


「あなたたちにその気があれば、出来るのよ。私は、その手伝いをするだけ。願ったの、あなたがこちらで生きられますようにって。そのためにあなたの魂を知らなければならなかったのだけれど、あなたが変な偏屈でなくて良かった」

「……だから俺を連れ回したのか」

「言い方が悪く聞こえるわ。黙ってしたことはごめんなさい。でもジオが魔族に戻ろうと思えば戻れるわ。戻れると言っても、私はあなたを完全に他の何かにしたわけではないから。単に、魔族であるのに魔族の本質が無いあなたを相応しい形に……言えば、調整したのね」

「いや、……怒っていることはない。突然そう言われても実感と、これから『こちら』にいてどうするかの展望が咄嗟に見えなかった」

「そんなの、ジオが鮮やかだと言った世界を思う存分見て回ればいいのよ」


 そのために見てきた土地のことを教えたのだと言われ、最初から意図されていたとはまったく敵わない。

 満足そうにふっと笑った竜の娘は、頭を巡らせた。


「でも今度こそお別れ。私は境目を封じるわ」


 視線の先には、空間の切れ目。


「あの境目というものは、どうやって封じている」

「結界魔法で」

「ああ結界魔法か。……魔族には自然にはその考えは出てこない」

「ジオ、攻撃する以外の魔法の使い方覚えているの?」

「分からん」

「嘘、冗談で聞いたのに。生まれたときから知っているものなのに、魔法族の名が泣くわ。じゃあ、学ばないと」


 魔法族という名しかなかったときは様々な魔法を使っていたから、自分の中の何かが覚えているだろう。と思うことにした。


「だが封じるにしても、先程の俺に対して魔法力を相当使ったように思えたが」

「問題無いわ。命の全て、全ての力を尽くして魂を核とするから」


 変わらない調子で言われたことはつまりはこれから死ぬ、ということだった。

 あまりに自然と言われたので、ジオは一瞬、柄にもなく耳を疑った。


「お前は、死ぬのか」

「ええ、そう。境目を封じようとすると命は尽きてしまうから、その前にどうしてもジオを『こちら』にいられるようにしたかった。あ、手伝ってくれる? あの境目を一時的に閉じておいてほしいの。開いてしまうと封じる前に閉じなければならなくて、それに大きな力がいるのだけれど、今の私ではちょっとギリギリだろうから。ジオの魔法力の変化は分からないけれど、たぶん大丈夫。……私の役目なのにこんなに無計画なことして、皆に怒られちゃうわね」

「そんな方法を取るのは、あれを封じなければならないのに俺に力を使った影響ではないのか」

「違うわ。元々ここの境目に使われる最も長く持つ方法であり、最も強力な方法なの。私たちのような力は魂に宿るものだから、魂を封じの核に据えれば通常より力が回り続ける。そうでないとここの境目は竜の力をもってしても封じることが難しいのよ」

「複数でやればいいだろう」

「複数で力を合わせると軸がぶれてしまう。普通のものを封じるのではないのよ。境目を封じることは寸分の狂いも許されないわ。これは私達が、本来は隔てられていない空間を隔てたことの代償なのよ」


 代償だと語り、空を仰ぐ笑顔には一点の曇りもない。

 端から会話の内容を知らず見れば、晴れ渡った空に、良い天気だと気候の話でもしているように見えたこのだろう。だからこそ、ジオは違和感を覚える。


「封じのために命を尽くすことに躊躇いはないと言うのか」

「そうね。ようやく、この役目が私に回ってきたの」


 境目の封じをする者は話し合って自分達で決めるのではなく、決められるものだそうだ。

 その、命をもってする封じを行う役目を、心から待っていたように聞こえた。魔族からすれば自己犠牲甚だしい傾向にあった竜とはいえ、ここまでなのは気味が悪い。

 ジオは眉を寄せる。


「お前は、俺を『こちら』で生きられるようにしたわりに、自分の身は軽んじているのか」


 姿勢がどこかちぐはぐに思えた。


「そういうわけではないわ。でもね、やっと今どれほども時間が経ち、ようやく私に出来ることが与えられた。だからよ」


 このときはじめて、彼女の笑顔に虚しくも悲しい色が滲んだ。


「昔、ずっと昔。魔族と戦うことになったとき、私は何も出来なかった。一部の竜が本質を変えてまで戦い、戦いを見守った後に荒ぶった魂を宥めてあげることしか出来なかった。彼らは私達を守ったのに、魂からは戦うために刻み付けたものは落ちず、罪とされたのよ。私は完全に癒しきれず、彼らは巡ることになった。魔族も説得することも出来ず、……何も出来なかったの」

「それで今役に立つことが出来る、ということか」


 当の魔族側であったジオには、大昔のこととはいえ少々居心地の悪い話だ。竜が大昔のことでこのような表情をするものだから一層。


「だからと言って今回境目を封じることに喜びを感じているほどではないわ。寂しいし、少し怖い部分もある。――私を清々しい気持ちにさせてくれたのは、あなた。最期にジオのような魔族に会えて良かった。あなたたちの内、魔族と呼ばれる存在となった誰とももう道を交えることはないと思っていたから嬉しかった」

「……なぜ、お前は戦いの最中もそして今も、明らかに性質を違えた者を救おうとする」


 同族のことを憂いているのにも関わらず。

 どうしても理解が出来なかった。

 ジオの言に、竜はきょとんと初めて見せる顔になったのは束の間。笑う。


「私たちは、元は同じ存在でしょ?」


 魔法族という、最初は確かに同じだった存在。

 竜が全てこのような考えを持ってはいないだろう。何事にも例外は存在する。竜の中の例外。良くも悪くも、敵味方関係なく元は同じ存在だからと当たり前に思うことを止めない。


「それで、手伝ってくれる? もう結構ギリギリなの」

「……借りがあるからな」

「そう。借りと思ってくれているなら、ジオは『こちら』で生きられることを良いことだと思っている証拠ね」

「『あちら』よりは景色の分で勝っていることは間違いないだけだ」

「あら辛口」

「今はそれだけしか分からん」


 この場所しか知らないのだから。「そうね」と竜はまた笑う。


「じゃあ生きて。行きたいところに行って、見ればいいの。それに生き続ければ、また私たちが出会うこともあるかもしれない」


 魂は巡る。

 これから長きに渡って力を出し尽くし、封じの役目を終えた魂もそこからさらに長い時を経て、巡るらしい。竜の魂は竜に。

 何百年後か誰にも分からないものの、また巡る。

 ジオが近い未来に消えることはなくなった。ここで出会った竜の娘のものであった魂がいずれこの世に戻ってきたとき、ジオがこの地のどこかにいる可能性は十分にある。


 竜の娘が最期まで浮かべていた笑顔は、この世界の何より最も鮮やかに映った。ベリルシアと名乗られながらも結局一度として彼が呼ぶことのなかった彼女が消え、空の切れ目も消え、目に見える形で残ったのはジオだけだった。



 眼の色が変わっていたことに気がついたのは、その後しばらくしてから。


 ――「お願いしたいことがもう一つあるの。もうすぐこの地で人間同士の戦争が起こることになっているから、それを止めて欲しいの。竜たちを戦わせたくない。それにこの地では、人の元に生まれ変わった竜たちの体は少し影響を受けやすくて、弱ってしまうから」


 最後の願いを叶えることは造作もなかった。その戦の影響で、ジオが古き時代にいた人間の末裔が治める国に落ち着くことになった――その間。


 一つの魔族の魂がジオや竜の娘がその地に来るより前に、既に『こちら』に出て来ていたことによって、境目の封じの核となる役目をこれから長くこなしていくはずだった魂は早くに巡ることとなっていた。


 そして何十年か経った時、ジオは偶然ついて来ていた弟子の実母を訪ねる旅の先で――――以前自らの魂に直接触れた力を感じ、巡った彼女の魂を見つけた。













  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る