第28話 純粋な違和感




 地下から出ると、地下での後だという師の言葉通りに話の矛先はアリアスへ向いた。なぜ地下にいたのかと。

 もはや誤魔化せないのでアリアスが地下に到った過程を答えると、師は「……仕事に戻してみればこれだ」とアリアスが言い返す言葉が出ないことを言った。

 行動を考えるに、そもそも言い返す立場にはなかった。


 何はともあれ、アリアスは一度竜の降り立つ建物に戻らなければならなかった。

 サイラスの魔法に飛び込んで姿を消してしまったっきり。ゼロの制止の声のみならずエリーゼやディオンの言葉を無視してきた形になっているのだ。衝動的に行動に移してしまったと、改めて思う。叱りは受けなければ。

 「さっさと戻れ」と師に言われるやいなや魔法の光に包まれ、気がついたときにいたのは外。陽が落ちてしまって暗い――暗いとは言うものの、外と完全に隔てられた地下ほどではない――中、アリアスは灯りを手に一人立っていた。

 ここはどこかと辺りに目を凝らすと、前方に巨大な石の建造物。

 師が手っ取り早く飛ばしてくれたらしい。感謝、するべきだろう。今は。


 自力で来なければならなかった距離をひとっと飛びに送られて、建物の前に戻ってきて、アリアスは歩き出す前に突っ立ったまま建物を見上げる。


 地下から出て、目まぐるしく起こる出来事もなく、時間が少しばかり過ぎた。

 頭の中は、起きた出来事に気圧されるばかりでろくについて行っていなかった状態から徐々に動こうとしていた。

 考えようとしなくても考えてしまうのはサイラスのこと。地下で見た、二転三転したような彼の様子。


 ――「分からない。分からないからオレは困ってる……」

 ――「オレは、おまえを傷つけた」

 ――「おまえを傷つけたかったわけじゃない。それは絶対に違う。だが、ああしたのは確かにオレの意思で、オレがしたことには間違い、ない……」


 『あの日』以来初めて会い、話したサイラスの自分でも分かっていないような不可解な言が甦る。

 そうだ、不可解だ。

 前にもおかしいと思ったのは、見たこともなかった弱々しいサイラスの様子が気にかかっていて、その正反対とも言える獰猛な面を目の当たりにしたから。見慣れない姿に、おかしいと思ったのかもしれないとひとまず結論づけていた。

 だが今一度サイラスの様子を見た後ではどうも彼の意思で行ったか行っていないか、それだけの問題ではない気がする。

 別人と入れ替わったかのような変わりようだったあの様子が気になって仕方がない。

 弱々しく掴まえておかなければと思うサイラスと、獰猛で鋭い目をして身体が強張ってしまうサイラス。

 彼に何が起こっている。

 一体サイラスは――



 そこまで考えたアリアスは首を振って、思考を断ち切った。

 前と同じ。

 今、アリアスがどんな風に考えてもアリアスの中に答えはないから、考えても答えは出てこない。サイラスは戻ってきた。その内何かは分かるはず。その、明らかになるかもしれない事実が怖い節があるのだろうけれど……。


「……大丈夫」


 何の根拠もなしに口をついて出た。

 大丈夫。何が大丈夫かも分からないが、大丈夫。

 深く息を吸い込むと冷えた空気がいっぱいに入ってきた。吐いた息は白く広がる。

 息以外にも白いものが視界を過ったことにそのとき気がつくと、雪は降り続いていたのだと分かった。空から地上へ向かって落ちてくる雪が一片、灯りに照らされた地面に舞い降りる様を見送ったのを最後に、アリアスは前を向いた。




 建物に入ると、中には灰色の竜ともう一体竜の姿があった。騎士団の団員の姿は減ったかどうか……サイラスを連れて行ったゼロはいなかった。


「まったく、さすがにわたくしもすぐには状況が理解出来ませんでした」

「本当に、すみませんでした」


 アリアスは頭を下げた。前に仁王立ちして腕を組んだエリーゼの表情は厳しい。

 アリアスがエリーゼかディオンのどちらかの姿を探すより前に、あちらから見つけられて腕をとられて一度広い場所からは離れた場所で叱責を受けていた。


「あなたを連れて来たのはあのようなことをさせるためではありません」

「はい」

「前にあなたが竜との間に入ったとき注意で済ませたこととは話が別、別の危険行為です。――自らの仕事が何かを自覚し何が自らの仕事ではないか、任せるべき事かを判断出来ないような問題ではなかったはず。明らかにあの場は騎士団に任せる事、騎士団が対処する場だったのですから」


 その通りだとアリアスが身に染みるように理解したのは遅すぎること。自分の行いを謝ること以外に、できることはなかった。


「肝心の捕縛対象者は捕まえられたと聞きました。他に被害はなくあなたにも怪我もないようなので、それが救いです」

「はい……」

「今後、軽率な行動は一切止めなさい」


 「はい」と言い、エリーゼがこれが最後だというようにより一層念を押して言ったので、アリアスは「すみませんでした」ともう一度謝った。


「ディオンさん、言うことを聞かずに飛び出してしまってすみませんでした」


 エリーゼがきびきびと背を向けて元来た道を戻っていく傍ら、ディオンにも謝罪するとディオンは「ああいうの、二度としないで欲しい」とぼそりと言った。


 それから改めて戻った場所。ヴァリアールは落ち着きを取り戻しており、もう一方の竜も様子に異変は見られず、体にも何ら異変はなかった。




 *




「……」


 やってしまったな、と何度思ったか知れない。竜の体調を診終えて今日の仕事は終わりとなり一人で歩く間中、叱られたことでその思いが強くなっている。

 自業自得の一言に尽きるが、身体が動いてしまう状況だったと今でも思う。


「……やったことは、やったこと」


 アリアスには珍しく開き直りに近い言葉を口に出して、無意識の内に下へ下へと下がっていた視線を思い切り上げた。

 反省は大事。後悔は引きずりすぎるのはよくないと、昔、誰かに言われたことがある気がする。

 それに今回飛び出したのは、あれがサイラスだったから。だから、もう、きっと同じことはないだろう。心の中にあったしこりがまた少し大きくなったことに気づいてはいたけれど、見ない振りをした。


 ときに今、アリアスが歩いているのは城の中。仕事が終わったのであれば宿舎に戻る、とするところ一時間ほど前にあったことがあったことなので一応師の元へ行くところだった。

 アリアスが静かに歩いているのは、冷気漂う通路。なにぶん周りを見る限り灯りはアリアスのもの一つ。一人しか歩いていないので、昼間なら未だしも夜に向かう暗い時刻に城全体が静まりはじめると足音を潜めたくなるのはなぜだろう。

 そもそも通路が暗く手持ちの灯りで照らすのは、あまり必要ないとされる通路にはわざわざ固定の明かりは灯されていないため。

 少なくともジオの部屋がある通路には灯りは皆無で、人気も無し。

 アリアスが来るのはほとんど陽が出ている時刻なので、元々陽の光が入ってき辛い場所にしても夜になると雰囲気が変わる気がする。


 長年の慣れで灯りが周りを照らす前にもう師の部屋だと察すると、続いて前方に照らされた目的の扉を見つけた。

 その扉の側にまできて、ノックをするより先に師の部屋の中にはどうも彼以外に誰かがいるようだと悟った。夜へと向かう時刻の静寂が満ちる廊下に話をしているらしき声が聞こえてきたのだ。

 一体誰だろう。……師の部屋に来る人は限りており、いずれも所持する地位は高い人たちだということはこれまでのことから分かっているから、アリアスは今日は帰った方が良いのかもしれない。

 と、思っていたのだが、聞こえている声が両方聞き慣れた声に聞こえてならないことに気がついた。そこで扉にもっと近づくと、隙間から中の灯りと共に話し声が洩れてくる。


「――そうですね」


 これは……ルーウェンの声だ、とアリアスは師以外に部屋の中にいる人物が兄弟子であると聞き取った。

 こうなると、これは中に入ってもいいものだろうかと迷うことになり、ジオの声とルーウェンの声の会話が耳に入りながら、迷う。しかしどうも会話の様子が真剣そのものであることが、アリアスにノックを躊躇わせる。

 中途半端に上げた手を扉と自らの体の間で浮かせてどうしようか、と。


 そうやってアリアスが迷いに迷っている間に、ふと気がつけば声が止まっていた。

 いつから声が止まっていたのか、迷っていたために気がつかず今気づいたもので、ピタリと急に声が止まった風に感じられ、向こうに人がいなくなったような錯覚に陥った。

 どうしようかと考えて内容には注意していなかったので、会話の終わりが来た様子を捉えられなかったのか。話は終わったのだろうか。


 部屋の中の沈黙に、扉に手を伸ばしていると、


「分かっていました」


 ルーウェンの声が言った。

 思わずアリアスは手を引っ込める。


「俺がしなければならないと、最初に見たときに分かりました。感じたと言った方が正しいのかもしれません。きっと俺は、あれを封じることが出来ます」


 あれとは何だろうか。


「引き寄せられているのは、そういうことでしょう」


 「封じる」と言うことと今日のことを思い出すに、地下の結界魔法で封じられている境目のことを話しているのだろうか。

 そう思うと、彼らがアリアスが聞いてはいけない機密事項を話している可能性が出てくる。二人共地位が地位。アリアスの耳に入ってはいけないことなんて山ほどある。

 そう考えはするのに、アリアスの足はどうしてか動こうとはしなかった。耳が扉の向こうの音をより拾おうとして、息を潜めている。


 ルーウェンの声が、そうさせた。

 どんな顔をしているのか見えない分声だけが聞こえてくる。その声が声質は変わりようがないからいつもの通り、通り良い聞き心地よい声。でもいつもを知っているからこそ、分かる違いがあった。

 真剣な声、とだけ表すには。それはただの直感とも言えようが、兄弟子の様子にそんな風に感じることがまず滅多にないこと。

 どうしてそんな声をしているのか。


 ――戸惑いを覚える一方で嗚呼やはり、と思う部分があった。

 今日、ルーウェンに地下で会ったは会ったもののそれは予想外の出来事。ろくに会話もしていない。

 前に会ったのは、この扉の向こうの部屋で。そのときも、普段との小さなわずかな違いにアリアスは違和感を覚えていた。

 兄弟子の瞳の青空が、太陽が隠れたときの色味に見えてならなかったから。けれどルーウェンの微笑みがいつも通りだったから、アリアスは気のせいだと思った。疲れているのかもしれない、と。


 しかしそれは、彼の微笑みに覆い隠されてしまっていたに違いない。

 今、声だけを聞いて気になってしまっているから今の感覚は気のせいではない。前のときも、気のせいではなかったのかもしれない。


 唐突に不安が生じ、滲みはじめる。

 なぜか今日の地下での、アリアスの声が届いていなかったルーウェンの様子までも合わせて思い出されてきたから余計に不安だ。

 今すぐこの扉を開けて、彼の様子を確かめてしまいたいくらいに――






 アリアスの感じる違いを孕んだまま、扉の向こうでそんなことは露知らずルーウェンの声は話し続ける。


「師匠も察しておられましたよね。ですが、会議では俺に起こったことを言いませんでした」

「結界魔法が使われていたことは言った。あのときはそれで十分だっただろう」

「あれはまずいですよ。異変を感じた時点で相当綻んでいた可能性が高いです。すぐにでも結界魔法をかけ直さなければ、このままでは……」

「かけ直すにはまだ情報が足りない」

「情報は、もう出てこないのではないかと俺は思います」

「ルー」

「『その魂のみぞ知る』――出てきたこの一文が語っているのではないですか。俺も今日、あの結界を前にして思った……感じたことがあります」





「やり方はきっと、知っている」





「俺の命一つでやれるのなら最善なのではないでしょうか」

「急くなと言っている」


 不吉で不穏な、耳に通り辛い言葉が聞こえた。

 全く話の流れが分からないのにも関わらず、ルーウェンの言葉はとても不穏に聞こえた。

 命、一つ。普通に会話に出てくる単語ではまず、ない。


「師匠、これまでもそうしてきたという記述しかなかったはずです」

「その覚悟があるとお前は言うか」


 聞いてはいけないと、頭の一部が叫ぶ。

 その一方で身体は完全に動かせず、何かを感じ取ったかのように注意換気している一部とは裏腹に、神経は扉の向こうに集中している。


 瞬きも凍りついている間に、ジオに対してルーウェンは言った。


「死ぬ覚悟は、もうありますよ」


 アリアスは手に持っていた灯りを取り落とした。










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