第27話 美しい崩壊



 この上なく低くされた声が耳に入ったとほぼ同時に、前にいた存在はいなくなった。

 爪が掠っていった感覚だけが首に残り、呆然とする視界には石の壁が映るのみで、アリアスは目を見開いたまま視線さえもすぐには動かせなかった。


「アリアス!」

「――――ゼ、ロ様…………?」


 その視界に入ってきてくれたのは、紛れもなくゼロ。サイラスを追って、来たのだろう。


「遅くなって悪い。追跡用の魔法具は無事だったから働いたんだろうが、なんでか近くに出られなかった。――間に合って良かった。離すだけ離したくて乱暴になったから、怪我ねえか」

「ない、です」


 アリアスが飛び込んだことは覚えているから、遅くなってと謝る必要はないのに、アリアスは聞かれたことに答えるしかできなかった。

 答えを受けたゼロは背後にアリアスを下がらせる。


「……あれは、なんだ」


 油断なく通路の先を見たゼロが思わず言ってしまった所以は青白い光を放つものを見たからだろう。


「今はどうでもいいか」


 しかしすぐに疑問を振り払う言葉を呟き、ゼロは改めて前を見据えた。

 サイラスは吹き飛ばされた衝撃に耐えるために折っていた体を伸ばしているところだった。


「アリアス」

「はい」

「計画的にやってられねえからやり方が雑になる。たぶん、見ねえ方がいい」


 背中を向けているゼロがどんな顔でそれを言ったのかはもちろん見えないが、その内容が気遣っていることは明白。

 そもそもやり方云々の前に、アリアスは離れた方がいいのだろうとは思う。ゼロに任せて。


「……とんだ甘ちゃんばかりで困るなぁ」


 通路の奥からサイラスの声が割って入る。


「捕まえるだ連れ戻すだ、かなり酷なことをしてくれていることを分かっていないだろう」

わりいが、仕事だ」

「仕事じゃなかったら殺してるって言いたそうだな。……おまえ、それだけの力があるなら――」

「ここでそれ以上のことを言うのは、俺が許さねえ」


 威嚇するように言ったゼロが言葉と共に強い魔法を放ち、白い光が生じる。光はサイラスの姿を数秒消し、会話を絶たせた。


「――最、悪の環境だ。何だってこんなところにオレは来て……」


 光が収まって見えたサイラスは魔法でゼロの攻撃を防いだのか、倒れてはいなかった。だが何らかのダメージは受けたと見える。いや、少し前と同じで苦しそうなのか……。


「……これの先に、何がある。オレは、この先に行けば……いいのか……」


 何事かを呟き後退ったサイラスだったが、突如バチッと何かに身体を弾かれてそれ以上後ろに下がれない。その瞬間彼の背後に見えたのは、青白さを帯びた半透明の壁。

 サイラスの数メートル先には空間の裂け目を凍らせたような柱がある。そこへ近づくこうとする者を阻むように、清らかな色の魔法の壁が立ちはだかり、サイラスを弾いた。それより向こうへ足を踏み入れることを阻んだように。

 しかしサイラスは自身を拒む壁から離れようとはせず、むしろお構い無しに近づこうとしているのだろうか。バチバチと拒む音が続き、その裏に僅かずつにヒビが入る様を連想させる不吉な音が聞こえる。


「あいつ、何しようとしてんだ」


 壁の向こうに行こうとしているにしても、今ゼロに相対するには無防備すぎる隙を晒していると、アリアスにすら思わせるサイラスの様子。

 訝しげになりながらも、ゼロは強力な魔法を準備している。


「……まあ思ったより楽に行きそうで何よりだ」


 直後、青白く照らされていた辺りが白く塗りつぶされてアリアスは目を瞑った。攻撃魔法。ゼロがサイラスに放ったと思われる魔法はかなりの力の強さを感じさせた。

 そして瞼の裏に映る眩しい光の残像が消えた頃ゆっくりと目を開くと、青みを帯びた光が満ちるだけの通路に戻っていた。

 前にはゼロの背中があり、微動だにしない。新たに魔法を放つ気配もない。普通であれば畳み掛けるように魔法を放っているところ。

 どうなったのだろうと思ったアリアスが前方を覗き込むと、サイラスは倒れて、その向こうにあった魔法の壁はそこに存在したという事実もなかったように輪郭に至るまでその存在を消していた。

 一気に静かになった場にアリアスがなにか呆気ないと感じたときになり、サイラスが意識を失ったことを確信したゼロが動きをみせる。


「捕縛してくるから、近づくなよ」

「は、い」

「……アリアス、大丈夫か?」


 近づくなと言われたことにどこか上の空で返事したアリアスは、大丈夫かと尋ねられて何に対してのことかすぐに見当がつかなかった。

 けれど振り向いたゼロがあまりに気遣わしげな目をしているから、アリアスは考える。


 何が起こったのか。

 サイラスは。サイラスが。

 ゼロから視線をずらすとうつ伏せに倒れて動かないサイラスの姿が見えて、アリアスは手で首に触れていた。

 時間にしてほんの少し前だ。

 一度見たことのあったサイラスが、今度は意識がすぐに閉ざされる状態にはならずにありありと目の前に現れていた。確かに見て、感じた。首に手をかけられていた感触により、アリアスは害されようとしていたという事実もまた明確に目の前に突きつけられていた。


「……会わせたくなかった」


 擦るでもなく手を首に触れさせたまま何も言えていなかったアリアスは、ゼロがぽつりとそう言ったので視線を戻した。ゼロを見上げる。


「少なくとも今、あいつはまともじゃないことはさすがに捕獲出来るまでで分かってたから見せたくなかった。――アリアスにそんな顔させたくなかった」


 そんな顔とはどんな顔か自分では見えない。ただ、どうしようもないくらいに強張っていることは分かっている。


「……ゼロ様、……勝手に飛び込んでしまって、すみませんでした」

「まったくだ。……離れろって言っただろ」


 サイラスの魔法に運ばれる前、大きく制止の声をあげていたのはゼロだ。離れろと、名前を呼ばれて。


「すみません」

「無事だったならいい」


 一瞬ぎゅっと抱き締められて身体は離れ、拘束してくる、とゼロは今度こそサイラスの方へ歩いていった。

 ゼロが腰のベルトに何重かにしてつけて垂れさせていた鎖を外し、さらに別に身につけている細いベルトにいくつも刺されている杭のようなものを数本抜く。

 アリアスはそのままの位置にぼんやりと立ち尽くし、ゼロが屈み込んでサイラスに何かをしている動きを見ていた。

 気絶させられ、醸し出していた雰囲気も何もかも静かになったサイラス。


 アリアスは、後悔をしていた。

 勝手に飛び込んで、その流れでサイラスと直接話をして、その結果。結果、頭は何も考えられない。短時間で起こったことが目まぐるしすぎて頭が追い付いていない部分もあるのだろう。

 それゆえにどこか心の一部がここにない感じで、取り乱すことはなくゼロに応じられて、今はぼんやりと傍観している。


 ピキピキ――


「……?」


 青白い光があるので離れていても様子の見える前方を目に映していただけだったアリアスは、ぼんやりとした意識に良い音とは言えない音を聞いて少しだけ何だろう、と思う。

 ガラスや割れ物類にヒビが入る音に似ているようで、違う。そんなにはっきりした音というよりは捉え所のない、繊細な音。

 さっきも同じ音を聞いた気がすると何気なく奥を見て、ぼんやりとしていたアリアスの目は冴えた。


 奥――氷柱を思わせる清らかな物体から破片みたいなきらきらしたものが剥がれ、落ちた。

 よく見ると、細かく粒状の光も砂のようにぱらぱらと落ちている。きらきらと光り、下に落ちる前に消えていく様子は、一見すると綺麗だと感想を抱くが、そんな感想は瞬く間に不安に塗り替えられる。

 確かに綺麗な光景だが、まるで独特な結界魔法が形になった物体が崩れていることに不安を覚えた。

 柱と見るとまだまだ丈夫そうに見えるけれど、中にある境目の存在が安心させてくれない。あの境目が出てきてしまいそうで、少しずつ崩れていると分かった上で見ていると最初見た柱より細くなっているように見えてしまう。


 この結界の件は解決していないのだと確信した。


 どことなく青白い光も弱まっている気がするのが錯覚か正しいのかとアリアスが不安を抱いていると、視界の端を白い光に照らされた。

 見る前に魔法で誰かが飛んできたようだと思っていたアリアスは、


「――ルー様?」


 見て、その人の姿に目を丸くする。

 斜め後ろに現れたのはルーウェンで、彼の方もアリアスの姿に目を丸くする。

 アリアスだけではなくルーウェンも、前に会ってからまた日が経っていて、まさかここで会うことになるとは思いもよらなかったのだ。


「どうしてここに」

「私は、あの、」


 開口一番に問われて経緯を言おうにも、正直には言い難くて口ごもる。

 二歩で距離を縮めて目の前にきた兄弟子に言葉を濁らせていると、ルーウェンはふっと何かに気がついたようにアリアスの上、背後に視線を移した。


「ゼロ」

「誰かと思ってりゃルーじゃねえか」

「そういえば戻ってくると聞いていたな。だが、どうしてここにいるんだ」

「逃げられて、追跡用につけてた対の魔法具使って追いかけて来たらここについた」

「……サイラスさんか」


 振り向くと、肩にサイラスを担いだゼロがこちらに来る。


「で、そっちこそなんだってこんなとこにいる。まさかお前も追いかけて来たはずはねえだろ」

「俺は、結界が……」

「結界? ああ、あれか」


 二人の目が奥の氷の柱を思わせる形を現している結界に向く。


「あれ大丈夫かよ、洩れてるぜ」

「中に封じられているものが、境目だからな」

「だろうなとは思ったが……。聞きてえことあるけど、まず俺はこいつを連れて行く。それからあれのこと聞かせてもらう」


 ルーウェンの頷きを受けてから、一瞬アリアスへ視線を向け、ゼロは魔法で姿を消した。



 残ったアリアスは去ってしまった姿が、当然どこにもいないことを静かに照らされた通路に見て、改めて実感する。

 あっという間に起こり、変化し、消えていったかのような感覚。

 そんなぼんやりとした感覚に再度浸されていると、ふいに頭に何かが触れた。ゼロがいた場所を見つめていたアリアスが傍らを見上げると、兄弟子の青い瞳がこちらを見ていた。

 ルーウェンはただ頭を優しく撫でるだけで、何も言うことはなかった。


「ルー様、……あの結界が、どうかしたんですか?」


 だからしばらくしてアリアスがルーウェンに向けたことは、それらに関連することではなく異なること。奥に有り続ける青みを帯びた光を発するそれ。


「うん……ちょっとなー」


 頭を撫でていた手と共に青い瞳がアリアスから離れる。


「何かあったように感じて、来たんだ」

「崩れているように見えるのは、気のせいじゃないですよね……」

「そうだな」


 ルーウェンが見た方は通路の奥。アリアスも見るとそびえ立つ柱はやはりほろほろと、粉雪が散るように僅かずつ綻んできている。

「綻んでいるな……」という呟きが聞こえたかと思うとカツン、と靴音が立つ。ルーウェンがアリアスの横を通り過ぎていく。

 彼の歩みは前に奥に進んで行き、サイラスが弾かれた位置を通りすぎた。

 近づく者を拒む壁は現れなかったことで、ルーウェンは淀みない足取りでもっと奥に。

 アリアスもルーウェンの後をついて通路を進んだものの、壁が出てきていたらしき位置より前で自然と足は止まる。


「……ルー様……」


 一方、止まる気配はない彼はとうとう柱の目の前についたと見える位置に到って止まった。

 柱の前に立つルーウェンを後ろから見ると、銀髪が光に輝き、溶け込みそう。それほどにルーウェンがあの柱の前にいることが自然な光景に見えるのは、彼がその魔法を使える人物だからだろうか。きらきらと零れ落ちる光の破片が降り注いで、一枚の絵画のような光景となっていた。

 神聖なものを前にしたかのように柱を仰ぐだけだったルーウェンは、少しすると手を動かした。腕を上げてゆく。


 アリアスは前方に広がる光景を静観していた、が、


「!?」


 突如何かが肩に乗った重みに、実際の重み以上に驚きに襲われて、見ていた幻想的でもあった光景から引き戻された。

 背後を振り返る。


「師匠――?」


 ジオが、そこに。

 顔が合うと、師は眉を寄せた。


「アリアス、お前がなぜここにいる」

「え、と、」

「いや今はいい。後だ」


 追及を止めたジオはやることが先にあるとばかりにアリアスの肩から手を離し、横を通り、前へ。

 しかし三歩進んだところでバチッと現れた半透明の壁に行く手を阻まれた。


「……俺は入れないか」


 手を伸ばしても指先がその先に通ることがないようだ。


「アリアス、ルーを止めろ」

「え、ルー様をですか」

「そうだ」


 ジオも弾かれたことで用心してその斜め後ろにまでだけ進んできていたアリアスはいきなりそんなことを言われる。

 ルーウェンを止めろ。

 前を見ると、背を向けているルーウェンは手を伸ばして柱に触れようとしている。


「アリアス」

「え、あ、はい!」


 早くしろと急かす呼ばれ方に背を押されて思わず足を踏み出したが、アリアスはあの結界魔法の壁に阻まれることにはならなかった。阻まれなかったことを気にする暇もなく、とにかくルーウェンに駆け寄る。


「ルー様」


 呼び掛けた。

 けれどもルーウェンは反応を示さない。聞こえていない……との可能性は低い。すぐ側にいるのだから。

 側で見上げた青い瞳は微塵も揺れず前に釘付けになっていた。後ろにいては見えなかった、その瞬きもされていない様子が人形のように無機質に映ってアリアスは呼吸が詰まった。これは、美しいと思っている場合ではなかったのかとぞっとした感覚に――


「ルーに触れさせるな」


 固まっていると、後ろからジオが言った。

 何にとは言われなかったけれども、見ている前でちょうどルーウェンの人差し指が柱に触れようとしていたからアリアスはとっさにその袖を掴んだ。


「ルー様!」


 距離にしては大きすぎる声で呼んで袖を引いて手を引き離して、


「……アリアス?」


 やっと、青い瞳はこちらを向いた。


「どうしたんだ?」

「それは、私の方が言いたいです。どうしたんですか」

「どうした……、と聞かれると……」


 ルーウェンは柱を見た。


「うん、少し、気になることがあっただけだ。気がつかなくてごめんな」


 ルーウェンはそう言ったけれど、本当にそれだけかと勘繰ってしまうのは兄弟子が柱を見たまま言うからに違いない。


「……やっぱり、そうだよな」


 柱を見るルーウェンが呟いた。何が、そうなのか。

 そういえばルーウェンは何かあったように感じてここに姿を現したと言ってはいなかったか。彼はこの結界に何を見ているのだろう。王族の血筋特有の結界魔法を持つはずもないアリアスには分からない、感じられない何かがあるのだろうか。

 さっき、彼は何を見ていたのだろう。


「アリアス、ルーを連れて来い」


 師が声をかけたのは、またもアリアスにだった。ルーウェンとアリアスに来いと言わずに、アリアスに。

 ルーウェンはそのとき初めてジオがいることに気がついた反応をした。


「師匠」

「お前はいきなり消えたかと思えば」

「話の途中にすみませんでした」

「問題はそこではない。……まずはここから出るぞ」


 前にここに来たときと同じような師の促しで、アリアスはルーウェンとジオと地下通路から出ることになった。

 再び、境目を封じる柱だけを後に残して。





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