第3話 暴れる竜
歩いていたときから見えていた大きな建造物のそれに比例した大きさの門から中に入ると、長い通路が続いている。通路は長めであるので、昼過ぎの天気よく太陽の光ある時間といってもそこには影が落ちている。そこそこの人数が歩いてその足音が響き、少し反響する。
四角に形作られた入り口をくぐって通路を抜けると――陽の光当たる明るい開けた空間はだだ広いばかりで、たいして物がなくかといって騎士団の者が訓練しているというわけでもなかった。その光景により、予想外だということからだろう呟きがどこからか聞こえた。
「何もしてないね」
紺色の軍服を身につけた騎士団の人間がいようとも壁際に寄っているのみで、先導していた男性魔法師に止まるように指示され止まった小集団からは疑問が見てとれる。
ここに、何をしに来たのか。
それについてはアリアスも同感である。何をしに来たのだろうか。だって、ここは――
風が起こった。
周りの壁高く、大抵の風は防いでしまいそうなその場にそよ風が吹いた。地面低くを砂埃が這う。
ささやかな風。それは、はじまりに過ぎない。
笛のような高い音がして上を見たのは、誰が最初だったろうか。
ほぼ同時に壁際にいた騎士団の者が動きはじめ、大声を出す。「気を付けろ!」と聞こえた。
急な動きに周りがざわつく。
「何」
「なにが起きるの?」
ただならぬ気配を持つ存在は重い音と共に現れた。
地に影が落ちる。大きさは、段々と増していくその元は……空に。
屋根がない吹きさらしの頭上から姿を見せたのは、大きな存在だった。逆光でよく色彩は分からずともその形ははっきりと分かる。それほどまでに大きな存在だからだ。
重い音は大きな翼の羽ばたきにより作られる音。激しい風をも起こし、はじめの比ではないほどに吹き荒れる風はアリアスたちの元へも吹き付ける。
ともすれば本当に吹き飛ばされてしまう者もいるのではないかというほどの風で、アリアスも少しよろめいてしまいとっさに体勢を立て直して立っていた。少し前のめりに、腕で顔を庇って。
その影から、上を見る。
「竜だ!」
「大きすぎないあれ……!?」
近くで聞こえた驚愕の声。
他に聞こえる声は騎士団団員の言っている内容は聞き取れないが張り上げたもので、周りからあまり声がないのは。まるで声を無くしてしまったように、竜に目を引き付けられているのだ。
全員が。
目を。
城に来て騎士団専属魔法師の体験をしようとも、職場はここではない。身近で竜を見る機会などない。見る機会があったとしても、遠目から。飛んでいる姿を見るくらいだろう。
だから、上から降りて来ようとしている竜はあまりにも巨大で目を逸らすことなどできないもの。
やがてその場にいる全ての者たちが見ている間に地にゆっくりとゆっくりと竜は降りてきた。その巨体によりずしん、とでもいいそうなものだが着陸時にそんな音はまるでしなかった。
そうして翼の動きを緩やかになり風は収まっていき、髪を少し揺らす程度を残すのみとなった。
「……竜ってあんなに大きいんだねぇ」
「大きいとは分かっていた気になっていたけれど、実際に近くで見ると……予想以上ね」
明確に姿を現した竜は距離が開いた場所に落ち着いたわけで、拍子抜けしたような言葉がざわざわとあちこちから溢れてくる。
「ここってこのために屋根がないのね」
「そうだね」
翼持つ竜が空から出入り出来るように、と屋根はない造り。
それにしても。
「竜を見せるために、連れて来られたのかな?」
「なんのために?」
そう聞き返されてはどうしようもない。
「あの目、怖くない?」
「何か……見たことない色してる」
「こっち見てる。気のせいかな……」
怖い。と、自分達よりも遥かに巨大な生物にここに来るまでの空気は欠片もない。
ふと傍らのマリーを見ると、彼女には珍しく強ばった表情をしていた。目が向けられている先には、竜。先ほどのんびりとした口調とは反対に、見たくて見いられている、というよりも怯え混じりの目線。目を離している内に何が起こるか分からない、というような。
全ての視線を追うと、竜が堂々とそこにはいる。竜特有の、橙色の目。彼ら以外には持たない目。
アリアスは漂う雰囲気とは別にただ竜を眺める。灰色の竜だ。あれ? ではもしかして……と遅れて思考が及びそうになったとき。
鱗に光を反射させる巨体の、長く大きな尾が左右に広く揺れた。
刹那のこと。
竜が前足を浮かせ地面に映る影も動く。次にそれが地面についたと視覚で認識したと同時にずしん、と心なしか足元が震えたような感覚。
それは一度では終わらない。爪が光る前肢を二度目地面に叩きつけられる。今度は間違いなく地響きを感じた。
アリアスは驚き目を見張りその瞬間足元を見るが、すぐに目を戻す。
急にどうしたというのか。
「なになになに何であの竜怒ってんの!?」
「ぅ」
しかし、腹が圧迫されたことにより傍らを見ると、横からマリーが抱きついてきていて、その強さは不意打ちでなくとも中々のものでアリアスは一瞬息が詰まった声を出してしまったのだ。
「ま、マリー落ち着いて」
「落ち着けない落ち着けない。でかいし、ちょっほんとにどうしてんの!」
「あれ大丈夫なのかしら……?」
イレーナもまた少し後ろに下がり、心配そうに見やっている。
「いやヤバいでしょ!」
「マリー落ち着いて」
「アリアス何でそんなに落ちついてんの!?」
パニック状態で屈んで後ろに隠れてしまった同僚を一生懸命宥めようとするが、目を見開いてそう言われてしまう。
気がついたときには彼女だけでなく周り全体が、竜が空から降りてくるときの倍恐れおののき混乱していた。
「騎士団の人がいるから大丈夫だよ」
「帰りたい……!」
もはや半泣きになっていて、こちらの声が耳に入っていてもどうにもならない様子。
そんなこちらの様子など素知らぬように、聞き慣れない声が聞こえた。否応なしに耳に飛び込み鼓膜を刺激するのは言葉ではない、音だ。
顔を上げて忙しなく視線を巡らせると、灰色の竜は頭を天に向け鋭く大きな牙を剥いているところだった。竜が、
数度、その竜を見たことがあるときには見られなかった暴走と見ざるを得ない出来事に、アリアスも少なからず動揺している。
それとは別に、暴れる竜の首根には人が一人乗っており竜に繋がる手綱に見えるそれを持ちながら振り落とされてはいない。「彼」が振り落とされるとは想像できないけれど、大丈夫なのかと心配にはなる。
と、そのとき。
当の竜に乗る人と、目が合った。遠目であるのに、そう感じた。
乗っている竜がたいそう暴れているのにも関わらず、彼は確かにアリアスのいる方を向いて、口の端がつり上げられ、弧を描いた。
にやり、というような笑み。
これは――
「きゃあああああ」
耳をつんざく悲鳴が一際大きく響いたかと思うと、混乱を表す悲鳴が次々に上がりはじめた。
竜の声が留めだったのだろう。
かの生き物の巨大さを考えると心もとない距離にあり、はじめて近くで目にしただけでなく暴れはじめたのだ。自然な流れとも言えるだろう。
その中で、幸運か竜が降りてきた時点で前列にいることとなっていたアリアスは同僚であり友人たちを宥めようとするやら竜の方へ視線を向けるやらある意味忙しかったが、もみくちゃにされることはなかった。
竜は何事もなかったかのように静かに動きを止めていたことに、混乱の小集団が気がつくはずはなかった。
また、控えている騎士団の人間が前方で平静を失った新人魔法師たちの方へに行かないようにか幾人か並んでいたが、竜に何かしようとはしていなかったことも。
ちょっとした騒ぎが収まるのには、少し時間がかかったことは言うまでもないだろう。泣いていた者さえもいたのだ。
本当に、どうして……というより何をしにここに来たのだろうか。アリアスの疑問はむしろ深まるまでとなった。
*
城に戻ってからすぐに……とはいかなかったが解散となった。初見にしては荒ぶりすぎていた竜の姿は大きな衝撃を与えたのだ。そのため、全員が十分に平常心に戻ってのち本日の業務は終了ということになりアリアスは医務室を出た。
疲労感に類似した感覚の他、もやもやとしたものを抱えて突き当たりを曲がると、通路の壁にもたれかかっている人が目に入る。
軍服姿の長身の男性。あちらもアリアスに気がついた様子で壁から背を浮かせた。
軍服にある襟章の白は騎士団の所属を表す。灰色の髪はもう伸ばさないつもりらしく、二年前から短いまま。左目は眼帯に覆われているので右目の灰色だけがアリアスを映す。
「ここ通ると思ったぜ」
歩み寄ってきたゼロの前でアリアスも止まり、互いに向かい合うと共に口許に笑みを浮かべ彼はそう言った。それから自然な動作で頬にキスされる。
「ぜ、ゼロ様」
「挨拶代わりだ」
何よりも先に周りを確認してしまう。目撃されては敵わない。そんな日には情報が一瞬で回るだろう。
治療専門の魔法師の先輩たちの中にはアリアスの顔見知りもいるが、ジオの弟子であったりルーウェンの妹弟子であったりすることをわざわざ言う人はいなかった。言ってはいないことを分かってくれたのだろう。
ゼロとのことは知る人は今も限られているのでなおさらである。
と、いうより。今余計に気にするのは、
「俺の前で自然にそうするのは止めろ」
兄弟子もいるのだ。
ゼロの隣で同じく壁にもたれていたようなルーウェンがゼロの横に並びながら笑顔のまま睨むという器用なことをした。
アリアスは曖昧に笑う。まったくもって未だに慣れない。
「学園卒業したからっていつでも会えるってわけじゃねえんだから見逃せよ」
「前からだっただろう、それ」
「それに俺の特権だ」
「……兄弟子として俺は許さないからな!」
「どこまで妹弟子離れできねえんだよお前は」
むしろ酷くなってきてねえか、と呟きを残して見慣れた光景を繰り広げていた内の片方、ゼロがこちらを見る。
「配属、城の医務室にするんだろ?」
「はい」
「騎士団に来りゃあいいのに――いやそれはねえな」
学園を卒業し、会おうと思えば会えるという距離に戻ったが仕事につくとそうできる時間は自然と減る。ということが起こる。自由には会えない、ということ。けれどそれはゼロが出会ったときから団長であったことを考えると元々のことであまり変わりはない。
でも、ゼロは不満そうだ。
けれども騎士団に来ればいいという言葉は撤回されて首を傾げる。が、何でもないという仕草をされたのでそれ以上は聞かないことにして、
「それより、どうなさったんですか?」
代わりにではないがアリアスがその疑問を口にすれば、ルーウェンが青の瞳を優しげに言う。
「今日は驚いただろう」
「……はい、まぁ」
反射的に思い浮かべることあって返事をしたあとにふと新たに疑問が生まれた。
「ルー様もいらっしゃったんですか?」
兄弟子の姿は見当たらなかったと思うだけれど、と人が入り乱れていては別にしてあの場の人数では見逃すはずはないと聞くと、「上に」と彼は言った。
あのとき結局一体しか竜は降りて来なかったわけであるが、上に留まっていたというのか。
そこで、彼らがここにいる理由はもしかしてさっきのことかとようやく思い当たる。
「今日のことは何だったんですか」
問わずにはいられないというものだろう。
示すことは一時間前の出来事。まるで竜の見学。だが、
乗っていたのはもちろんのことゼロで、そして彼はあの状況下、一番危険な位置にあるはずだったのに笑ってみせた。あの笑い方は。
「わざとですよね、あれ」
余裕を見せているのではなく実際に余裕があるときの笑み。
どういうことなのだ。
怒っているというわけではないが友人の泣き顔や同級生たちの混乱を見たあとではどうも収まりが悪い。
理由なくということはないはずで、アリアスは尋ねてみた。
そうすると二人の団長は顔を見合せ、またこちらを向く。
「言うとすりゃあ、あれは恒例みたいなもんなんだ」
「恒例?」
ゼロから返ってきた単語に聞き返す。
「毎年やっている、ということですか?」
「基本的にな」
「一体何のために」
「ふるい落としってのが合ってるか? 」
「まー、言うならそうかな」
「ふるい落とし……まさか配属に関係あります?」
新人魔法師だけが集められ、ふるい落とし。まさかという気持ちで言うも頷かれて、続けて聞く。
「反応が芳しくなければ、騎士団に配属されないということですか?」
「それだと人数が厳しくなるから
騎士団専属の治療専門の魔法師と言っても竜に関わることはない。関わるのは人にだけ。だからこそ魔法師騎士団に竜がおれど、と、アリアスはまさかと言ったのだけれど……。
返答はルーウェンに変わり、最後の言い方はどうも気にかかる。
結局詳しいことはここでも語られないことを知り、ますます内心首を傾げることになってしまう。言えないこと、ということか。
緩やかに微笑んでいたルーウェンがそこで隣のゼロに目を向ける。
「それにしても、さすがにやりすぎだけどな。今年は」
「悪かったって」
呆れたような言葉と声音にゼロがもう何度目かになるのだろう、手を軽く上げ勘弁しろというような動きをする。
「アリアスも悪い。必要以上に驚かせて」
「いえ……やりすぎたんですか?」
「ヴァルを調子に乗らせすぎた」
ゼロは頭をかいて少し決まり悪げに言った。「あんだけ混乱させる予定じゃなかったんだよ」と明かされ、止めたときには後の祭り状態――混乱状態だったそうで彼としてもあれだけのことになるのは予定外だったようだ、と灰色の竜の暴れ具合を思い出しながらアリアスは察する。
確かに、あれはあの竜を近くで見たことがあるアリアスとて反射的に恐怖を抱きかけたほどの暴れ具合だった。わざとなんて誰も思わない。
「あいつ……途中から悪のりしやがって」
「少なくともここ数年で一番酷いぞ」
「勘弁しろよルー、どうせ俺は後からそれが耳に入ったレルルカ様にでも遠回しに言われるんだからよ」
団長といえど注意されるらしい。
「アリアス、他の子たちは落ち着いたのか?」
「はい。竜の関わることは滅多にないから大丈夫だと言われて安心したようです」
「それで落ち着けるあたり、さすがに根は逞しいな」
「まあ確かにそんだけ怯えてた奴は選ばれるわけねえし、関わらねえだろ――」
はっとゼロが頭にやっていた手を下げていた動きを止め、アリアスを見、ルーウェンに目線を移した。
「おいルー、――アリアス」
ルーウェンも一拍置いてあっ、という顔をした。
対してアリアスは彼らの反応の意味が分からずこの場にきて何度目か首を傾げる。
「なんですか?」
「今人手いる時期だからな」
「あり得るな……」
とりあえずここでの疑問が何一つ解消されていないのだが、やはりその謎めいた会話も残されるだけとなった。
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