第19話 男の正体
声がした途端、ゼロがアリアスを背後に隠した。
「ただでさえやりにくい場所だったっていうのに、直前で一人混ざるなんて勘弁してくれ」
声と共に向こうから徐々にやって来たのはあの黄土色の髪の男だった。
男は正面から向き合うようになったゼロの立っているだけだが隙ない様子を見て、いくらか距離を開けて立ち止まった。
「ハハ、これはこれは飛び込んで来たのはどんな人物かと思えば、ゼロ=スレイ団長殿では?」
少しおどけた口調になった男がゼロの名前と役職を口にした。
ゼロはそのことに微塵も動揺した様子など見せず、問い返す。
「なんで俺のことを知ってる」
「あんたら団長の名前に関してはそこら辺の召し使いに聞いて分かったことさ。有名でいらっしゃるなァ」
へらりとあの笑みを浮かべて応じる男には緊張感がまるで感じられない。
「ふん、これはいいところにと言うべきか聞きたいことがあるんだが、団長殿――と言うとどっちも団長殿か。じゃあ、そうだな……哀れな元団長殿はどうなったよ。結局最後までいられなかったんだが、上手く誰か殺したか?」
「お前がブルーノ=コイズを利用した野郎か」
「あァそれそれ。そういえばそういう名前だったな確か」
ブルーノ=コイズ、どこかで聞いた名前だ。元団長という言葉と結びつけられて、それが『春の宴』前にあった出来事で聞いた名前であることをアリアスは思い出す。
その名前がなぜここで出てくるというのか。
けれど、どうもゼロの中では繋がっているらしい。
「奴なら昨夜中に牢の中に戻ってる」
「やっぱり駄目だったかァ、あの団長殿は役立たずだったな。それとも、あんたたちの有能さの方が勝ったのかな」
「妻子を人質に取っているのは本当か」
「妻子? それはな正確に言うと
もうとっくに殺してる。と男はどこか面白そうに言った。
詳しいことが理解できないアリアスであったが、その言葉にそっと息を飲んだ。あの男は何かが欠落している。どうしてああやってそんなことを口走れる。
「あいつが寝返らせた部下たちもだけどなァ、役立たずはいらない」
「使い捨てされたってわけか」
「そういうことだ。理解が早くて助かる」
「お前は、レドウィガ国の人間だな」
『レドウィガ国』それはグリアフル国と隣接する国のひとつ。国交は二年前から思わしくなく、水面下では所謂ほぼ冷えきった関係にある国だ。
王子に毒を盛ろうとし、侍女を殺した男が、その国の人間? アリアスにはもう何がどう話が進んでいるのか分からない。
「本当に理解が早いなァ」
「ブルーノ=コイズはレドウィガ国に逃げた。そして奴は匿われているとされていた。どうもこっちが思っているようなものじゃなかったらしいけどな。それ考えりゃ普通に行き着く」
「まァそうか。元団長殿だけを生かしたのは一番ましだったからにすぎない。元々の地位……人望もそれなりにあったみたいだしな、実力も一番あった。それで最後になら死に物狂いでひとつくらいやってくれるかと思ったのにな、予想通り使い物にならなかった。哀れなものだ、最後の最後まで妻子が生きていると信じて命乞いをしてきた」
「お前がグリアフル国に来たのは、奴に任せるつもりはなかったからか」
「あァ、元々来るつもりだった。お陰さまでかなり有意義な時を過ごせたさ」
沈黙が一呼吸分落ちた。
有意義な時。明らかに裏に意味が込められているそれを吟味しているのか、ゼロが黙ったのだ。けれど、すぐに口を開く。
「竜の寝床と陛下の部屋に魔法石仕込んで、侍女を脅して毒を盛らせたのもお前だな?」
「へェ、さすがグリアフル国の魔法師は優秀だなァ。全部分かってるのか」
「今完全に繋がったんだよ。『お陰さまで』な」
「ハハ、これは喋り過ぎたかな。……でも、それにしては釈然としない顔してるな、団長殿」
「お前、本当にレドウィガ国の人間か?」
「自分で言って俺が肯定してるのに疑ってる顔するってどういうことだよあんた。あァそういえば、名乗るのがまだだったな。俺はあんたの名前知ってるし、名乗っておこうか。初めまして俺はカイル=クライン。レドウィガ国の将軍職――言えばあんたと同じような地位にあるわけだ。団長殿」
男が普通に名乗った。
カイル=クライン。レドウィガ国の将軍。男は身のこなし通り、常人ではなかったのだ。しかしながら、さすがに思わぬ役職にゼロが疑問を抱いたようだった。
「将軍? 嫌にぺらぺら喋りやがるとは思ってたが、将軍の地位にある奴がなんでわざわざ来てる」
「色々あるんだよ俺には。別にうちの国の人手不足じゃァないことは言っておく。別にそう思っていてもらっても結構だけどな。それで? あんたこそよく質問する野郎だとは思うが、もう質問はないわけか?」
「――お前、『人間』だよな」
ここまで穏やかとは口が裂けても言えないものの、何も起こることなく交わされる会話に息を潜めてじっとしていたアリアスだったが、ん? とその言葉に後ろからゼロを見上げる。
人間か、という問いかけ。今までそんな問いかけ聞いたことない。
だが、どうしたことかゼロの顔は見える限りでは真剣そのもの。なぜか怪訝そうなものが混じっている。
男も一瞬首を傾げた。
「俺は人間さ」
「人間ならなんでそんな魔法力をまとってる」
「――あんたこそ、何者だ? 普通分からないだろ。そんな質問もしない」
「知らねえなら教えてやる。竜をあれだけ弱らせるなんてことな、『普通』人間じゃできねえんだよ」
「おォっとそうか。そういえば二年前、元団長殿はそれをしくじっておまけにバレたんだったか。……まァだから俺が今回来たッてわけだ」
「一応聞く、目的は何だ」
軽快に喋っていた男はその問いにはへらりと笑うのみだった。だがゼロの次なる言葉に、
「『魔族』、お前はそれに何の関係がある。何らかの関係はあるはずだ」
「……これは驚いた」
初めて、男の表情が笑顔ではないものになった。言葉の通りに驚いたものから、真顔へ。
「俺は知らなかったが、グリアフル国では常識なのか?」
「ほぼ伝承の類だけどな」
「へェ、さすがは最古の魔法国。そういうのがあるんだな」
それでも男はそれに関して多くを語らない。
その様子に「まあいい」とゼロは呟いた。
「捕まえてから聞けばいい話だ。その前に誰に手え出したのか、てめえここで叩き込んでやるよ」
「おォ物騒だなァ。もしかしてそのお嬢さんに手を出したから怒ってるのか? そうだとすれば俺がこんな状況になっているのはいいとばっちりだ。俺はお嬢さん連れていくのには反対だったからなァ。まァ、やるっていうならやるけどな。ここで戦力をひとつ消しておくのも悪くない」
「勝てる気でいるんなら、その自信潰してやるよ。その連れていくって言った奴はどこだ、あの通路にはお前一人だけだったはずだ」
「一人だけ? 何言ってる、あんたが言っただろ? 『人間ならなんでそんな魔力まとってる』ッてな」
男はへらへらとした笑みを戻した。それに加えて面白げに、笑う。
「なるほど、伝承の類か。詳しいことは知らないというわけか? なら俺は自分の知らないところであんたたちを撹乱出来てたということかな」
いたんだよ、そして今もいる。今にも笑いだしそうな口調でのそれにゼロは眉を寄せる。
「こういうことさ。しょうがないから、大サービスでなぞなぞの答えを教えてあげようか。――ちょっと出てこいよ」
男は下に視線だけを向けた。
そこにあるのは上と左右と変わらぬ足の踏み場。意識してしまえば本当に下なのかも不明なそこにあるのは影。照らす光はないのに、影がくっきりとあることにアリアスは気がつく。
「えー、君が出てくるなって言ったんだろう。それなのに勝手だなあ」
「うるさい、どうせここはましな方だろ」
あの声だ。と男が会話する声が通路で聞いた、どこからしているのか分からなかった声だということにも気がつく。
「まさか、」
とゼロは呟いた。
「それに目的なんてさあ、教えてやればいいのに」
その間にも影が、男自身はは動いていないのに動き、
「名乗りまでしたら、言ってるも同然でしょ」
深紅が色のない空間の中、鮮やかにしかし不気味に煌めいた。
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