第23話 一難去って

 指名手配され警戒されていた白の騎士団前団長、ブルーノ=コイズが捕まってからわずか二日。ジオによれば今回の件は収束したらしい。しかし、彼らが何を企んでいたか、それから彼らの処罰を耳にすることはなかった。全ては騎士団以外にはほぼ内密に行われ、変わらぬ生活に戻ったアリアスの首にあった火傷のような痕は結局本人が目の当たりにすることなく魔法で消えていた。

 そんな少女の周りは『春の宴』に浮かれる人々だけであったのだ。




 *




 そうしてついに、街は賑わい白亜の城も騒がしくなる日がやってきた。城の広間には様々に着飾った人々が集まっていた。


 ――『春の宴』である。


 王の一声からそのパーティーは始まりを告げた。王を始めとする王族が座するは広間の奥、階段を上った先。

 その下では青、緑、水色、檸檬色、桃色……華やかな色合いのドレスがひらめく広間。麗しい女性をエスコートする男性。

 高い天井を見上げれば、銀の輝きのシャンデリア。灯された火がその広間を明るく照らす。人々の顔には微笑み、微笑み。その空間に隅々まで満ちるは、暖かな空気と優雅な音楽。

 そんな広間から出て、人の通りの少ない通路に面した部屋になぜかアリアスはいた。それも、ドレスを着て。


「……胃が痛い……」

「あら? アリアスちゃんまで体調不良になられると困ってしまうわ」


 部屋の中にはソファもテーブルもあるが、アリアスの目の前にはあるのは丸い鏡のついたドレッサー。それからこれでもかと言うほどの量の化粧道具が並べられている。その前の椅子に、アリアスは腰かけていた。

 部屋の中には先ほどまでは身支度をしてくれる、城に勤めている女性が五人ほど詰めかけていたのだが、済んだ今は彼女たちはいなくなりいるのはアリアスとレルルカのみだった。

 最高位の魔法師であるレルルカは当然パーティーに参加する。その出で立ちは今夜なお一層美しい装いである。


「魔法の灯火を運ぶ子がもう代役も含めて二人来られなくなっているのに、アリアスちゃんも具合が悪くなってしまうとどうしましょうかしら?」

「……ご心配なく、ただの緊張なので」


 いっそ体調不良になりたい。

 アリアスが正式な魔法師でもなく、貴族でもないのにも関わらずドレスを着て今にも会場に入らんばかりの状況になっている理由はもちろんある。


 ――『春の宴』の前半、会場は真っ暗に包まれる。ただの火でつけられた灯りが消されるのだ。そこに、魔法の火が灯された特別な模様の刻み込まれたろうそくを持って通称『灯火ともしびむすめ』が入る。『灯火の娘』はろうそくに火をつけた魔法師と共に入り、広間の階段を上がり、王族の座する段の一つ下に設けられた段にある、通常の倍もある大きさのろうそくの立てられた台の元まで行く。そうして、魔法の火をろうそくに灯す。同時に魔法師が広間の上と周りのろうそくに一斉に魔法の火を灯すのだ。

 この『灯火の娘』は誰でもいいというわけではなく、毎年成人前もしくは成人したばかりの者が選ばれる。選ばれるのは、正式な魔法師、魔法師の卵、貴族のいずれからか。ちなみに今年は『娘』であるが毎年男女は交互であり、去年は『息子』であったようだ。そんな『灯火の娘』『灯火の息子』の役は代役含めて選ばれるはずなのだが……。


「去年の子も一昨年の子も結構人前に慣れてた子で緊張知らずでぴんぴんしていたのだけれど、今年は元々の子が緊張からの体調不良でしょう? それで、代役の子は階段から転げ落ちちゃったそうなのよ」

「そ、そうですか」


 数年間代役が代役として出ることもなく、そんなに必要ないだろうとのことで油断していたのが今年であるらしい。


「助かったわ。アリアスちゃんが背も体型も似ていて。それにこんなに近くにいてくれて」


 にこ、と美しい笑顔を向けられるのだが、五日前突然事を告げられたアリアスに笑う余裕は全くない。

『む、無理です』

『衣装ももう出来上がってしまっていて、頼める人も限られているのよ』

『ですけど、私ではなくてももっと他に、』

『そういえば、広間に灯りを提供するのはジオ様だから他の子は緊張してしまったのかもしれないわね』

『いや、魔法師の方の中から選べばそんなことはな……』

『ジオ様もこれでお逃げになられることはないでしょうし』

 師へのこの信用のなさがいっそすごい。とそれが本音ではないかという考えが過っている間にアリアスはレルルカに丸め込まれた。加えて彼女の心底困っているような表情と声音に。最高位のレルルカが直接頼むことではないだろうに。


 そんなやり取りをした五日後。


「アリアスちゃんにはいずれお願いする予定だったのよ」


 全く笑えない。

 あのあとさすがにすぐに師に報告しに行き、ジオは予想外にもレルルカの元へ行ってくれたが撃沈して帰って来た。あれ、もしかしてこれは普段の師の行動ゆえのことだろうか、とアリアスは思ってしまった。


「今年、魔法の火を灯してくださるのはジオ様でもあることだし。ちょうどいいわね」


 結局師匠一枚噛まされたんだな。とそんな中でもアリアスはそこだけは察した。

 ついでに言うと、ジオは『灯りの点灯役か……』と呟いていた。

 レルルカの元へ行って初めて自分が灯りを担う役目を負うことを知ったのだろうか。きっと流し聞いていたのだろう。撃沈して帰ってくることになったのは、それがさすがに覆らなかったからかもしれない。深くは聞かなかったので予想からの予想に過ぎないが、普段の行動からして当たっているような気がする。珍しく素早く (魔法で) 出て行ったのは結局何だったんだ。

 自分は道連れか……。現実逃避をしてしまうのは仕方ない。


「その師匠は、」

「それなのよね、私も見ていないわ。あまりにもお姿が見えないものだから、直前になって無断欠席なされたか城の外へ出ていかれてしまったかと思っていたのだけれど、アリアスちゃんがここにいるのにそんなことあり得ないわよね」

「師匠……」


 まさか逃げていないだろうなと思うことと同じくらいに、アリアスはレルルカの綺麗な笑顔のままでの言葉に情けなくなってくる。本当に信用がないな。本格的にこれはジオが灯りを提供する役目を負わされたのも、自分がここにいるのも彼の逃亡防止策かもしれない。相当去年のことが根にもたれているのだろうか。

 決して笑顔を崩さないレルルカを見上げながら、アリアスは緊張とちょっとした恐怖との狭間に置かれることとなる。

 ぎこちなく視線を逸らした先には光を反射するだろう磨きあげられた輝き。鏡を見ると、慣れない化粧をされた別人のような自分が映る。髪を長く見せるためにつけ毛をつけられているせいもあるだろう。しかしどうも慣れていないこともあって長くは見ていられない。レルルカの気遣いによって去っていった、支度をしてくれた彼女たちは笑顔であったがどうなのだろうか。どうせベールを被るので関係ないだろうか。藍色に限りなく近い濃い青色のドレスが似合っていなかろうと顔を隠せば誤魔化されるだろう。

 ドレスは驚くほどにぴったりと合った。『灯火の娘』用のドレスは火が目立つようにと暗めの色で、白の糸で精緻な刺繍をされている。

 本当なら今ごろは……と迫る時間による緊張から目を逸らすべく考えていたとき、部屋の隅に光が生まれた。


「――師匠」


 何もなかったはずの、少なくとも人はいなかったその場所に姿を現したのはジオだった。

 服装は魔法師としての立場を現す正装。元々、魔法の灯りを提供する魔法師の衣装も暗めの色であるようだが、今彼が着ているものはおそらく衣装ではない。それは彼の漆黒の髪に合わせたように、黒い。


「あらジオ様、いくら弟子とはいえアリアスちゃんが着替えていたらどうなさるの?」

「どうもしないだろう」

「それに魔法は控えてくださいますか?」


 人が多いのだが嫌で、魔法で飛んで来たであろうジオは嗜める言葉に少しだけ苦い色を目に表した。


「師匠、逃亡を図ったわけじゃなかったんですね……」


 一方、アリアスは安堵の息を吐く。時間が経つごとに、師がまさか無断欠席しようとしているのではないかと考えていたのだ。どうも杞憂であったらしい。


「アリアス、お前は俺を何だと思っているんだ」

「人が多いのが嫌いな若干引きこもりの師、ですかね」

「おい」


 師が来た途端にいくらか安心したアリアスは、近くに歩み寄ってきた当の本人に口を滑らせる。その様子を見てレルルカはくすくすと笑う。


「時間のようですわね」


 ちょうど響いたのはノック音。

 アリアスはびくりと肩を跳ねさせ、ジオはそんな弟子を見下ろし、レルルカは弧を描いた口許を上品に覆っていた滑らかな手袋をした手を下ろす。


「さあ、アリアスちゃん頑張ってね。そんなに緊張しなくても大丈夫よ、顔も見えないし、もし転びかけたとしてもその前にはジオ様が支えてくださるでしょう。魔法は灯り以外には遠慮なさってくださいませ、ジオ様」

「転ばないように気を付けます……」

「暗いから気づかれないだろう」

「そういうことではありませんのよ?」


 ジオに完璧な笑顔を向けながら、最後の仕上げにとアリアスの頭から顎下にかけてこれまた暗めの青の色の薄いベールをレルルカはかける。それから、満足そうに微笑む。


「アリアスちゃんやっぱり可愛いわね」

「ベール効果ですね」

「もう、緊張で卑屈になってるのかしら?」

「そうでも……緊張は、ありますけど」


 差し伸べされたレルルカの手にありがたく掴まり、立ち上がると華奢な靴が何とも不安を誘う。これは転ばないか心配だ。


「『灯火の娘』のご準備は整ってございますでしょうか?」


 だが、そんなことは関係なしにドアの外からは声がする。


「ええ、大丈夫よ」

「失礼致します。……レルルカ様、実はジオ様がお見えになっていらっしゃらないようで……」

「ここにいらっしゃるわ」


 入ってきたのは一人の妙齢の女性。きっちりと髪を引きつめた彼女は今夜の裏方であろうか。顔を伏せ気味に入室した女性はレルルカの言葉に初めてジオの姿を認めて明らかにほっと息をついた。

 こんなところにまで迷惑が。どうやらジオは本当に今会場自体に姿を現したらしい。


「それはようございました。では、先に『灯火の娘』の案内をさせて頂きます。こちらへ」

「は、はい」


 一瞬で肩に力が入ったアリアスはその的確な促しに、レルルカの手を離れて歩き出す。一歩目は恐る恐る、二歩はぎこちなく、それでも転ぶような不安感じはなくドアへと歩いていく。その背中をレルルカが微笑ましげに見つめながらそうだ、という風に声をかける。


「お役目の後はアリアスちゃんは代役であることだし、自由にしても構わないわよ。ただし、広間を出るのなら早めにした方がいいわ、毎回『灯火の娘』の子はダンスにひっきりなしに誘われるのよ」


 それは聞いていない。先に部屋を出るように促されたアリアスはレルルカにかけられた言葉にベールの下でぎょっとするが、振り返る暇なくそのまま部屋を出ることになる。







「では、私も失礼致しますわ」

「待て」


 流れるように自らの方を向き、広間に戻ろうとしたレルルカをジオは呼び止めた。


「レルルカ、いつから画策していた」

「あら、何のことでしょう?」

「少なくとも会議では名前は出ていなかっただろう」

「『灯火の娘』自体の話題も、ですわね。毎年決まれば報告だけはされますけれど、それをジオ様がお聞きになっていたとは思いませんでしたわ」

「いや聞いてないが」

「アリアスちゃんの名前は聞き逃さない、と? 今年は私に一任されましたの」


 急にアリアスが『灯火の娘』の代役に選ばれたことに、ジオは疑問を持っていたのだ。


「だからか……」

「ジオ様、過保護すぎですわよ」

「何」

「これが関係があるかは私には分かりかねますけれど、昨年、打診させて頂きましたのに返事をくださる前に雲隠れなさったのはどなたでしたかしら? 今回、急においでになったかと思えば一度はお断りになった会場の灯りの点灯の役目を奪ったりなさいましたし」

「その代わりにアリアスをあの役につかせたのか」

「まあ、まさか。言ったはずですわよ、元々の代役も含めて来られなくなってしまった、と。それと、ジオ様は広間から早々に姿を消すことはやめて頂きたいですわ」


 なんと、レルルカはアリアスに『灯火の娘』の代役を頼むときに一つは嘘をついていたと判明。『ジオが魔法の火をつける魔法師である』と。しかしそれは一度それを断ったはずの当の――気まぐれか何なのかは明らかではないが――本人によって真となっていたのだ。師が自ら引き受けたことをアリアスはもちろん知らないまま。

 そのことを仄めかし最後に注意することを忘れずに、今度こそレルルカは部屋を後にした。


「俺を出席させるためだとは思いたくないが」


 そのあと、ジオもまた呼ばれ、控え室代わりの部屋を上衣を揺らして出ていった。







 明るい、華やかな場には深すぎるという印象の受ける青。しかし、暗闇であることとは関係なく、髪に黒の色彩を持つジオの隣であれば驚くほどに全く不自然さがなくなるのだから不思議だ。


「アリアス、アリアス先に行け」

「何言ってるんですか、師匠が先に決まってるじゃないですか」


 一度閉めきられた、広間に繋がる扉の外で彼らはもめていた。

 広間の外であるこの場ではいくらか灯りがついているが、現在中は真っ暗だろう。ほどなくして、扉が開けばアリアスはジオと共に中に入ることとなる。アリアスが両手で持っているのは通常よりも大きめの白いろうそく。銀色の線が刻み込まれ、模様を描いている。

 まさに扉の真ん前で小声でやり取りを行う。『灯火の娘』は最終的に広間に灯りを満たす魔法師の後ろをついていくというのに、この師は人の多く待ち受ける中に入ることを今になって渋り始めた。


「師匠、慣れてるでしょう……」

「慣れないものはいつまで経っても慣れんぞ」


 何年その地位にいるのか。


「ジオ様、こちらを」

「何だこれは」

「衣装でごさいます。後ろについている被り物を被って頂きたいのです」


 アリアスの側で、師は受け取ったやけに野暮ったい上衣を着て、「これか」と背中の方から持ってきた布を頭から被った。いつの時代の代物か、伝統的な魔法師の格好だという。ジオが自分の控え室に行かなかったから持ってきてくれたのだ。


「それから、お時間でございますので、ご準備のほうを」

「仕方ないか」


 よくよく目を凝らすと濃紺であるが、ぱっと見全身真っ黒となったジオは、最終の促しに一つため息をついて心底仕方なさそうにこちらに――ろうそくに手を伸ばしてくる。

 ジオが手を翳すと、火が灯った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る