穏やかな午後
家の庭の片隅で、花の苗を植えていた。
この前、知り合いの庭師がくれた苗だった。あとは植えて、咲くのを待つだけだ、というところまで育ててくれたのだ。
「これ、どんな花が咲くの?」
「白と橙色の花が咲くんだよ」
傍らにいる小さな子は、灰色の目でアリアスを見つめた。土だらけの両手には、苗を一つ持っている。
花壇の側で植えられるのを待つ苗の中には、白色だけでなく、実は珍しい色をした花もあるらしい。
それは、咲いてからのお楽しみだ。
アリアスは、傍らの笑顔を見て微笑む。
小さな子は「早く咲かないかなぁ」と、少しでも早く植えれば早く咲くとばかりに、作業を進めはじめた。
種からではないので、思ったよりも早く咲くだろう。
アリアスも再度手を動かそうとした。
──その魔法を、久しぶりに感じた
半ば無意識に見たのは、家の敷地を出る方だった。
「師匠」
忽然と風のように現れた姿、黒髪が僅かに揺れて、立つ師であった。
アリアスは手に持つ苗を一旦土の上に置いて、温かい風に上衣を揺らす師の元に駆け寄る。
「帰って来ていたんですか」
「さっきだ。最近お前の顔を見ていないと思ったついでに、城に戻る前に顔を見に来ただけだ」
その最近は、数ヶ月にもなる。
師はまだ、最高位の魔法師を続けている。しかし時折放浪の旅に出ており、国内を巡っているようだった。
「おかーさん、まだ途中だよ」
師の姿に作業を一時中断して来たアリアスは、後ろから呼びかけられて、振り向いた。
すると、そこには一生懸命苗を土の中に埋めている子がいる。アリアスが側から離れたことから、咎める言葉を発しながら、こちらを見た。
「あー、ししょうだ!」
しかしジオを見た途端、ぱっと顔を明るくした彼は、立ち上がって作業を後ろに置いてくる。
「……子どもはすぐに大きくなるな」
どこか実感の籠った声音に見ると、師は子どもの方を見て、今、アリアスを見ていたようだった。
アリアスは瞬いてから、「そうですね」と笑い、駆けてきた息子を受け止めた。
「師匠、中に入ってください。お茶を淹れます」
たぶん師は言葉通り顔を見に来ただけなのだろうが、アリアスはそう言って師を家の中に促した。
「ししょう、一緒にお菓子食べよう」
「あ、ルカ、そのまま触っちゃ駄目」
土だらけの手で、ジオの衣服を引こうとしたものだから、焦った。寸前で息子も「あ」と気がついたので事なきを得た。
アリアスが、ゼロとの間に子どもを授かったのは、五年ほど前のことだ。
生まれた子は男の子で、灰色の目と髪をしており、色彩は完全にゼロの方を受け継いでいた。ただ、顔立ちに関してはアリアス似だと言われることが多い。
名前をルカ、やんちゃ盛りの子どもだった。
「座っていてください」と、居間に師と息子をおき、アリアスは台所でお茶とお菓子を用意する。
「ししょう、ここ座って」
そんな声が聞こえた。
結局、生まれたときから会っているものだから、ジオに対するしゃべり方はあのままになってしまったな、と少し思う。
ししょう、とジオのことを息子が呼んでいるのは、アリアスがそう呼んでいるためだ。
「ジオ様」と呼ぶゼロが共にいるときにジオと会うより、アリアスがいるときにジオと会うことが多いのは言うまでもないことである。
現在の時刻は昼、ゼロは仕事で城に行っているため、家にはいない。
息子が生まれてから、アリアスは基本的には家にいる。
理由としては、やはり息子と共にいるためだ。
人を雇って面倒を見ていてもらうことや、義父の提案で王都のスレイ侯爵家で預かってもらうことなど、仕事の間の時間を任せることは可能だった。
元々城に勤める魔法師にも当然女性がおり、既婚かつ子どももいる先輩がいた。
彼女たちは子どもを産む前後の期間に休むことは全員同じだが、仕事復帰した場合には大きく分けて二つの場合があった。
一つ目は、親といった家族に子どもを預けている場合。二つ目は、子どもがある程度大きくなって学校や学園、またはどこかに奉公に出てから復帰する場合。
この二つである。
けれど、ゼロとも相談して、アリアスは息子といることにした。
しかし将来的には、仕事復帰出来ればと思っている。
アリアスが一番大事なのは家族だ。
仕事は自分で決めた道を進んできたこともあって思い入れはあるものだが、その道を選んだのは、もしも幼い頃のことがまた目の前に広がったとき、失わないように学園で学んだことがきっかけだった。
救える力が、あるように。
だから今一番守りたい息子の側にいて、また機会があるならば、仕事復帰したい。
息子が将来魔法師になりたいと言って、学園に入ることになり、寮生活を送ることになれば、そのときに仕事復帰をする可能性が高いだろうか。
お茶を淹れ、息子用にはミルクを用意し、お菓子もまとめて乗せたトレイを持って戻ると、師は椅子に座っていた。
その後ろ、ルカがあれこれこの前こんなことがあったあんなことがあったと、師に話しかけながら、長い黒髪で何かしている。
師は、今のルカくらいの年齢であれば、アリアスも師に出会ったくらいに近いので、戸惑うこともなく好きなようにさせているようだった。
実は、息子が生まれて抱っこしてもらったときには、さすがに赤子と接したことはなかったらしく、ぎこちなく抱っこしていた。
師には珍しく、どうすればいいのかという視線を投げかけられた覚えがある。
「ルカ、何をしてるの」
「んー、三つ編み」
三つ編み?
どうやら、息子は長い黒い髪を編んでいるらしい。
……どこで覚えてきたのだろう。
「見て見て、上手にできたよ」
満足げに言うルカの手元を見ると、なるほど、幼さによる形の崩れようを除くと、見事な三つ編みだ。
編まれている師は、気にした様子もなくお茶を飲んでいる。まあ、怒るような性格でないことは、アリアスがよく知っている。
「今度ね、セシリアにやってあげるんだ」
「そっか」
そのための練習か。
長すぎる髪を持つ師だ。いい練習台がやって来たというところなのだろうか。
「ししょうの髪の色って珍しいよね。ぼく、黒い髪ってまだ他に見たことないもん」
黒い髪をいじりながら、息子は何気なく言った。
当たり前と言うべきか、ルカはその髪が示すところを知らない。彼にとっては生まれたときから知っている色だ。最近になって、その色を他の人が持たないと気がついたらしい。
それは、生まれたときから師が側にいたやけではないアリアスにも、身に覚えがある。
これから先、「魔法力が規格外ゆえ」だという自然に流れてしまった情報を聞くときがあるのかもしれない。
息子は、ジオの年齢がゼロよりもうんと上だということも、明確には知らない。
「ルカ、三つ編みは止めてお菓子食べよう。師匠と一緒に食べるんでしょう?」
「食べる」
三つ編みの練習へのこだわりはそんなになかったようだ。
ルカはぱっと反応して、椅子に座った。
「つくづく思うが、どちらに似たのか判別し難いな」
師のそんな呟きが聞こえた。
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