迷子
その日、ルカは母親と城に来ていた。
ルカにとっては、「ししょう」がいる場所だ。しかし数えるほどしか来たことがなくて、今日は母親に用事があって、ルカはせがんで「ししょう」のところに行ったのだ。
ルカは「ししょう」の部屋が何となく好きだった。
自分ではまだ読めない本がぎっしり詰まった壁や、ものすごく高い天井、ちょっと散らかった部屋は、「ししょう」の姿がすごくしっくりくる空間だった。
母親が用事を済ませるためにどこかに行くのに対し、ルカは一人で行けるよと城に入ったところで別れたのだが……。
「あー……」
どこか分からない。
どうやら、曲がる角を一つ間違えたようだ。そのまま同じ道のりを行ったから、目的の部屋に着くはずもなく、どこだか分からない場所に行き着いた。
行き着いたと言っても、まだ先には通路が続いている。
ただし、周りは見覚えのない場所だ。たぶん。
何しろ城は大きくて、同じ通路が何本もあるようだから。しかし「ししょう」の部屋は見当たらない。
今日は中々着かないなぁ、とどんどん進んで行ったのが悪かったらしい。
どうしようかなあ、とルカは周りをよく見た。
「よい、しょ」
並ぶ窓を見つけて、背伸びをして外を窺う。
迷路みたいな城の中にいるより、一旦外に出る方がいいかもしれない。庭に行けば、庭師の人がいるだろうし、他の人でも「ししょう」の部屋への行き方を聞けばいい。
そもそもここは、人がいなさすぎると思う。
それにしても、ここは城のどこだろう。この際、冒険していたら、「ししょう」の部屋を見つけられるのではないだろうか。
「……子ども?」
「あっ」
声が聞こえて、窓から手を離して後ろを見ると、ルカ以外に誰もいなかった場所に誰かが現れていた。
知らない人が立っている。
大人の男性は背が高く、箱を持ってルカを見ていた。
「ここは子どもがうろつくような場所じゃないぞ。……かといって、誰かが弟子を取ったって話は聞いてないし……おまえ、どこの子どもだ?」
「迷っ――迷いました」
初対面の人には丁寧に、という母親の言葉を思い出して言い直す。
「迷った?」
知らない人は、ルカの返答に「あー」と納得したような声を出して周りに目を向けてから、またルカを見る。
「仕方ないな、オレが案内してやる」
「えっ、本当?」
「ああ」
思わぬところから助けてくれる人が現れた一方、周りを見ていたら、「何だ、見ていきたいか?」と男性が言った。
「ちょっと」
「迷子にしては肝が据わってるな」
明るい笑い声が響いた。
初対面の人だったが、警戒心というものは出てこなかった。
「親探してからな。どっちから来た。子どもが一人で来るはずはないから、親について来たってことはそれなりの身分ってことになるのか? おまえ、貴族の子どもか?」
「きぞく? ううん、違うよ。あ、違います」
「おまえみたいな小さい子どもが敬語なんて使わなくていい。──案内っていうより、親探しだな」
こっちから来た、とルカが指差した方にとりあえず歩き始める。
そういえばこの人は、大きな箱を持っているけれど、何か仕事の途中だったのではないだろうか。父親も今、仕事に行っているから、ルカはちょっと隣を見上げた。
すると、男性もまたルカを見ていた。
「おまえ誰かに似てるなぁ。と言うか、大分昔に同じようなことした記憶がある気がするな……」
「?」
首を傾げたルカだったが、そのとき、窓際を歩くその人の、目の色の珍しさに気がついた。
「おじさん、目の色が不思議だね」
「ん、珍しいだろ」
何という色なのだろう。茶色に、紫色が混ざっている。
その紫色と言えば。
「うん、ししょうと同じ色が入ってる」
だから、出会ったばかりなのに、親しみを感じたのかもしれない。
「師匠?」
「あ、ししょうはぼくのししょうじゃなくて、お母さんのししょうなんだけど……。ねえ、おじさん」
「ん?」
「その大きな箱をもって、どこかに行くとちゅうだったのに、ぼくについてきてくれていいの?」
「あー、別に道途中で急ぐことじゃないからな」
ルカはそれなら良かったと思った。
すると今度は、箱の中には何が入っているのかなと気になった。
男性が持っている箱は、両手で持たなければならないほど大きくて、ルカであれば持てないかもしれない。
じっと箱を見ているのが分かったらしい。男性は「中が気になるか?」と笑った。
「見せてやる」
「いいの?」
出会ったばかりの人は立ち止まり、箱を床の上に置いて、中を見せてくれた。
箱の中には、緑色の丸いものが入っていた。
箱の中にあって、太陽の光は当たっていないはずなのに、煌めいているような綺麗な石だった。
「これはな、魔法石って言って……魔法石って分かるか? まだ知らないか」
「知らない。でも、すごく、きれいだね」
綺麗な石に夢中になって、箱の中をずっと見ていたけれど、男性はルカを急かしたりはしなかった。
「ルカ!」
母親の声だと、すぐに分かった。箱の中に釘付けのルカだったが、即座に顔を上げた。
「お母さん」
「お母さん?」
母親は用事をしに行ったはずなのに、もう終わったのだろうか。
それとも、ルカがうろうろしていた時間が意外と長かったのだろうか。
「すぐに用事が終わって師匠の部屋に行ったのに、いないから探したんだよ」
「とちゅうで、道間違えたみたい。ごめんなさい」
「そっか、一緒に行くんだった。とにかく、良かった……」
母親は、安心したようにルカの頭を撫でて、ルカを案内してくれていた人を見て──びっくりした顔をした。
「サイラスさ──じゃなくて、ダリウス様」
知らない名前を口にした。
ルカはいつの間にか立ち上がっていた男性と、母親を交互に見上げる。知り合いのようだった。
「アリアス、おまえの息子なのか」
「はい。ルカと言います」
母親がルカを見て、男性の方もルカを見る。
「息子かぁ。生まれたとは聞いたが、もうこんなに大きくなっているとはな。確か父親は白の騎士団の団長殿だろ? 色的には確かにアリアス似じゃないな。けど、顔立ちがおまえ寄りだ。どうりでな……」
何やら納得したように頷いている。
「思い出したぞ。アリアス、おまえも初めて会ったとき迷子になっていたよな。と言うか、時々迷子になっているおまえに遭遇した」
「……そうでしたか?」
「それは立派に迷子になってて、情けない顔してたぞ。息子は、おまえに出会ったときより小さいな」
「そうですね……ルカはまだ五歳なので。それより、面倒を見てくださってありがとうございます」
「いいさ。通りすがりで見つけただけだからな。しっかし、変な縁もあるものだな」
ルカは、くいくいと母親の手を引いた。
どうしたの?と母親は首を傾げる。
「お母さん、知ってる人なの?」
「うん。お母さんがね、ルカよりもう少し大きくなったくらいのときから知っている人なんだよ」
「へぇー」
さっきから親しみは感じていたのだけれど、もっと親近感が湧いた気がして、ルカは男性の方を見る。
「おじさんは、お城で何をしてる人?」
「ルカ、言葉遣い……」
「安心しろ、アリアス。最初はそれは丁寧なものだったぞ。オレがいいって言ったから、いいんだ。──オレはな、魔法具を作っている魔法師だ」
でも、「まほうぐ」とは聞いたことがない言葉だ。
「まほうぐ……って何?」
「魔法具っていうのはな、……こんな小さい子どもが理解出来る範囲ってどこまでだ」
男性は首を傾げた。
「まあ、魔法を使うことによって特別な働きしたり、魔法で動かす道具のことだ」
「ふーん」
「はは、分かってないな。色々あるから、説明しようとすると難しくなる」
「おじさんは、それを作ってるの?」
「そうだ」
「まほうぐ」とは一体どんなものなのだろう。
「まほうぐ作り、見てみたい」
「ルカ、駄目だよ」
途端に母親にたしなめられてしまった。
「お城の中で歩いてもいい場所は、師匠の部屋の辺りだけっていう約束でここに来てるでしょ?」
「あー」
確かにそういう約束だった。本当は、用事がないのに、子どもがそんなに気軽には来られない場所だから。
「ジオ様のところにいるのか? じゃあジオ様に見せてもらえばいいんじゃないか?」
「ジオさま?」
「師匠のことだよ」
誰?と思っていると、母親が教えてくれて「あっ」となる。
そうだった。「ししょう」の名前はジオというのだ。
「ししょう、まほうぐ作れるの?」
「相当だよな、確か。作ったの見たことあるけど、人間業じゃないレベルだな」
「にんげんわざ?」
「ああ、そこは気にするな」
分からない言葉を聞き返したけれど、そう言われて、とりあえずルカは母親に「ししょうにだったら、いい?」と聞いた。
母親は少し考えて、「師匠に聞いてみよう」と言ったから、早速「ししょう」の部屋に向かおうとする。
「おじさん、色々ありがとう! ええっと、……おじさんの名前は? ぼくの名前は、ルカ」
「そういえば言ってなかったな。ルカ、オレの名前はダリウスだ」
「ダリウスさま」
「様はいらない。本当、おまえに似てるなアリアス」
男性──ダリウスは笑って、ルカの頭を撫でた。ぐしゃぐしゃと、手荒でいて、優しい手つきだった。
茶色と紫が同時に存在する目がルカを映して細められ、ダリウスの口元は深く弧を描いた。
「今からジオ様に教えてもらえば、かなりの魔法具職人になれるかもしれないな」
手を振って、ダリウスとは別れた。
また、会えるだろうか。
走って「ししょう」の部屋に行くと、「ししょう」はソファーに寝転んでいた。
母親が来る前に、ルカは勢いよく「ししょう」に飛び付いて、起こす。小さな呻き声が聞こえたような気がしないでもない。
「ししょう!」
のしかかったまま、嬉々として呼びかけると、「ししょう」がゆっくりとその紫の眼にルカを捉える。
「……ルカか」
「ししょう、まほうぐ作りみせて!」
「魔法具作り……。なぜ、見たい」
眠そうな目をした「ししょう」は瞬き、不思議そうにしたけれど、結局見せてくれた。
「まほうぐ」はややこしくて、細かくて、よく分からなかったけれど、「ししょう」の手つきが鮮やかで、ルカは目が離せなかった。
「ししょう! ぼくのこと、でしにして!」
「え、ルカ?」
完成した魔法具を手に、ルカは目を輝かせてそう頼んだ。傍らで見守っている母親がびっくりした声を出したのが聞こえた。
見つめた先の「ししょう」は、じっとこちらを見て、しばらく……。
「俺が放浪出来なくなるだろう」
「そこですか?」
最終的に「ししょう」は、「興味本位ではないくらいに考えられるようになって、それでもそうしたいのであれば言え」と言った。よく分からない。
とりあえず家に帰ると、父親が帰ってきた。
「お父さん、お帰りなさい」
開いたドアに敏感に反応したルカは、今日のことを伝えるべく、走っていく。「ただいま」と言いながら受け止めてくれた父親を見上げ、ルカは言った。
「お父さん、ぼく、ししょうの弟子になる」
「は?」
父親はぽかんという顔をした。
「『ししょう』って言うと……ジオ様の弟子?」
何事か呟きながら顔を上げた父親の見た先には母親がいて、「お帰りなさい」と言った母親が続けて今日のことを話す。
一連の流れを聞いた父親は、「なるほどな」と言って、
「別にルカがいいなら止めねえが……」
なんか、複雑そうな顔をしていた。
けれど、しゃがみこみ込んで目線の高さが近くなったと思ったら、灰色の目が真っ直ぐにこっちに向いていた。
「ルカ、お前がどれくらい将来について考えてそう言ってんのかは分からねえが、決めて、やりきるならいい」
とても真剣な様子で言われて、ルカはごくりと唾を飲み込んだ。
とてつもない「何か」を試されているような気がして。
でも、ルカは「うん」と慎重に頷いた。
父親はじっと、ずっと、そんなルカのことを見ていて──頭を撫でられた。
大きな手は、頭を撫でたあと、ルカをひょいと抱き上げた。
「まあジオ様が師匠だったら、非の打ち所ねえよな」
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