第5話 基本の仕事



 アリアスが騎士団専属の治療専門の魔法師と竜に関わる魔法師との二つの生活をしはじめてから、一週間が過ぎた。

 現在は朝、本日最初の仕事。後者の仕事場に来ているのだが、今のところしている仕事といえば――


「お前よく近づけるよなあ」


 アリアスと少し離れた右手延長線上からふいに呟きがされた。単に前をじっと向いて待っている状態のアリアスが声に反応して横に顔だけ向けると、そこには騎士団の制服――紺色の軍服がようやく着なれてきた様子の青年が立っている。

 知っている顔で、学園では騎士科に所属していた同級生だ。

 アリアスも彼も場所的には同じような位置に立っており、それは壁際であるのだが一応仕事中、当然と言うべきか壁にもたれかかってはいなかった。


「慣れ、じゃないかな」


 呟きの意味を汲み取ってアリアスは少しだけ考えて言った。

 すると青年はいきおいよくこちらに顔を向けた。


「慣れって……慣れるのかなあ俺も」

「ウィルは、」

「今日初……いや違った見るには見てたけど」


 騎士団一年目、アリアスと同じく正式な魔法師一年目の青年はため息をついた。


「暴れてさあ」


 あれ。どこかで聞いた、というか身に覚えのある話の流れが話されはじめる。


「それがわざとだったって言うんだからたまったもんじゃないって」


 そうは言いながらものんびりした口調のため、あまりそう思っている風に聞こえない。


「なんか細かい年数忘れたけど結構前からの恒例だって。竜に不用意に近づかないようにって、口で言ってくれればそれは気をつけるのになあ」


 それらを聞いたアリアスとしては、エリーゼが提案したという方法に悪のりしたものではないことを願うばかりだ。どちらが先にはじめたかは分からないけれど。


 青年のぼやきは、これまた少し離れたところに立つ軍服を着た男性――おそらく青年の先輩にあたる――に聞こえないように器用に続く。


「だいたい、見るからにでかいじゃん」

「うん」

「身体もそうだし、牙と爪のデカさ見たらあれにかかったときのこと考えるだろ。というかその前に不用意に近づいたら踏まれそう」


 そんな死に方はごめんだとばかりのようである。顔もうんざりした表情をしたが、先輩の方を気にしてすぐに消えた。


「そうだね」

「アリアス踏まれないようにしろよ」

「縁起でもないこと言わないで」

「冗談冗談。結構本気だけど」


 どっちだ。

 それはさておき、たった今アリアスや学園時代の同級生――他合わせて十数人ほどがいるのは竜の自由に降り立つことのできる、あの屋根のない円形の建造物だった。

 巨大な姿は一体としてなく前には何もない空間広がるばかりだが、まさに今、ほぼ毎朝ここにやって来る竜を待っているところなのだ。

 全員が壁際に立ち、前を向いている先では会話に区切りがついたところでちょうど風が巻き起こり、上空に竜が一体到着したところだった。

 巣からやって来たばかりで人が誰も乗っていない竜はそれでも奔放にする様子なく、徐々に緩やかな様子で降りてくる。

 やがて竜が地に足をつけ羽ばたきを止め、風が十分に落ち着くのを見計らって、


「行くぞ」

「あ、はい!」


 同級生は先に騎士団の先輩に呼ばれてその後ろを駆けていった。

 向かう先には茶色の竜。


「行くよ」

「はい」


 続いて、傍らをすっと通りすぎた人物に通りすぎ様に言われ、アリアスもまた手にいくらかの紙を綴じこんだバインダーをしっかり握って壁際から離れる。







 現在、竜の卵がひとつ人の手元にある。それは巣から竜がここにまで運んでくるのだそうだ。

 今回の卵が来たのは数ヶ月前のことで孵化作業を何人もかかりっきりでしている、とアリアスは聞いた。そのためアリアスがこれまで顔を合わせたのはたったと言うべきか――正確な全体人数を知らないので何とも言えないが――八人だけだった。元の人数が不明とはいえ少ないことには間違いないかと思われる。

 それだけ卵の孵化に人手がいるということなのかもしれない。


「こっち、一人で診てみて。あとでチェックしに来るから」

「は、はい」

「分からないことあったらあとでまとめて聞いて」

「はい」

「あとは……うん。そんなに気をつけなくてもいいけど、急に動くこと普通にあるから気をつけて。滅多なことしないとないけど暴れた場合はすぐに距離置くように」

「はい」


 今思いつく限りといった注意事項を言い残し去っていくのはその内の一人、首を覆うくらいの長さの濃い茶色の髪をした、竜の育成に関わる魔法師の先輩にあたる魔法師であった。また、「竜にだけ関わっている」数少ない魔法師の一人でもあり、アリアスに仕事を教えてくれている人でもある。その先輩魔法師はエリーゼと同じデザインの衣服を身につけている。つまりは、軍人の方に似たもの。ちなみに、アリアスはこれまでと変わらない制服のままである。

 前置きなくとりあえずそろそろ一人でやってみようか的な言葉で、あっという間に違う場所に向かう背中を見送ったアリアスは一番近くにいる竜に目を向ける。

 数メートル距離先にいる、診るようにと指示された竜も身体に比例して目も人よりは大きいからか、こちらを見ているように見えなくもない。

 騎士団の制服を身につけた人が数人周りにいる中、アリアスは任された仕事に取りかかるべくそちらに足を踏み出した。


 巣から飛んできた竜たちに朝一番、最初にやることは彼らの健康確認だ。ほぼ毎日することで、翼、鱗、爪、牙、目……に至るまでほぼ全身に異常がないかを診る。大抵異常はないのだが、それでも毎日することが大切ということだ。

 竜に寄っていき手始めにチェック項目順に進めることにする。まずは爪から。

 四肢すべてに生えている爪――鉤爪はもちろんのこと大きく先端にかけ鋭く尖っているものだ。この爪は凶器になり得るが、彼らの最大の防御と言える鱗ほどの強度はもたないらしい。ゆえに、稀に欠けていることもあるという。

 前に欠けはなし、とチェック作業自体は一週間先輩についていたときに行っていたので分からないということはない、後ろの確認に方向を変えつつペンで異常なしとの印をつける。

 その、印が少し歪む。


「――え」


 背中を何かに押されたことにより、手元、ペン先がずれた。

 それは中々の力で、アリアスは突然という問題もあるが踏ん張りきれずにたたらを踏む。

 一歩二歩。

 その先で、転ぶより前にひとりでに止まるより前に何かにぶつかった。

 誰かがどこかで「ひぃ!」という声を出した。何の悲鳴だろうか。

 もしかして何か、というよりこんなところに壁なんてないはずだから、よくない人にぶつかってしまった可能性がある。とアリアスは即座に思い浮かべて、どの可能性にしろ謝罪を口にする。


「すみませ――」

「おう」


 しかし聞こえたのは、短いながらも聞き覚えある声。

 自分のことで精一杯で前を見ていなかったことで、思いきりぶつかってしまったわけで一番衝撃がきた額に薄い痛みを感じながら見上げていく過程で、軍服を通りすぎる。


「ゼロ様」

「大丈夫かよ」


 ぶつかった相手は、ゼロだった。


 ゼロもルーウェンも言うまでもなく仕事中はアリアスに気軽に話しかけないし、近づかない。その機会がない、ということもある。何しろ彼らは団長であるので騎士団団員ならまだしも治療専門、それも新人魔法師が話す機会などない。なかった。が、正式配属前と騎士団専属でいる間とは異なりアリアスの状況は少しばかり特殊なものになっている。

 たとえばこんな場合。


 竜の体調確認は人が乗っての飛行訓練であったりするすべての訓練前に行われる。ゆえに、はじめにいるのは、竜の体調確認を行う人員と着いた竜を誘導したりもしものときのために側にいる騎士団の人員だけである。

 竜と『契約』し、その背に乗ることを許されている者たちは後からやって来る。

 アリアスがたった今体調確認を任されていた竜は灰色の竜。


「すみません、ぶつかって」

「いや完全にあいつが悪い」


 ちょうどこちらに向かってきていてその瞬間を目撃したらしいゼロは、体勢を立て直したアリアスの背後に目を向けた。


「おいヴァル」


 ヴァリアール――灰色の竜の名前。

 灰色の鱗を持つ竜ヴァリアールはいくぶんか鋭く名前を呼ばれたはずが、素知らぬ顔――表情の変化なんて分からないが――で首を向こうへやっていた。

 押したのはこの竜だというのか。確かに後ろには竜しか見当たらない。


「知らん顔してんな、見てたんだよ」


 そんな竜に近づいたゼロに腹を遠慮なく足を置くと、ヴァリアールは反応して首を巡らせその顔を彼に近づける。いや、押しつけた。

 さすがのゼロも触れられると、巨大さのため触れられる、だけでは済まず一歩後退していた。


「すごく……仲がいいですね」


「なついている」と言ってもいいのか、こんなに距離が近いものなのだろうか。物理的な距離ではなく、親密というのか。

 大きさで洒落にはならないが、まるでじゃれているようだ。竜の性格が関係するのか。

 端から見物する形になっているアリアスは率直に思わずそう溢した。

 彼らは『仲が良い』。それは間違いない。

 すると「やめろ」「お前大きさ考えろって。どうせ聞かえねんだろうけどな」と慣れたように、実際慣れている手つきで顔を押しやっていたゼロが振り向く。竜を見て、またこちらに。


「まあ、こいつも分かってるんじゃねえかな」


 ゼロの指が一瞬だけ顔の眼帯を示してみせた。左目を覆う異質な眼帯。

 その隠された左目の意味を思い出し、アリアスは微かになるほどと頷く。感じとるものがあるのかもしれないと。


「で、アリアスが俺と近い関係だってこともな」


 にやりとした笑みと一緒に付け加えられたことに数秒きょとんとする。

 それから少しアリアスは顔を赤くする。


「覚えてんだろうしなアリアスのこと」

「そう、なんでしょうか」

「さすがに誰にでもあんなことしねえからな、こいつも」


 何度か側に近寄ったこともあり、背にさえ乗せてもらったことがある。この竜はその数度を覚えてくれているのだろうか。

 二年ほど前、戦場で守ってくれるようなことをしてくれた記憶もある。ゼロが離れている間。

 背後からちょっかいをかけてきたのはそれがあったから、ということか。『竜』という生き物に関してはアリアスには分からないことだらけだ。


「一人か?」

「はい」


 それより早くしなければと健康確認作業に戻りつつ、ゼロの言葉に顔を動かして先輩を探すと、十分離れた位置の一体の竜の元にいる姿。


「任せるの早えな、まあこうやって話せるからいいけどな」


 そう言いながら彼は横に来る。「不自然じゃねえだろ?」と。


 これまで機会がなかったということの他にルーウェンやゼロが彼らなりにアリアスに気を遣っているということがある。

 特に兄弟子は本当にアリアスを気遣ってくれていた。不用意にアリアスが「妹弟子」だということを広めないように、仕事中は割りきることにしているようだ。

 ちなみにジオはそんな気遣いしないが、その前にあの師は外で会うことがないのである。

 それ以前に、こういうことになっても本来なら仕事中なわけであり私的なことを話すのははばかられるが、周りから見れば単に竜について話しているように思われているのだろうか。確かにたった今に関しては新たに竜が一体降りてきているところで、風の音、声がしはじめたからそれらの音と距離で内容は聞こえないだろう。

 と竜の鱗に目を走らせる。


「それにしても、気をつけろよ。さっきのは例外だけどな」

「その類いのこと何回か聞いたんですけど、まさか本当に何か起こるんですか?」

「毎年一回くらいは見てるぜ、俺は」

「毎年……?」


 新人が文字通り吹っ飛ばされるとのこと。竜が暴れる、踏み潰される、は見たことがないと聞いて安心したが竜の背後に回ると急に注意散漫になり、尾が何気なく動いたときに尾も巨大なものだから軽く飛ばされる、と。

 竜だってわざとではないが、大きさの関係で些細な不注意で起こってしまう。

 一人で背後に回る前に聞いておいて良かったと光景を想像してしまったアリアスは思った。


「……気をつけます」

「そうしてくれ。騎士団の新人が吹っ飛ばされたって他の訓練で吹っ飛ばされることあるから気にしねえけどよ、アリアスがそうなったら気が気じゃねえからな」


 さらっとそんなことを言われるものだが、話題上、鍛えている騎士団団員と比べると自分が飛ばされた場合に受ける衝撃は異なるだろうとアリアスは神妙に頷いておいた。いらない心配をさせずに済むようにもしよう、と。


 そういえば、師の言ったことは偶然にも当たっていたということにもなる。



 

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