第3話 まだ先の話だけれど
春、後輩が入ってきてまだそれほど長く経っていない。
魔法師騎士団や、城と騎士団の医務室にこの春から新しく勤務することになった彼らは魔法師になったばかり。多くは王都の魔法学園の卒業生なので、学園で見た顔がある。
そうやって各々の職場には同じ時に新人がやって来るものだが、同じ魔法師の職場でも例外がある。
「確かに竜の世話にはまだ人がいるけれど、今は慣れることでいっぱいだろうし知っての通り治療魔法師の正式配属は少し先の話だ」
「それに合わせているんですね」
「自動的にそういうことになる」
アリアスが去年そうであったように、治療専門の魔法師の中から竜の世話をする魔法師を選ぶとしても、合わせているようだ。城や宿舎の生活自体に慣れることも大事。
では少しすると、この職場にも後輩ができるのだろうか。
正式な魔法師となって丸一年経ったが、竜の育成に携わってからはその半分以下の期間。さすがに新しく教えられることはなくなり、アリアスに教える立場にあったディオンも正式にはその役割を終えた。
もちろん時折頼ることもあるけれど、竜の育成についてはほとんどの者が初めての中、過去の記録を時に読み解き、参考にしながら共に奮闘している。
季節が進むにつれ、どんどん温かくなっていく頃。アリアスは、温かな風が吹いて乱れた髪を押さえる。外に出るときは髪をまとめておいたほうがいいかもしれない、と耳にかけていると、「あ」と横でディオンが短い声をだした。
「どうしたんですか――あ」
もはや何度も通っている道なので、覚えた様子で我が道とばかりに前を歩いていた白い竜の姿がなかった。作られて茶の地面が露になった道の先、ずっと先まで続く道の上から忽然と姿を消した。と、思うと春になって柔らかな黄緑の草で覆われた道の横の方に大きな体はあった。
「ファーレル」
「遠くに行かないといい」
願望形で、先輩は呟いた。
突進していく竜を誰が止められようか。アリアスも追いかけようとはせずに、「そうですね」と同意して竜の後ろ姿を眺めるに留まる。
転んでも、転がっても怪我をする心配はないし、最終的には戻ってくる。
足を止めて、待つことにした。
現在、闘技場に行く道中。闘技場は城の敷地から少し外れた場所にあるので、道も城からであれば一本線がずっと続いている感じだ。そのため、建物へ行くまでに人の手によって作られた道の横は比較的開放的な草原と呼べそうな場所が広がっている。
王都には家や店が密集しているため、こういった場所はここくらいだろう。まるで、ここに田舎の片隅が移動してきたような喉かな光景。柔らかな草と、ちらほらと咲く野花。何だか懐かしいような感じがする。
その草の上を走って離れていった竜は、そんなに遠くには行かなかった。犬や猫の大きさではないので、竜が突進した先の野花の可憐な小さな花びらが散る。上を飛んでいた蝶もゆらゆらと危なっかしく宙に散った。
どうやら蝶がお気に入りらしいファーレルは、蝶を追ってあちこちを跳ね回る。とても楽しそうで微笑ましい光景であるが、蝶は心なしか必死に見えて、アリアスとしても仕留めてしまわないか心配だ。狩猟の練習にでもなるのだろうかこれは。
「食べた」
「……食べましたね」
蝶は竜の口の中に消えるという悲しい結末を迎えた。
おいしいのか、そもそも食べたことに気がついていないのかファーレルが吐き出す様子はない。きょろきょろしているので、突然、追っていたふらふらしたものがなくなって探していると見ると、後者が有力だ。
「まだまだ子ども」
「日に日に活発になっている気がします」
「間違いなく」
今竜を闘技場に連れていくためにここにいるのは、アリアスとディオンだけだ。大抵は竜の健康調査の係と行くのだが、のんびりがすぎると途中から別移動になる。今日がその例。
「ヴァリアールを越えるかもしれない」
ディオンはもう目と鼻の先にある円形の建物を見やった。
「アリアス、ファーレル呼んで。そろそろ行かないと」
「はい」
竜は集まって咲いている小さな花を蹴散らしたところだった。容赦がない。また蝶を見つけて追い回しているようだ。
闘技場に着いて、一つ息をつく。やっと着いた。やはりここでも竜が先に行くもので、前で揺れる尾と大きな後ろ姿の後ろを着いていく。
そういえば、今さらだけれど、闘技場の外から中へ一直線で行ける通路はかなり広い。こうやってまだ飛べない竜が行き来できるようにとでもされていたりするのだろうか。単に、一気に多くの人が出入りできるようになっているだけか。ふと考えたがどちらでも良いことではある。
とにかく竜が通るには余裕があり、つっかえる心配やらが出てこないのはいいことだ。
「人にはぶつからないようにね」
「キュイッ」
申し訳程度の注意事項に、竜は元気よく返事を残してすでに複数の竜がいる方へ歩いていく。
ぶつからないようにと言ってもたぶん道は開けられるだろうけれど、自分から気をつけてくれるに越したことはない。
アリアスは入ってきた位置から奥には進まず、ディオンと壁際で待機しておく。
「飛ぶ日も早いかもしれないって思ってしまいます」
「あれを見るとね」
上から降りてくる竜の羽ばたきを見よう見まねでぱたぱたする白い翼。
「まだ真似しているだけって分かっていても、飛べるんじゃないかって思わせられる」
子どもの竜が真似をする。それは、学んでいる過程に見える行動。
飛ぶことは本能的に知っている可能性もあるが、交流して、慣れて、飛ぶところを見て、学んで飛べるようになる部分もあるはずだ。どうせ人間では教えてあげられない。
やがて飛べるようになって人の世話の手を離れると、大人の竜たちと巣へ飛んでゆき、今の大人の竜たちと同じ生活をする。彼らはご飯も自分たちで狩るから、そのやり方も学んでいくのだろうか……。
五分くらい経ったとき、あちこち活発に動き回っていた竜がのそのそと大人の竜のいないこちらにやって来た。
どうしたのだろうと思っていると、座り、動こうとしなくなった。
「休憩?」
ここに来るまで、大層動き回っていた。一旦休憩するつもりらしい。
「入り口は塞がない方がいいと思うんだけど……」
アリアスが入り口近くにいたからいけないとでも言うのだろうか。
竜が座ったのは出入口の前。前を向いている分には幅に余裕はあるが、横を向いてもそうであるわけではない。完全にではないが、塞いでいる。
言うと、竜は分かっていないのかぱちぱち瞬く。何が?という感じ。
「何だこれは」
案の定、向こう側であるはずのない行き止まりに行き当たった人がいた。まずい。
「これは――竜か」
竜です。
「ファ、ファーレル」
このままでは外にいる人が通れないし、結果的にファーレルが怒られてしまうかもしれない。アリアスは小声で竜に呼びかけ、ファーレルを移動させようと試みる。
「ゼロ団長よ、この行動はヴァリアールじゃないのか」
「鱗の色見ろよおっさん」
「先輩と呼べ先輩と。確かに灰色じゃあないな」
「それに小さすぎる」
「子どもの竜か。これは……上から越えるか」
「登る気かよ」
「じゃあ蹴飛ばすか」
「蹴っても動かねえに決まってるだろ」
何で自主的に退いてもらうっていう間がねえんだよ……というぼやきが微かに聞こえた。
一方のアリアスは、登るだ蹴飛ばすだとかいう言葉が聞こえて、衝撃を受けると共に焦る。どうしよう。ディオンは、と先輩を無意識に探すと、そういえば一ヶ所にいると死角が出来るので違うところにいるのだった。
「ファーレル、おいで」
お願いだからと心の底から呼ぶと、ファーレルが腰を上げた。少し離れた位置で両方の手を差し伸べるアリアスに向かってのそのそと歩いてきて、鼻面を手のひらに押しつけた。
「偉いね、ファーレル」
「キュ」
押しつけられた顔を撫でて、褒めながら大きな体の向こうを覗き込んでみる。出入口は開いたはず。
「おぉ退いた退いた。まったくヴァリアール二世だな」
「二世って何だよ……」
「どうしたんだ、ゼロ団長」
「いや、ヴァルまだ来てねえみたいだから、俺はここら辺で待つ」
「そうか。ではお先だ」
竜の大きな体の向こう、入ってきたのは騎士団の衣服を纏った二人。一人は三十代半ばから四十代くらいの男性で、もう一人の方と目が合った。それはゼロで、アリアスがいるのを見つけた彼は一緒に来た人と別れてやって来る。
「おはよう、アリアス」
「おはようございます、ゼロ様」
通行を妨げてしまっていたのことがあり申し訳なさがありつつも、アリアスは微笑んだ。
こうして朝に会えるのは幸運だな、と感じる。
騎士団の医務室勤務であっても、実際には騎士団は訓練場などといった騎士団の施設に。医務室は専用の建物にと職場は別れており、医務室に来るのは怪我をした人や病人なのでゼロが来ることは滅多にない。竜の方の諸々の当番にあって闘技場に来ても、竜に乗ることを許された彼らは毎日来るわけではない。
だからこうして会えるのは、互いの予定が噛み合ったときの偶然とも言える。まあ仕事なのだが。
「今日は大人しめだな、そいつ」
「ここに来るまでにも随分はしゃいでいたので、休憩みたいです」
とはいえ、撫でて撫でてと急な撫でて攻撃が止まない。突進ではなく立ち止まってなのだが、ぐいぐいと頭を押しつけられると、気を抜けば力に後退りそうになる。
「大丈夫か?」
「今のところは。力加減を覚えていってくれるといいんですけど……これでもまだ小さいって他の竜を見る度に実感します」
城の敷地内の建物では、一体だけと建物の中ともあって十分大きいと思うときもあるのだけれど、紛れもなくファーレルは竜としては成長途中。
「こうしてファーレルが大きくなっていって、他の竜といるところを見ると、この鱗もいずれ何色かに染まるんだなって思うことがあるんです」
「ああそうだな」
撫でる鱗は、白。この色は一度、誰かと契約と呼ばれる結び付きを持ち、その人の瞳の色に染まればもう戻ってこない。
この竜が大人の竜と交流し始めて、ぼんやりと思うときがある。もったいないとかそういうのではなくて、まだ見ぬ先への感慨のような。
「どんな人を選ぶのか、とか考えたり」
「気が早えな」
「まだ先だとは聞いたんですけど、今契約していない竜の新たな契約相手になるかどうか、会わせて確かめると聞いて」
それでか、とゼロは納得したようになった。
騎士団にいる竜の中には、契約した相手がとうに引退していたり亡くなっていたりしているが、新たに誰かを選んでいない竜が複数いる。今既にこの場に降り立っている竜の中にもいるのだが、騎士団にも新しく団員が入る時期、彼らにいずれ顔合わせの機会が設けられるのだと先輩に聞いた。
毎年、毎年、新しく加わった魔法師を会わせ、確認していく。
「彼らは、すでに会っている人を相手に選ぶ可能性はないんですか?」
「俺が知る限りではないな。――竜がどんな基準で人を選んでると思う?」
「強い人、でしょうか」
こうして治療専門の魔法師と接する機会があっても、騎士団から選ぶ。
以前、エリーゼもこう推測を立てていた。
――「現在での傾向からも分かるように明らかに魔法力も身体的な強さも申し分ない魔法師を選ぶようです。そのため必然的に騎士団の魔法師を選ぶことになっているのでしょう」と。
また、現在竜と契約している者のみが団長となる理由として、竜が選ぶ人柄を信じている部分があるとか。
「後挙げるとすれば、好みだな」
「好み?」
「選ぶ権利があるのに、いくら有望そうでもいけ好かねえ奴と相棒にはなりたくねえだろ」
ゼロは笑って言った。
人にとっても特別だけれど、鱗の色を変える竜にも特別な繋がり。その通りか。
「竜は望む相手に会うとその一度、一目でそいつだと決めて初対面のその場で契約は成される」
鱗の色が変わることや常にない竜の反応で分かるという。
「今契約してねえ竜がいるのは、次自分に相応しい奴――こいつとなら一緒に戦ってもいいっていう奴を待ってる。竜の方が長く生きるからな、待つ時間もある」
その話が示すところ。同時にあることに気がついて、「じゃあ」とアリアスは空を仰ぐ。優しい色合いの青をした空からはちょうど降りてくる竜がいた。
「ヴァリアールは、ゼロ様を待っていたんですね」
力強い風を地上にもたらす竜からゼロに視線を戻すと、彼は少し虚を突かれた反応のあと、笑みを口元に空を見上げた。
「そうかもな」
今、誰かを選んでいる竜はこうだと思った人に出会った竜だ。
「行ってくる」
「はい」
灰色の竜が現れたことで、待っていたゼロは着地予定地点に向かうべく離れていった。
その後ろ姿を見て、いつの間にか完全に落ち着いていたファーレルを撫でていたが、異変を悟る。竜が降りてくるまで続くはずの、翼を動かす重い音がない。でも地上には姿はない――
「あ」
ヴァリアールは地には降りず、建物の縁に器用に降り立っていた。大きな翼を畳み、どことなく満足そう。
「ヴァル、そんなところに止まってねえで降りてこい!」
だが今日はもうゼロがいるので、すぐに怒られてしまった。
そのとき触れている頭が動いたことで側の竜を見下ろすと、ファーレルは下ろしていた首を上げて、上の方を見上げている。実に興味深そうに、しげしげとヴァリアールの方を見つめているではないか。
「……ファーレル、真似しちゃ駄目だよ」
ヴァリアール二世と呼び声高いファーレルなので将来同じような光景が増える、かもしれない。
白い鱗が何色かに染まるとき、この竜がどんな人を選ぶにしても、それは竜が心の底から選んだ人。
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