第6話 不思議な少年

 このままでは落ち着けないとアリアスは膝からはどうにか下ろしてもらって隣同士に座り、二人は話していた。

 本当に中に戻らなくても良いのかと改めて心配になったのだが、どうもゼロ本人は全く戻る気がないようだ。

 けれどあとで戻ってもらおうとアリアスは思った、が戻ってくださいとすぐに言えなかったのは一緒にいたいという気持ちがあったから。

 話の内容は戦のことなどは出てこず、他愛もないこと。今はアリアスの学園生活のことに話が及んでいた。


「模擬戦か懐かしいな」


 ゼロが学園を卒業したのは六、七年前のことであるはず。懐かしみが過る口調で彼は呟いた。


「そういえば、フィップ様にお聞きしました。ゼロ様が指揮なさっていた二年全勝されたと」

「フィップ? ……あいつ王子の護衛で学園にいたのか」


 教えてくれた王子の侍従はといえば、結構懐かしい目でというか当時を思い出す目で、ちょっと顔が青くなっていたので何があったのか気になるところではある。年に二回、つまり二年で四回共に組が同じだったそうだけれども。

 そしてそのことを教えてくれた学園での騎士科による模擬戦のときより以前、はじめて会ったときに色々ゼロについて教えてくれたときには内密に、反応が恐ろしいとか言っていたようなことを言ってから思い出した。……言っても大丈夫だったろうか。

 詳しい理由は不明であるのだがちょっと不安になって、距離がなく座っている隣を窺う。

 と、なんだか難しい顔をしているではないか。


「え、あのゼロ様?」

「ん?」

「どうかなさいましたか……?」

「どうかっつーか」


 組んだ脚に肘を乗せ、こちらを見た彼は言う。


「そりゃあ俺が会えねえ内にあいつが会ってたってことだろ? 面白くねえってことにもなる」


 会ってた、というのならば正確にはフレデリックと会って話しているときに離れたところに潜んでいるところが稀に見かけられたところがほとんど、なのだが。

 関係ないみたいに見つめられて、やっぱり距離があるとかないとか関係ないなということを感じる。

 ふわあ、と強めの風がどこからか起こり前方では広がっている大きな花壇の花びらがいくらか舞い上がる。

 がさ、と何か落ちたような遠くの茂みを揺らした音。

 アリアスは暗闇からした音に驚いてそちらの方を向いた。よくよく考えると他に人がいてもおかしくない。


「今、」


 ゼロの方に目を戻しかけていると彼もまたそちらの方を気にしているようだ。

 そこでさらに。


「……さー……」


 声が、聞こえた。

 高めの声。でも、女性の声ではない。


おさー長ー」


 誰かを呼ぶ声。

 これは真っ暗なところで一人で聞いていたら恐怖ものであっただろう。

 さくさくとした音は芝生を歩いている音、近づいてくる。


「……こちらのはずなのですがどうにも道が分からないのです。しかし上から行くときっと長に怒られるのです……」


 そのあとに不安げな顔浮かぶ呟きが続き、奥から誰かがやって来る。

 それは徐々に明らかになってくるがはじめはぼんやりした白い塊だった。すぐに、白い塊は人の形をして詳細が見えるまでに至った。

 その位置まで来て、しまったという顔をしたのは少年と呼ぶにふさわしい年頃と思われる、が年齢情報は二の次三の次四の次ほどだった。

 一対の瞳が橙。腰どころか膝裏くらいには伸びていると思われる髪は真っ白――ながら光沢があり異なる色がかかっているようにも見える。衣服も袖と他の部分の区切りが分からない、少し動いただけでさらりと流れる、上衣と下衣が分かれていない長いゆったりとした白い衣。

 不思議な色彩を併せ持つ少年。


「し、しまったのです! ……あれ……?」


 心持ち顔をずいと前に出し、少年が注目したのは……。


「そこにいらっしゃるのは……もしや」

「――お前」


 隣から言葉が発され、アリアスは目を奪われていたとき特有の感覚から戻ってくる。


「お久しぶりなのですヴィーうぐっ」

「ここで何してんだよ」


 少年がぱたぱた走ってきて立ち上がったゼロも近づいたかと思うと、手早くいきなり少年の口を塞いだ。アリアスはぎょっとしてつられて浮かせかけていた腰を一瞬止めてしまう。

 しかしながら、気を取り直してゼロの後ろにそっと近づくと少年から手を離した彼がアリアスの隣に来て腰に手を回し引き寄せる。


「いきなりなのです……」


 その間にも、アリアスは口元をさすって情けない声を出している少年から目を離せない。


「ゼロ様……もしかして……」

「ややっ、そこにいらっしゃるのは……ま、まずいのです!」


 声を出すと弾かれたように顔を上げた少年はわたわたとして来た方へ走って……転んだ。


「だ、大丈夫ですか」

「大丈夫だろほっとけ」

「えぇ……!?」


 べたっとそんなに綺麗に転ぶものかというほど顔面から転んだように見えたのだが、ゼロは素っ気ない。転ぶとは思っていなかったので今度は違う意味で驚き、容姿の驚きが飛んだアリアスを離してもくれない。

 ゼロを見上げたあと困って前方の地べたを確認すると、むくりと起き上がる白い塊。

 なぜかとても安心した。


「まあ大体検討ついてると思うけどよ、竜だ」

「……竜……」


 どんなことを考えているのか、けれど今は確実に呆れ一色で少年を見ているゼロが言った。

 アリアスはまたゼロを見上げて、すぐに不思議な少年に戻りより注目する。

 竜。それから連想するのは、鱗に覆われた巨大な身体。翼。牙。鉤爪。

 それらに反して目の前にいる『竜』は明らかに少年の姿をしている。

 しかし、橙の目は確かに彼らが持つ目。


「……人の姿をして、というのは正しくない、でしょうか」

「人側からすりゃそれでいいと思うけどな。結局人も竜も……魔族も基本の姿は変わらないってことなんじゃねえか?」


 それはそうか。人はまずとして魔族も「人の形」をしているし竜がそうであってもおかしくは、ない。

 けれど、あの巨大な身体はしていないのか。竜、として思い浮かべる身体はどこにいっているのだろう。

 まさかこの姿は幻?


「幻、とかではないですよね」

「違う。見た通り姿を変えてんだ、竜であるあの姿も持ってる」

「……じゃあ、騎士団の竜もまさか……」

「いいや、騎士団の竜は別だ。そこら辺はややこしいけどな」


 こちらを恐る恐るという動きで振り返った少年は鼻をさすっていた。打ったのか。痛そうだ。


「『竜の谷』、そこにいる竜は例外なく言えば姿をしてる」


 竜の谷――騎士団の竜に対して姿を全く人に見られたことないという『野生の竜』。彼らが、彼らの内のがあの少年であるというのか。

 まったくもって予想外というか何というか信じてはいるが、うまく全てを飲み込みきれてはいない。


「……いたいのです……」

「あんまちょこまかすんな、とっとと戻ってこい」

「ですが……そちらのお方は」

「問題ねえ」

「そうなのです?」


 ゼロが言うと小首を傾げて再度白い少年は素直にぱたぱたと走ってくる。さっきからすると転ばないかはらはらする。


「あ、あの大丈夫ですか……?」


 長い、指先まで隠れるくらいの袖で鼻を覆っている少年に声をかける。血は出ていない、と見えるがどうか。


「だ、大丈夫なのです! ご心配なく」


 小さな弟がいたらこんな感じなのかな、という感覚を抱かせてくれる。

 近くにきた少年はアリアスよりも小さかった。外見の年頃は十前後。

 まん丸大きな目はきれいな橙で、ぱちくりとする。色彩以外はまるで人の子どもと変わりない。

 知らず知らずのうちにあった、アリアスの緊張が解れてくる。


「こちらのお方はヴィええと」

「ゼロ」

「申し訳ございませんです。こほん、ゼロさまの番の方なのです?」

「まあな」

「だからご存知なのでいらっしゃるのですね!」


 ぱあっと瞬く間に笑顔が広がって、少年はアリアスとゼロを嬉しそうに見上げてくる。

 そして、ゼロ寄りに歩みを止めていた竜だという彼はとと、とアリアスの前、かなり近くに立ち止まる。


「こんばんはなのです!」

「こ、こんばんは」


 手を握られぶんぶんとひとしきり振られて、急な行動にアリアスが戸惑っている離される。一回り小さな手は、温かかった。

 にこにことした笑顔が人懐っこくてつられて微笑む。


「何のんきに挨拶してんだ」

「これは失礼いたしましたのです。いやはや『人には見られてはならぬ』と長に言い付けられておりましてあわやと思いましたが、ゼロさまでしたので良かったのです」

「良くねえだろ。……肝心の『長』はどうした」

「着地の位置がずれましてはぐれましたのです!」

「だろうな」


 ゼロがため息をついた。


「上の方までは飛んできたのですが見られてはならないため上空でこちらの姿に変えたのです。そうすると、微妙に場所が……です」


 叱られた子どものそれで言葉を濁らせた。少年が現れる前どの方向からか不規則な吹き方をした風はもしや、アリアスの解釈が正しければ竜の姿で飛んできたということで、その翼によって起こされた風だったのだろうか。


「それで、何でここにいる」


『竜の谷』におり、永く人に姿を見せていないはずの野生の竜。彼らが人里にばかりか人の多い王都に、城に来ている。


「境目の異常事態とお聞きいたしましたのです」

「境目――北部のものか?」

「はいなのです。今魔族が塞いでいるとお聞きいたしましたのですが――ゼロさまはご存知なのです?」

「塞いでることか」

「いいえ、魔族のことなのです」

「ああ、知ってる」


 グリアフル国北部、荒れ果てた地との通称を持つ土地で戦争があったのは記憶に新しい。そして、その地にあった歪なものも。

『境目』と呼ばれる『あちら』と『こちら』の境を塞いでみせたのは師だ。

「どうりで」と頭上でゼロが言った。


「ジオ様の心当たりってのはやっぱ竜だったか」

「師匠の?」

「人には塞げない、魔族にも実質塞げない。残るのは竜だ」

「以前、あの地の境目を塞いだのは実は竜なのです」

「予想はしてた」

「さすがなのですヴ、じゃなくてゼロさま!」

「お前もう余計なこと言わずに必要なことだけ言えよ……」


 鼻の頭が若干赤い少年はさっきから違う何かを言いかけて止めているように聞こえるが、気のせいだろうか。


「とにかく行くなら奥通って行け、絶対中入るんじゃねえぞ」

「ええーゼロさまも行きましょうです」

「嫌に決まってんだろ」

「長が喜ばれるのですよ。元よりあとで様子を見に行く予定だったのです」

「来んな」

「長はきっといらっしゃると思うのです」

「……こいつ無視すりゃ良かった」


 引かない様子に、ゼロが少し低くぼやく。

 そんなゼロを見上げていた少年が思わしくない様子なので隣にいるアリアスまでも見上げられる。懇願する目。


「ゼロ様……行ってあげてはどうですか?」


 そして、負けた。

 この竜が来ているのはどうも境目関係でのようだが、どこに向かうのかは不明だ。誰を探しているのかも、アリアスには分からない。ので、口を挟むことはなかったけれど。


「アリアス」


 橙の大きな目から目を離してゼロを見上げて言ってみると、手が伸びてきてアリアスの頬を撫でる。


「俺はこの時間邪魔されたくはねえな」


 屈まれて至近距離で囁かれ、涼しいくらいに戻っていた顔に熱が戻ってくる。

 だがしかし。


「このご様子を長がご覧になられるときっとお喜びになるのです!」


 すごく嬉しそうな声が割って入り、ゼロがものすごく嫌そうな顔をした。

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