第12話 寒空の下




 まるで、というよりどこからどう見ても以前のような生活になっていたこと一週間と一日が経ってしまった。


「師匠」

「なんだ」

「私そろそろ戻ろうと思うんですけど」

「まだ大人しくしていろ」


 最近会議が多いようでそう言い残し、師は魔法でその場から姿を消してしまった。

 部屋に残されたアリアスは数秒前まであった姿が視界からだけではなく部屋自体から消え失せ、置いていかれた言が一週間と一日前と全く変わっていない内容であったことに参ったな、とため息をついた。これでは師まで過保護ではないか。


 もう、一週間と一日。

 今日も塔にいる。


 一週間以上もの期間があれば師の部屋は当然隅から隅まで掃除済み。自分の部屋まで掃除して、師の部屋の近くの物置と化した部屋まで手をつけて……これ以上塔で過ごそうと思ったら冗談抜きで塔中を掃除することにでもなってしまいそうだ。


 傷は治ったことはもう言うまでもなく、身体に異変も一度も感じておらず、経過観察も十分であると思うのでアリアスが塔で大人しくしている理由もない、と思われる。

 さすがに安静が長すぎやしないだろうか、せっかくレルルカが治してくれたのに。

 心配をかけてしまうことになったことは否定しようもないけれど、今の状態ではまさに「過保護」にもここにいるようにと言う師とルーウェンを説得しなければ、とアリアスは考え込む。

 アリアスは正式な魔法師となり一人立ちしたはずなので説得というのもおかしいが、黙って勝手にはやれないという気持ちが働いていた。


「大丈夫なのに……」


 呼吸ではない深い息が口から出た。息は白い。

 師の消えてしまった場所をいつまで見ていても何にもならないとはいえ、どうしたものかと首を巡らせると窓に閉められたまま窓を覆うカーテンが目についた。

 部屋を出ていくことは決まりたが、その前にあれだけ引いていこうと歩いて行き布を左右に分け避けると、気持ちの良いとは言い難い陽光が部屋に入り込んでくる。時刻は朝なのにそこまで眩しくないのは空の状態に要因あり。


 今から何を降らせる雲なのか。空は雨雲か雪雲か、とりあえず厚い重そうな雲で満ちているもので太陽の姿は見えず辛うじて夜ではないとははっきり分かる光を地上へ届けている程度。つまりは灯りを携えなければならない暗さではなけれど、取り立てて明るくもない外の景色を生み出している。

 そんな空をガラス越しにじっと見ていたアリアスは手早くカーテンを纏めて窓に背を向け、師の部屋を後にした。


 部屋を出るとどこへ向かうとも決めずにカツンコツンと階段を不規則なリズムで一段、また一段と降りて行きながら何をしたものかと贅沢すぎる事に悩む。

 掃除。やはり掃除だろうか。いやもう掃除は……。

 以前のようにと感じている面があっても、職場関係者に会わないようにと言うと行動範囲が遥かに狭められる。やることを見つけることがまず難しいのだ。城の医務室、騎士団の医務室、騎士団自体にも近づけない。館も出入りすることがあるので行けない。

 とにかくやることがほしいと思うから、庭師の元へ行こうかと外への考えが生まれる。この時期だから温室で花を育てているはず。治療専門の魔法師も寒くなると外で育てることが難しい薬草を温室で作るが、それはまた別の場所。

 場所的にも好都合ではないだろうか。


「……そうしよう」






 外が寒いことは今日までの体感温度から明白なので、部屋の箪笥に仕舞いこんでいた厚めの赤い肩掛けをとってきて塔を出た。羽織った肩掛けは赤と言えど派手な真っ赤な色ではなく暗めの黒みを帯びた赤色だ。

 その落ち着いた色合いに並ぶ毛糸を束ねて作られた房飾りがアリアスが歩くにつれて揺れた。


 外は思ったよりも寒かったけれど目的の温室は外気が遮られ、温かくさえあった。

 庭師の仕事場である温室は「仕事場」という感じはせず、もはや一つの庭と言ってもいい。蕾が多くを占めているので今はさしずめ「準備中の庭園」だろうか。

 温室の一角は一面ピンクに染まっている。他の花より一足早く蕾の開いた花を見ると、幾重にも重なる花びらは濃いピンクと淡いピンク、外側は白く縁取られた華やかな花にここら一帯がなると想像は易しい。

 見た目だけに終わらず、香り高くもある花が醸し出すそれは香水より柔らかく瑞々しい香りでアリアスを包み込む。


「アリアス、そっちが終わったらこっちに来てくれな」

「はい」


 小さなじょうろを片手に振り向くと、たくさんの鉢を乗せた大きな籠を軽々と持ち上げる庭師が緑に遮られた方へ行くところ。

 大きな背中を見せるその庭師の名をバルトと言う。

 くすんだ薄色の茶の短髪、歳は自称老後と言うだけあって重ねているが筋骨隆々が言い過ぎではない身体つきや身のこなしは老人のそれではない。

 この庭師は庭師をしているが魔法師であり、ただの庭師と接していれば聞けば驚くこと間違いなしの元青の騎士団団長という経歴を持っている。現在青の騎士団団長をしているルーウェンの、前の団長。


「助かった助かった」


 アリアスが言われたことを片付けて異色の経歴を持つ庭師の元へ行くと、何やらしゃがみこんでいるバルトに手招きされ傍らにしゃがみ込むと早速手伝いを頼まれて十分。

 いくつも重ねてある鉢を複数個とって並べて土を入れていっていると、正面ではなく斜め向かいにいるバルトは笑いながらすっかり充実した庭師生活が垣間見える事を話す。


「今年は温室が増築されて広くなったばかりでな、冬の間にとつい色々と手を出して追いつかない忙しさに自分で追い込まれかけていたところだった」

「そうですよね。あの先は前にはなかったと思っていたんです」


 外見では特には何も感じなかったのに、温室内に入ってみるとかつては壁でなかったと思う先が広がっていると感じた。気のせいだろうか、とすぐに作業に集中していたのだがやはり違和感は当たっていた。温室はいつの間にやら変化を遂げていたのだ。

 新しく建てるのではなく増築と言ってもそれなりに長い時はかかるはずなので、アリアスが正式な魔法師として城に戻ってきたときには何かしら動きはあったと思われる。

 しかし。


「お前さんとこうしているのも久しぶりになるか」

「そうですね」

「私が引退してルーウェンよりもアリアスに会う機会が増え、勝手にのんびりおじいちゃん気分に浸っていたら魔法師になったんだからな」


 アリアスは今年は職場にいっぱいいっぱいで、それより以前はほとんど学園にいた。長期休暇の際に何度か来たくらいか。


「バルト様がおじいちゃんはもったいないですね」


 とても素敵で立派な方であるから、アリアスのおじいちゃん気分とは恐縮なくらいだ。


「久しぶりにお会いできて、手伝いもできて嬉しいです」

「こんな爺に言われるにはそれこそ嬉しいことだ」


 庭師はかっかっかっと大きく笑ったのでアリアスも笑顔になった。



 バルトは現在は庭師としているが、それまでは騎士団の団長であった。アリアスが会うことになったきっかけは騎士団に混ざっていたルーウェン繋がりであり、もっと会い接するようになったのはバルトが団長と騎士団を引退して庭師になってからである。

 元からの人柄で他の庭師と仲良くなり、見た目から想像できない手先の器用さと植物の扱いの繊細さによりずっとその道を歩んできたような庭師になったバルトは庭に来たアリアスをいつも迎えてくれていた。


 庭師の元へ行こう、と思い立ったアリアスは他にも庭師はいれども元からピンポイントにバルトを訪ねようと考えていた。肌を刺す寒さの中職場に近い道と人気のある道を避けながらも迷いなく足を進めて温室へ行くことは成功した。あとはバルトを探すのみ……というところでアリアスは気がついてしまったことがあった。

 学園に行っていることを言い魔法師になったことも知っているバルトに会えば仕事はどうしたのかと訝しげにされてしまうかもしれない、と。

 単に仕事場に繋がり薄い場所を選べばいいのではなかった。そこにばかり思考が傾いていたけれど、仕事をしているはずの時間にそれら以外の知り合いに会って怪しまれることも危ないのだ、と。これではもうひとつの場所として考えていた図書館へも行けないし本当に塔にいるしかないのでは、ひとまずバルトに会うのは得策とは言えない、と目的の庭師に会う前に実は去る結論に至っていた。


 が、今アリアスはバルトと温室内にいる。


「塔だけで過ごすには限度があるわなぁ」


 団長職から退き庭師になった今もそれなりに情報を耳に入れられる立場にあるらしく(曰く「引退と言っても形ばかりにしかさせてくれないものでな、困ったもんだ」)、なんとこの庭師は起きた事を知っていた。その上で引き返しかけたアリアスをちょうど目ざとく見つけ、声をかけて引き止めて軽く具合を尋ねられて、仕事に関しては何も言わず温室に招き入れてくれた。


「ジオ様も中々に過保護なところがある」

「師匠に過保護はあまりしっくりこないんですけど……」


 そう見ざるを得ない状態か。

 師に過保護は当てはめられないアリアスは師は何を考え自分を留め置いているのだろうと内心首を傾げるが、分かるはずはない。


「ずっと塔にだけいたんだろう」

「少し外にも出ましたけど、そうです」

「何をしていたんだ。掃除か?」

「掃除です」

「ジオ様の部屋か」

「そうです」

「やはりな!」


 バルトはまた笑った。

 アリアスが昔からジオの部屋を片付けていることは知っているのだ。最近はそんなに本は散らばっていない変化は起きているがそれは置いておいて、変わらないことをしていたことに笑えたらしい。


「掃除くらいしかやることがなかったんです」

「そうだろう。今まで掃除だけで過ごせたことに感心だ。塔中の掃除でもしていたか?」

「まさか、さすがに」


 全ての鉢に土をいれ終えたタイミングで差し出されたバルトの手から、手のひらで花の種を半分受け取る。

 どんな花が咲く種なのだろう。


「紫色の五枚花が咲く」


 小さな種を一つ摘まみ上げていると向かい側の庭師が教えてくれた。彼が種を持っているともっと小さく見えるのは手のひらが大きいせいである。

 庭師というより言われると納得の大きな体つきをしたバルトは以前は剣を持っていた手で種を一つずつ丁寧に土の中に落として、そっと土をかける。

 アリアスもそれに習い土の満ちた鉢の中に種を。


「アリアス、お前さんが他にやることがないのならいつでもここに来てもいいんだ」

「いいんですか?」

「もちろんだ。むしろ私はこの機会を逃すわけにはいかないな!」


 かっかっかっと大きく笑い声を温室内に響かせるバルトは大いに笑った後に「まあそれもあるが」と続ける。


「ルーウェンがお前さんがここに来るかもしれないと言ってきたこともある」

「ルー様が……?」


 手を止めてバルトを見ると、その庭師は手を止めずに頷いた。

 そうか、兄弟子が。と種を植える作業に戻りながら考える。時間をもて余して、考えた結果ここに来るかもしれないと読んでいたのだろうか。


 何かしていたい。ぼんやりとはしたくなくて、何か。

 掃除というずっと今も続けてやる機会があって意外と流れ作業になりやすい作業ではないことも望ましく、人と違う他愛もないことを話していた方がいい気がした。

 そんな理由もあってアリアスは仕事に早く戻りたいと思っている。慣れてきたとはいえまだまだ一日一日が飛ぶように過ぎて行くと思うから。

 けれど戻ることはまた禁じられて、今日はここに来てしまった。


 それに、とずっと胸にあり続ける気がかりと言うべきか、わだかまりと呼ぶべきもの。


 ――仕事に戻れば自然とゼロと顔も合わせるはずだ、と思う。顔を見るだけでいいから見たいと思うのはアリアスの我が儘極まりないことだろう。


 前に会ってそれきりになったのは、アリアスが目が覚め部屋を飛び出したとき。

 抱き締められる腕の力が、声が案じてくれていたと分かった。けれどその後、サイラスのことを話し始めてから感情を押し殺したような声を出したゼロ、あのとき言ったことはきっと彼に言うべきことではなかった。そのあとのルーウェンの様子からしても、なおさら言うべきではなかった。

 ゼロに会ったとき、確かにアリアスは混乱の最中にいた。混乱の最中にいて自分に起きたことを考えるのが苦しくて必死で口は否定して、でも、ゼロも苦しそうだったのではないか――


 せめて顔を見たい。

 顔を見て言うべきことに見当がつかなければもっとひどい心持ちになってしまうかもしれないけれど、彼の声が様子が頭から離れなくて。

 結局何をしていても変わらない。会話をしているとき、作業に集中しているときは考えないけど全てが止まったそのときに全てが戻ってくる。





 昼過ぎになり温室を出た。

 一度塔に戻っておこうと思ったためであるが、持っていけ持っていけと何やら試作で咲いた珍しい花をもらってしまった花束状にした小さな花を抱えた状態。実にすっかり庭師である、とアリアスとしては元々庭師としてのバルトの記憶が多いけれど思ってしまった。

 作業途中で置いていた肩掛けを羽織り直して出た外は数時間の内にもっと寒くなった感じがしたのは温室にいたからかもしれない。

 と、思って速やかに塔への道を急いでいるとふいに視界を過ったものがあり下気味だった視線を周りの景色に、同時に意識が向いた。立ち止まり止まった視界をまた何か。その動く『何か』の正体を追って下ではなく生まれる方を見上げた空は様相を変えていた。


「雪だ……」


 白いものが上から下へと落ちていく景色。

 雪が降っていた。

 寒い寒いとは感じていたけれどいよいよそんなに寒くなっていたとは、空を覆っていたのは雪雲だったらしい。とうとう王都にも雪が降る季節の深みに入ってきたよう。

 息を吐くと朝頃よりも白さが増して見えて、雪を降らせる空を見上げていたアリアスは歩きはじめる。



 その足が塔に着く前に止まったのは、足が凍りついてしまったわけではない。誰かに物理的に止められたことも、呼び止められたことでもない。


 積もるには至らないだろう淡い雪がちらちらと視界に入っては下へ消えていく中、身体を凍えさせる冷たい風が一際強く吹いて、雪の流れが変わり斜めに。

 風に咄嗟に視界を閉じ、また開いた視界には風に煽られた花から花びらが一枚散った。天気のせいか色褪せて見える景色に鮮やかな花びらが過ったあと。


「ゼロ様……」


 錯覚ではなく今一度目が捉えたのは、塔の壁に寄りかかる軍服の立ち姿。

 紛れもなくゼロその人が現れたアリアスに気がつき、口が動いた。名前を、呼ばれたのだと思う。

 ゼロは壁から離れて、こちらへ歩いてくる。


 アリアスは動けなかった。

 前に会ったときが会ったときだったので会うことが怖かったとか、不意討ちで近づき難いとかいうことでもなく、単に足が動かなかった。

 寒空の下、誰を待ちそこにいたのかなんて自意識過剰でもなんでもなくアリアスにだって分かる。

 一体いつからいたのだろう。アリアスが塔から出てゆうに五時間は過ぎている。彼には仕事があるからそんなに長い時間はそこにいなかっただろうけど。


「どうして、」


 こんな寒い中。最初に思ったまともなことはそれで、自分でもそこではないだろうと思う。

 それに言葉が途切れて、これではどうしてここにいるのかという冷たい言葉にも聞こえてしまう。

 アリアスがそんな状況に対することだけを考えている間にも歩み寄って、近づき、距離を詰めたゼロは、


「会いたくなって、耐えられなくなった」


 アリアスに目を合わせて、手を伸ばした。

 こんなに寒いのに頬に触れた手が温かくて、胸がわずかに苦しくなった。ゼロがあまりにも穏やかに微笑むからかもしれない。久しぶりに会って、前回とは正反対の様子で。


「冷てえな」


 ゼロはそう言って優しい手つきで頬を撫でる。


「こんな日に外に出たら身体冷えるだろ」

「ゼロ様だって、外じゃなくて中で」

「俺はいいんだよ」


 灰色の目は穏やかで。

 少しだけ落ちた沈黙の後に、寒い気候に関する何てことはない日常会話は終わりを告げる。


「色々考えてた」


 降る雪のように静かな声音。

 アリアスも色々考えた。でも、答えが出なかった。


 降る雪はアリアスとゼロの間にも落ちて消えてゆくけれど、アリアスは花を抱えたままゼロを見上げていたし、ゼロもそんなアリアスを見つめるままだった。


「話したい」


 けど、とゼロは逡巡する様子で「ゆっくり話してえから」と続けもした。

 仕事があるのだろう。その合間にここに、アリアスに会いに来てくれたのだ。塔にいれば良かっただろうか、と今さら考える。


「アリアス」

「はい」

「夜、会おう」


 はい、とアリアスはもう一度返事した。








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