第11話 懐かしさ




 二日間は完全に塔の部屋のベッドにおり、その間にレルルカが腹部の傷を治してくれた。彼女が直々に治してくれたのは、おそらく事を出来るだけ広めないためだろう。医務室ではなく塔に運ばれたのもそれゆえであるようだったから。



 色々考えた。考える時間はたくさんあった。

 突如の痛みと衝撃と共に視界を暗転させられた出来事の後、起きた直後からサイラス自身の意志が混じっていたことを拒絶するためにと言っても過言でないために忙しなく動いていた思考は落ち着いていた。

 全て聞き尽くし考え尽くし、憶測は悪いもので正確な答えは出るはずがないのだから落ち着かざるを得なかったというのが真実だ。

 ――サイラスのことは、待つしかない。

 考えても何も答えは出ない。師に言われたことを受け止めるしかなかったのだ。この時点で考え続けることは、無駄に等しいと。




 *





 安静にしているように言われたアリアスは治療を経て傷が完全に塞がった日を含めた二日間のベッドから離れない完全な安静を終え、――ジオの元にいながら彼が塔の部屋にいるため塔からほとんど出ない生活をしていた。

 仕事に、戻っていない。


 これには理由があり、実は当初アリアスは怪我も治してもらい後には何も身体に問題はなくなったということで仕事に戻ろうと思い、治療専門の魔法師の制服に着替えてジオの部屋に顔を出して言ったのだ。


「師匠、怪我も治していただいたことなので私、戻ろうと思います」


 と。

 ほぼアリアスの中では決まっていたことで報告だけの気持ちくらいで来ていた。

 しかし、ジオから返ってきたのは「却下」だった。要約するまでもなくそのまま却下。

 執務机の前に立っていたアリアスはその意を理解することが少々遅れ、聞き返すにも少々遅れが生じた。


「……何でですか?」


 そうとしか聞きようがなかった。

 机を挟んで椅子に座っているジオは背もたれにもたれひじ掛けに肘を置いて無表情のままにこう述べる。


「しばらく、と言っただろう」


 前回アリアスが師の元へ来たときのことである。師は「しばらく安静だ」と言ったのではなかったか。


「でも怪我も治って、もう大丈夫なんですけど……」


 大丈夫、に込めた意味は怪我のことであり『事』についてぐちゃぐちゃだったままに師などに色々言ったことも含まれている。傷はなくなり、頭もそれなりに整理がついて取り乱すことはない。それならば支障のなくなったアリアスがすることは一つ、できるだけ早くに復帰することである。

 だがこれにもまた。


「大丈夫かどうかは俺が判断する。お前はしばらく俺の元にいる、それで話も通っている」

「通っているって、どこに」

「そこら辺だ。お前がいなくて怪しむだろう場所にはレルルカから適当な理由をつけて言ってあるだろう」


 ここでもレルルカだ。

 今回の件がそんなに広く知れ渡っているとは考え難いのでわずかな層にはアリアスがジオの元にいることが、そしてそれ以外の人たちにはアリアスがいない理由がつけられ言われているということか。

 治療専門の魔法師を下から上に上に辿っていくと最終的にはレルルカに行き着くので、治療専門の魔法師であるアリアスの仕事場に彼女から順々に理由が伝えられることは一番妥当だ。

 そういう感じでアリアスが関わっている騎士団の医務室と竜の育成関係の方に彼女が何らかの理由をつけてくれているということで……そういえばアリアスが姿を消してしまったここ数日のことも一体どのようにして誤魔化したのかとの疑問に行き着いた。


「つけられた理由の内容を聞いてもいいですか?」

「知らん」


 知らない、だと。

 思わぬ返しに何も返せなくなったことは言うまでもない。レルルカのことだから下手な理由はつけないに違いないのでその辺は安心してもいいはずだ。

 とのアリアスの自己暗示さておき。


 どのように誤魔化しているのかは結局知るには至らなかったものの、「しばらくいない理由はつけられている。大人しく従っておけ」との言葉で無理矢理締められた以上のやり取りを経て、アリアスはベッドから離れて二日目である本日も塔のジオの部屋にいるのである。




 しかしまあやることがない。

 現在進行形でアリアスはジオの部屋の掃除をしている。本棚の上から埃を落とし本の上をはたき床に落とした上で隅から隅まで掃き掃除をしている今、掃き終えたあとは拭き掃除に移るべきか、物置と化している他の部屋も掃き掃除の手を伸ばすべきかそれとも通路を掃くべきかとけっこう小さなことで悩んでいた。それ以外にこれといってやることがないのだ。

 考えている内にも掃き終わり隅までつついた埃は中々の量で塵取りにゴミを集めたアリアスは部屋を出る。


 ジオは部屋にはおらず数時間前に魔法で飛んでいってしまった。おそらく城だと思われるのは、他に移動するべき場所は思い当たらないからだ。


 けれども別にアリアスにやることがないのはジオがいるいないから来る問題ではない。

 ジオいたならば机にある書類が処理されたりなんかするかもしれないが、実際処理済みはでてきたのだがアリアスにはその役目は回って来なかった状態。

 では書類はどうなっているのか。ジオが魔法で移動させているのだ。

 そこでアリアスは自分が学園に行き正式な魔法師となり運ばなくなってから、書類はどうしているのかとよくよく考えると……魔法で飛ばしているという事実が発覚。師は何十年も最高位にいるというのだから元々こうしていたのだろうと思われるが、もっと他に方法があると思うのだ。魔法をほいほい使う以外に。

 それに今アリアスがここにいる状態だからそれくらいやるのにと当然思うも、しばらく不在なのにどこからどう情報は行き交うか予測は不可能、知り合いに顔を合わせるわけにはいかないので不用意に仕事場付近に出歩くことはできないとの事情が顔を出した。


 よってアリアスにはやることがなく、頭を振り絞り考えた結果この際に完璧に掃除をしようと思い立ち現在の行動に至っている。


「……何か、懐かしいかもしれないなぁ」


 次はジオの部屋の拭き掃除に移行することに決めて降りる塔の階段、ぽっかりと空いた窓からは夕日に染められた外が見えた。

 すぐに通りすぎて壁に遮られた景色は以前にとてもよく見ていた景色、塔で寝起きしていたから毎日のように見ていた景色だ。

 行き来し慣れた階段を降りて、箒を手に。

 こうして師の部屋の近くに一日中ずっといると、学園に行く前の生活に戻った気分に包まれる。

 正確に言うと今は知り合いに会うわけにはいかないので塔にばかりいるけれど、館に手伝いに行くこともあったり庭師の元へ行くこともあった日々。職にもついておらずただ師の弟子として毎日のようにジオの元へ行き片付けをしたりしていた日々の一日のよう。

 最近の日常となっていた決められた仕事があるのではなく、やることを見つけていたけれど時間に追われることはなかった。



 アリアスはもうサイラスのことについて何も聞くことはなくなった。ジオも長く同じ部屋にいても一言も何についても触れなかった。師はいつものように喋らないときには全く喋らないものでたまに喋っても他愛もないことでそれがなおのこと懐かしい気分を助長させる。

 ゆっくりと時間が流れ、穏やかで何も悩む必要はないみたいな錯覚に陥りそうなほど。


 アリアスの視界で夕日の色が差し込むのは窓からではなく、扉の隙間。一番下まで着いた。


「拭き掃除しよう」


 この機会を大いに利用しなければ、と景色に馳せていた意識を戻して外に出た。






 箒を雑巾に塵取りをバケツに持ち替えたアリアスはバケツの二分の一ほどまで水で満たして塔に戻ってきた。人の姿がひとつ。


「ルー様」


 塔の入り口の前に軍服姿のルーウェンが立って待っていたもので、アリアスは慌てて小走りに彼の元まで行くと「走ったら転ぶぞ?」と言われた。その注意は子どもにするものだと思われるが、水が入って手ぶらにない重みがあるバケツを持っているからだと解釈することにした。


 兄弟子はアリアスがベッドにいたときも、昨日もそして今日もだから毎日来てくれていることになる。

 背の高いルーウェンを見上げると、緩い笑みが口元にある彼は一度上まで行ったらしい。


「いなかったから外に出ているのかと思ってなー。今日は何をしていたんだ?」

「師匠の部屋の掃除をしているんです」


 どうにもアリアスが出た少しの時間の間に来たのですれ違いみたいなことになったようだ。

 戻ってきたアリアスは今から拭き掃除の予定で水を満たしてきたところ。するのなら城の方の部屋もしたいのは山々なのだが……という考えは置いておいて簡単に答えると、ルーウェンは「あー」という納得したような声を出してバケツを見て、


「水は冷たいだろうに」


 と若干眉を下げて言った。

 季節は冬、木の枝に葉はなく朝夜を中心にぐっと体感温度は下がり昼間でもめっきり寒くなった。そろそろ雪が軽く散ってもおかしくはない気温に比例して風が吹けば冷たく、水も冷たくなっているので、どれほどの冷たさかはお察しである。

 今も陽が落ちかけているのか薄暗く感じる外は寒い。


「持つよ」

「あ、」

「中に入ろう」


 さっとバケツを取り上げられて、上ることは慣れているからと「大丈夫です」に類する言葉を言う前にルーウェンは中へとアリアスを促して塔の中に入れてしまった。


「これから寒くなるばかりなんだから身体を冷やさないようにしないといけないぞ?」


 雑巾もバケツにかけているからすっかり手ぶらになってしまったけれど、言葉に甘えることにしたアリアスはそう言いながら促すルーウェンと階段に足をかけた。

 そうして二人で階段を上っていく。


「こうしているのは何だか懐かしいなー」


 ルーウェンが隣で本当に懐かしそうにした。

 彼も同じ事を思ったようだ。城や騎士団の訓練場ではなく塔でこんな風に歩くのは久しぶりと言えるから。


「ルー様」

「うん?」

「私はいつ戻ることができるんですか? 師匠は具体的な日数を言わなかったので」


 まさか全て解決するまで、とか言わないだろう。

 前を向いてゆっくりと一段ずつ階段を上り続けながらも尋ねると、ルーウェンは「うん」とまた一度言い、こう続ける。


「時間をもて余してしまうかもしれないけど、しばらく安静にしておいて欲しいんだ」

「傷はもうないですよ……?」

「そうだな。それでももう少しだけ」


 もう少しだけ。


「師匠も言っていることだし。経過観察みたいなものだから」


 ルーウェンの運び方が安定しているのかバケツの中の水が揺れる音はせず、二人分の階段を上る音だけが響く。

 懐かしいと言ったルーウェンも話の中身に目を瞑れば声音も表情もまるで穏やかだから、実にのんびりとした以前の空気が漂ってくる。から、アリアスが少し隣を窺っていたけれど兄弟子はすぐに視線に気がついた。


「どうしたんだ?」


 何でも言ってごらんというような問いかけ。


「あの、ルー様」


 出そうと思っている事柄上、遠慮がちな呼び掛けになった。

 その様子に違和感を覚えたのだろうか、ちょうど一階分の階段を上ったところでルーウェンは立ち止まりアリアスも立ち止まる。向き合うに近い形に。

 を口にすることに迷いを感じていたアリアスは待ってくれているルーウェンを前に、見上げ、青い瞳に優しく見られ、ようやく再度口を開くことができた。


「ゼロ様のこと、なんですけど……」


 予定していたよりも小さな声となって言おうとしていたことは出た。名前を声にしただけで手がスカートを握りしめてしまい、意識して手を離す。

 見上げた先では、アリアスの声をいつでも上手く拾うルーウェンの表情はあまり変わらなかった。


 塔で目覚めてからジオとルーウェン、それからレルルカ以外には会っていない。もちろんあれきり、ゼロにも。


「あいつとは目が覚めてから会ったんだろう?」

「はい」

「俺がアリアスの目が覚めたって聞いたのはゼロからだった」


 それであんなに大きな音が立てられてドアが開けられたのだろうか。切羽詰まったみたいな、そんな感じだった。ベッドに座ってぼんやりしていたときに兄弟子が入ってきたときのことを思い出した。


 アリアスの前から立ち去ったゼロはあの後ルーウェンにどのような顔で教えたのだろうか。いや、アリアスが見ることができなかった顔はどのようだったのだろう。

 一度口を閉じていた兄弟子は一言「ゼロは」と言い区切り、もう一度同じ言葉から話しはじめる。


「ゼロは事が起こったときかなり怒っていたからな。ただ怒っていた、じゃ済まないくらいに」


 ルーウェンはまるで、アリアスが気がかりに感じていること。前に会ったときのことが引っ掛かっているのが分かっているように知っているように話しはじめた。

 そうだ、ゼロは怒っていた。でもアリアスが「怒り」を感じたときそれは自分に向けられていたと思っていた。けれど本当は違った――?


「実は、アリアスを最初に見つけてサイラスさんと相対したのはゼロだったんだ」

「そう……なんですか」

「うん。相当な量の出血だったから、本当にあいつ――」


 不自然に言葉は切られた。ルーウェンが口をつぐんだのだ。

 しかし続きを言うつもりはないようで、アリアスを落ち着かせるような優しい眼差しを注ぐ兄弟子は言う。


「大体想像はつくんだ。アリアスが何を言いゼロが何を言って、そんな風な表情をしているのか」


 兄弟子が身を屈めたことにより近くなった澄んだ瞳に映るアリアスは、不安が隠しきれておらず頼りなく見えた。


「でも、ゼロも今は落ち着いている」

「……」

「会うか?」


 会いたい、とは思う。

 その反面で会って何を言えばいいのか、言いたいのか分からない。だって真っ先に思いつくことは謝ることだけれど、それは少し違うだろうと思うから。

 そちらの気持ちの方が勝ってしまったことでアリアスは何も答えることはできなかった。


「そっか」

「……ルー様」

「うん」

「ゼロ様は、」

「ゼロも悩んでいた」

「悩んで、ですか……?」

「うん。ゼロの様子が怖かったか?」

「いいえ、ただ、ゼロ様は私に怒っていたんじゃないかと思って……」

「アリアスに怒っているわけじゃないんだ。それは確かだ」


 怒っている。今も、ということ。

 ゼロが怒っているのは――


「時間が解決してくれることもあるから、急ぐことはない」


 思考をゆっくりと遮ったのはルーウェンの声、だった。

 聞き心地のよい声は耳にすんなり入り、頭に入ってくる。青い瞳が、本来なら見上げなければならないのに、同じ目線にありこちらを覗き込み語りかける。


「本当に整理がついて会えそうだったら、俺に言っておいで」


 決して急かさない優しさに満ちた言葉を囁いて、青い瞳は離れていった。






「上がろう、師匠はもうすぐ戻ってくると思うから」

「……はい」


 窓から見えた遠くの空はいつの間にか灰色の雲に覆われていた。







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