第2話 感情の種類、在り処
前々章『王家の秘密と逃亡者』編33話「覚悟の理由」のルーウェンとゼロの話の続き。回想。時間を行き来してすみません。
まだ、ルーウェンが地下の封じを直す前。思わぬ方法があるとは知らず、部屋に訪ねてきたゼロと話していたときのこと。彼が抱えた思い。
「家族」の示すところ。
前半がルーウェン視点。後半がゼロ視点。
――――――――――
***
ゼロが一回聞いておきかったことがあると切り出してきた話の内容は、彼がそれ以上続ける前に分かった。言動が、兄弟子としては行き過ぎていると感じていたのだろう。
だから後に何か収まりの悪いものを残したくはないと思い、ルーウェンは言った。
「俺は――アリアスのことを妹だと思っている。それに間違いはない。でもそうだな……たぶん俺の見方とアリアスの見方は異なることも間違いない。そしてそれが恋情に変わることは一生無い」
少しややこしい言い方にゼロが何か言う前に、ルーウェンはそっと息を吸った。
「俺とアリアスは、おそらく半分血が繋がった所謂異父兄妹なんだ」
同僚にして「妹弟子」の恋人が目を驚きに染め、息を飲んだ様子が音無き空気に表れた。
その前で、ルーウェンは少し笑む。
「兄妹……?」
「おそらく、だけどな」
「――いや兄妹って、……じゃあ何でアリアスはあんな他人行儀な呼び方してる。じゃねえ、ちょっと待て」
「アリアスは全く知らないことなんだ」
相当混乱している。ぽんと聞いた兄妹という言葉に大分衝撃を受けたことは手に取るように分かった。
そうだよなぁ、とルーウェンは思う。誰もそんな突拍子もないことを、ルーウェンとアリアスに対して疑ってかかる人なんていない。兄弟子と妹弟子。誰が疑う。
ルーウェンの兄弟は公爵家が次男の一人。それ以外にいるとすれば、世間的には公爵の隠し子か何かになってしまう。また、実はルーウェンと血が直接繋がる王の血筋側を辿れば王の隠し子に。もちろん、そのどちらも違うが。
「ゼロ、話ついでに頼みがあるんだ」
「話ついでって何だよ。全然話終わってねえぞ」
「俺から話したからには最後まで話す。その代わり、俺がいなくなったらしっかりアリアスのことを守って欲しい」
「何、言ってんだ」
「まぁ、お前が守らなくても師匠が守ってくれるだろうけどな」
「そういうこと言ってるんじゃねえよ。――そんな面して話はぐらかすなよルー!」
胸ぐらを掴まれた。怒気を弾かせた男の顔と正面から向き合わされる。
――ああそうだ、守ってあげたい。危なっかしくて仕方がない。とても大切で、大事な妹弟子だ。
その事実が、今の状況でありありと甦り出会ったときのような心地を抱かせる。自分がいなくなるという出来事をアリアスに降りかからせるのは、彼女が幼い頃に経験したことを思うと残酷なことだろう。
「俺も墓まで持っていけばいいのになー……」
そこまで弱っているつもりはないのに、困ったものだとルーウェンは弱々しく笑った。
堪えられない部分があった。どうか妹弟子を――妹がこの先辛い顔をしなくてもいいように、自分が守ることができなくなっても大丈夫なように頼みたかった。来たのがゼロでなければこんなことも言わなかっただろう。
少しだけ息を吐くと、息が震えていた。
ルーウェンは、落ち着くために目を伏せた。
「大元のきっかけは、俺が自分の出自を知ったことだった」
ルーウェン=ハッターの実父はこの国の王である。ルーウェン自身はエドモンド=ハッター公爵を父、夫人を母として育った。しかし実の両親ではなく、実父が別にいれば実母もいるはずだ。
ルーウェンが物心ついたときには実の母親は側におらず、顔さえ見たことがない。気にしたことがなかったのは当たり前。母は母だと疑うべくもなかった。
真実を知った日から幾日。事実を受け止め、幾日。――何年。
既にジオ=グランデという魔法師に師事していた。
「もう深くは考えないでおこうと思っていたことで、実際考えずに過ごしていたのに、ある日急に――本当に急だったんだ。母親を見てみたいと思ったことがある。育ててくれた母を母だと思っている。血が繋がっていないと言われても過ごしてきた時間と事実は変わらない。父上もそう言った。でも気になることは当然のことだと思うな。会いたいとは言わない、顔を見てみたいと思った」
育ててくれた親には後ろめたい思いがあったが、単純な考えとして生まれてきたこと。
実父が王ならば、叔父甥の関係なので会ったことや言葉を交わしたことは何度もある。実父だとは現実味が湧かないことは、別問題だ。ルーウェンが自分の中に真実を秘めていく以上、これからも現実味を帯びることはなく、現実味を帯びる必要はない。――このような考えをする辺りは、彼は大人びていたと言えるか。
では、実母とはどのような人なのだろうか。
興味本位と言えば興味本位。何も会って責めようとかいう考えは全くなかった。単純な思考。どんな人なのか。
師に弟子入りする前に、父公爵と話をすることになったとき事の詳細は聞いたが、人となりは聞いていない。そのときは自分のことで精一杯で、気にかからなかった。
だがこれ以上、その話は父とするつもりがなかった。聞くわけにはいかない。
しかし幸いにもか、弟子入りして行動は身軽な一方で独自に実母の居場所を探すとしても手立てがない。出来るだけ話題にしてはならないことで、話題になることもないのであれば直接聞く他ないが、直接聞くことはあり得ない。
すると師が見かねたのか、教えてくれた。「国の南部、小さな――ケサルという名の町。その町に、お前が会いたい者が町を出ていなければいるだろう」と、師は続けてちょうど『春の宴』が迫る頃合いだからついでに連れて行ってやろうとも言った。
「会いに行くことになった。結果的に会うことは叶わなかった。というよりは、途中からそのことは忘れていた。それどころではない光景が広がっていたからな」
その年は雨季でもない季節に、激しい風で荒れ狂った雨が降り続けており、山の道は土砂が崩れ寸断されていたのだとか。大雨にも関わらず行ったのは、この豪雨で道が塞がれているとなると困っているのではないかと山を越えればあるはずの目的地に、気が逸っていたせいもあった。
小さな町に着く前に、小さな女の子と会った。
「そこでアリアスと会った」
それまでより強い風が不自然に吹き荒れ、師が風を無理矢理に止め、進んだ先に地面に蹲っていた小さな体。揺さぶられ、到底平常ではなくなった感情で、魔法を身につけておらず外に出したこともなかったであろう身の内の魔法力だけを放出していた。
後に『妹弟子』となる少女は、全身雨に打たれ、泥だらけで、――前に立った師を見上げた目の淀みにルーウェンは衝撃を受けた。
「前に言ったな。アリアスのいた町は住民が流行り病で亡くなってしまっている。俺は師匠と、途中で会ったアリアスと共に町に戻ったが誰一人助けられなかった。そして、亡くなった人を埋葬する際に分かった。俺とアリアスの母親は同じ人だった」
そのときに最初は何をしに来たのかを思い出した。
産みの母は流行り病でとうに帰らぬ人となっていたのだ。
そうか、この人が。とあのときどんな思いを抱えたのかは複雑すぎて、十年以上前とあってはっきりとは覚えていない。ただ亡骸を前に見知らぬ人の死に悲しみを覚えるか、産みの母として悲しむか、全く分からなかった。
ぼんやりとしたルーウェンの傍らには一人置いていかれて絶望を瞳に涙を流す女の子がいた。「一人にしないで」、「行かないで」と消えていく町の人たちを前に、震え、悲痛に訴える。
小さな子どもが、今まで周りにいたであろう人々の死を感じとり、いなくなってしまうことを受け入れなければならない事態はとても歪で、苦しくなった。ルーウェンがその子を抱き締めると、全てをなくした小さな手がすがりついてきた。
「たった一人生き残った女の子が痛ましすぎた。側にいてあげたいと、守りたいと思ったその子が偶然にも血を半分分けた妹だった。すごい偶然だろう?」
産みの母は既に故人。完全な確認が出来ない以上は推測に過ぎない。
父親が王である可能性は無い。実際、小さな女の子が父だとすがって泣いていた男性は茶の髪と目、町の人々と同じ服装をした人。
兄妹であるならば、異父兄妹。けれど推測で十分で、あまり関係なかった。
「守り抜きたいと思った。守らなければならないと思った。この子を一人にしてはならない。
そう思ったとき、もちろんアリアスが意図したことではないにしろ『家族』という概念に揺れ、無闇に飛び出した俺に一本柱を通してくれたんだ。それだけで見える世界はかなり変わる。――騎士団に入ることは、血の繋がりがある家族も生まれてからずっと育ててきてくれた家族も、新しく出会い、大切になり一番側で守りたい家族も全て守ることが出来る道だ。大切なことに変わりはないんだ、全部。そう思えるようになって、流れで目指した魔法師として、騎士団で生きる意味ができた」
妹弟子が本当に血の繋がった妹なのか、真実を確かめることは今となっては叶わない。だがそんなことは関係なかった。守ってあげたくて、守りたい存在であることに代わりはないのだから。
「アリアスは全く知らないことだ。俺が勝手に知っているだけのこと」
自分もまた、本人には伝えない何かを持つことになるとは思ってもいなかった。
*
はじめは好きなのだろうと思っていた。そうだとしてもおかしくはない距離と、言動。しかし違う。大事なのだ。単に、大切にしている。
――道理であんなにも誰にも向けたことのないような顔をする、とゼロは納得した。
全てを話し終え、「だから守りたいんだよ」と言った友人に「だったら尚更生きろよ!」と怒鳴ったのはそこそこ記憶に新しい。
ふざけるな。それなら尚更側にいろ。過保護結構もう何も言わない、だが今回の過保護だけは許さない。馬鹿じゃねえのか……等の発作的に次々と浮かんだ言葉は実際にぶつけることは避けた。
結局、遥かに穏便な方法が成功し、ルーウェンは無事だったから良かったものの……。本気で死ぬ覚悟を決めていたことに間違いはないので、泣いたアリアスがルーウェンの部屋に入っていく様子を見て、聞いた話を思い出して考えるところがあった。
もっと記憶に新しいのは、「それでいいのか」と聞いた別の日のこと。城の地下の境目の件が一段落した後。
もしかするとアリアスは異父兄妹だと話してきたのは、その可能性が高いからだ。今のままでいいのか、という意味合いで訊ねた。
すると恋人の「兄弟子」は虚を突かれた様子を一瞬だけ見せた後、笑った。
「俺はこれでいい。今こうあれることさえ奇跡の産物だと思っているからなー」
奇跡だと言葉にする声色はまさに今ある時間、環境を貴く思っているようで、
「何を望む? これ以上、今以上。この上ないほど良い関係が築けているのに。十分じゃないか」
「幸せ者だよ、俺は」と心の底からそう思っていると感じたからゼロは口をつぐむしかなかった。心の中では馬鹿じゃねえのか、と呟いた。救いようのない「兄弟子」だ。
この男にとって、本当に兄妹かどうかは二の次なのだと悟った。もちろん軽い要素でもないだろう。しかし「守るべきもの」と定めたことが第一の要素にして、最大の要素。一度そう思ってしまえば変わらない。
それはゼロがアリアスを好きになり、底が見えそうにないことに、近いようで遠い。感情自体も。
はっきりと分かる。
――ゼロが望むことと同じで、ひたすらに害悪から遠ざけること。優しく包む。「妹弟子」への、過保護と称される行動。恋人に対するには恋慕がなく、完全な他人に対するには重い。一度「守るべき」と認識した対象に対する、純粋なる愛情であった。
深刻な事態を越え、アリアスのこと頼まれたと残った事実だけは頼むに足りうると認められたと受け取り喜んでいいのか、ということだけがゼロの悩むべき事項に残った。
それ以外は聞かなかったことに出来ようもないが、他言はしない。
「お前、馬鹿だろ」
でもやっぱりそれだけは言っておいた。
――――これが、いつのことか。一ヶ月経っていないのに、こんなことになるのはどうかしている。
ゼロは、ルーウェンのアリアスへの過保護の一因を知ることになった。思い以外の確固たる理由が、そこには隠されていた。
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