第16話 脅威
「サイラス=アイゼン自身の意識は少しも残ってなかったか」
「いえ、さっきは少し……」
さっきはあった。危険さの合間間違いなく
「でも、殺せって」
「……あいつ、それアリアスに言うとか馬鹿かよ」
ゼロは舌打ちしそうに苛立ったように言った。
「どっちにしろ理性の浮上は当てにしねえ方がいいな。攻撃魔法無しか……団体戦のせいで普通の剣しか持ってねえが、何とかやるしかねえか」
ぼやいたゼロは腰に帯びていた剣を一瞥、背後のアリアス達に告げる。
「今すぐここから離れろ」
「攻撃魔法無しでなんて」
ゼロは、攻撃魔法無しで戦おうとしている。
アリアスには、竜の少年とゼロがしていた会話の意味が分からない。けれどそんなことが可能なのだろうか。
「こういう時のために魔法封じは持ってる。これ打ち込んでから後は考える。セウラン、結界魔法使っとけよ」
「は、はい。アリアスさま、隠れますです」
「絶対様子見ようとか思うな」
強く禁じる口調で言われ、アリアスはゼロに見えていなくとも頷く。
「アリアス」
「はい」
「あれはアリアスの知ってるサイラス=アイゼンじゃない。あいつの意思じゃあねえようだが……そう思ってくれ。――行け」
セウランに手を引かれてすぐ近くの曲がり角を曲がり身を潜める直前、ゼロが杭の形をした魔法封じを取り出すところが見えた。
視界は、それきり壁に阻まれた。
「ここで待つです」
人の使う魔法よりも清廉な光がセウランから発され、アリアスも包む。これが竜の結界魔法。似ているようで異なる。
曲がり角を曲がった通路からは弾けるような音が聞こえてきはじめたが、見えないから始まった戦いがどのように推移しているのか推し量ることは不可能に近い。
アリアスから見える壁に魔法が激突し、崩れた。
「ゼロ様……」
手を握り締める。すぐそこで戦っているのに、もどかしくて心配で仕方がない。
いつになく余裕が無さそうなゼロの様子は、それほどまでに対峙する者の危険さを物語っているようだった。
大丈夫だろうか。サイラスのあの様子。
攻撃的で、危険な雰囲気。
――「今度こそ見境なく殺すことになる」
持ち上げたセウランを害そうとしていた彼が、一転して
あれはアリアスの知っているサイラスではない。
その変化は、魔族の魂を持っているからなのか。飲み込まれたとゼロは言った気がする。
竜の魂を持ち、特有の炎を操っていたことを見たことがあるようにその面を持っているゼロ。
魔族の魂も人間の元に紛れて来るのかとかいう、この期に及んでは些細すぎる疑問はすぐに思考の彼方へ。
魔族。その面が人に移るとすれば――以前に見たことがあり、一生記憶から消えそうにない魔族は争いを好み、人間を生き物とは思わない扱いをしていた。残虐で、残酷な赤い眼差し。
サイラスがあのようになるとでも言うのか。いや、今までの、アリアスが見たことのなかったサイラスの変化がそれから来ているのなら……。
「……終わったのです?」
セウランの声に意識が急激に引き戻されると、無意識の内に目を強く瞑っていた。
横を見ると、セウランは壁に沿ってじりじりと進んで曲がったところの通路を覗こうという試みの途中だった。
言われてみると、確かに静かになった。
魔法のぶつかり合うような音や壁に魔法が当たり破壊される音、視界にも壁に当たる流れ弾が来るような気配がない。
耳を澄ませてみると、代わりに固く、壁に何かが打ち込まれ壁が震えるような音がする。
「とりあえず全部打ち込めばしばらく効くだろ。……まだ動きは鈍い方ってことは、完全じゃねえってことか……そうだとしても猶予はねえな。おいセウラン」
「は、はい! もう出ても良いです?」
「ひとまずはな」
見えない位置からの許しが出た途端飛び出したセウランの後ろから、アリアスも出る。
通路には砕け、大きさが不揃いな壁の破片が散らばっている。ゼロは通路の中ほどの位置におり、その横の壁にサイラスがいた。
一所に止まっているからか身体と壁を伝った血が地面に流れ、一つにまとまっていく。
「見るな」
視界を身体で遮られ、見上げると近くに来ていたゼロは多くは言わず首を振る。顔に一筋浅いとは言い難い傷が走り、傷の長さ分血が頬に流れている。
「ゼロ様、怪我」
「あー、一発くらいかすっただけだ。問題ない」
本当に一発かどうか。ゼロにはそういう点を誤魔化す傾向があるから。問題ないと言うゼロの顔に手を伸ばして魔法力を注ぎ込み、治すと「
「今からこいつをここから離す。どうにかするにしろここには一般人もいるからな。それでだ、悪いが頼みたいことがある」
「何ですか?」
「アーノルド様にこのことを伝えてきてほしい」
「アーノルド様に。……分かりました」
「席にいるだろうから、セウランに」
奇妙な音が、鳴った。
「――ゼロ様、後ろ――」
ほぼ同時。
アリアスがゼロの背後の動きに気がつき声を上げることと、ゼロが振り向きかけること。それから強烈な光が視界を奪ったこと。
大きな破壊音が間近からした。
目を瞑り、地響きが起こるようなとてつもない音を聞いたアリアスは急な動悸に襲われ、早く周りを見なければと瞼を上げるけど、急には目は慣れてくれない。
やがて何度も瞬きながら目を開いたそこに――ゼロがいなかった。
「ゼロ様……?」
そこに、たったいままでいた――はずの姿が前に続く通路の先にもないのは、単にそれだけの話で済むはずがない。
違和感を覚えて左手を見ると壁に大きな穴が空いていた。作られた通路を関係なしに壁をぶち抜いている。何だこれは。この短い間に何が起こったと……さっき聞いた音は壁が壊された音?
ゼロが立っていた、ちょうど横。
アリアスは抱いた予感のままに、たった今出来たばかりの道に向かって走り出した。
「アリアスさま! 待ってくださいです!」
後ろから声がかけられても、振り向くことはおろか返事もせずに、瓦礫に足を取られそうになっても走り抜ける。
その先に広がった地上が陰り、周りが薄暗くなったのは、雲が太陽にかかってしまったから。
破壊された壁の方向は闘技場の外ではなく、試合が行われる中の方。
静かだった。何が起こったのか、アリアスと同じように、もしくはもっと理解が追いついていない観客達はいないかのように静か。
無理もない。
開けた場所には、試合中にあったのだろう騎士団の者たちが倒れ、全て地に伏していた。互いに入り乱れ、剣を交わせていた者たちが一瞬で、倒れていたとなれば何が起こったか目を疑うというもの。
武術大会の片隅で起こっていたことの渦中にいたアリアスだってそうなのだから。
壊された壁と散らばる壁の一部が途切れ、会場との間に隔てるものがなくなったところで足は止まった。
視線は一直線。
騎士団の者たちが倒れ伏しているその先、その奥。アリアスがいる場所の反対側、向かい側の壁を見て絶句した。
「そ、……な……」
遠目からでも分かるくらいに壁には大きな亀裂が入り、中心にいるのはゼロ。どれほどの力で打ちつけられたというのか、ゆっくりと地面にずれ落ちた。
「酷いのです……」
後から駆けてきたセウランの声は信じられないものを見ているような、そんな声だった。
瞬時に起きた立場の逆転。人の多さにも関わらず未だ静寂が続き、崩れ落ちる壁の音がやけによく聞こえる。時間が止まったようにも錯覚しそうな空気だが、壁の崩壊の名残がまだ続いていることが時が止まってなんかいないことを示す唯一。
反対に、周りと同じく壁にもたれかかる人が動かないことに心臓が波打つ。
――こんなの無茶だ
背後からの、砕かれ、不揃いな石同士が擦れ合う音もよく聞こえた。
顔から、全身が強張ったアリアスがそちらを見ると、後ろからサイラスが崩れた壁の瓦礫を越えて来る。真っ直ぐ、同じ無理矢理に作られた道とは言えない道にいるアリアスに向かって歩んでくる。
コン、とサイラスから何かが落ちた。視線で追うと、転がったのは杭。ゼロが持っていた魔法封じ。
注視すると、サイラスの身体にはまだ刺さっている杭がある。それがどういう仕組みか詳しいことは知らないにしろ、形状上刺してその働きを発揮するはず。
効いていない。光景が様変わりする直前、感じたのは大きな大きな力だった。
見るなとゼロが言ったのは杭を刺すという方法を取っていたから、常人では目を背けたくなるだろう有り様を見せまいとしていたのだ。
しかし杭での傷も他の傷も何もかも物ともせずに、縫いつけられていた壁から離れて足を前に出す者の紛うことなき赤い瞳が異様に、爛々と、煌々と光る。
アリアスには、完全に以前に見たことのある魔族と姿が重なって見えた。黒が、まとわりつく。
「全部、全部壊してしまえばいい。空気、土地、全て壊せ」
知っている声が作る言葉は、狂気としか思えない。本当に同じ人、同じ声かと疑ってしまう。疑いたい。
場違いにけたけたと声をあげて笑う邪気にまみれた笑い方もまた、面影はない。
「どうすればいいの……」
このままではゼロが。
「あ。お、起きられたのです!」
服をぐいぐいと引かれて言われたことに、反応した前方では動く者がいなかった場所で動く者がいた。
ゼロは立ち上がったが、頭を打ったのだろうか手で頭を押さえている。彼が動いたことにほっとしたのもつかの間、依然として悪い状況は変わらない。後ろには絶対に止めるべきであるサイラス。
背後にサイラスが迫るアリアスを見つけたゼロが何かを、言う。
すると手を掴まれ、アリアスが掴んだ人物を
周りに多く人が出現――アリアスは人のいる場所に現れていた。周りの人々は見る限り軍服、つまり騎士団の団員たちで、移動した場所が騎士団の待機場所付近であるらしいと、何とか把握できた。
「向こうに出ようと思ったのですが少し、ずれたのです。あまり使い慣れない魔法です……」
アリアスの手を握り、魔法で移動したのは傍らにいた竜の少年の他にはいない。
「魔族には勝てませんです。離れろと言われましたので、魔族の前に結界魔法を張り、移動して来ましたです」
そう、ゼロはさっき「離れろ」と言った。
あの状態ではアリアスは離れなければならなかった。そこでいち早く意を受けたセウランが魔法で移動した。
「急に何が起こったんだ」
「なんで全員倒れているんだ。何が起こったのか誰か見てないのか」
「一瞬でって……魔法は禁止のはずだろ。一体誰だよ」
「いや、今やってたのは魔法師騎士団の試合じゃないはずだぞ」
「あれ、団長じゃないか?」
徐々にざわつきが大きくなる周囲は、アリアスとセウランに注意を集めるどころではない。
会場を覗ける窓はあっても、人が詰めかけて彼らの後ろに出たアリアスには様子がちらとも窺うことができない。
「行こう」
このままじっと遠くで見ていることが最善だと知っていても、出来ない。行く先はもちろんゼロのいるところ。
セウランは大きく頷いた。
一度離れ見えなくなったことが意外な効果をもたらしたか、アリアスは焦燥がある一方で混乱はある程度にまで収まっていた。
落ち着くまでは至っていないけれど、起きたことをやっと受け止められたような気分。
異変は人に人に伝わり、誰もが手近な窓をに詰めかけている。その後ろを人の間を通り、アリアスは前に進む。
「……あの魔族は、きっとこれに引き寄せられていたのです」
人がどんどん少なくなってきたところで、走りながらセウランが呟いた。
幼さが強い横顔は、同じ年頃の子どもができるとは思えない懸念と真剣さが伝わってくる表情。
「サイラス様が……これって?」
「ここで行われていたことです」
「武術大会に?」
「はい。この地はとても平和なので、争いのにおいはしませんです。しかしここで行われていたことは、本物の戦ではないにしろ『戦い』は『戦い』なのです。魔族は争いが無ければ自分たちで争いを起こしますが、争いのあるところに魔族がいると言ってもいいほどに争いに引き寄せられますです」
「……争い」
師に聞いたことがある。
魔族という存在。その概念と言えるだろうということを、師はこう述べた。
「魔法と争いが、魔族の本質」
「そうです。ですがそれには一つ、足りないものがあるです」
争いとほぼ同等なのですが、とセウランは前置きし、まずアリアスが口にした二つをなぞる。
「魔法、争い」
それから。
「血、なのです」
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