第40話 知らない間に全ては成る





 漆黒の髪にほぼ全身黒の服装の師は、正反対の色に染められた世界に驚くほど映えた。


「どしたの、二人とも……誰? というかあの人……髪の色!?」

「とても偉い方だから指はささない方がいいわ」


 目を凝らしたマリーが直後、目を見開いて前方に盛大に向けた指をそっとイレーナが包み込む。


「えらいひと……? それよりあんな色見たことな――」

「アリアス、わたしたち先に行っているわ」

「……あ、イレーナ」


 黒髪の男がアリアスの師であることを知っているイレーナは、アリアスに用があると捉えて言葉通りにマリーを連れて先に行ってしまう。何が何だか分かっていないマリーが目を白黒させているが、イレーナに引っ張られていく。

 その二人の姿を、アリアスは一人立ち止まり見送ることになっていた。


「師匠……?」


 何はともあれ、師がここにいる理由は何であろうか。

 同僚の背中を見送っていた視線を戻してみても、消えているはずのない見間違いようもない姿。

 アリアスがいる前に現れたということは、アリアスに何かしらの用があることは予想される。

 歩みを止めていたアリアスは、場所が念頭にあるからか違和感が強い師の元へひとまず近寄っていく。周りを確認しても幸いにも寒い外に他には誰もいない。

 空間移動の魔法で現れたと思われるジオの方からも歩み寄ってくるので、いくほどもせずに間の距離は一メートルほどに。


「師匠、どうかし――」

「終わった」


 師の吐く息は白く染まらなかった。

 主語がなかったその言葉が何を示して言っているのか、予測する前にアリアスの思考は止まった。


「一時間前、ルーが地下の結界魔法のかけ直しをした」


 はっきりと述べられ、明らかにされたことは真っ直ぐに耳に飛び込んできた。


 しかし、受け入れられるかどうかは別問題であり、呼吸が凍りつき、目の前が真っ暗染められ、足元が定かでなくなる。意思とは関係なしに地を足で踏みしめている感覚が薄れてゆくので、感覚が感じられない中で踏ん張ろうとする。

 どうしても最悪の結果が頭を駆け巡る。まさか、もう、アリアスが知らない内に――


「ルーは生きている」


 弾かれたように顔を上げた。


「生きて……? 終わったって……」

「ああ終わった。五体満足、命に別状はなし、今のところ重度の疲労があるくらいか」


 ジオは肯定して、さらに淡々と挙げ連ねる。


「詳しいことは省くが、簡単に言えば魔法具で補い封じをさせた。成功率は保証は出来なかったが、結果的には成功した。とりあえずルーは無事だ。今後封じのための魔法力を注ぐことにはなっても命を落とすことはない。――理解出来たか」


 アリアスは、師を見つめたまま動きを止めていた。

 地下の境目、封じるための、結界魔法。

 前に聞いていたはずの話では、ルーウェンの命まで必要な方法。それゆえにアリアスは酷く動揺して、でも何も出来ないからその未来を怖がることしか出来なかった。

 ゼロの言葉で少しだけ落ち着いて、信じる努力をしながら、やはりアリアス自身は普遍的な日常を過ごしていた。

 詳しい状況の流れが何も分からない時が流れ、流れ、過ぎて……。



 理解出来たことは、たった一つの事実。すでに全てが終わり、そして、ルーウェンは生きている。

 ――生きている。


「……本当……ですか…………?」

「ここで嘘をつく理由が見当たらんな」


 師は実にそう思っているみたいに言い、すんなりと言外に認めてみせた。


「……し、しょ……」

「泣くな。……これだから餓鬼はいつまでも餓鬼だと言う」


 勝手に涙が出てきたのは、止めようがない。

 いきなり涙を溢しはじめたアリアスに、ジオは呆れたようになりながらも、アリアスの頭に手を乗せる。撫でる動作には至らず、ただ落ち着かせるように手の重みをかける。


「急くなと言うのに、どいつもこいつも先走る。俺が遅かったことは否定はせんが、仕方がないだろう」


 見上げる涙に濡れる目から、微かに決まり悪そうに目をそらした。

 その様子でアリアスは確信する。師は方法を考えていたのだ。ルーウェンが生きられる方法。ゼロが言うように、部屋に籠って文献をまだ読んできたのには理由があった。


「確実ではなかった。不安を拭ってやれずに悪かったな」


 手が乗せられた頭を、アリアスは振る。

 師はそういう人である。

 悪いことであれば、アリアスが分からないくらいにずらして教え、真実を言わない。もっと言うと、勘づいていなければ、そのとき聞かなければ何も言わない。ここ数年見られた傾向では特に。


「ルーは部屋にいる。行くなら連れて行ってやるが、どうする」


 アリアスは顎を引いて、返事に代えた。







 ルーウェンがいるのは、城の部屋であるようだった。

 ジオの魔法で飛んだのはルーウェンの部屋、出た空間にはルーウェンの姿はない。おそらく隣の寝室となる部屋にいる。

 その部屋の扉がちょうど開く。


「ゼロ様」


 出てきたゼロはアリアスがいることに一瞬の驚きを見せたものの、黙ってアリアスの頭を軽く撫でて入れ違いに出ていった。


「俺は戻る」


 師もそう言って、魔法でその場から姿を消したので、アリアスは突然部屋にぽつりと一人。

 前には、閉じられた扉。

 兄弟子は扉の向こうにいる。生きて、もう、いなくなってしまう心配のなくなった兄弟子。

 深呼吸して扉を指で叩いてノックすると、返事がある。その声に、一旦涙の止まったはずの目が熱を持ち、微かに震える手をドアノブにかけるまでしばしの時間を要した。


 そして、開けた扉の向こうの部屋にはルーウェンがベッドに横になっていた。

 部屋に訪ねてきた人物が入ってくることを待っていたルーウェンは、入ってきたアリアスの姿を認める。


「アリアス?」


 アリアスの視界で、名前を呼ぶ人の姿が揺らいだ。


「ルーさま……」

「うん」


 ルーウェンは見るからに具合が悪そうな、弱々しい様子で、引き寄せられるようにしてベッドの元に覚束ない足で来たアリアスを迎えるように身を起こそうとする。


「起きなくて、いいです」


 師は重度の疲労があると言っていた。

 起き上がる動作さえ重労働のように見えて制したけれど、ルーウェンはゆっくりと上体を起こす。

 やはりそれだけで疲れたように息をつく。


「アリアス、ここに来てくれると嬉しいな」


 示されたのは、ベッドの上のルーウェンの横。

 アリアスが言われた通りにベッドに腰かけて見上げると、腕がゆっくりと伸ばされてくるところだった。

 柔らかく、抱き寄せられた。


「ごめんな、アリアスがどう思うか分からなかったわけじゃないのに」


 少しもたれかかるようにアリアスを包み込んだルーウェンは、小さく言った。二人以外には他に誰もいない室内で、その距離にいないと聞こえない小ささ。


「会わなくてごめん。師匠から別の方法を聞いた後に会う機会はあったんだ。でも、俺は全てを成してから会う方を選んだ。不安にさせてごめん」


 兄弟子はアリアスが何か言う前に、何度もごめんと口にする。


「ルー様、」

「うん」

「ずっと、どこ、いたんですか」

「あー……ちょっと別に部屋を借りて、そこにいたんだ。――俺の部屋に来たのか?」


 アリアスは無言で頷いた。

 そっか、とルーウェンは呟いた。


「……怖かった、です」

「……うん」

「ルー様、いなくなってしまうのかと思って、」


 とても怖かった。

 彼自身にはどうしようもないことだったとは分かっているけれど、だからこそ、抗う道が残されていなかったことが怖かった。


「ごめん」


 また、彼は謝った。

 あまり力の入れられていなかった抱擁の力が強まる。


「たくさん不安にさせて、会わなくて」


 腕の中で見上げると、ルーウェンもアリアスを見た。涙が伝うアリアスの頬を大きな手で包むように、撫でる。


「ごめんな。アリアスと会うと、俺は生きたいと思うと思ったんだ。アリアスにどんな顔をさせているか思いをさせているか、俺はそれに向き合えるのかと思うと一旦心の準備をしようと思っていて……って今言うと言い訳になるな」


 兄弟子は、生きたいと思っていたのだ。そのことにアリアスは安堵を覚えた。

 その一方で、今だからこそ彼に直接聞かずにはいられないことがある。


「……どうして、ルー様は……死んでしまうかもしれなかった役目を、受け入れられたんですか」


 考えても考えても、分からなかったこと。師の部屋でルーウェンは彼自身の過酷な役目を知った上で微笑んだ。

 振り絞るようにして問うと、ルーウェンは「うん……」と言ったっきり少しの間黙った。

 彼の目の青は、穏やかな色をしている。


「境目を封じ直さないと、想像出来ない悪いことが起きる世界になってしまうかもしれないだろう? だからだったかな」


 微笑んで言うけれど、自分が犠牲になった後の世界を考えられるものだろうかとアリアスは不思議でならない。


「でも、もうどこにも行くことはないよ」


 そう、全ては終わり、ルーウェンは生きている。

 師の言葉を借りるに、『五体満足、命に別状はなし、今のところ重度の疲労があるくらい』絶望に染められていた未来が覆された現在、過去のことをこうだどうだと言うのは無粋というものかもしれない。

 そもそも耳に入る言葉に涙が止まらなくて、時間が経つにつれて勢いが強まりつつあることあり、それ以上は何も言えなかった。

 安堵した言葉も責める言葉も全部、全部、いてくれるなら、もう良かった。


 優しい青色の瞳、顔を見て確信を強固なものにしたいのに、よく見えなくて、確かにそこにいる存在に手を伸ばす。


「アリアスからこんなに抱き締められるのは珍しいなー」


 ルーウェンが緩い口調でそんなことを言うものだから、ぎゅうぎゅうと目一杯力を込めてやった。




 *







 隅々まで力を搾り取られたように、ルーウェンの身体は重く、指を動かすことも億劫となった。酷い熱を出したときのようであり、しかし体は熱を持っていないからどこかちぐはぐな状態だ。


 ――地下の境目を封じるために、崩れ続けている柱に手を触れさせた瞬間、やるべきことを悟った体が勝手に結界魔法を作り出した。崩れる柱を補強するがごとく、結界魔法が実態を持ち、柱となる。より太く、頑丈に。境目を閉じ込める檻となる。

 今までやったこともなく、こんなやり方が実在していたことさえも知らなかった。本来触れられる実体がないはずの魔法力が形となったような柱の形成。

 自分でやって改めて、特有の結界魔法を体現したかのような色をした柱が、やはり魔法そのものなのだと分かる。

 柱が結界、柱が魔法力で出来ている。

 この柱が形成されるために莫大な魔法力が必要らしい。目に見える形となってしまっている境目を閉じることにもまず力が必要であり、また境目を外に出さないようにする檻を、出来るだけ長く結界を持続させるためには当然だろう。前の封じがされたとされるのは、少なくとも百年以上は前。それほどの時をしのごうと思うと――――朽ちかけている柱を生成に着手しはじめていたルーウェンは柱の中に清く光る『魂』を見た。

 そしてその魂と


 ――そのとき、ルーウェンはなぜこの封じを一人でしなければならないかの真実を知った気がした

 『人柱』。

 力は魂に宿る、と師は言った。

 この柱の、この封じの芯は魂なのだ。元々の原始的とも言える、他のものに頼らない方法にも関わらずもつのは、魂があるから。封じは長く長くもつと最中で知る。


 ルーウェン自身も魔法力が注がれる中、『魂』までも引きずられそうな部分を感じており、身体が踏ん張ってどうにかなるものではないのに、その場に残ろうとしていた。

 開きそうな境目だけを閉じる。そして最低限だけ柱を形成し、柱を補う魔法力は魔法具に任せる。


 本能が為すがままになっている中でも身構え続ける。何もかもが取り込まれてしまいそうで、いっそ身も魂も任せてしまえば後は勝手に為されるだろう。

 けれど、ルーウェンは絶対にそうはしないと決めていた。

 良いだろうというタイミングも直感的にわかり、渾身の力で魔法を断ち切った。

 途中で中断したことで、再度柱が崩れるか消えるか、何かしらの不具合が起きる――ことはなく、前以て魔法を込めて設置していた魔法具が働き、柱に魔法具からの魔法が流れていることを確認出来た。

 その時点で立つ力が失われ、崩れ落ちながら魔法具の働きを目視で確認、柱はひび割れることもなければむしろ輝きが増していく。魔法具は正常に、ルーウェンの役目を引き継いだ。

 先程直接ルーウェンが柱を生成していたときと比べるとゆっくり、細い木に一枚一枚表皮が被さっていくように魔法は厚くなっていく。

 目の前の光景を目に映すルーウェンは、とんでもない師だと最初に感想を抱いた。

 魔法具を産み出した人間よりも魔法具作りを極めている師の魔法具は、実物を見るとさらに複雑怪奇なものだった。それは広がるとされていた未来を覆した。人間ではない師だからこそ、出来たものなのかもしれない。

 複数の要素があって出来る方法――まさに、そうだった。

 どこか呆気なくもそのようにして境目の封じ直しは無事終えられた。




 力が吸いとられて行く生々しい嫌な感覚が、全てが終わった今も残っている。身体の力が入らず、脱け殻にでもなった気分だった。

 自らの内に魔法力がろくに感じられないことから、魔法力が失われており寿命も縮んだのではないかとろくではないことを考えていた。その反面、生きている現実を思えばそれでもいいかと思った。

 いかな後遺症が見つかっても、今には変えられない。



 幼い頃に逆戻りしたようなあどけなさが残る寝顔を見るのは、いつぶりになるだろうか。

 胸元にもたれかかるアリアスを見下ろしながら、ルーウェンはぼんやりとする。

 生きているなとここにいられるのだと、瞼の裏に青白い光の残像が残るルーウェンはやっと実感できたようになっていた。

 泣き疲れてしまったのか、押しつけられる力がなくなったと感じたかと思うと、アリアスは目を閉じていた。寝ている。

 昨夜あまり眠れていなかったのか、最近寝不足だったのか……先程の様子を見ると明らかだ。

 さっきまではどうにか動けていたことが嘘のように怠くて仕方ない感じに戻ってしまったため、ルーウェンはクッションに背を預け、どうにか動かした指先でアリアスの頬に触れる。


「……そうだな。俺が泣かせるって何をしているんだか」


 よもや自分がこんなに泣かせる日が来ようとは、と子どものときにだって滅多に泣くことはなくなっていたアリアスの泣き顔が甦ってくる。

 これは、一生刻まれそうだ。


 苦笑しながらも、この時間が愛しくて仕方ない。

 この上ない心地よさに浸り、ルーウェンは瞼を下ろした。









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