第9話 前日のお決まり話





 武術大会もとうとう明日に迫り、その間だけは闘技場に変わり、竜が来ることはないようにされている円形の建造物は会場となる準備が進められていた。

 騎士団の医務室の者も明日のために怪我人治療の環境を完全に整えるべく来ていた。

 この建物の中にこんな部屋があったとは。と、アリアスは外からの一直線の通路と竜が降りる広い場所にしか立ち入ったことがなかったため、違う建物に来たような気分になった。

 周りを珍しそうに見渡している十分な時間はなく、早速指示により隅々の清掃から医務室と変わらない環境にするために一斉に始まった作業は、半日もかけることなく終わった。


 多めに投入された人手で準備を終えて騎士団の医務室の建物に戻ると、廊下や備品室等、怪我人を治療する部屋以外では楽しそうな会話があちこちで交わされている。


「今年の個人戦の優勝候補は青の騎士団の……」

「でも今年は……」


 笑顔でしきりに話題にするのは、もちろん明日の武術大会のこと。


「前もってお休みを取れば一部の人は観戦できたみたいけれど、一番新人のわたしたちがそうするわけにもいかないわよね」

「まぁ武術大会は今年だけじゃないし、休憩時間も交代交代であるから悲観するほどじゃないよ」

「そうね。それに治療係になるからずっと楽しんでいられないって分かっていて、武術大会自体初めてではないのに、心が浮わついてしまうわ」

「うん、近づくにつれて楽しみになってくる」


 わくわくするとでも言えばいいのか、そんな気持ち。

 朝から早くに始めた武術大会の準備が終われば、これまでに打ち合わせはこまめに少しずつされていたから、最終の確認を後に残して今日も通常業務に入る。

 武術大会用に持っていった塗り薬の補助用の薬草を選別する手も無意識に軽く動くようだ。


「ね、聞いた?」


 薬草の入った篭を手に同じテーブルに滑り込んで来ながら話しはじめるマリーは、何やら嬉々とした様子。


「何の話?」

「エマさんがお付き合いしてる人って騎士団の団員さんなんだって」

「そ、そうなんだ」


 エマさんは、先輩と一口に言えど二十四歳くらいの先輩だ。


「それでね、今年武術大会に出るみたい!」

「それは嬉しいことでしょうね」

「うん。初めてみたいで、勝ち進めるといいなって言ってた。それでね、試合の前に白い花を渡すつもりなんだって!」


 言い切ったマリーは最早興奮気味。


「白い花……武術大会についてくる恒例行事のことね」


 戦の前に恋人の無事を祈って送られていたとされる白い花。その真似事をして、出来たものが、武術大会の裏で恋人間で交わされる清廉な光景。

 それを思い出したらしきイレーナの「あれって元になったものは戦のときにされていたって聞いたから、二年のことがあってどうなったかと思ったら、続いていたのね」との小さな呟きは、マリーには届かず、アリアスにのみ届いた。


「素敵ね」

「素敵でしょ! 羨ましい! あたしも今頃には誰かを捕まえてる予定だったのに!」

「捕まえるって……」

「捕まえるって言っても、余程腕が立つ人でなければ武術大会には出られないでしょ」

「この先を見据えてだから!」

「どこまで先?」

「『春の宴』くらいまで?」

「……今年? 短いわね。それにもう武術大会と関係ないじゃない」


 強い意気込みを見せるマリーが加わると一気に騒がしくなったテーブルは、仕事中であるのに注意されない。

 今日は雑談に寛容な日だ。


 魔法師騎士団の団員と騎士団専属の医務室の魔法師が付き合いに至ることはよくあるそうだ。他の職場と比べて騎士団とその医務室は接点が多いから、納得といえば納得。そのため他の催事のときよりも武術大会のときは特に空気が浮わつくらしい。

 元より、城で行われるにしては身近な催事ということもあるのだろう。一部のみならず全体が楽しみにする空気で包まれている。

 しかし、その中でも全体的な話題となると限られてくる話がある。恋人の話という個人的で一部の部類を除くと、例えば個人戦の優勝者予想だったり、団体戦もであったり――注目の参加者について。


 昼休みになって食事を摂りに食堂へ行く。

 人の話し声でいっぱいの室内も、すれ違い様に洩れてくる話の内容は明日に控えた武術大会のことのようだった。


「アリアスは午後は竜の方?」

「うん。武術大会のときは当番は入ってないけど、ちょうど今日は入ってて……」


「やっぱりルーウェン団長よ」


 イレーナと食事を乗せたトレイを持ち、空いた席に座ると同時に、横の方から洩れてきた会話。


「個人戦もいいけど、騎士団と言ったらもう、あの若さでの団長じゃない?」

「そうよねー」

「ルーウェン団長、今朝偶々すれ違うときに挨拶したら、笑顔で挨拶を返してくれたの」

「ルーウェン団長だから当たり前よ。……でも良いわよね……」

「あんな人を完璧って言うのかもしれないって思うのよねー」

「公爵家のご子息、団長、格好良いしもう文句なしよ」


 感嘆の吐息混じり。

 話しているのは二十代と見る女性たち。


「兄弟子さん人気株ね。ルーウェン団長だから当たり前かしら」


 こそっと小声で囁かれ、イレーナを見るとアリアスの兄弟子がルーウェンであることを知っている彼女は茶目っ気のある笑顔を覗かせた。


「もしかして、聞き飽きている?」

「……うーん、飽きてるっていうこともないけど、これまでに聞いてきたことはあるかな」


 慣れもあって反応するつもりなんてなかったのに、近くから飛び込んできた名前にとっさで黙ってしまっていたアリアスは、気を取り直してスプーンを手に取った。


 この時期は城のどこを歩いてもどこからか広まるとでも言うのか、自然になのか同じ話題になる傾向にあるから、兄弟子のことを耳に挟むことも何年か前からはしばしばだ。子どものときは単純にあちらこちらで色んな人に名前の出されている兄弟子に、目を丸くしたり、自分のことではないのに驚嘆されている内容が誇らしく感じていたものだ。

 大人になるにつれ、彼女たちの目や声音にうっとりとした熱を見てとったわけだが。


 複雑な気持ちは一切無い。むしろルーウェンを改めて観察して、それはそうかと納得した過去がある。贔屓目なしで、彼は人を引きつけるものを元から持っているから。

 それに、注目される位置にあれば、名前が出ることも当然となる。

 聞き飽きることもなく、耳に挟む度にすごいなぁと染々と感じることは年々変わらない。


 言っている間にも、すぐ近くの会話は若干の変化をしていた。


「でもいくら身分が関係ない結婚が多い魔法師でも、公爵家の方だと高嶺の花っていう印象は取れないわよねえ」

「それでもあっちの騎士団だと魔法師じゃない貴族の子息が多いから、そう考えると自由結婚が出来る分元々庶民のわたしたちには望みはあるじゃない?」

「そうね」


 そんなことはあり得ないと言外にありありと載せながら、言って楽しそうに笑う。

 ときには冗談混じり。


 武術大会のときが特別なのではなく、この手の話は普段からちらほらとされている。何もルーウェンに限らず、この人と喋った、あの人がこうしていたと話すのは日常会話の一部だ。ちなみにこういった種類の会話を尽きる様子なくするのは、比較的若めの魔法師たちで、今広範囲で一気に聞かれるのは武術大会の影響が大きい、と思う。

 それにしても、今は冗談でも相手が高位貴族をはじめとした貴族生まれで、話している方が身分として言えば庶民であるのは、魔法師ならではの会話とも言えるだろう。


 ――兄弟子にはそのような相手はいないのだろうか。今まで浮かんだことのなかった疑問があらわれた。


「……そういえば……」


 スプーンがスープの中に沈んだ。

 今さらすぎると言えば、今さらすぎるか。

 ルーウェンの接し方――アリアスにとっての兄弟子の存在が昔から不変すぎて互いに歳は重ねているのに、アリアスの中でそのその考えが出てきたことがなかった。

 ルーウェンにその影がないせいでもある。いや、単にアリアスが気がついていないだけという可能性は高い。

 でもまあ、とスープを口に運びながら、たぶんルーウェンが共にいようと思う人は『良い人』だろうなと訳もなく思った。


「な、何? イレーナ」


 短時間で自己完結していると、向かいにいるイレーナに見られていることに気がついた。

 イレーナはにこりと可愛らしい笑顔を意図的に深めた。


「突然真剣な顔をしたかと思ったら、にこにこ笑って何かしらと思って。わたし、とても気になるのだけれどアリアス?」

「う、うん? ……ちょっと、ルーさ……ルーウェン団長には噂でじゃなくて恋人に当たる人はいるのかなって思って」

「聞いたこととか見たことはないの?」

「たぶんないと思う。私が気がついてないだけかもしれない。でもいたとしたらたぶん良い人だろうなぁって思って、それだけ」

「……身内ののろけ?」

「違うよ」


 単に思ったことだとアリアスは笑って食事を続ける。


「アリアス自身はどうなの?」

「……? 何が?」

「学園にいたとき告白されたことがあって、断った理由を聞いたらお付き合いしている人がいるって言っていたじゃない」

「あぁ……」

「今ならわたしが聞いて、分かる人?」


 同じ年頃の女の子が集まれば、ついてくる恋愛関連の話。城にいた頃もあったにしろ聞き役が専らで、学園でほぼ初めてその荒波に揉まれたのは過言ではない。

 何年生のどの科の誰が格好いい等学園内でも生徒同士で恋人同士なのは珍しいことでもなく、毎日の合間にその種の話は頭を出してくる。

 アリアスも話を聞き出される対象になったことがあり、その度に誤魔化していた。

 その中でもイレーナにはそう明かしたことはあったなと、朧気に記憶が甦った。しかしどんな人かとは明言を避けていた。


 今言えば、確実に分かることは違いない。

 どうするべきか、とアリアスはこの期に及んで考える。言いたくないわけではない。言いたくないという理由はないし、イレーナに明かしても、彼女は他の誰かに言うこともないだろう。


「誰にも言わないわよ?」

「うん、イレーナに限ってそんな心配はしてない――」


「私は同じ団長でもゼロ団長の方が、格好良いっていうか男らしい感じがして良いわー」

「ゼロ団長? ルーウェン団長とはある意味正反対なところあるわよね。ルーウェン団長はいつも笑顔じゃない? ゼロ団長が笑ってるところ、見たことある?」

「んー、一回だけ」

「……嘘?」

「ルーウェン団長と話しているときに、笑ってたの」


 この席、変えた方がいいかもしれない。

 新たに飛び込んできた名前に、騎士団の訓練のときは笑うことは少ないのだろうなとアリアスは思った。ちらりとだけ見たことのある訓練風景では決まって真剣な顔だ。

 思い返してみるとこちらも同じくらい名前が出るゼロの話にも、ルーウェンのときと同じように彼もそうだなと新たに納得しながら、アリアスは止まった手を動かした。



 *





 大人の竜が国の管理する山々で狩りをし、自分達で食料を賄うことに対し、子どもの竜は人の元で育っている間は人の用意したご飯を食べる。

 ご飯とは、生肉。城の厨房に食材が届けられるように届いた獲物の解体作業は、竜の育成に携わる魔法師の食事当番によって行われ、アリアスももれなく出来るようになった。

 アリアスが先輩と共に解体作業をした手を洗って建物の中に戻ると、竜が鋭い牙で肉を噛みちぎってみるみるうちに肉が骨ごと腹の中へと収められていく。

 食べる量も、体が成長するにつれて増えていく。大人の竜であれば鹿一頭くらいは容易く平らげてしまうと聞いた。そのせいもあり、竜が狩りをする複数の山々の生態調査――管理自体は別として――は欠かせず、数ヵ月に一度は山に行くそうだ。


「武術大会は始まる前は当然忙しくないが、個人戦が進むにつれてと団体戦が始まると医務室はそこそこ忙しくなるぞ」


 竜の食事が終わった頃、ここでも挙げられる話題は武術大会だった。

 食事を見届けたアリアスは明日のこともあり、武術大会中の当番と同じく前もって今日の夜番も避けられている。

 他にも同じように騎士団の医務室と兼ねている先輩方も明日は武術大会の治療係となる人がいる。


「でも、ま、観戦する時間は与えられるから。そのために大量に人手を入れて交代交代で回すんだ。じゃないと不公平っていうか可哀想だろう? 運よくもしくは前もって休みを取ったとはいえ、そいつらだけが特別な催事を目一杯楽しんで、当番は会場にいるのに欠片も楽しめないなんて」

「なるほど……」


 気遣いがされているのだ。


「――ここに、そもそも会場にさえ行けない人もいるんですけどー」


 ただし、ここでは医務室とは少しだけ話の内容が違うことになる。


「あたしとあんたは今年は武術大会は見に行けないのね、ディオン」

「僕を巻き込まないでくれますか。仕事だから当然ですし、それに僕は元からそれほど見たいと思う性格ではないので」

「去年、ここぞとばかりに宿舎にいたらしいもんね」


 今ちょうどここにいるディオンともう一人の先輩は竜専属の魔法師で、どうやら武術大会の間当番らしい。

 治療係と違って武術大会の会場にすら行けないのが、彼らのように城などに留まっていなければならない人たち。そう思うと、アリアスはあちらの当番になって良かったのかもしれない。


「でもアリアスがこっちの当番で行けなくなっちゃわないで良かった良かった。アリアス初めてだもんね……え、あれ?  違う? ……あ、そうか! お城にはいたんだったか」


 不満を流したのは軽くで、自分のことより今年職場に入ってきた後輩のことを気遣った先輩は、思い出したように手を叩いた。


「そうなんです」


 アリアスは初めてだと気遣われた後上、曖昧に微笑む。


「そうだったそうだったー。それでも学園にいたんなら、二年は見られなかったってことだし、兄弟子であるルーウェン団長の格好いいところは見なくちゃ」


 先輩は気にした様子はなく、お茶目に片目を瞑った。


「まー、今も時々話に出てくるような何年も前の個人戦のようにはいかないかもしれないけどね」

「それって……」

「ルーウェン団長が優勝したときの個人戦。中々見られない魔法戦だったから、あれは見られた人は良いもの見たよねー」


 アリアスの記憶に残る光景は、今も話に挙げられるほど思っていた以上にすごかった一戦であったようだ。

 見ていたとアリアスは意識表示した。


「あ、見てた? その年で見てる子って少ないからいいもの見たね! あ、そうだ、それとアリアスはもう一人見なくちゃね」

「……?」


 もう一人? 同期で出る人はいない。そもそも先輩に示され、限定される人なんてアリアスの身近にいたろうか。


「ほらゼロ団ちょ、うぐっ!?」

「――え、でぃ、ディオンさん?」


 誰のことを言っているのかと聞こうとする前にほらあの人ではないかという風に続けた先輩の口を、ディオンが叩くように遠慮なしに塞いだ。

 アリアスは目を見開きどうすべきかと中途半端に手を浮かせ、その間に口を塞がれた先輩が手を引き剥がす。


「な、何すんの、ディオン」

「――それ、無闇に言わないようにって」

「あ、そっか」


 いけないと今度は自分の手で口を押さえた先輩に、アリアスは首をかしげた。


 武術大会の話題が続く部屋で、竜が寝床で収まりのいいところを探すように、身動ぎした。







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