『魔法師盗賊団の狙う宝とは』編
第1話 めでたい炎
現在より遡ること約一年前、つまりゼロと結婚した当初のこと。
元々知っていた兄弟子には改めて「おめでとう」と祝福の言葉をもらった。
さて問題はその後だ。職場に名字の変更を届け出る前に、友人にと宿舎に戻った際に機会を窺ってと思っていたら、目敏い彼女たちは休暇から戻ってきたアリアスの指にあらわれた指輪を先に見つけて指摘した。その直後からまさに質問の嵐。いつの間にやら人が増え、興味津々な質問攻めは学園の頃に見かけていた光景を彷彿とさせた。異なるのは見かけている側ではなく、されている側だということ。
どれくらいの時間がかかってその場が収束に至ったのかは分からないが、唯一知っていたイレーナだけは後からどこからともなく現れて、驚いた様子なく祝福してくれた。
「おめでとう、アリアス」
「ありがとう、イレーナ」
「お疲れ様。――素敵な指輪ね」
まだ慣れてはいない指輪は、同じものをゼロもつけているから嬉しくなる。
「それもあってしばらくきっと大変だと思うけれど、頑張って」
幸せについてきたちょっと面倒な『付属品』ね、とイレーナは悪戯っぽく微笑んだ。
報告は今は中々会えなくても、これまでお世話になった人にもして、そしてもう一つの職場でも行った。
「おめでとう」
「ありがとうございます」
結婚をして、名字も変わったことを簡単に伝えると先輩たちに口々に祝いの言葉を言ってくれるから、つくづく良い職場に恵まれたものである。
しかしこちらは、医務室と比べると全く驚いた様子もなく、むしろ「とうとうか」という声が聞こえた。とうとう?
内心首をかしげていると、ディオンがぽつりと呟く。
「ゼロの方にもそのうち会ったら言っておこう」
「そうねぇ。ゼロ団長、どんな反応するのかしら」
「え? なんでゼロ?」
「だってアリアスの結婚相手と言ったらゼロ団長しかいないじゃない」
一人、祝福の言葉は述べたが、近くの会話に疑問を抱いた先輩がいた。しかし当たり前のような受け答えがされ、「そうでしょ?」と聞かれて、アリアスは頷いた。誰だとは言っていなかったから自然に出てきた名前に少し驚いた。
それはアリアスだけではなかった。
「え、ええええええええ!?」
たった一人不思議そうにしていた先輩が大いに驚愕の声を上げたのである。
「ゼロ!? ――結婚、って、ゼロが結婚するのか……!?」
「うるさい」
「うるさいってだってディオン! ゼロだぞゼロ!」
「知ってる。……本当に気づいてなかったんだ……」
「知っていたのか!?」
「僕だけじゃない。皆知ってた」
「え」
同じくして「え」と言ったのはアリアスだ。声に気がついたディオンが今度はアリアスを見ていつもの抑揚の足りない声で言う。
「たまに様子を見ていれば分かる」
うんうん、と頷き同調したのは周りの先輩方。
ただし一人、「いやゼロがって、嘘だろ」とゼロだという点をとても信じられていなさそうな先輩を除いて。
つまり何だ。「たまに」の示すところはよく分からないにしろ、ゼロが竜がいるここに来たことは何度かあるし、大人の竜が降り立つ建物では顔を合わせることは多々あった。
要するに――皆知ってた、けど、一人だけ気がついてなかった。ということらしい。
「改めておめでとう」
「余計なこと聞かずに見守ってきたかいがあったわ」
「そんな大したことしてないでしょ。いやでも皆びっくりするでしょうね。わたしたちもびっくりしたもの」
斯くして反応は大きく二つに分かれた。気がついていた人たちは穏やかに祝福してくれ、気がついていなかった人たちはまず驚いて、興味津々になる。そのうちに相手がゼロだと判明すると後者の人たちは大いに驚き、なぜか中々信じてくれなかった。
*
アリアスは急いでいた。
実は三十分前には本日の仕事は終わりとなるはずだったのだが、仕事終了時刻がうやむやになるほどのことが起こったのだ。
小走りで行くのは城の廊下。あまり人気のない廊下ではあるが、師の部屋のある区画ではない。
「――いんだ!」
前に開け放たれたままの扉が見え、灯りが洩れてくる中からの声の調子にまずいと思った。止めなければ。
「ちょっと待っ」
部屋の中に飛び込んだアリアスは、広くはない部屋で高い机を挟んで向き合う人に何かを訴えかけている男性の元に駆け寄る。
「れ、冷静になりましょう」
「おれは冷静だ!」
どこがだ。今冷静ではないから、任されたのに。
「落ち着きましょう」
「落ち着いている! それより何より一刻も早く何らかの手段を持ち帰らなければ……!」
心なしか口調がいつもと違う。かなりの興奮状態にあるからだろう。
前のめりの先輩を何とか宥めた隙を縫い、アリアスはこちらを傍観している机の向こうの人に尋ねる。
「念のためお聞きしたいのですが」
「はい」
「そんな魔法具、ありますか」
「知る限りではありませんね。探してみれば応用出来そうな魔法具があるかもしれませんが……」
困った顔をされて、申し訳なさでいっぱいになる。
ここは魔法具保管室。正確には今いる部屋は魔法具を取り出すための受付の部屋にすぎない。左右にある扉から繋がる部屋に魔法具が保管されているはずで、管理を行っているのは魔法具職人ではなく、館から配属された魔法師だ。
机の向こうで対応してくれている人は、さしずめ魔法具管理人。
「すみません、お騒がせしました」
「いいえ」
「まだ話は終わってない!」
「ないそうなので終わりました……!」
「ないなんて言われて、どうすればいいんだ!」
これは役割が反対の方が良かったのではないか。後輩であり、先輩を引きずっていける力が物理的にないアリアスでは強制的にこの場を収める力がない。
机にしがみついた先輩にお手上げだ。
「何の騒ぎだ」
部屋に新たに入って来た人がおり、焦る。早く先輩をどうにかしなければならない。ぐいぐいと腕を引っ張る一方で、すぐに場所を開ける旨を伝える。
「す、すみませんすぐに退きます」
「アリアス?」
「え? ――ゼロ様」
立っていたのが知る人で、アリアスは目を丸くする。軍服姿のゼロではないか。
今会うとは思ってもみなかったが、何か言うより前に現状に引き戻される。
「何か方法はないのか、このままだと、このままだと……っ」
アリアスが服を引いていた先輩が絞り出すように叫び、机に突っ伏した。
その声、騒ぎの元凶と察したゼロが怪訝そうな目を向け、机に張りついていて顔が見えない者を引き剥がす。
「誰だか知らねえが、こんなところで騒ぐな……は?」
「……ファーレルが、ファーレルがあああああ」
ゼロが目にしたのは、たぶん滂沱の涙を流した顔。怪訝にしていた彼は引き剥がした途端今度は自分にしがみついてきた男性に呆気に取られていた。
アリアスは先輩が泣いていることは知っていたので、苦笑いする。突然何かと思うだろう。
それにしても、もはや訴える相手が見境無しである。
「落ち着けよ」
我に返ったゼロはちょっと気味悪そうにして、雑な手つきで自らにすがる者を遠ざけた。
退けられた先輩は抵抗せず、今度は床に伏して泣き続ける。アリアスはもうそっとしてしておきたくなった。手はさっきの段階で服から離していた。
いつもはこんな先輩ではないのだ。竜が成長するにつれてちょっと竜への愛が強めになってきていたが……そのために今こうなってしまっているのだろう。理性が戻るのに、どれくらいかかるだろう。
途方に暮れかける。こんなになるのか。
「ファーレルって……竜がどうかしたのか」
様子に気を取られたが、言葉は捉えていたらしい。問いかけに顔を上げると、ゼロは真剣な表情。
あっ、とアリアスは思った。誤解を生んだ可能性があり、急いで否定する。
「いえ、深刻なことではないんです」
「じゃあこの泣きようは?」
大いに涙を流している先輩を見ると、悲しむような何かがあったと思ってしまうのだろう。思い返すと訳あって悲壮感も漂っていた。しかし現実は全くそんなことではなく、アリアスは実は……と打ち明ける。
「ファーレルが炎を出しました」
「へえ、初めてじゃねえのか」
「そうなんです」
「良いことだろ。なんで泣いてんだ、あれ嬉し泣きに見えねえぞ」
つい数十分前の話。人の手で育てられている竜が炎を出した。竜の生み出す炎はただの炎ではなく、特別なものだ。いくらちょっとちらついただけとはいえ、それは明らかな成長の証。
ぽかん、も何気なく目撃した全員が理解出来ずに立ち尽くし一瞬後、誰かをきっかけとして一気に沸き立った。
その空気の後、アリアスがエリーゼに知らせに行く――はずで建物を出たのだが同じくらいのタイミングで一人の先輩が暴走しはじめたので、異なる先輩に追いかけるよう頼まれて途中で別れたのだ。
「竜の炎を保存しなければと、そのための魔法具はないかとここに駆け込まれたと思うんですけど、ないということで……。保存の術がないことに嘆いてらっしゃるのかと」
「保存?」
「記念だとかで」
「何の記念だよ。……それでこんなに泣いてるのか、こいつ」
事の過程を聞き、全く深刻さがないことが分かり、ゼロは目を床の方に向けた。あまりに心底呆れた風になったので、アリアスはちょっと擁護をしたくなる。
アリアスは生まれて少し経ってからファーレルに関わってきたが、それ以前からいる先輩方はいずれも生まれたときから、もしくは卵の頃、ずっと温め続けていた頃から
体調が悪いときには心配し、徹夜で過去の記録をさらったり。見守ってきている。
竜の卵が来るのは、今の時代ではもう人生に一度お目にかかれるかどうかという確率でもある。
日々体が大きくなっていることも喜ばしいことだけれど、こんなにも明確な成長の証は中々ない。感無量になるのも分かる気はする。
……問題なのは感極まりすぎてか、若干行き過ぎた感じが否めない点だろう。たぶん、今だけだ。
「これから出す炎も全部一緒。もっと言えば、どの竜の炎の色も効果も同じだろ。保存の必要性がどこにあるんだ」
「竜の初炎だぞ!?」
突っ伏していた先輩が勢いよく起きた。ものすごい形相をしている。
「初炎って。要は気分の問題だろ」
動じないゼロはますます呆れた様子になる。一度竜に何かあったのかと思っただけに余計にだと思われる。
「どうしても保存したいって言うなら、蝋燭に灯しておけばいいんじゃねえか?」
「……ろうそく……?」
明らかに投げやりなゼロの言葉を繰り返した先輩の動きが止まった。ゼロを凝視したまましばらく。次はどうしたのだろう、と正反対の静けさに心配になってくる。
「て、」
て?
先輩の表情が一気に輝いた。
「天才か! それだ!!」
「いや冗談だ」
「冗談!? 名案だぞ! ……いや待てよ、でも魔法の炎だから普通の火と違ってろうそくの蝋云々の前に、力が消えれば消えるんじゃないか。やはり貴重な記念の炎が消えてしまう」
かと思うと一気に思考に沈んでぶつぶつと呟きはじめた。感情の急降下がすごい。
「やっぱり何らかの魔法具が……灯した炎に魔法力を加え続ければ消えないとか……?」
「人と竜の魔法力は違うから無理だ諦めろ」
「諦められない! くそっ、どうにかして永久保存する方法はないのか……!」
拳で床を叩いた先輩は、再び絶望に床に伏した。
「と言うより、初めて出した炎が大事なら戻って出したのはもう初めて出したのじゃないだろ」
ゼロの最もな指摘は届かなかった。
「すみませんゼロ様、用があって来てらっしゃいますよね」
静かになったという意味では落ち着いたことは落ち着いたので、はっとしてゼロに言う。ここで会ったのは思いがけなかったが、彼は用があって来たはず。
先輩のことは落ち着いたらゆっくり一緒に戻ることにするから、用を済ませてほしいと言うとゼロは「俺が引きずって行ってやる」とピクリとも動かなくなった人を見下ろす。
「このままだったら時間かかるだろ。俺は仕事終わってここ来てるから問題ねえし」
すぐには復活しそうにない先輩を連れて行くと言ってくれたゼロはそんなことは造作もないとばかりに言って、
「で、一緒に帰ろう」
こちらが本題かのように、こう付け加えた。
「――はい」
言われたアリアスは、床に伏す先輩がいる状況をつかの間忘れて、微笑んで返事した。
ゼロは魔法師騎士団特有の魔法具でもある剣が劣化したため交換予定で、今日受け取りに来たのだそうだ。タイミングが気の毒すぎたと言うべきで、アリアスは助かったと言うべきか。
魔法具を受けとるために必要な許可書を出し、引き換えに剣を受け取り腰に剣を帯びたゼロは、床に伏し続けていた人を容赦なく部屋から出した。
「けど、帰れそうか? お祭り騒ぎになってるんじゃねえか?」
「そうですね……」
誤解がないように述べたいが、めでたいことであるのだ。
単にすぐさま倍以上の感極まりように押されただけで、アリアスとて驚いて、同時に嬉しくなった。アリアスももう一年以上見て、接してきたから。
ちなみに感極まっていたのは一人ではない、が、今日いなかった先輩の中では、明日にでも知って度を越して泣く方がいるのではなかろうか。嬉しさと、見られなかったことで。そうでなければゼロに引っ張られている先輩の他にも飛び出す先輩がいだろう。
果たして戻ってどのような状況か。
そうして戻ってみると、喜びにまだ涙が止まっていない数人の鼻を啜る音が控えめにだが響く空間。何事もなかったように眠る竜。竜の成長の記録をつけているだろう先輩が「お疲れ様」という言葉で冷静に出迎えた。
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