第20話 五分



 ゼロがその場を去ると、暗闇に身を包まれるような感覚がした。ああ、さっきまで手を引かれていたからかな、とアリアスは思う。しばらくすると、少し遠くの方から弾けるような音がし始める。ゼロとブルーノ=コイズが鉢合わせ、戦い始めたのだ。


「出よう……」


 戦いの場所が移ってくる可能性はある。巻き込まれればゼロがここまで連れてきてくれた意味がない。

 アリアスは十秒ほど耳を澄ませていたが、その方向に背を向ける。周りが全く見えない状態であるので、右手の壁に手を這わせて歩き始める。壁はひやりとしてざらざらとしている。普段歩く城の通路と比べてみると、手入れの手が入っておらず立ち入る者がいないということを表している。

 付着しているのは汚れ以上の何物でもないだろうが、そんなことに今構うほど潔癖ではないのでゆっくりとではあるが着実に歩いていると、その感触が途切れる。壁がなくなった。最初の角だ。ここを曲がれば降りてきた階段があるとゼロは言っていた。つまりは、ここは最初通ってきた場所だ。

 それだけで少しだけ安心感が出てき、壁のなくなったところを通ってまた壁側に寄る。


「――――!」


 何を言っているかははっきりとは聞き取れないが、声が響いてくる。目の前は、目を閉じていても変わらないんじゃないかというほどに真っ暗なので聴覚が異様に鋭くなっていて瞬時に反応してしまう。思わず肩を跳ねさせ、後ろに顔を向けるも、もちろんそこには魔法の光も声の主もいない。と、そこで、


「いったぁ」


 横顔を強かに……というほどではないが打つ。足を止めて、壁に触れていた右手で顔を擦るとぱらぱらと少しだけついていたものが落ちる。壁のざらざらとした感触の元だろうか。両手をそっと前に伸ばすと、肘が全然伸びきらない内に固い平らなものに当たる。すぐそこに壁がある。

 そういえば、階段の幅よりもこの地下通路の幅の方が広かったような気がする。ということは、この壁を辿れば階段だ。

 壁に手を触れさせたまま左横へ横へと進むと、案の定壁が消えるような感覚。前のめりになりながらも腰を曲げると、今度は地面よりも高い位置に石の冷たさ。段がある。

 さて、この階段を登れば元の通路だ。だが、それが難しい。なにしろ、灯りがない。目は少しだけ慣れてきたが圧倒的に暗闇であることは変わらない。おまけに階段は結構長かったはずだ。踏み外さないように慎重に登らなければ……。

 アリアスは一歩足を踏み出した。









 ゼロは暗闇の中……ではなく魔法の灯りを右の手のひらの上に出現させて立っていた。左手には抜き身の剣。刃に魔法の火が映り込んでゆらめく。

 彼の足元には、一人の男がうつ伏せに倒れている。苦しげにしており、手を身体の横についてはいるが起き上がることはできなさそうだ。


「あんな顔されたら五分もかけてられねえよな」


 それを見下ろすゼロはぽつりと呟く。

 そうしながらも、彼の灯した魔法の火がふわりと手から離れて、落ちることなく宙に浮く。しゃがみ込んで石の通路に沈んでいる男の様子を窺う。

 その男はもちろんブルーノ=コイズ。指名手配されていたが、隣国にいたとされる男が約二ヶ月前に国境近くで目撃された。時期が時期であることから、『春の宴』に際して何か企んでいるのではないかと警戒された。魔法師のことは魔法師で、ということが暗黙の決まりであるので最高位の魔法師の指示の元騎士団が事に当たることとなった。しかし、二年前に当時団長であったブルーノ=コイズは自身の手駒を増やしており出奔時にも騎士団の団員が共に出奔。そのほとんどは捕らえられたが、数人とそれからブルーノは逃げおおせた。そのことがあり、騎士団にまだ協力者が潜んでいるかもしれない、と予想されごく一部の者たちが事の処理に当たった。その理由の一つがもちろん、この男が元団長で実力は折り紙つきの要注意人物だったからであるのだが……。

 アリアスと別れたあと、ゼロはすぐに来た道を戻りブルーノ=コイズと意図的に鉢合わせた。始まった魔法の撃ち合いはそこまで長く続くことはなかった。ゼロが魔法の撃ち合いの隙に相手まで肉薄して、素早く柄を腹に打ち込んだのだ。 

 まさに武闘派。相手もさすがに二年前まで騎士団の団長を勤めていただけあってそんなゼロにも反応したが、ゼロからしてみれば反応が遅かった。


「……ぐっ、くそ」

「あんた弱くなったんじゃねえのか」


 倒れたまま動けないのは腹に一発喰らっただけではもちろんない。間髪入れずにゼロが足の腱を切ったのだ。今男には激痛とそれから動こうにも上手く動いてくれない身体だけがある。魔法を放てないのは、今回の件に当たり持ち歩くことになっていた魔法封じを片手の甲に打ち込まれているからだ。

 魔法の合間に眼前にまで迫ってきていたゼロにとっさに応じ、男が振った剣はぎりぎり灯りが届く距離に飛ばされ転がっている。全てにかかった時間は四分弱。

 自分で飛ばした相手の剣をちらりと見てから、ゼロは言った。


「少なくとも、二年前の方が強かったぜ」

「…………」

「人相も変わったな。声が一緒じゃなけりゃ分からなかったかもしれねえ」


 今は伏せられているが、ゼロが確かに目にしたかつての団長の顔は痩せこけていた。だが、面影がないほどに人相が変わっていると感じた所以はそれだけではなく、目付きも変わり、なぜか骨格まで歪んでしまっているような。


「……己の団長であった私にここまでするとは、恩知らずが」

「関係ねえだろ。国に背き刃を向け、出奔したともなればその時点で決定的に味方でも何でもねえよ。違うか?」

「はは――そうだったなゼロ、お前は二年前出奔したとはいえ同じ騎士団の者に容赦しなかった」


 くつくつと、ブルーノ=コイズは顔を石につけたままくぐもった笑い声を上げる。


「私も多く殺したがな」

「そんなんだから、あんたは竜に選ばれなかったんじゃねえのか」

「お前に何が分かる……?」

「何も。雑談は終わりだ、時間の無駄だからな。このあとすぐに、他に出奔したままの仲間の行方と、」

「出奔した、仲間か……。あいつらなら死んだぞ」

「……騎士団の中にまだいるならそっちの仲間も含めてこの後すぐに吐いてもらう」


 魔法を封じられ、逃げるための足も動かない。最早捕まるしかない状況からか、笑い続ける男。笑いながらも話されること。ゼロはゆっくりと立ち上がり高い位置から見下ろしながら、その灰色の目に冷たい色を宿す。慈悲などない。

 逃げるためにもがくことすらもしない様子から目を離さずに、頬の、傷自体は浅いが出てきている血を拭い手の剣を鞘に収め始める。


「ああ、今夜合流さえ出来ていれば、私がいなくとも……」


 そのとき、未だ気味悪く薄ら笑い混じりの一人言のような言葉に手を止めることとなる。引っ掛かったのだ。『今夜合流出来ていれば』。

 今夜、合流するはずだった。そういうことか。

 『フレイ、フレイか? まったく遅かったな』。アリアスとゼロがこの地下通路を歩いていたときに、他ならぬブルーノ=コイズが歩いてきた。誰かの名前を呼んで。フレイ。聞き覚えのない名前だ。少なくとも白の騎士団の者ではない。その名前の人物がここに今夜来るはずだった?

 入り口は一つではない。だが、魔法具が仕掛けられていたのは他の入口よりも、あの入り口のエリア付近。そして、ブルーノ=コイズも他の入り口の近くというよりはまさにあの入り口の近くにいた。今夜ここで会うはずだった『フレイ』と間違えて、足音に近づいてきた。ということは――


「――まずい」


 にわかに、ゼロは収めかけていた剣を引き抜き逆手に持つ。ほぼ同時に刃の部分に光が走る。普通の剣ではなく、魔法師が使うことを前提とされた剣は魔法を纏いやすくなっている。魔法具の一種のようなものになっているのだ。その剣に、ゼロが魔法を込めた。そのまま、


「う!?」


 倒れたままの腹部に躊躇いもなく刺した。呻き声だけで終わったのはさすがなのか、それとも魔法が作用しているのだろうか。とにかく、派手に身体が跳ねたのちぴくりとも動かなくなった。


「そこで大人しく気絶でもしてろ!」


 そのことを確認する前に、ゼロは剣と指名手配犯をそのままに走り出していた。




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