第21話 タイミングの悪い会話
慣れている種類の作業だと、意外と手は動いてくれているらしい。
「リーナそれ違うわ、そっちじゃないでしょ」
「そうなの?」
「もうリーナったら、アリアスの方がしっかりしてるってどういうことなのよ」
「アリアスちゃんはすごいものねぇ」
「しみじみ言ってる場合じゃないのよ、それはアリアスは……アリアスその箱もういっぱいよ」
「…………え? あ」
「もう、アリアスまで?」
肩を叩かれる感触で無意識に動かし続けていた手を止めると、紙の束は箱から飛び出てアリアスの腰の位置より上にまで到達しようとしていた。
「すみません、うっかり」
「アリアスちゃんが珍しいのね」
アリアスはあははと笑って、素早く詰みすぎた分を隣にあった箱を引き寄せてから移動させた。それから作業を再開する。
顔を見合わせてから、同じ作業に戻るのはソフィアともう一人リーナという女性魔法師だ。ふわふわとした見た目にも色味的にも柔らかな髪をし、笑顔をする彼女も正式な魔法師としては若い部類にあり、確かソフィアと同じ歳だったように記憶している。
アリアスがいるのは館の一室。
壁際、壁に向かって三人はいた。
その後ろの広いが乱雑な空間では、八人の魔法師が対照的に忙しなくしている。もっと詳しく表現すると、焦っている。
どうも重要書類が廃棄用の書類に混ざってしまったかもしれないトラブルが起きたのだそうだ。
アリアスたちはその調べ終えられ飛び出した書類を廃棄とはいえ一定期間保存するため、元々収められていた箱の中に入れ直しているのだ。
「あーもう無理ぃ」
「う、わ!?」
突然がばっと後ろから誰かがのし掛かってきて、アリアスはばさばさと手にした紙束を取り落とした。
「あー癒されるぅ、久しぶりのアリアスだわぁ」
「て、テレナ様?」
後ろから現れたのは髪が肩ほどにも満たない長さの女性。息を長く吐きながらアリアスを撫で回してくる。
「テレナさんいいのですか? あちらは」
「いいーのよぉ。いくら探しても見つからない。疲れちゃったわぁ」
探し物をしている八人の魔法師の内の一人であるはずのテレナがこちらの空間に来たことによってリーナが手を止めて小首を傾げる。
それに対していたく疲れた息を吐いた彼女は構いっこなしだ。すりすりと頬擦りしてくるテレナを後ろにアリアスは落とした紙束を拾おうとするが叶わない。
「テレナさん、そんなに疲れるなんてどうしなさったんですか? 昨日の朝は元気一杯だったように記憶してますけど」
それを拾ってくれたのはソフィアで、アリアスの前の箱に入れながらテレナに尋ねる。ただし、剥がしてはくれない。
別に動き難いだけでやろうと思えば作業は出来るが、このままなのか。とアリアスは思いながらもソフィアに感謝の視線を向けてから届く範囲で作業を進める。
「その昨日親と喧嘩したのよ。早く結婚しろってうるさいの、何で魔法師になったか分かってくれてないのよぉ」
歳にして確か二十代後半の彼女は独身だ。魔法師にしては珍しくないものの、貴族出身のため親からせっつかれているらしい。
ぼやきが恨めしそうな声でぼやかれる。
「そんなに結婚したくないのですか?」
「そういうわけじゃないけど、強制は嫌よぉ。だって呼び出されて家に帰ってみるとよ、もう相手を決められてるし」
「あぁー。でも、テレナさん美人なのにもったいないですよー。断られるということは今もしかして恋人がいらっしゃるのですか?」
「……先月別れたばかりよ。あぁアリアスーあたしの癒し」
「うぐっ」
今度は持ちこたえた。変な声が出たけど。
アリアスはぎゅっと腰に回った手に絞められて息が詰まった。やった本人に悪気はないと分かっているので他は黙っている。
かなりお疲れみたいだ。
「あたしはいいの、あたしはぁ。あんたたちはどうなのよ、恋は。若者よ」
「若者って、テレナさんまだそんな歳じゃないでしょう」
「ソフィアーあんたはどうしたのよぉ、あの彼とは」
「ご心配なく、順調ですから」
「何おぅ、リーナあんたは!」
貴族のご令嬢らしからぬ口調のテレナはアリアスに抱きついたまま視線と声だけで指名していく。ソフィアは悠々と答えた。
貴族には未だ政略結婚は珍しくない。家柄で相手を選ぶことも。
けれど、魔法師は魔法師の地位関係ということなど独自の観を持っていることもあってこちらは自由結婚が普通であったりする。けれど、テレナのように貴族出身であると実家からのそういった声は止まないこともあって決められた相手と結婚する人もいるようだ。
それはそうと、自由結婚が主流であるように自由恋愛でもある。
ソフィアの恋人は確か……魔法師騎士団の人だったと聞いたことがあるような。
そこまで考えて、手の動きが鈍る。
「私はいないです。それよりも」
「それよりも?」
「そういえばアリアスちゃんのそんな話聞いたことないの」
「そういえば……でも、アリアスにはまだ早い!」
また力が入った。
リーナののんびりした言葉でどうしてかアリアスに矛先が向いたのだ。
「そもそも、学校に通っていたら出会いはあるけど、アリアスちゃんずっとお城にいるとそこそこ年上の人としか会わないものでしょう? でも年頃だからどうかなって思ったの」
「あたしのアリアスは渡さないわよぉ?」
テレナはリーナから遠ざけても仕方ないのに、アリアスを彼女から心なしか距離を置かせる。
されるままのアリアスは内容はともかくとして二人で会話が成り立っているのである意味他人事で、ぽいと紙束をひとつ少し離れた箱に投げ入れた。もう手を伸ばして届く範囲の周りの箱はいっぱいになったのだ。
「でも、アリアスにはいい人がいるわ」
だがそのとき、ソフィアの声が自然に入ってきてとてつもない発言を落とした。
「……え? ええ!? うそぉ、どういうことソフィア? ううん、アリアス、どういうことアリアス!」
「う、えぇ? あの、ちょっ、」
一拍後の跳ね上がった声と平行して、身体が反転させられたと思うと、アリアスはテレナと向き合う形になって肩をがたがたと揺さぶられていた。
それは揺れる揺れる。新しい書類取る前で良かった。
それより、言われたことを理解するどころではない。
「しー、騒ぎすぎると叱られちゃいます」
「大丈夫じゃない? てんやわんやだもの」
あれでもないこれでもないと重要書類をがさがさと血眼になって探している後方を窺いながらのリーナの言葉に、ソフィアが完全に他人事で気にしていないようだった。その手もサボっているわけでなく動いているからだろう。アリアスの視界の端にその様子が映った。
「じゃあ……えっと、テレナさん、アリアスちゃんそのままだと答えようにも答えられないと思います」
「え? あれ、そう? ご、ごめんアリアス」
「いえ……」
止まった。
揺れが止まってアリアスは一息つく。なんだったのだ。
「それで」
「それで?」
しかしながら、肩に手は置かれた状態で目を覗き込まれる。
アリアスは本気で首を傾げる。自分が知らない内に早い会話はどこに向かっていたのか。
するとそれが分かったのかテレナが丁寧に尋ねてきてくれる。
「ソフィアの言った」
「はい」
「アリアスのいい人って誰?」
「え?」
即座に目をソフィアに向けると、いたずらめいた笑顔が返ってきた。確信犯。
目を前に戻すと、テレナのなぜだかかなり真剣な顔。そんなにこの話が聞きたいのだろうか。
でも――誰、と言われても。
「誰、相手は誰。アリアスにちょっかいかけたのは誰」
「あ、あの……それは……」
言葉が、声が小さくなっていく。それは意図したことではなく、単に出す言葉に困ったこと。
少し前なら、反応は違ったかもしれない。
けれど今、誤魔化すように笑うしかアリアスにはなかった。
そうすると、テレナの表情が落ち着いてきて、手の力も弱まって今度は彼女が首を傾げる。
「でも、そのわりには元気なさそうに見えるけど」
「ミスには入らないけど、見ていてぼーっとしてる感じもします」
「そうなの? ほらアリアス、お姉さんの目は誤魔化せないわよぉ?」
「そんなことは、ないですよ?」
「またまたぁ、困ってることがあるなら言いなさい。ついでに相手が誰かも言いなさい」
とうとう三人の視線がアリアスに集まる。
アリアスは困って、それから思い出したこともあってよく分からない表情をしてしまったと思う。
「アリアス、大丈夫? 喧嘩でもした?」
「……ソフィアさん……いえ、大丈夫です」
「そうは見えないけど」
「ごめんアリアスあたしのせい? あたしがしつこかったの。だから元気出してぇ」
「あの、テレナ様のせいでは全くな……」
「やっぱりアリアス優しいわぁぁ。あたしが男ならアリアスと結婚するのにぃぃ」
「て、テレナ様?」
「先月のお別れがここに来て響いてるのかもしれないの」
「えぇぇ」
ここでか。確かに不明なところで優しさを感じ始めてまたアリアスに手を回すテレナは……疲れているのだろう。
ここでものんびりした口調でテレナを分析したリーナはさておき、アリアスがとりあえずぽんぽんと控えめに背中をたたくとますます感激された。加えて情緒が不安定かもしれない。この人は仕事に戻れるのか。というか、そろそろ戻らないとさすがにばれるのでは、と色々心配になってきたので先輩に助けを求めようと視線をさ迷わせる。と、そこで、
「ねえ、あれ……ルーウェン団長いらっしゃってるわ」
「えっ嘘」
ソフィアがある方向を見ており、リーナも反応してその方向を追って口を手で覆った。
またアリアスもその名前に、置かれた状況のままそっちを見た。
「おー、アリアスいたな。聞いてきて正解だったみたいだな」
ドアから、箱と紙束入り乱れる乱雑な部屋に顔を出していたのはソフィアが言った通りに軍服姿の兄弟子。青の目がアリアスを見定め目尻が垂れる。
そのときには部屋にいた女性陣 (書類捜索勢含む、しかしテレナは除く) が一気にそちらを向いていた。心なしか彼女たちが頬を染めている中、ルーウェンはいつものように緩い笑みをもってしてアリアスを手招きした。
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