第19話 重い体験




 仕事に戻る許しがもらえたばかりのアリアスは、直後にあったことが気がかりで躊躇っていたのだけれど、師に少し前とは反対に心配はいらんから戻れと言われ仕事復帰を果たしていた。

 まあ結局師がいるから大丈夫なのだろう、という結論の元だ。


 二週間ほど振りに仕事場へ行こうと思って、騎士団の医務室か竜の育成場かどちらへ行くべきだろうかと考えた結果、医務室かなとそちらへ足を向けた。

 しかしながら医務室へ着く前に、イレーナや他の同僚に会う前に会ったのは竜の育成に関わる魔法師、ディオンであった。一人しか姿は見えないけれど、時間的に竜の降り立つ建物から帰ってきたのだろうか、手に抱えている紙やらで推測する。

 先に気がついたのはアリアスで、声をかける前に気がついた先輩魔法師は落ち着いた雰囲気を感じさせる色合いの茶の目を丸くした。


「アリアス?」

「お久しぶりです、ディオンさん」


 ひとまず無難な挨拶をしながら小走りで近づくと、立ち止まってくれていたディオンは珍しくもしげしげといった視線でアリアスを見回した。

 そして、上から下へ行き着いたと思われる視線がアリアスの目に定めて一言。


「もう大丈夫?」

「すみません、ご迷惑おかけしました。もう平気です」


 大丈夫かと尋ねられる理由がつけられていたようで、本来の理由であった怪我もなくなっているのでアリアスは謝罪と肯定と口にした。

 二週間近くは恐縮すぎる。そのうちの大半を塔で時間を潰すためのような行動をしていたことも思い出してますます眉が下がる。

 そんなアリアスに対し、驚いていた様子だったディオンは「いいよ」と首を振り、耳を疑うようなことを言った。


「たちの悪い奇病にかかったって聞いていたから」

「…………奇病……」


 アリアスがしばらく塔のジオの元にいるために必要になった、アリアスが仕事休む理由。レルルカにその理由つけを頼んでいたはずのジオに「理由」の中身を聞いても知らないと言われて塔にいる間ずっと不明だった。

 当事者であるアリアスが知らない理由それを知らされていた側であるディオンの口から、たった今、突然明らかにされた。

 アリアスは思わず一部を復唱してしまった。


 奇病。

 どうも聞く限りではアリアスは非常に稀で、その上治り難い、重い症状の病に犯されていたらしい。

 なるほど、これは二週間どころか数ヶ月いなくても――数ヶ月単位になる場合代わりに死亡説が流れるかもしれないが――納得できる理由だ。

 アリアスからすればなんと突拍子もないと思うが、然るべき人から情報が下りると説得力はついてくるものということか。ディオンには疑っている素振りが欠片も見られない。

 しかし――本当にレルルカが作った理由なのかが、怪しい。奇病とはともすれば本当かと疑われかねない理由だ、アリアスが休む前はそんな様子はなかったはずだから。


「よくなって良かった」


 完全に嘘の大袈裟な理由をつけたのはアリアスではないのに、そう言われると心が痛みそうになる。すでに罪悪感はすごい。


「あ、ありがとうございます……」



 そのままの流れで先に幼い竜のいる建物に行くことになった。

 そこでも世にも奇妙な病気になっていたらしいアリアスは会う人、会う先輩に心配と治って何よりとの言葉を頂いた。思ったより早い復帰だとも言われた。想像されていた奇病のより詳しい中身が気になるところだ。

 実際に病気ではなく怪我はしていたアリアスではあれど、嘘という事実が確かにあるので申し訳ない気持ちでしかし否定することはあり得ないので気持ちと笑顔が一致せずひきつりそうであった。前もって知っていたならばこうはならなかった。


 その場にいた先輩たちに一通り挨拶を終えて落ち着いたところ、ちょうど目にしたのはこの建物がある所以、その存在だった。


 二週間で見違えるほど大きくなった! とはならないはずであるが、何となくまた大きくなったかなぁと思う。成長の早さ、身体が大きくなるのが中々に早いものだから期間が空いてそう思うだけかもしれない。

 もちろん、幼い白い竜のことだ。

 相変わらず魔法石に囲まれた中央に身体を丸めて眠っている姿は格好だけ見ると何だか猫みたいだけれど、猫やそこらの動物と比べると如何せん大きい。もう抱えきれない――抱えたことなんてないが――大きさだ。


 今は朝なので時刻的にそろそろ起きてもいいのではないかな……と竜を見ていると、眠りこけていたはずの竜の頭が動いた。最初はピクリ、十秒ほど経つとゆっくりと頭をもたげて、瞼が開く。現れた橙の目が真っ直ぐこちらを見た。


「触ってもいいよ」


 元々どこを見ているか分からないこともある目にしても、今回ばかりは目が合っている気がしてならず目を離さないでいると、やはり毎朝の竜の体調調査の当番に当たっていたらしいディオンが記録用紙を仕舞うために棚をごそごそしながら言った。


「え、いいんですか?」

「うん」


 思わぬ言葉にディオンを振り向いて聞き返しても、すんなりと許可が返ってくるではないか。聞き間違いではなかった。


 アリアスは竜に触れること自体は初めてではない。かといってとっくに成体の竜たちに触れる機会はそうなく、この厳重保護されている幼い竜に触れる機会はもっとなかった。もっとなかったどころか、この竜には一度として触ったことがない。

 それは何もアリアスだけではなく、生まれたばかり、まだまだ幼い竜に余計な負荷を与えないようにと出来る限り触れないようにとされていたのだ。

 その出来るだけ触れない段階は過ぎたのか。


「まあ竜の方が気に入れなかったりすると噛まれそうになるから気を付けて」


「一人、三日前に指無くしかけたから」と、持っていた紙を仕舞い終えて棚からアリアスへ向き合う形になったディオンがそんな恐ろしいことを言った。


「噛むんですか」

「竜にも好みがあるみたいだから。見たことがあるから分かっていると思うけど、歯はもう生え揃っているし、まだ幼いとはいえ顎の力は犬や猫どころじゃない。噛まれると指は持っていかれて、一番最悪の場合で全体を噛まれると手が使い物にならなくなると思う」


 倍恐ろしいことを言われた。

 成体の竜と比べて小さくても竜は竜。ディオンの言った通り、子ども竜の口の中には立派な鋭い歯や牙がある。食事風景を見ていてその顎力の強さも知っているには知っている。

 あれなら人間の指くらいもっていくだろうな、と骨つきの生肉をバリゴリと食べていた光景が頭に浮かび、耳に音が思い出されるよう。


「気をつけていれば心配ない」

「そ、そうですね」


 ディオンは先輩として善意で注意を促してくれたのだ。が、残念ながらアリアスは少々怖じ気づき気味になってしまった。


「あの……指、無くしはしなかったんですよね」

「ぎりぎりで」


 それを聞いて少し安心した。先輩の誰かの指が無くなっていることを知ったら落ち着かないどころではない。もしかして今ここにいる人たちの誰かですか? と。


 最低限の安心を得て離れたところにいる竜に視線を戻してみると、竜はまだこちらを見ているように見えた。

 あんな話のあとで見れば怖く見え……はしなかった。橙の目は透き通り、鱗の色と合わせると、実に純粋無垢な存在のようだ。

 考えれば成体の竜を前にしている方が危険性は高い。アリアスは急に冷静になった。

 要は成体の竜に比べて小さいからといって油断しなければいいのだ、と。


 触ってもいいと言われると、触りたくないはずがない。


 アリアスは白い竜の方向へ足を踏み出す。

 一歩一歩、距離を詰め、近づいていく。

 近づくにつれて、顔の向きからしてやっぱりこちらを見ていたのだろうと竜の目とこれだけ長い間目を合わせる不思議さに浸る。

 目を離さないこの行動は警戒しているのだろうか。どんな動物かは忘れたが、警戒するものから決して目を離さないという知識が朧気にあるようなないような。

 それが確かだとしても竜に当てはまるかどうかは分からない。

 とにかく、手を伸ばせば届く距離にまで来た。この距離までは来たことはある。

 初めての距離ではないのに、どことなくどきどきするのは緊張しているのだろう。


 目線の少し下から首を伸ばして見上げてくる竜は、表情が読めないなりに読み取るに気分を害した様子はなさそう。その間にとアリアスは気に障ることがないようにゆっくりと手を持ち上げていく。

 竜の視線は逸れなかった。


 だから、アリアスは気にする必要なく引き寄せられるように、腰を軽く屈めて手を伸ばした。

 どこを触るべきか考えるより先に触れたのは頭。完全な白ではない鱗はつるりとして、固い。これでもまだ大人の竜よりは柔らかいのだろうか。

 そのまま撫でてみると、未だに合っていた目がわずかに下りてきた瞼に覆われる。目を細める様子が猫みたいだ、と身体が大きすぎる竜にはそぐわない感想を抱く。


 噛む、嫌がる様子はないようなので、どうやらアリアスのことが生理的に無理という方向もないらしい。

 良かった、それにしても可愛いかもしれないと可愛いと言える図体を越えているはずが可愛く思えてアリアスは微笑みが溢れる。

 竜も細めた目をそのままに、ちょっと動いた。

 いや、かなり動く。


「……? え、何」


 身動ぎしたなと用心して触れることを止めようとすると、それより先に急に竜が起き上がって手を離すことになる。

 立ち上がったことでつい先程までより身体が大きくなったと錯覚する。実際立ち上がった分高さは増えたことになり、何だ何だと様子を見ているアリアスの前で――竜は前足を持ち上げ……?


「え、ちょっと、待っ!?」

「あっ!」

「おい!!」


 周りから声と息を飲む様子が伝わってきた。

 前から胸を押されたアリアスは周りを見る暇もなく押された瞬間反射的に目を瞑り、直後為す術なく地に思いっきり尻餅をついた。

 尻にかなりの衝撃と痛みが走り、後ろについた手にも痛みを感じて顔をしかめる。


「痛ぁ……」


 かなり痛い。

 ろくに庇えずもろに打ったことであまりの痛みに尻を擦りたくなって若干前屈みに、腰を浮かせ――腰が少しも浮かせられない。


「な、に」


 脚に何かが乗っているせいだ。何が起きて、一体何が自由を阻んでいるのか。

 痛みに顔をしかめたアリアスが直前の記憶を思い出す前に顔を上げて、そして、息を飲む。


「……え」


 目の前には、竜の顔。鼻面。閉じられていても牙の覗く口。色んな言い方ができるが、とりあえず鱗に覆われた竜の顔が触れんばかりの距離にあった。


 まともに正面も正面から顔を合わせて固まること数秒、アリアスは動けないことは無意識で完全に悟り、仰け反った。


「何で……」


 一体何がとそれしか考えられない。

 もしや何か気にくわないところでも触って竜が怒ったのだろうか。そうならばこの状態は中々に危ない。

 前肢が太ももに乗り押さえつけられていることにより動けず、目の前には顔。そのまま口を開けられたら一溜まりもない体勢。


 しかし、こちらに身を乗り出している形の竜のすごく近くの橙の目を見て、心臓が嫌な打ち方をしていたアリアスはフッと落ち着いた。

 怒ってはいない、と思った。獰猛さの欠片も見られなかったからそう判断したのかもしれない。


「アリアス、怪我はない?」


 どの程度竜と見つめ合っていたか、声がかけられてはじめて目を離すとディオンが歩み寄ってくるところだった。視線は竜に向けられていて、合わない。

 周りでは、夜番明けで眠そうに欠伸をしていた先輩たちを含め、この場にいる魔法師たちの顔が全てこちらに向き前のめりに――警戒体勢で身構えていた。

 アリアスが竜に襲われたと見えたからだろう。


「怪我はありません。……わ!?」


 けれども竜はというと単にのし掛かってきただけで危害は加えられず、さらにはなんと頭が沈み、身体も沈み、アリアスの膝に前肢を乗せたまま座ってしまった。

 おまけに前肢に頭を乗せる。

 場所が移動しただけで、さっきと同じようなくつろぐ体勢に。


 一連の行動を、身体を固まらせて追ったアリアスは竜がすっかり動きを止めた竜を見下ろして、顔を上げる。

 どうすれば良いのかさっぱり分からなかった。


「これは驚いた」


 近くに立ち止まるディオンが、今日アリアスのことを久しぶりに見たときよりもありありと驚いた表情を出し竜を見下ろす。


「一瞬怒ったのかと思って焦ったー」


 もう一人、周りで身構えていた魔法師が近づいてきてアリアスと膝の上でくつろぎはじめた竜をまじまじと見る。


「というか、全員焦ったな」

「す、すみません」

「いやいい、怪我はないんだったか」

「ないです」


 尻餅をついた尻がズキズキ痛むくらい。これはそのうち引くだろう。

 夜番明け関係なく普段から眠そうに見える目をしている魔法師は「それなら、よし」と頷き、


「それにしても、これは」


 しゃがみ込んだ。


「見るからになついてらぁ……」


 染々とした言葉に、アリアスは竜を見下ろす。

 突然アリアスを押し、何をするのかと思えばちょっと乗り掛かって何事もなかったように過ごしはじめた竜は、上から見ると体勢からして子どものように見えなくもない。

 なつかれるにしては実に急ではないか。


「……重い……」


 それよりも何よりもけっこう重い。いや、かなり重い。立派に大きく鋭くなった鉤爪が衣服に沈み込み、突き破れそう。今のところ突き破る予兆はないので、とにかく重みが。


「贅沢言ってくれるな」

「いえ、本当に重いんですけど」

「そうだろう、おれもそうだろうなとは察してあげられる。だが、羨ましがってるやつらがいるから。ほら」


 ほら、と指で示された方には少数人の先輩方。会話を止めれば静かになるので、呟きの断片が聞こえてくる。


「……膝の上に……」

「……見た? 竜の方からあんなに……」

「……羨ましい……」


 この重さを羨ましがられるのは納得がいかない。

 どれだけ重いか、持ち上げられることは不可能なほどの重さであることを周知のはずだから余計に納得がいかない。

 嫌われて威嚇されるよりよっぽどいいだろうが、重いことに変わりはない……とごく一部の羨ましいと熱い視線を送ってくる先輩から目を逸らして、再度下を窺う。

 重さの原因。

 周りの反応なんてどこ吹く風の竜。

 アリアスはどれくらいこうしていれば良いのだろう。こうなっては瞬間的に感じた恐れは消え去り、困ったが勝つ。


「どうすればいいんでしょうか……」

「頑張れ」

「……」


 退けてくれるとかそういう処置はないのか。

 沈黙するしかなくなったアリアスは竜の頭を撫でてみる。

 他の動物にはない撫で心地、大きな牙や鋭い爪でどんな動物よりも恐ろしい外見を持っているのかもしれない生き物は今とても無防備に見える。膝の上、なんていう警戒心のない飼い猫が座るような場所にいるからか。


 医務室へ向かうのは大分あとになりそうだと予感しつつも竜の気が済むまで気長に待つしかないようだ、と、撫でても目を開かない竜を見て考える。

 脚が、痺れなければいいなと願う。


「そうだ」


 じ、とアリアスと竜を見下ろして傍観していたディオンが不意に声を上げた。アリアスは座ったままがどうにもならないためそのまま見上げる。


「アリアス」

「はい」

「その竜の名前、言ってあった?」

「名前……いいえ」


 そういえば名前がないと不便なので名前をつけなければならない、という話があった。

 随分前の話なのだが、何十年に一度来るかどうかの竜の名前を簡単につけるわけにはいかないとの意見があって、アリアスには次第にその行方は不明に……。

 いつの間にか決まっていたようだ。


「『ファーレル』になった」


 膝に乗りかかる、すでに重すぎる幼い竜の名前はファーレルになったらしい。

 ファーレル、とアリアスは試しに呟いてみたけれどまだ呼ばれ慣れていないのか、竜は反応を示さなかった。







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