第14話 過保護
歩き慣れていた廊下で立ち止まっているアリアスは目を疑った。疑って、目の前の光景は確かなものだったので信じられるまで瞬きせずに見ていた。
近くの窓ガラスの前に行き映った顔を見れば、それは大層呆気にとられた顔をしていたろう。
見た方向には白いシャツに黒いズボン。シャツにはシワが入っている、と思う。そんな寝起きのような仕事終わりで帰宅した後のような格好をした人物。
治療を専門とする魔法師の制服ではない、ということだけでもそこそこ目につきそうなのに季節柄もあってそういう意味でも目につきそう。
他にも要素はまだいくつかあるが、アリアスにとっては見慣れた服装見慣れた姿であったので別に外見では驚きはしない。
問題は、場所だ。
師が廊下を歩いている、だと。それもここは騎士団の医務室の建物。周囲をさっと確かめてみてもそうだ。
それだけといえばそれだけのことなのに、アリアスは声を失っていた。
その間に悠然と歩いてくるに合わせて漆黒の長い髪が揺れ動き、紫の瞳がアリアスに定められている。
「――師匠、何してるんですか……?」
紛れもなくジオだった。
何をしているとは言い草かもしれないが、ジオといえば城の部屋にいても城である会議に行くのに魔法を使って移動する性格だ。塔の部屋となれば間違いなく。
それほどまでに部屋の外に出ない――会議には魔法で行っていることと例外は除く――のに、ここで何をしているのか。それがアリアスの言いたいことだった。
長い足ですぐに前まで来そうな師をまじまじと見つめていたアリアスははっとさっきの場所を確認するためという理由ではなく、異なる理由から周囲を確かめる。
最高位の魔法師がこんな格好で、という理由と普通に声をかけられて反射的に焦った。
同時に、ジオはルーウェンたちのように仕事中声をかけないとかいう気遣いをするような人ではない、が、そもそも会わなかったのだなと今さら、今気がつくようなことでない気もするが気がついた。
後、目を見張っているイレーナを見ることになった。
『黒の魔法師』と奇異な黒髪と強大な力を結びつけられて呼び表されることがあるというジオ。
果たしてイレーナはアリアスの師がそうであるというところまで知っているかどうか、それより若すぎる外見で結びつけられるかどうか。
言うまいかどうかその前にどう説明すべきで、イレーナがジオから目を離せておらず固まっているので大丈夫か。
それよりどうして師はここに。
「あの師匠、」
アリアスの問いはどこへやら、呼んだきり無言で近づいてきた師を見上げもう一度尋ねようとせずにはいられず言いはじめるも、
「話がある」
「え」
肩に手を置かれた。と、この状況まさか――アリアスはとっさに早口で言う。
「イレーナ、この人私の師匠だから――」
白い魔法に包まれた。
理由はともかく師を止めることは無駄なので、去ったあとが問題なのだが伝わっただろうか。
言いきることも出来ないままに、久しぶりの空間移動の魔法によりアリアスはその建物から姿を消した。
光により反射的に瞑っていた目を開くと、部屋の中だった。城の師の部屋。
何日ぶりに来たかすぐには思い出せない。とりあえず、本がところどころに落ちている程度の散らかりよう。
と肩に触れていた手が離れたことを感じると、師がアリアスを見下ろしている。
「師匠、急に何ですか……」
「聞いたあとか」
「……え?」
「来たな」
師の顔が扉の方に――アリアスもつられて見たところでノック。師が返事すると開けられた。
「師匠――アリアス」
ルーウェンだった。
「いいところに来たな」
「師匠」
「だが遅かったようだぞ。アリアス」
「はい」
「南部のことは聞いたな」
「……はい」
ルーウェンが扉を閉め近くまできたところで、ジオに呼ばれアリアスは彼を見上げる。
「治療団のことは」
「聞きました」
「それで、お前は何を考えた」
ともすれば、漠然としすぎた問い。
アリアスは急に師がここに連れてきた理由が勘違いでなければ分かった気がした。
「私は」
ルーウェンが傍らに立つ気配がした。
「行こうと思います」
相変わらず感情をあまり反映しない瞳を真っ直ぐ見据えて、アリアスは答えた。
考えた。考える時間が限られるどころかないと思ったから考えた。
考えはじめてみると答えはすんなり出たように思える。
ここで行くことができるのならば、行くべきだ。そう思った。だからといって半端な覚悟でその答えを出したわけでもないから、迷わずに口から出てきた。
「如何なる光景が待っているかお前は分かっているか」
「はい」
「その上でか」
「はい」
「魔法は万能ではない」
「分かっています」
知っている。
何度も念を押すような言葉はまるで師らしくなかったけれど、これには前例がある。
それこそ二年前、アリアスが行くとは思わなかった学園に行くことになったとき。
――「流行り病と知ればお前は鬱ぐだろう」
理由の一端にこう言った。
――十二年前にもなるか、アリアスはジオに拾われたのは。
当時アリアスがいた小さな町には重い流行り病が流れ込み、人々を侵し死んでいった。アリアスの父と母含め、周りの人々はいなくなってしまった。
そのことを知っているから、アリアスの見た当時広がった光景を知っているから。
二年前、この師はこう見えて思った以上にアリアスのことを考えてくれていたのだと知ることになった。
今回も同じようなことだ。重ねられる問いで分かった。
「国の南部で急激に病が広がっている病は感染力が強いだけでなくかかると治り難いもので、すでに死者の数はおびただしいほどだ」
「師匠――」
「ルー黙れ」
口を挟みかけたルーウェンを黙らせるジオの声はいつもと変わらないし、表情も変わらない。それなのに、いつもと違うのは。
「お前はそれに耐えられる自信はあるのか」
「――はい」
答えると、ジオはしばらく黙り……にわかに離れて行ってしまった。
「ならば俺から言うことはない」
ソファーに座った。
「ただ、ルーのことは自分で説得してから行け」
完全にいつもの師である。ぽいっと話題を投げて寛ぎはじめた。仕事はどうしたのだ、と言いたくなるが優先事項があるので覚悟してジオがいた方とは異なる傍らを見上げる。
立つのは兄弟子。
青い瞳がすでにアリアスを見ていた。すると、目線が落ちた。ルーウェンが屈んで、本当に真っ直ぐ目を合わせてくる。
「ルーさ――」
「俺は行かないで欲しいと思っている」
「ルー様」
「本当に、大丈夫なのか」
「ルー様、私はもう子どもではありません」
ここ数年彼に、もうそんな年齢ではないのに子どもにするようにされる度に言っていることをようやっとのことで口にする。
とても心配に満ちた言葉を次々と言ってくる合間に滑り込ませることができた。
「大丈夫です」
いつも自分の心配をしてくれる、時に過ぎることもあるそれを今回もしてくれているとはルーウェンの表情に出ている。
反対をしている。
アリアスはどうやって説得できるのか「大丈夫」だと伝えるしかないと思った。
「ルー様、大丈夫です」
「決めた後だとはもう分かっているんだ」
「はい」
「けどな、アリアスの記憶が掘り起こされるんじゃないかとつらい思いを思い出してしまうんじゃないかと思うんだ。どんなに覚悟をしていても、それは――」
避けられないのではないか。途中で止められたのに、アリアスは続きを察した。
「私がなぜ治療専門の魔法師を目指したか、分かりますか」
「……分かっているよ」
「はい。昔のことがあったからです」
ルーウェンの目の青が揺れる。
「次同じようなことにが見舞われたとき、自分が後悔することになるのは嫌だと思ったからです」
その目を見て、何だか自分がこうして説得してルーウェンがまるで――辛そうな顔をしているのは反対だな、と思った。
大抵はルーウェンがアリアスを落ち着かせてくれるのに。
「頑張ってきます。役に立ってきます。帰ってきます」
見つめてあらんかぎりの思いで訴える。
ルーウェンはアリアスの詰めた覚悟に押されたように、口を開く動作をしかけて、止めた。
ひたすらに見て、見られ、どれほどか。
「……そうなんだよな、もう子どもじゃないからな。魔法師だもんな……」
兄弟子は呟いた。
目の前にある顔が下を向き、銀色の頭のつむじを目にする。ゆっくりと屈められていま背が伸びて、下を向いている顔とちょうど合う。
ゆるり、とルーウェンは緩い笑みを辛うじて分かるくらいに口許に。
「分かっていたんだ。ごめんな、決めたあとに口を出して」
「いいえ。……それにしても、よく分かりましたね」
「分かるに決まっているだろう」
話がまとまったと見た師の声が挟まった。
分からない方がおかしい、と。
「今だから白状するんだけどな、可能なら治療団の情報もブロックしてしまおうと考えが過ったんだ」
「……またですか」
「さすがに無理だなってなったからしてないぞ?」
「そうでしょうね」
城にいるし、治療専門の魔法師である。関わる要素しかなく、情報をブロックできる学園のような条件が皆無だ。
この際だ、というふうに白状してくれるではないか。呆れた目になりかけた。いけない。
「魔法師になったばかりの者は連れて行かない手筈になっていたはずだから、でも志願は受けつけるからアリアスは考えるかもしれないと思って……行かないでくれるといいと思ったんだけどなー」
「……あの師匠、一応聞くんですけど……」
「俺は何も手を回していないからな。単に未熟な者を連れて行けば邪魔になるというだけだろう」
容赦ない批評。
前は学園に編入できるように学園長に手回ししたのだ。さすがに今回は編入とはわけが違うから違ったようだ。そうであったら……十二年ほど目にしてここで師に兄弟子と同じ過保護を嗅ぎとってしまうところだった。
「アリアス」
「はい」
「俺が止めたいと思う理由は、病にかかってしまうかもしれないからという理由ももちろんあるんだ」
「……はい」
「でもそれはアリアスが行くということの障害にはなっていないんだろう」
「……」
「その際のもしものことは口にしたくない」
アリアスもかからないとは断言できない。それでも帰ってくるとは約束したい。もう言った。
「それはアリアスを信じているから」
「はい」
「俺の可愛い妹弟子、行って、ちゃんと帰っておいで」
兄弟子はやはり過保護であったが、微笑みそう言ってくれた。
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