第16話 兄弟子の願い


 治療団が国の南部へ向かって旅立った。事は急を要するので途中まで空間移動の魔法で送られ、そこからは地道に向かうことになったと聞く。

 もう数日経っているので今ごろは現地で目的である治療にあたっている頃だ。


 ルーウェンは雨の空の下を竜の背に乗り滑空しながら目を遠くの方へ向けた。打ちつける冷たい水滴は顔から首へ、身にまとっている外套の少しの隙を縫って中に入り込んでくる。

 その中で目を開くが景色は見通せない。ぎりぎり目で捉えた限界は雨で境界がぼやけている。それより先、見えるはずもない遠い地を思った頃に竜が下へ向かいはじめた。訓練場が近づいてきた。

 雨天での飛行訓練の最中のことであった。



 濡れた髪を拭かないままにルーウェンは訓練場の外へ出るための通路に差し掛かる。そこで入れ違いで訓練場にやって来た男の姿が目に入り、通常なら互いに行く方向は反対なのですれ違うときに軽く声を交わすくらいだが、


「ルー、聞きてえことある」

「……? なんだ?」


 向こうからそんなことを言われて立ち止まる。


「俺最近アリアスに会ってねえんだけど、姿見かけないにしてもほどがあると思ってな。お前会ってるか?」

「え?」

「あ?」


 ルーウェンは動きを止めて立ち止まって向かい合うことになったゼロを凝視する。

 姿を見ないにもほどがある。検討違いなことを聞いてくるな思ったのはつかの間。ひとつの可能性がすぐに芽を出した。まさか言って行かなかったのか、と。

 アリアスは治療団の一員として南部へ行った。姿を見ないのは当然だ。ルーウェンやゼロがいるのは城であり、アリアスがいるのは王都を離れた国の南部だ。

 しかしあんな問いを投げてきたゼロ、知っている風ではない。

 だが、果たしてアリアスの性格で言って行かないだろうか。確かにゼロに言えば――自分が言うのもおかしいかもしれないが――ややこしいことになるだろう。だからといって――あ、とルーウェンは思い当たる。


 治療団は編成から出発まで、準備が急ピッチで進められた。治療団に参加する者だけが準備をするわけではないが参加することに決まった者は忙しい。

 時間が無くなってもおかしくない。


 現実としてゼロは知っていない。

 ではどうすれば良いかとルーウェンは頭のどこかで同時に考えはじめていたことを主として思案する。

 ゼロの発言に沿いごまかす方法を考えてみる。

 この時期、風邪。風邪だとごまかした場合を想定してみる。駄目だ様子を見に行きかねない。宿舎は男女別になっていても何らかの方法で具合を確かめることが想像され、最終的に事実を知ることになる。

 それに治療団の帰還がいつになるかは分からない。病が収まり次第。

 すぐにその先の未来が見えた。これはなし。


「かといって他に方法はないしな。そもそも隠すのは難しいよな……」


 というより、すでに無理だ。

 前に立つゼロを見る。かなり怪訝そうな顔つきになっている。


 治療団の名簿は必要な者には配られているのであり、ルーウェンもアリアス以外にどの名前が連なっているのか全員を把握しているわけではない。が、見ようと思えば見ることができる。騎士団の団長であるならば誰に許しを得ることなくその権利を有している。

 この男は見ていないだろう。見ていればあんなことを言わない。


 しばらく気がつかなかったことは運が良いのか悪いのか。

 治療団に参加するからには通常業務からはその時点から外されるはずで、事実竜の体調を診る仕事にしても姿が消えていたはずだ。

 しかしゼロはここのところ抱えている仕事の関係あってかこの訓練場に来ていなかったようである。加えてそもそも意外なものだが、アリアスももう正式な魔法師でありさらには少しばかり変則的な仕事状況になっていることあって、彼はアリアスのことを気遣って無理に会おうとはしていないようだからタイミング悪くも今会っていなさすぎるし顔も見ない、とストレスが溜まりはじめた頃か。

 そんなことを考え合わせてみると目つきがかなり悪いように見えてきた。


 ルーウェンは考えられるごまかす方向の最善の策がどこにも見当たらず、仕方ないと最初からひとつしか用意されていなかった道――正直に伝えることにした。


「アリアスはいない」

「いない?」 


 唐突な言葉に聞こえただろうことが手に取るように分かった。

 そうだろうな、思わないだろうなとルーウェンは思う。考えたくない思考が無意識に働くから。


「いないって、どういうことだ」

「国の南部にいる」

「……は?」

「先日編成された治療団に志願して流行り病を収めに行ったんだ」


 この男の表情が固まったところを見たことなんてあっただろうか。あったとしても最近ではないに違いはない。

 妹弟子は友人ゼロにそういう滅多にない表情を容易にさせる。


 だからこそ、このあとの反応が予想できなかった。



 *



 ゼロが無言のうちにルーウェンは後で話そうとその場はそれきりで、夜になって場所はルーウェンの部屋。


「ルー、なんでお前止めなかったんだ」

「俺が止めないとでも思ってるのか? 止めようとした」


 入ってくるなり胸ぐらを掴まんばかりの口調でゼロがルーウェンに詰めよっていた。聞かれたことにルーウェンは大いに心外なことで、出来うる限りゼロを刺激しないように説明をしようと思っていたが眉を軽く寄せてしまう。止めようとしたに決まっている。


「ああそうだよな、お前が止めようとしねえはずない。だからって――」

「アリアスはもう決めていたんだ」


 だからって、病の広がる中心に行かせるなんて正気かとでも続いたに違いない。ルーウェンとて思ったことだ。

 けれどそこは『治療専門の魔法師』の役割として今回ではなくとも担っていくことになったはずだから。と、ルーウェンは自分をどうにか納得させた。

 ゼロの言葉を遮り押し込むみたいに言うと、彼は珍しくそれ以上噛みつくことなく口を閉じた。

 ゼロも同じことは考えたのだろう、ただ追いつかない部分がある。それもルーウェンにも分かっていた。


「アリアスはもう行った。アリアスだってお前に言わずに行くつもりはなかっただろうが、それは帰ってから言えばいい」


 そこばかりはルーウェンにはどうしようもない。とりあえず今、説明し落ち着かせることが重要だ。


「……意味分かんねえだろ。何で、わざわざ自分から行く」


 荒げられた声ではなく、彼自身により押さえつけられた声だった。

 どうしてアリアスは行ってしまったのか、どうして最悪の場合死んでしまうかもしれない場所に行ったのか。

 本人はいないから本人には聞けない。けれど吐き出さずにはいられない、という様子だった。


 彼は、知らない。


「……ゼロ、今年は季節外れの長雨だな」


 それまでの、友人への説明と未だに自分への言い聞かせも兼ねたような声音ではなく、ルーウェンは穏やかな声音で話し始めた。

 朝一にする、日常会話の一部として機能する天気の話から始まった。


「けど生きていてはじめて体験したというくらい稀な季節外れの雨じゃないよな。それにこの季節だけじゃなく、より先の季節にも長雨の見ない時に降ったことだって過去にはあったよな。長雨の時期だって国の地域別で多少ずれるが、ある」


 返事がなくても続ける。


「俺の師匠が城の外を度々放浪するっていうのはな、最近はなりを潜めているけど数年前まではそんなイメージがあっただろう?」

「……ルー、話が読めねえから」


 今、気が長くないのは分かっているけれど、もう少しだけ付き合ってほしい。ルーウェンは聞こえなかったふりをしてそのままのペースで話を続ける。


「実は最初の頃、俺が弟子入りさせてもらった頃はそんなことはなかった。ずっと城にいる人で、ときに出ていったとしても一日二日で帰ってきていたんだ。師匠は国の端にいても魔法で帰って来られる人だからな」

「ルー」

「でもあえてそうしていたんだ」

「ルー! 意味分かんねえ話――」

「師匠は王都に長くなりそうな雨が降ると予測すると城を出ていた。必ずアリアスを連れて」


 雨の話。ジオの話。

 急に、アリアスの名前。

 ゼロが困惑の色を見せた。

 その隙に、ルーウェンは話を続ける。


「長雨を避けるために外に出るのに、帰りに魔法でぱっと帰って雨がまだ降っていては水の泡だろ? だから行きも帰りも徒歩と馬で行くんだよ」

「……なんで雨が降るからってアリアス連れて王都出るんだよ」

「俺が馬鹿らしいくらいに恐れたからだよ。あの子の辛い記憶が少しでも甦ることを」


 ルーウェンはゼロの行き場のない問いを無視したわけではなかった。話すことにした。話すことになるかもしれないとは思っていた。

 ゼロには知る権利があり、おそらくでしかないが妹弟子だって話していたのではないだろうか。

 そして、きっとこの友人は聞いたことを下手に掘ろうとせずに胸に仕舞っておいてくれる。そう確信したから。


「俺がアリアスにはじめて会ったのは王都の外で、それは季節外れの雨が降っていて降り続けていたときだった。――アリアスはそのときたくさんのものを失った」


 今でも明確に覚えている。


「アリアスが元々いたのは小さな、村と変わらないほどの小さな町だった……その町は今、もうない」

「ない……?」

「住人たちが重い流行り病で死んでしまったからだ」


 覚えている。小さな小さな女の子が雨の降りしきる中、『後悔』をしていた。雨に濡れた顔では流れる涙か雨粒かほとんど区別がつかず紛れてしまっていたけれど、そうでなくすれば一目瞭然だった。留めなく、本人の意思とは別に涙は生まれ落ちているようだった。

 今まで周りにあったものを全てなくして、その目は幼い子どもが抱えるはずない絶望に染まっていた。


 あれから約十二年、大きくなった子はそんな素振りは見せない。見えない。

 けれど、出会ったとき、それからしばらく中々消えなかった光景を覚えているから。いつまで経ってもアリアスのことを子ども扱いするルーウェンは、本人よりもよほど恐れていたのかもしれない。

 再度アリアスの瞳が深い翳りに染められることを恐れ、きっかけになるものを防ごうと躍起になった。師は特に何も反対することはなく協力してくれた。元より催事のときは外に出ていっていたからその延長線上というくくりかもしれない。


 今回、もう大丈夫なのかもしれないと当の妹弟子に教えられてしまったけれど。「子どもではない」と何度も言われては分かった気になっていただけだったことも。


「ゼロ、アリアスは覚悟を決めて行ったんだ。待ってやるしかないんだよ」


 どうかあの子が無事に帰って来るようにと、それだけがルーウェンの願いだった。

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