第24話 境目にて
歩けるのに、ゼロに横抱きにされて移動することになっているのはグリアフル国側の陣営。
暇そうにしている者などいるはずもなく兵や医療専門と思われる服装の人が行き交う。
その中、ゼロの影響か学園の制服のせいもあってか視線が集まっているようだった。
「せめて下ろしてくださいゼロ様……」
「却下」
即行で却下された。
「つーか怪我ねえとか嘘つくなよ」
「いやそれは、安心してですね……」
それに、それどころではなかったような。
どこに連れていかれているかいまいち分からず、顔を覆うことでしのごうとしているアリアスはそろ、とゼロを見上げながら弁解する。
「気づかなかった俺も俺だ……」
「あの、本当に普通に歩けるくらいの怪我なんですよ」
そう、こうなっている理由はひとつ。陣営の奥にて竜から降りたときのこと、アリアスの脚の怪我が判明したからだ。肝心の傷がよく見えなくとも流れた血が目を引いたよう。しかし歩けるくらいなのでこれといって酷いものではない。
酷く見えるのであればそれは応急処置の布が赤く染まっているのと脚に血が流れた跡があるからだ、と言ったのだが次の瞬間視界が揺れ、問答無用で抱き上げられていた。
「ああ聞いた」
「…………ゼロ様、お役目は……」
「必要なら誰か来る」
どういうわけか全く取り合ってくれない。
なぜだろう。いたたまれない状態は継続。
「でも、ですね、」
「この後の動きは元々決まってる。急ぎなのはジョエル団長とあと一人竜の乗り手がこれからレドウィガ国の王都を目指している別動軍に合流しに行くことくらいだ。――頼むから、怪我の具合だけは診てもらわねえと。それにここに一人にすると困るだろ?」
「……確かに」
一人になったらなったで確かに困る。でもあれ? この状態の説明にはならない……。アリアスは顔を覆い直したあと思ったが、結局言いくるめられた。
そんなアリアスを言いくるめたゼロは迷いなくどこかに歩いていく。
「……ちょっと、待って」
かけられた声にゼロが立ち止まった。アリアスはそのことに気がついて何だろう、と手を顔から離す。
「クレア様……?」
前にエプロンをつけたクレアが振り向いただろう形でいるではないか。治療専門の魔法師である彼女はそのために戦地に来ていたのか。
ゼロもまた振り向いたみたいなのでアリアスも完全に顔を合わせる形になっている。
両方が一度すれ違った様子。
「どうして、……アリアスが、」
クレアは名前を呼んだことで確信した様子で走り寄ってきた。
しかし、理由が分かるはずなく予期もするはずなくとても戸惑っている。
「説明……怪我してる。あなたが一緒に来たってまさか戦地にでもいたの? どうして」
「怪我の具合を診てほしい。今いいか」
「こっち」
ためらうことなくクレアはゼロについてくるようにと歩き始める。向かったのはひとつの天幕、その端。木箱を引っ張ってきたクレアは「下ろして」とゼロに向かって言い、アリアスはおろされて座ることになった。
すぐにクレアが両膝をつき、傷口を確認しようと……
「ちょっと、遠慮してくれる」
怪我の具合を見るために裾をめくろうとしていたクレアが背後に立つゼロに淡々と外に出ろと促す。
「何でだよ」
「脚をじろじろ見る気?」
「はあ?」
「傷だって女の子は、」
「く、クレア様、いいですいいんです」
「……アリアスが言うのなら、いいけど」
なにやら言い合いがはじまりそうな空気になったので急いで割って入ると、クレアは渋々といった様子でそう言いこちらが先とばかりにすすすとスカートの裾を上げていった。
「……魔法でつけられた傷」
縛り付けていたハンカチを解いて染み込んだそれに細い眉を若干寄せた彼女は、淡々とした口調ですぐに言い当てる。
エプロンのポケットから取り出した布で傷周りの血を拭き取りつつ観察しながら、クレアは口を開く。
「アリアス教えて、どうしてここにいるの」
「それは……」
尋ねられることとは思っていた。
改めて問いの内容を頭の中で繰り返し、思い出す。
一日も経っていないのに、一日の出来事よりもよほど密度あり勘弁してもらいたい経緯。学園にいたはずが、どこという概念がないような空間を経て、戦地に来た。
魔族と隣国の将軍によってのこと。魔族のことは言ってもいいのだろうか。
「方法はいくつか思いつくけれど、アリアスがするとは思えない。どうしてここにいるの」
傷を見る目は悲しそうな感情を宿していた。
「どうして、こんなことに」
「クレア様……」
「詳しいことは言えねえしこれは分かってることだろうが、望んで来たわけじゃねえよ。連れて来られたんだ」
「……そう、分かった」
代わりに答えてくれたゼロの返答は簡潔で下手に濁しはしなかった。そういえば何も話していなかったが、魔族のことを知っていたから予想したようだ。
それに短く了解の意を示したクレアに申し訳なく思いながら見ると、彼女が患部に手をかざしていることに気がつき、止める。
「クレア様、魔法は使わないでください」
「アリアス?」
「他の方に使ってください。申し訳ないですけど、簡単に手当てできるものをくださると勝手に手当てするのでそれだけお願いできますか?」
「……じゃあ、こうする。私が手当てする、けれど魔法は使わない」
顔を上げてじっと見つめられてそれだけは譲らないということを悟る。
「……すみません、ありがとうございますクレア様」
「怪我を治療するために私はここにいるの」
待ってて、とクレアは立ち上がってどこかに行った。行った先は奥の方向で側に立っているゼロで見えない。
その彼はクレアが席を外すと、
「それ誰にやられた」
魔族か? とは口だけ動いて尋ねられる。
「将軍、です」
「ああ殺ったか」
こればかりは事実を言うと、ゼロは無感情な声で言った。
「分かってりゃ、もっとやりようがあったな」
それから何かぼやいて彼は戦地に行く前に切ってしまった灰色の髪を、右手でぐしゃりとした。
そういえば、自分はここからどうすればいいのかという疑問が生まれた。戻ってきたクレアによって仕上げにくるくる巻かれる包帯を見ながら、邪魔にならないように雑用をするくらいしか思いつかなかった。
「ここにいたか」
その声にいち早く反応して入り口を見た。入り口から顔を覗かせているのは、声から予想した通り師であった。
どうしてか、アリアスはその姿を見てほっとした。
「師匠」
空の上で魔法をぶつけ合っていたと思った師の姿がいつも通りであったからだろうか。
紫の目はアリアスを上から下まで見たように思う。
「怪我はそれだけか」
「はい」
「ゼルギウスか」
「いえ、」
「あいつは隣国の将軍に身体を借りずには王都に行けんか。ならばその男だな」
ぴったりと推理してみせられた。
アリアスは無言で頷く。
一方、漆黒の髪を流して完全に中に入りきらずにいるジオは次に、自らに顔を向けるゼロに目をやる。
「上手くやったようだな」
「当然です」
「その将軍はどうした。俺は見なかったな」
「俺が下で」
「そうか」
この二人の話しているところは珍しいな、とジオと横顔だけ窺えるゼロが言葉を交わす様子を観てアリアスは思考の端っこで思った。
「そちらの方は終わったんですか」
「ああ」
最後の短いやり取りの後、ジオがこちらを見る。
「アリアス、お前戻るぞ」
「え?」
「ここにいても仕方ないだろう、俺が送ってやる」
「え、いや、でも師匠、」
ここはグリアフル国の北部、それだけでなくレドウィガ国との国境にあたる土地。
王都からは遠いはずの土地。
空間移動の魔法を使うには少々どころでなく結構度が外れている。
この師であればこの地へ来るのは魔法力も消耗していなかったし行けた、のかもしれないが、今。
「その心配はいらん……が、本軍も移動するがその前に解決しておかなければならないことと話すことがある」
アリアスの心配を一蹴し、ゼロに向かってもジオは言った。
「魔族との取り引きにはそれ相応以上の対価を覚悟しなければならん。対等に取り引きしたつもりが玩具にされたな」
争いの跡残る荒れた地を眺めてジオが言った。
「アリアス、俺はそっち見て欲しくないなー」
アリアスも師が見ている方に顔を向けていると、合流した兄弟子にやんわりと制された。
陣営から離れ、土地の中央からも離れた端っこに集まっているのは四人。
ジオ、ルーウェン、ゼロ、そしてこの後連れて戻ってくれるらしいからかアリアスも、だった。レルルカは怪我人の治療に奔走している。
そして、それはもう世間話みたいに師は言った。
「今回のことで気がついているだろうが、俺は人ではない」
その言葉の後、痛いくらいの沈黙が落ちた。
アリアスは驚いてとっさに理解が追いつかず、固まるはめになった。
人、ではない。
疑念と言うべきか事実と言うべきかそのことが浮かび上がってきたのは、一緒にいた期間と比べると、少し前のこと。
元より奇異と言われる漆黒の髪を持っていた師と同じ髪色をした、人ではない存在が現れた。
「こちらで呼び表す『魔族』というものだ」
――魔族
正式名称は魔法族であるというその存在。
国の歴史では隠され邪悪なものとして扱われている、魔性を感じざるを得ない存在。
アリアスをこの地まで拐ってきた、ゼルギウスがそれである。
「別に隠していたわけではないからな。わざわざ言う必要を感じず、他の者が気がつかなかっただけだ」
対して、ジオは自分から言うのは面倒だろうというだけの姿勢。
「今知るのは、王とアーノルド……くらいか」
「アーノルド様は知っていらっしゃったのですか」
「あいつは古参だからな。王には代々言うようにしている」
元々いつからか知っていた様子のルーウェンがそこだけを確認する。
「残りの魔法師は今まで気がついていなかったな。今日のことでレルルカとジョエルくらいは気がついただろうが、まあバレないものだな」
魔族の特徴。
不老長寿を体現しているジオ。
これまで魔族の存在を認知していたはずの最高位の魔法師と団長の多くが彼をそうとは結びつけなかったのはなぜか。
結局は大昔の現在は伝承にしかいない存在だ。
近くにいるはずがない。
境目は封じられている。
この地の魔法を受けつけない魔族がその中心部である王都で年のほとんどを過ごしているはずがない。
との無意識の思い込みであろうか。
彼に、邪気がまるでないからだろうか。
「ひとつ、いいですか」
「何だ」
「ジオ様は結構前からこの国にいるはずです。そのときから綻びている境目があったんですか」
ゼロが落ち着いた様子で伺いをしてから質問した。
「俺が通った境目はこの地のものだ」
「……ここの境目はそのときからずっと綻びたままというわけですか」
「いいや。それも含めて話をしようと思ってな。――アリアス、お前は飲み込めなくても構わん。後で話をしてやる」
急に声をかけられてアリアスはこくこくと頷くことしかできなかった。
待っていると言ったが気にはなっていたことが、次々と思わぬことに経験をした後に、するっと与えられてくるとは。
それでも整理しかけられていたのだが……アリアスは頭を撫でられてそちらを見上げると兄弟子が緩い笑みでこちらを見ていた。
「師匠、本題は境目のことですね」
「そうだ。あれが見えるか」
指でさすことなく視線だけでジオが示した先。
切れ目。
曇った空を切り裂いたとしか見えないものが空にあった。
あんなもの、気がつかなかった。
「あれが、所謂あちらとこちらの『境目』やら『繋ぎ目』と呼ばれているものだ」
「あれが……」
切れ目は長いが、向こうは上手く見えない。でも、黒いような気がする。あの色味ない空間でも広がっているのだろうか。
「それで、だ。あれを応急処置にでも一度塞いでおかなければならんわけだが、」
「よいしょっと、戻って来れたあ」
その声は突如割り込んできた。
びくり、とアリアスは姿を認めるより先に身体が反応する。それから『境目』にその存在を認める。
ぐぐぐ、と切れ目を広げてこちらに出ようとしているのは、漆黒の存在。ゼルギウスと名乗った魔族。
「まったく押し込まれちゃったよ」
緊張感ない、笑いまでも含む声で再び現れ深紅の眼で笑う。
と、ほぼ同時。
突如ルーウェンが腕を振った。
青みを帯びた光が発され、強烈な結界魔法が境目――正確には魔族に向かって叩きつけられる。普通の結界魔法の使い方ではない。それに、荒々しいくらいだ。
「ルー様、」
驚いたアリアスは強烈な光に目を奪われて魔法を追ったあとそれを放った兄弟子に目を向けたが、もう一度驚く。彼は、今までに見たことないくらいに厳しく険しい顔をしていた。いつもは――さっきまでも優しげだった青の目は一変して冷たく鋭い。
兄弟子が、怒っている。
その身体がふら、と揺れた。
「ルー様!」
「おいルー、無理すんなって。さっきまでぶっ続けだったろ」
彼はゼルギウスと師が戦い魔法をぶつけ合うことに際して、大規模な結界魔法を回復しながら行わなければならないほどに持続していたというのだ。かなり疲れているはず。
「無理はしてない。あれがアリアスに何をしたか分かってるだろ」
「気持ちは分かるけどよ。俺はあいつ燃やしてえし」
一度支えられたルーウェンは今度は師に目を向ける。
「師匠、なぜまたあれが来ているのですか」
「俺は一旦境目に押し込んだだけだからな」
「びっくりしたあ、まだいるんだねその魔法の使い手って。人間の命は短いのに遺伝はしっかりしてるんだね」
間延びした声がまた、魔法が向けられたときに一度消えていた顔を境目から覗かせると共に届く。
ルーウェンが眉をかなり寄せる。手が動いたことにアリアスは気がつく。
「駄目ですルー様、これ以上魔法を使うと倒れてしまいます」
「アリアス……」
手に触れると、兄弟子は表情を和らげてみせ何か言おうとした。しかしその前に口を開いた者がいた。
「ゼルギウス去れ」
底冷えする目と声でジオが一言。
「
けらけらと笑いながら境目から全身を現したゼルギウスは何もない宙に立って見下ろしてくる。
「ここでまたやってもいいね。こっちの土地にしては最適な場所だよほんと」
「大人しく戻れと言っている」
「戻してみなよジオネイル、君が」
にんまり、にんまりと試すように唆すように。
「――しないかあ。僕と全力で戦おうとしたらこの土地に収まらずに地が荒れるもんね。僕は気にしないしそうしたいのにさあさっきも微妙にそこら辺計算してやってきたし、油断しちゃったよ。しかもまた目がそんなのに戻っちゃってるし、あっちに帰ろうよ。そっちが心地いいはずないでしょ、それともその子を消せばいいの?」
「お前にどうこう言われる筋合いはないと思うが。俺は俺のやりたいようにする。そっちは
目の紫が、赤紫に、そして真紅に移り変わる様子を目の当たりにする。
纏う空気が変化する。
「師匠――」
黒、という色が似合いすぎた。
存在が遠くなってしまう気がした。『魔族』に引っ張られていってしまうような。
手を伸ばし、服を掴むと、
「離れろ、アリアス」
「まさかと思って餌にしたらまんまと来ちゃったよね、ほんと何なのさ。飽きたって言って質が戻る」
目が合わないままに容易に手をほどかれ、押し戻された。
よろめく前に受け止めてくれたのがどちらかと確かめる前に、より下がらされて背後からふっと青みを帯びた魔法の光が前を覆い、
「ゼルギウス、 去 れ 」
刹那、師から発されたのは黒い魔法。
圧倒的な力が向けられたのは異なる方なのに、余波が凄まじい。
暴風が起こり、目を開けていられなくなる。
やがて目を開いたとき、荒れた地の先が、広がっていた。
目の錯覚でなく、間違いなく。
「また一旦押し戻したから話が出来るが、早めに済ませるぞ」
背を向けていた師が振り向いてアリアスは一瞬びくりとする。
しかし、その目は赤みかかった紫から純粋なる紫色に移り変わるところだった。
そして、何事もなかったかのように話をゼルギウスが現れる前の話題に繋げる。
「あの境目を塞がなければ『あれ』のような変わり者がこちらに影響を及ぼしかねないわけだ。だが、境目を塞ぐのには普通の魔法では使い物にならん」
「俺に塞げますか」
「無理だ。人間の魔法力ではまず死ぬ」
結界魔法を解いたルーウェンの問いは退けられる。
「こういう事態を見たのは俺は二度目になる。さっき言ったかつて俺がこちらに来たときのことだ。言っておくが俺のせいで境目が綻びたというわけではないからな。あちらから綻びさせられるのならば、とうの昔にどこぞの変わり者がやっているだろう」
くいっと頭の動きで示したのは彼の背後の境目。
「そして、境目が綻びたならば、無論それを塞ごうとする者もいた。俺はそれに協力した形だったが、結局そうした者は人ではなかい者であったのに命ごと力を尽くし、あれを塞いだ。それを抜きにしても人間にはない大きな力が必要だ」
「協力、ですか」
「だからと言って俺が封じをし直したわけではない。そもそも魔族には防げない。防げはするが、魔族に対して抗力をそれほどもたないと考えるべきだ」
あちらとこちらを遮っているのは、魔族の魔法がこちらに影響を与えて来ないようにするため。
「塞ぐ心当たりはある」
「それは」
真っ白な魔法石。が、袋から落ちジオが触れることなく宙に浮く。
石を目にしてゼロが声をあげた。ジオはそれにちらと目をやったが、すぐに魔法石に戻す。
魔法石は砕けた、というよりひとりでに小さな粒に分かれてまとまり、どこかに帯となりながら風のように軽やかに向かって行く。きらきらと残された光が輝き、これは消える。
「それまでは俺が塞いでおこう」
帯を見送ったのち、境目を振り返ったジオは手をあげる。
そうすると、なんと隙間をみせていた境目がじわじわと細くなり、太い線だけに、最後には消えてしまったようになった。
「無理矢理に、だがな」
彼はひとつ浅く息を吐いた。
「話はこれで終わりだ。城に戻るついでに報告は俺がしておく。レルルカとジョエルにはお前たちから言っておけ。俺は次はそのままレドウィガ国の首都に向かう別動隊の元へ行く」
「はい」
「アリアス、戻るぞ」
「え、あ」
歩いてきた師に前から肩に手をかけられ、返事する前にまともに反応する時間なく白い魔法に包まれた。
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