第23話 兄弟子、確認
その日の夕方、騎士団の訓練施設のひとつには一人壁にもたれかかり片膝を立ててぼんやり座っているゼロの姿があった。
十分前まではここには彼の騎士団の者がいて訓練をしていたのだが、終わったはずの今残った彼以外に人の姿はない。
そんなゼロは眼帯に触れてから顔を片手で覆って天井を仰ぎ、ため息をついた。
「それは何のため息なんだ?」
その場にルーウェンが現れた。
顔から手を離して右目でそちら見たゼロは歩み寄って来る彼に目を定めたが、向けられた言葉には答えず言う。
「何でここにいんだよ」
「久しぶりにやろう」
決して機嫌がよいとは言い難い様子のゼロに向かって、ルーウェンもまた答えずに笑って腰の剣を抜いてそう言った。
ルーウェンが拒否権など匂わせなかったため、ゼロも何か感じたのか立ち上がり剣を抜き二人は相対していた。
「眼帯の下、見られたらしいな」
「……ああ」
構えたままルーウェンが話しかけると、ゼロは短く答えた。
「それで?」
「何が」
「アリアスと会ってないんだろ」
ルーウェンが動き始め、その刃をゼロが受け止める。そこからは絶え間なく刃がぶつかり合う。
しかし、ゼロが無言であることにルーウェンは内心苦笑せざるをえない。まったく、今日のこの様子ではこの勝負は自分の勝ちだな、と剣を合わせて一分。普段の腕を知っているからこそそんな判断さえする。
「お前のそれなら俺も見ただろ?」
彼が何についてため息をついていたか、何をどう気にしているかくらいは容易に想像はついた。普段は豪快で雑なところがあるくせに、どうも妹弟子のこととなるとこれまでの彼に対する常識が通じないもので、自分に対してやったようにはいかないのだろうと。
「――お前あんまり驚かなかったよ、な」
「驚いてたぞ? 顔に出なかっただけで……と」
「あれがかよ」
ゼロが刃を受け流しながら踏み込みルーウェンが最低限の動きでそれを避ける。その最中、息は切れていないもので会話が交わされている。安全面を考慮した刃の潰された剣ではなく正真正銘の真剣でやっているが、これくらいは避けられるだろうというものは容赦なくやり、両者譲らない攻防。
「まー、見た直後誰かさんに脅されたしな」
「脅されてねえだろ、よく言うぜあの態度で」
そのときのことを思い出すと緊迫した空気だったはずなのに、ルーウェンは今になると笑いそうになる。もちろん今、本気の命の取り合いではないとはいえ、真剣の打ち合いの中なので笑いはしない。
おまけにゼロはこの話題は好きではない。
だが、だからといってルーウェンは引き下がってやるわけにはいかない。
「ゼロ、アリアスと会ってないんだろ」
そこそこに
「……お前の反応が普通じゃないだろ」
ゼロが憮然とし、少し間を開けて呟くように言ったところで生まれたわずかな隙をルーウェンは見逃さなかった。剣を振ると見せかけて素早く蹴りを腹目掛けて一発入れてやる。が、さすがの身のこなしで避けられる。予想済みで間髪入れずに剣を振るう。それからもう一度、今度は足元に蹴り。
そうしたら、次はあり得ないほど簡単にかかってくれた。
反撃される前に、ルーウェンはゼロの顔すれすれ、地面に剣突き立てる。
「お前な、俺の妹弟子なめるなよ」
ルーウェンの視線の下のゼロはそれでもなお、剣をルーウェンの首横に突きつけていた。
「アリアスだって避けられるとさすがに気がつく。あんな去り方あるか馬鹿野郎」
地面から剣を引き抜く。一歩後ろに下がりながらくるりと剣を半回転させて鞘に収めるとルーウェンの口から小さなため息が出る。
その前ではゼロが立ち上がっていないまま。剣は下ろして持ったまま地面に置いている状態だ。
「らしくねーぞゼロ」
「分かってんだよ俺だって――けどよ、仕方ねえだろ」
「何が仕方ない。何でアリアスと向き合わない、ああそうだ今は忙しいな。けどな、この先ずっと避け続けるのか」
「それは、」
「言っただろ。『ふざけた真似してるとぶっ飛ばす』って。お前本気だって言っただろ。ぶっ飛ばされたいのか」
ルーウェンは友人の言葉を遮る。聞きたい言葉が出てくるとは思えなかったからだ。
「俺だってな、人のことにとやかく言う趣味はねーよ。でも、俺の妹弟子に――アリアスにあんな顔させるなら別だ」
本来なら無闇に首なんて突っ込まずに放っておく方だ。だが。
もはや見慣れぬ姿とかいうことは頭の隅に追いやられており、彼はあることのために言い詰めていた。
「そんな覚悟でアリアスにちょっかい出してたのか?」
「……」
「見損なった」
言い過ぎかと思えるほどに。
「……そんなわけねえだろ」
すると、それは唸るように低い声での否定。ゼロがルーウェンを真っ直ぐ見上げてそれだけは否定した。
眉が寄っていて、苛立ちが目に見える。誰に苛立っているというのか。
自分か。違うな、とルーウェンは感じる。
彼は彼自身に苛立っているのだ。妹弟子に対しての本気さはそれを聞いたときから分かっていた。では問題は。
こんなにこの男は馬鹿だったかと思ってしまうのは自分にとっては仕方ないとルーウェンは思った。そして今度こそ笑いそうになった。
発されたその言葉だけでもう十分だった。
「そんなわけねえだろ。けどよ、ルー」
「あとはいい」
「――は?」
ルーウェンは軍服からあるものを取り出していた。そうしながら、ゼロの言葉を遮って立たせる。
「あとは俺に言わなくていい。言い訳に俺は興味はないからなー」
目の前の友人はかなり訝しげだ。
もしかして多少笑ってしまっているだろうか。それならこの状況であれば「何で笑ってんだよ」くらいのことは言ってくるから違うか。けれど、そんなこともいい。
ルーウェンは取り出した魔法具を手に、ゼロの肩に手を置く。対の魔法具はアリアスに持たせた。
「もう一回似たような言っておくけどな。俺の妹弟子見くびるなよ、ゼロ」
アリアスの笑ってみせていた顔と曇った顔が戻るといい。
それから、とにかく色々な意味でらしくない状態にある友人がとっとと戻るといい。
「おいルーそれ何持って――」
「反応が遅い。今後のためにもその種類の支障は困る。――逃げるなよ」
迸った光はゼロだけを包み込んで、一瞬後には彼を異なる場所へと運んで行った。
「……アリアスが気にしてるのは、そこじゃないんだよなー」
ここに来た用は済んだわけで、誰もいなくなった空間に背を向けて、訓練施設から出ていきながら彼は独りごちる。
ゼロが一番気にしていることは、アリアスが思っていることとはずれている。ゆえに、ゼロとアリアスがまず会うことが大事なのだ。ただ、それだけ。あとはきっと大丈夫だとルーウェンは確信していた。
「お前は幸運だ」
――昔、妹弟子がこう言ったことがあった。王都にも連れて戻ったあとで、きっと師の髪色がどこにも存在しないものだと気がついたのだろう。『師匠の髪ってすごくふしぎな色ですよね』と。
その言葉で、ルーウェンはその目線を追って先を行く師の後ろ姿を見た。堂々となびく黒の髪。国のどこへ行こうとも、彼と同じ髪色をした民はいない。行く先によっては恐れの視線さえ向けられる色彩。
それもそのはずだ。
ルーウェンは漆黒の髪を大きな目でじっと見つめている少女に目を戻した。そして、言ってみた。前を行く師には聞こえないように、そっと。『師匠の髪が黒いのが、もしも師匠が人じゃないからだとしたらどうする?』
すると、少女はぎょっとした顔でこちらを見上げてきた。かと思うと、師をもう一度見て、こちらを向いてを二度。
『ひ、人じゃないって……お、お化けとかですか? だから髪が真っ黒な色なんですか?』
『そうだとしたらアリアスはどうする?』
この際だから、聞き通すことにした。
少女は下を向いて、難しい顔をした。
『……見たところお化けじゃないのでいいです』
やがて返ってきた、自分より八つほど年下の彼女の子どもらしい答えにルーウェンは笑いたくなった。『そうかー。お化けには見えないもんな』と同意した。それから、早めにこれは冗談だと安心させることにした。今は時ではないから、混乱させるのはよくない。
『でも、もしお、お化けだとしても。師匠は、師匠ですよねルー様』
しかし、その前に妹弟子は前を向いてまたこちらを見上げて言った。ルーウェンはふいをつかれたようになって、一瞬止まった。だが、すぐに緩く笑って答えた。『そうだな』と。もちろんそのあと冗談だと訂正することは忘れなかった。
少女はあのときのことを覚えているだろうか。否、覚えていなかったとしても彼女は変わっていない。
師に関してのことを『待つ』と言った。
そして、ゼロについては『会いたい』と言った。『話したい』と言った。『ゼロは何なのか』とは言わなかった。
「本当に……。それにアリアスは怒ると結構はっきり物言うからなー」
どうせなら怒らせてしまえばいい。今は遠慮してるかもしれないが、そういう意味ではこれで少しは近づくかもしれない。自分がこんな形で協力することになるなんて。
微かに苦笑の混ざった表情でルーウェンが見上げた空は、これから迫るだろう事態など関係なく澄み渡っていた。
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