第24話 その目のわけ

「ルーの奴、どこに飛ばしやがった……」


 数日聞かなかっただけの声。でも、とても久しぶりに思える声が静寂しかなかった部屋に響いた。

 兄弟子が去ったあと、一人膝を抱えてぼんやりしていたアリアスははっと左手の方を見た。そして、自分一人だけで部屋にいなかったはずの人物を確かに目にして驚くよりも先に立ち上がる。

 対して現れた彼の方もまた、魔法で移動させられてきただろう部屋に他に人がいることにすぐに気がつき顔を向ける。目を見開く。その身体が少し動く。ドアの方、アリアスから離れる方向だ。


「待ってください!」


 咄嗟に引き止めなければ、とアリアスは言葉を発したが、同時に胸に広がるのは不安と悲しさ。向けられかけた背中、同じように背中を見たことはあるはずなのに、こうも違うと実感してしまう。

 でもその間にも、アリアスの声にゼロは止まった。止まってくれた。

 そうして、大きめの声を出したアリアスを振り向く。その表情は数秒で変わる。苦いもの。


「……そうだよな」


 ゼロは目を伏せてから、そう呟いて手近な壁に吸い込まれるようにもたれた。アリアスには近づかない。

 呟かれた言葉はどういう意図によってのものかは図れない。それもまた、不安。

 漠然としたその感覚はさておき、反射的に引き止めたはいいが、アリアスは真っ白なのかぐちゃぐちゃなのか分からない頭で、いざゼロを目の前にしても中々第一声を出せないまま。だったのだが、


「気味悪かっただろ」


 と、沈黙の空間に放たれた自嘲の響きある言葉。それは紛れもなく壁際のゼロの声であり、アリアスは頭の中での混乱から一時抜けることとなって彼を見る。


「人が持って生まれる自然の色じゃねえからな」


 左目を覆う眼帯を指先で示しながらの、ため息混じりの言葉。


「だから、」


 まるでこちらがそう思っているような口ぶり。そして、話を切ろうとしていると察する。終わらせようと。その終わりの行方はきっとよくないものだ。

 アリアスは口を開いた。否定するような言葉は聞きたくなかった。


「――『だから』、何ですか」


 出たのは、アリアスが自分でも意外なほどに震えない声だった。


「……ではお聞きしますけどゼロ様、今まで私の前にいらっしゃったゼロ様は偽者だったんですか? 全部嘘ついてたんですか? 違いますよね」


 考えるより先に口は動いて、捲し立てる。

 瞬間的に、今度は怒りと悲しみが胸に湧いたが、怒りに似た方がわずかに勝った。かちん、と頭の奥でなにかが入った音がした気がする。

 目の色がどうした。アリアスが言いたいのはそこではない。でもきっと先に口を開かなかった自分のせいでもあって、自分への怒りもあった。


「私が見ていたゼロ様に何か間違いがあるとでも言うんですか。目の色がどうだからといって、」


 今まで目の前にいた、あなたが変わるとでも言うのか。偽りであったとでも言うのか。


「そうじゃなくて……、」


 ああ、こんな風に突き放そうとするのなら、なぜ。


「こんな風に突き放すなら、なんで、……」


 手を握りしめる。声は、続かなかった。なぜ、好きだと言ったのか。違う、言うべきなのは言いたいことはそれでない。そういうわけでそれは口には全く出なかったはずなのに、ゼロは眉を苦しげに寄せながら壁から背を離し、前のめりになる。


「好きに決まってんだろ……! だから、困ってんだ、気味悪がられたくねえ。でも、離したくもない、けど、傷つけるなんて論外だ!」

「私が、いつ!」


 息を目一杯吸う。

 どうして、そんなことばかり言うのだろう。


「気味が悪いと言いましたか!」


 とうとうアリアスは叫んだ。

 すると、ゼロが目を丸くしたように見えた。


「私は、私は――」


 こんなにももどかしいという感覚を味わったことがあったろうか。こんなにも伝えることが難しいと。

 目の前の人が、この状況の言葉の端々にさえも、こんなに自分を思ってくれていることが分かり、いとおしいと感じる。

 ただ、翳った目は彼に『似合わぬ』恐れを宿しているのだと。それゆえに、離れようとしているのだと理解する。


「私があなたのことをそれだけで好きでなくなると、そう思っていますか?」


 いつの間に、この人にこんなに惹かれていたのだろう。そう感じる。

 それから、そうか、まだ伝えられることに対し、真っ直ぐに答えられていなかっただろうか。


「好きです。ゼロ様、あなたのことが」


 だから、アリアスは微笑んだ。届けばいいと。それだけは伝えられるといいと。

 あなたが、


「大好きですよ」


 大好きだと。


「話して下さらなくてもいいです。ただ、お願いです」


 彼が話してくれるまできっと待つ。そうだから、いいのだ。そのことは。


「そんな哀しそうな目、しないでください。離れて、行かないでください」


 そっと近づき、伸ばした手は届いた。見えなかった位置で握りしめられている手に触れて、真っ直ぐに見上げる。

 触れた手はピクリと動いた。灰色の目は、微かに揺れているように見えた。


「私は、」


 あなたの側にいたいと思います。と言おうとしたそのとき、首が横に振られた様を見て息が止まった。しかし、直後手を反対に握られる。


「――それ以上は、いい」


 首を振られた。言葉を止められた。でも、手を握られた。

 アリアスはそれらをどう受け止めればいいのか、戸惑う。どちらに受け止めればいいのか。不安よ収まれと思う。

 緊張するアリアスとは裏腹に、それはすぐに明らかになる。


「俺が馬鹿だった。悪い」

「い、いいえ、違――」

「違わねえ、本当ほんと馬鹿だった」


 彼はひとつ息を吐いた。


「どうせ離せるわけねえのに」


 そうかと思うとそのまま手が引かれ、もう片方の手が頭の後ろに回った。アリアスは頭ごと身体を引き寄せられる。

 ゆっくりと感じた数秒のあとには、アリアスはゼロの左胸辺りに額をつけることとなっていた。


「こんなに覚悟決めることがあるなんてな」


 耳の側、上の方で囁きに近い声。

 抱き締められていた。ゼロの両腕は背中に回され、距離はない。

 驚きと恥ずかしさとそれから何よりも安堵が出てくる。そのことから、離れようとは考えなかった。むしろ、すぐ側の軍服を掴んだ。


「……どうしようかと思ったんだ。情けねえくらいに反応を見たくなかった」


 小さめの声で吐露された心情。


「けど、どんだけ馬鹿だったか分かった」


 ルーに馬鹿野郎って言われるわけだ。という言葉で今さらながらアリアスはここに彼がいるのは兄弟子の手によるものなのかと悟る。


「いつまでも黙ってられるかは、考えないようにしてた。……その上逃げたんじゃあな、悪かった」

「いいえ」


 アリアスは首を振る。謝らないで欲しかった。あの奇妙な空間で謝られたときのことを思い出すから。


「話は、させてくれ。待つって言ってくれて嬉しかった。けど、もう知っていてもらいてえ」


 今、話す。と片腕だけが変わらずアリアスを抱き締めたままもう片方の腕は離れ、上の方で動作を起こす。

 アリアスが見上げると、


「俺は人ではあるが、完全な人じゃない。この左目はそれを表してる」


 顔に馴染んでいた眼帯が外されており、現れているのはあの夕暮れの目。髪も右目も灰色の彼の中では、そういう意味でもとても存在感ある色彩。

 その目とアリアスはしかと目を合わせる。ゼロも逸らさない。


「俺は確かに侯爵家に生まれたが、魂から言って人ではねえらしい」


 まず、彼はそう言った。

 魂、という言葉がアリアスの頭の中で何度か繰り返される。予想出来なかったことで理解は追い付いていないがじっと聞くことにする。


「右目は遺伝通りの色だったが、生まれつき左目はこの色だった。おかげで母親は自分の子だとは認めず、今もあんまり接点はねえ。俺自体が家を出たってこともあるけどな」


 また、ここで自嘲の響きある声。


「持っていることがおかしい色彩だっていうことは結構早くから気づいてたからな、左目を覆われることに、抵抗はしなかった。だが、ただ一点。それならなぜ俺はこの色を持ってんのかが分からなかった」


 竜の姿は、城の外の人が近くで見ることはまずない。城で働いていても、同じく。魔法師であったとしても。ゆえに、その目の色も浸透していない、知る者は少ないだろう。知っていたとしても、それは竜だけが持つ目。


「騎士団の竜の卵がどこから運ばれて来るか知ってるか?」


 ふいの質問に、アリアスは首を振る。


「だろうな。……分かりやすく称すると騎士団の竜に対し、『野生の竜』がこの国には存在する。『竜の谷』と呼ばれるところを住処とする『野生の竜』が騎士団の竜の『巣』に卵を運んできてるわけなんだが――俺は昔そこへ行き自分の存在がどういうものか知った」


 家を、飛び出したのだという。

 ひとつの長い永い生を終えた竜の魂は消えることなく永い時をかけて巡り、次の生へと向かう。その過程で人の元へ紛れ込んだ状態である、と。それは人と竜が共存する途方もないほど長い時の中で、例がなかったことではなく、稀にあることのようだった。そう、彼は語った。


「つまり、俺は『人』っていう器に竜の魂が宿った奴だってことだ」


 彼がその事実をどのようにその地で知ったのかは語られなかった。

 そして、それは普通であれば信じがたいことであるだろうが、目にした身としてはどこかしっくりくる話であった。

 竜を感じさせる炎を奮い、目を持つ、彼は。

 それでゼロは侯爵家の長男にも関わらず、家督を継ぐことをせず騎士団に入ったのだ。


「こんな話、信じてくれるか」

「信じます」


 何より、彼の言葉であるのなら。アリアスは即答した。

 再び両腕で抱き締められて顔まで軍服に密着し、身体を囲むその腕の力がまた少し、強まる。

 アリアス、と呼ばれた。


「――――こんな俺でも、離れないでいてくれるか」


 さっき離せるわけがないと言ったのは誰なのか。腕の力さえも離される気配が微塵も感じられないもので、アリアスは小さく笑いそうになると同時に安堵する。

 どこか弱気な声と言葉が胸にある感情を実感させる。

 だからアリアスは黙って頷いた。自分をしっかり抱き締めている彼にならば、きっとこれで伝わると思ったから。


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