第6話 雨模様





 子どもの竜は現在、人の手で世話をしていることもあり、食事も人が用意する。

 一方、大人の竜は自分たちで動物を狩り、食べる生活を送っている。残念ながらと言うべきか、彼らは王都から離れた山の頂上の、通称『巣』を生活の拠点としているので、その場面を見たことはない。

 大人の竜たちの狩場は決まっており、国が管理している山々だ。

 管理に携わる人間は様々で、現地で誰も人が立ち入ることがないように見張る者を始めとし、竜に関わる魔法師も管理に携わっている。例えば、定期的に行われるのが山の生態調査だ。

 竜の狩場の山の動物が、竜が狩りすぎたか気候状態により極端に減っていないかどうか、確かめる。この作業は、竜に関わる魔法師が行っているのである。


「ということで、来月山の生態調査に入ります」


 竜に関わる魔法師を集め、エリーゼがよく通る声で話す。

 定期的に行う山の生態調査が来月に迫ってきた。定期的に行われていることで、前回の時点で次はいつかというのは分かっていたので、突然というわけではない。


「人員は前回と一部入れ替え、行います」


 エリーゼが今回の調査に行く者の名前を呼んでいく。アリアスはその中には入っていない。

 山の生態調査は長い期間がかかり、その上普通の魔法師から見ると、大変な部分がある。その一つが山登りだ。

 生態調査とは言っても、何も山を隅々まで見て回ることはない。しかし決められたポイントを見て回ることに変わりはないため、かなりの距離を登ったり降りたりすることとなる。

 以前、先輩に「全部地道に徒歩で行くんですか?」と尋ねると、「まあね」と肯定された。それだけでかなりの体力勝負だと想像でき、慣れていなければ大変なことだとも分かる。

 そのため、竜の卵が来てから人手が増やされているとはいえ、調査は全て竜専門の魔法師が行う。卵が来る前までも彼らがそれをし続けてきている。


「詳しい事はまた後日。また、生態調査の他に巣の確認も行います」


 普段竜が寝起きしている場所、巣。

 竜の巣がどの山の、どの辺りにあるのか。

 騎士団でも広く知る者はなく、最高位の魔法師や、騎士団では少なくとも団長と竜の契約者となり、残りは竜専門の魔法師だ。

 アリアスも行ったことはあるが、緊急時に魔法で運ばれたので、場所は全く知らない。

 距離から予測しようとしても、竜はどれほどの距離を疲れ知らずで飛べるのか。

 以前灰色の竜が王都から国の北の地まで、休憩なし飛んで行ったことを思い出すと、山から山への移動など散歩レベルなのだろう。地上を地道に行くのではなく、空を飛ぶのでもある。

 そう考えると、やはり予測はできない。しかしその距離を竜の魔法師は行くのだと考えると、アリアスからしてみると途方もない。

 巣に行くのは、竜が住みかとする場所に異常はないかどうかを確かめるためだという。


「その間、人手が減ることになります。その辺りの調整は行っているので、後から各自見ておいてください。忙しくなりますが、お願いします」


 では仕事に入って下さい、とエリーゼは話を終えた。




 時刻は朝、今日も闘技場に行く。ファーレルも毎日強制的に連れ出す決まりがあるわけではないが、性格だろう。ほぼ毎日進んでついてくる。

 もはや行く頃合いが分かっているのか、準備によって分かるのか、何をしていても反応して、当番らしき人をじっと見るのだ。

 そして、声がかけられたらのそのそやって来る。

 外には、細かな雨が降っていた。

 服の上に雨避けのマントを着て、さらに頭からはフードを被って外に出る。雨でもいつものように、重い体で歩いていく竜に合わせて歩いていく。

 濡れた地面にちょっとした水音と、それとともに竜の足に濡れた土の茶色が跳ねる。足が退いた場所には、くっきりと立派な足跡がついていた。


「あーあ、来月からしばらくファーレルと会えないのかあ」


 ファーレルの後ろを歩きながら、先輩がどんよりとした天気のような声音でぼやいた。名前が呼ばれていたから、来月からの生態調査に行くのだ。

 竜が歩くたびに揺れ動く尾を見つめる目にどことなく哀愁が漂っている。

 そこまで悲しそうにしなくても。まるで、一年会ってはいけないと言われたような様子だ。

 調査が嫌なのではなく、短いとは言えない留守中に竜と会えなくなるのが嫌なのだろう。


「そんなにいたいなら、例えば竜専門を辞めれば残れる。ただファーレルが僕たちの手を離れた後は、会えなくなるけど」

「今を選ぶか、先を選ぶか……!」

「悩むことじゃないと思うけど」


 同じく名前を呼ばれていたディオンは、通常通り淡々とした様子だ。

 調査は竜専門の魔法師の仕事。アリアスのように兼任の魔法師は行かない。けれどそうしてしまうと、ファーレルが人間の世話から離れたあとは増やされた要員は医務室に専任するから、簡単には会えなくなる。

 しとしとと、雨が降る静けさがしばらく流れた。


「…………ファーレル、いい子にしてるんだぞ! 玩具おもちゃ買って帰ってくるからな!」

「孫にお土産に玩具買ってくるおじいさんみたいね」


 ぼそり、と違う先輩の呟きが耳に入ってきて、アリアスはちょっと笑ってしまう。ついに親を通り越した。

 おじいさん扱いされた先輩は竜の横に並び、撫で撫でしながら「風邪引かないようにな」とか言っている。調査で留守にするのは初めてではないだろうに。

 しかし竜が風邪を引くはずがない、とは言えるが、具合が悪くなるはずはないとは言えないものだ。以前、そんなことがあり、この竜はとても心配されている。

 活発で、元気そのものだが、育成の段階自体は慎重に行われている。だから、心配するのも無理はない。


「ファーレルは心配ない。もう大きいし、魔法がなくてもいいみたいだからそのうち魔法石も完全に取れる」


 こういうときも、冷静に諭すのはディオンである。


「俺がいない間には飛んだり炎出したりしないでくれ……絶対立ち会いたい……」

「成長を願ってあげなさいよ」

「願ってますよ、願ってますけど。本音を言うと全ての瞬間に立ち会いたい」

「欲張り」

「何とでも」


 先輩の言い合いを側に、アリアスは竜が早速道草しはじめたことを捉えた。今日は蝶は見当たらないが、単に花に鼻面を突っ込んでいる。蝶を探しているのだろうか。

 いたとしてもそんなことをすれば逃げるので、当然見つからなかったらしい。

 ファーレルが顔を上げると、花びらがわずかに舞い、濡れているので顔についてしまっている。

 そのままその竜は上を見たので、アリアスものんびり上を見た。空には、悠々と向こうから飛んで来る姿が見られた。鳥、ではなく巣から来る竜だ。

 どうやら竜が空の方を見たのは、これに反応したからだったようだ。

 今日は曇り空だから、晴れた空のときより飛んでいる竜の姿が見え辛い。さらには雨だから、遠くの方は霞んでいる。


「雨が降らないといいけど」

「雨は降ってるぞ? それにファーレルが大喜びだからいいんじゃないか?」

「竜はいいかもしれないけど、僕は濡れるのは嫌だ」


 竜は雨が降っても、天候をものともせず飛んで闘技場に来るように、ファーレルも天候に左右されることはない。

 むしろ雨はお気に入りのようで、それこそ子どものようにはしゃいで、時に泥だらけとなる。まあ泥を拭くのは、鱗なのですぐに取れるが、見守っている最中に泥を飛ばされるのは避けたいことであったりする。

 今はまだ大人しいし、泥が跳び跳ねる場所ではないのでいいが、翼が動かされて水滴が飛ぶ可能性はある。

 と言っても、水滴なら雨が降っているので同じことだ。


「僕が言っているのは、来月のこと」

「雨が降っても延期にはならないんですか?」


 調査は山で。雨が降ると山道は滑るだろうし、危険だ。冬に降られるよりは、季節的に凍えずに済むだろうが、視界も悪くなって、元々の大変さが増すだろう。

 尋ねると、ディオンは首を横に振る。


「ならない。そんなこと言っていると、途中で降ったときもどうするのかっていう話になってしまう。そうすると時間がかかってしまう」

「今日のこれくらいならするわね。さすがに豪雨のときは危ないから様子見ることになるわよ」

「そのときはそのときで雨の中待機だから、あまり状況は変わらない」


 雨が降ると、調査は色々と大変なようだ。効率も悪くなり、日程も長くなっていくのだろう。

 そのとき曇りでの若干の薄暗さがあったところ、さらに暗く、すぐ近くに近づいてきた気配があった。


「ファーレル、どうしたの?」


 近くに来たのは竜しかいない。他に咲いている花に顔を突っ込みにいくと思いきや、遠ざかっていくこともせず、どういう心境の変化だろうか。

 ギュ、と鳴いて、おそらく竜が飛んでいる空を見上げようともしない。


 感情の変化が大きくは出ないため、分かりにくくなりがちの竜だが、この竜は子どもだからかずっと見ているからか分かりやすい方に思える。

 何だろう。いつもと様子が違うと感じて、けれど具体的にそう感じる要因は分からない。

 とりあえずさっき花に顔を押しつけていた残りで、花びらが張り付いていたので、手を伸ばす。しかし、手を伸ばすとすぐに気がついて頭を下ろしてくれるはずの竜は、どこかを見ていて。


「ファーレル?」


 頭は下ろしてくれなければ、もう届かない高い位置だ。どうしたの?という意味も含めて呼ぶと、竜はようやっと気がついたように、頭を下ろしてくれた。

 黄色の花びらを取ってやる。


「それより竜が先に着いちゃったから、早く行かなくちゃ」

「え、あ、本当だ」


 空を竜が飛んでいた。行く先はもちろん闘技場なので、一緒にのんびり歩いていた先輩はもう一人に急かされて慌てる。実はファーレルを連れていく係ではなく、竜の体調を診る当番だったのである。

 今日はファーレルははしゃぐ様子は見られないので、早めに着けるかな、と思う。

 でもこの大人しさはどうしたのだろう。


「どうかした?」

「ファーレルが少し大人しめなので、どうかしたのかなと思って……」

「確かに……」

「えっ具合が悪いのか!?」


 役割のため、先に向かおうとしていた先輩はまだ聞こえる位置にいたため、耳ざとく会話を拾い上げ、勢いよく振り向いた。


「そんなには言ってないけど……具合が悪いのかな」

「具合が悪そうには見えない気がするんですけど……」


 何だろうな、という感覚だけ。


「魔法石はまだつけているし」


 竜の首には、魔法石が下げられている。石は奥から不思議な光を宿し、雨粒が滑り降り落ちていく。


「具合が悪そうには確かに見えない。とりあえずファーレルが行こうとするなら行こう」

「はい。――ファーレル、行こう」


 呼びかけると、竜は普通に歩きはじめる。普段のやんちゃがなりを潜めているだけで、行動はおかしいわけではない。

 進みはじめたことを見て、当番の先輩は改めて、先に行く。背中を見て、空を見上げると別の竜がまた飛んで行くところだ。


 彼らはここに来る前に朝食を摂っているのだろうか。山での狩りは、翼があるとやりにくい面はないのだろうか。それとも木はある程度伐採されている……とすれば動物は減ってしまうか。一度竜の狩りの様子を見たいものだと思う。

 調査に行くと偶然見られたり、調査をしている山に竜が来たりするのだろうか。

 上を向いていると雨が顔に降ってくるので、適度なところで止め、ディオンに何気なく聞いてみようと思った。

 降っている細かな雨の線が揺らいだのは、そのときだった。


 背後から衝撃が加わり、息が詰まった。

 竜がぶつかってきた、痛くも愛しささえ感じる慣れてしまった感覚ではない。衝撃は確かだが、固い物が当たったというわけではないと、感じた。

 しかし何だと、把握しようと後ろを振り向くことを始め、周りを確かめることはできなかった。

 そもそも竜は視界の端に見えている……視界は急激に狭くなり、意識は遠のいていった。








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