第23話 噂話
珍しい方を見かけた。見た、と言うのは不敬すぎるかもしれない。
通路の壁に寄ってすれ違うことを待つと、微かな風を残してこの国で最も高貴な身分の一人である男性は通路の先へ。すれ違ったあとに振り向くと、長めの銀髪が輝き、後ろに伴う人とともに消えていく間際だった。
「――今の方ってフレデリック王子のお兄様だよね!?」
「第一王子様ね」
「あたし初めて見た!」
「興奮しているのはいいけれど、『見た』って言うのは止めておきましょう」
一緒に壁際に寄っていた二人が人影が消えた方とは反対に歩きはじめ、閉じていた口を開くやいなやマリーが言ったことにより話題は自然とついさっきすれ違った人のことになる。
アリアスも何気なく追うように向けた視線を戻して、歩きはじめる。
綺麗な銀髪を持つあの後ろ姿は外から戻ってきたような服装だったけれど、軍服ではなくて体つきからしてルーウェンではない。また王でも第二王子でもなく、この国の第一王子だ。
「お城にいても王族の方々を見かけることってあんまりないんだなぁって最近思ってたんだよね!」
「わたしたちが出歩く場所には出歩く用事がないのじゃないかしら」
「あーそれもそっか。それにしても、なんかフレデリック王子とは似てなかったね」
「そう? 顔立ちはよくは分からなかったけれど、フレデリック王子が元気すぎたからそう思うのかもしれないわ。ね、アリアス?」
「うん、それはあると思う」
とは言えど、アリアスとて第一王子のことはよく知らない。小さな頃に出会い遊ぶことになり学園生活も共にすることがあった経緯がある第二王子たるフレデリックのことはそれなりに知っているが、それは例外というもの。
辛うじてフレデリック繋がりで会い、挨拶したときはあるにはあった。フレデリックが元気いっぱいである意味豪快なところもあるのに対し、表情からして兄王子である彼は静か――フレデリックと比べるならば大人しいという言い方もある――だと感じたことは覚えている。
同じように並び歩く二人も学園で同じクラスだったりと、気さくな第二王子に多少なりとも関わりがあったので「フレデリック王子のお兄様」という言い表し方になるというもの。
「第一王子様って確かお身体が弱いっていうことも聞くし、そういうところもフレデリック王子とは……」
「マリー」
イレーナが打って変わって鋭い声で友人の言葉を制し、しっと静かにするように言いながら背後に軽く目を向けた。本人が通っていったばかりである以前に、王族の話をみだりにすること、特に良くない話はするべきではない。
遮られた理由をすぐに理解したマリーは口を押さえ、もう誰もいない背後を見た。
「ごめん、ありがと」
背後だけではなく、通路には三人以外には誰もいなかった。
いつの間にか止まってしまった足を再び動かしはじめると、イレーナが何事もなかったかのように口を開く。
「フレデリック王子、武術大会には帰っていらっしゃるみたいよ」
「そうなの?」
さっきまでとは決して無関係ではなく出た人物の話が耳に挟んでいなかったことだったので、アリアスは思わず聞き返した。
グリアフル国第二王子、フレデリックは現在遊学中で国内にいない。学園在学中は騎士科に所属し、将来は騎士団に入るということも視野に入れていた彼は最終的には別の道を選ぶことにし、もっと学ぶ必要があると国の外を見に行ったのだ。清々しい笑顔で言っていた。
そのフレデリックが帰国する、とはどこから聞きつけてきたのか、イレーナの情報が正確であれば春になる前に行われる武術大会に合わせて帰ってくるようだ。
武術大会とは簡単に言うならばその名の通り、『武』を披露する場のこと。主に騎士団のためにあると言っても間違いではない催し。
今は冬、王都に雪が降ったということは直に春も来るということで、寒い期間は短い王都にて寒さが和らいだ春前に行われる『武術大会』の準備はもうすでにどこかで始まっているはずだ。
「でもさー、もう気軽に喋れないんだよねぇ」
「学園にいたときが例外だったのよ」
「……フレデリック王子のことだから、たぶん、会う機会があれば話しかけてきてくれると思うよ」
フレデリックという王子はそういう人ではないか。
数年前、城で久しぶりに会ったときや学園での生活を思いながら言うと、「確かに」と納得の言葉が返ってきたのは同期に周知のフレデリックの人柄ゆえ。
「思い出すと学園にいたときが懐かしいぃ」
「戻りたい? 試験があった日々に」
「やっぱり懐かしくない!!」
でも懐かしい! とすっかり調子を取り戻したマリーの様子に呆れたとおかしさが混じった微笑みをイレーナが浮かべた。
「王子の他にも会わなくなっちゃった子もけっこうたくさんいるし!」
「フレデリック王子を同列にしてもいいかは置いておくとして、学園卒業してからもう少しで一年になるもの」
たくさんは過言かもしれないけれど、あまり会うことがなくなった人たちはいる。
学園を卒業したほとんどの者――一部例外は故郷に帰ったり家を継いだり――は基本的に城に勤務する。ただし職場の違いによりアリアスたち騎士団専属の位置から言うと、例えば館に勤める魔法師となった同期が「会わなくなっちゃった」の大部分で、城の医務室の面々とも毎日のように会うことはない。騎士団の団員となった彼らにも、医務室に来た顔ぶれと会うことがあったり「騎士団の医務室」と言うだけあり距離が近いことでその辺りですれ違うことも稀にあるくらい。
「一年ってあっという間だねぇ」
マリーがいやに染々とした口調で言った。
「今年は特にでしょうね」
「春から仕事始めて、途中で正式配属だったからね」
「きっと来年からは多少余裕ができるわよ」
仕事を始めた初めの年。慣れないこと続きで、気がつけば一週間経っていたりしたことは何度もあった。などと言っても丸一年経ったと言うにはまだ先があるのだが。
「来年こそは休みを満喫したい! ……結局今年は正式配属からアリアスは休み被らなかったんだよね……」
「そうだったね。来年は同じ日に休みがあるといいね」
「うん! でもアリアスはまだまだ忙しいかなぁ」
「どうだろう」
ヒョイとマリーがことさらに身体を前へ乗り出し、アリアスの顔を見る。
「生まれた竜、可愛い?」
感情の起伏と共にころころと変わるマリーの目は今、きらきらと輝いていた。
彼女がアリアスがまだまだ忙しいかなと言ったのは、竜が生まれたことを示してのこと。
「もう、マリー駄目でしょ。正式発表はまだなんだから」
「えぇー、でももう皆知ってるじゃん」
アリアスが何事かを答える前に、イレーナが嗜める。
実は竜の卵が来ていたことは未だに公には発表はされておらず、竜が生まれたこともまた正式に発表されていることではない。
事実、アリアスにも正式配属された当初は竜の卵が来ていることを言わないようにと念を押され、竜が孵ったばかりのときは関係者以外の人には広めないようにと言われた記憶があるので、誰かに言ったことはなかった。
が、どうやら竜が生まれる前後は竜に関わる魔法師が急に夜番が入ったり忙しくなるのでこんな風にどこからか知れるものらしい。
竜の卵が来るのは久しぶりのことであり、また、何の予兆もない突然のこと。それまでは手のかからなくなった成体の竜しかいないわけで、竜に関わる仕事と医務室などを兼任している魔法師たちはほぼ医務室勤務だけだった生活が激変するのだから少なくとも周りにも何かあったことは分かるのだと思われる。
あの子どもの竜が人の世話の手から離れれば、アリアスも医務室にほぼ専任することになり、何十年先になるかは分からないがまた卵が来たときにはきっと今のような生活に移る。
とりあえずここから先しばらくは成長途中の竜の世話に携わることになることは変わらず、その期間がどれほどかはあの竜の成長の速さにもよる。
けれどまだずっとしばらくはこのままで、このままの仕事配分で、成長するにつれ次第に関わり合う時間が減っていくことになるはずだ。
「可愛いよ」
実はいまいちどの辺りが言ってはいけないことなのかは分からないなりにこれは答えてもいいことだろう、とアリアスは判断して答えた。
「やっぱり赤ちゃんの頃はさすがに小さいんだ!」
巨大な竜は怖いが、生まれたばかりで小さい竜なら可愛いのだろうという期待の目がもっときらきら光る。
しかし、
「……小さい……」
アリアスの方は小さいとは言えない大きさを思い出すというもの。
おそらく他の生き物の赤ちゃんを想像して、小さくて鳥程度のサイズを想像しているマリーに大きさを伝えてあげるべきだろうか、これは伝えてもいい情報なのかと悩んで曖昧に笑う。
「もう小さくはないみたいね」
アリアスの曖昧に笑うところを汲み取ったイレーナが的確に突いてきた。
可愛いと小さいはときに結びつかないときもあるだけで、大きくても可愛いときだってある。
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