第14話 道のりは意外と困難
ゼロに会いに行くと言っても、それは簡単ではないということは行動しようとしてみて実感する。騎士団の待機場所には、騎士団の団員しかほぼいないのだ。
「この先にゼロさまがいらっしゃるのです?」
「……たぶん」
アリアスは只今団員が通路を行き交う光景を、通路の突き当たりから顔だけ出して覗いている。
知ってはいたが、実際に目にするのとは違うだなと現実逃避気味に感想を抱いた。
鎧を着用している人、試合に出場した後だからか、まだ寒さの残る気候なのに腕捲りしたり軍服の襟を寛げている人。いずれも見える位置には団員のみ。
この中に入って探すのは気持ち的な点で無理だと思う。
「セウラン……」
「どうかしましたか?」
武術大会が終わってからでもいいかと確認しようとしていたら、後ろから話しかけられて驚いた。
色彩の面は問題ないのに咄嗟でセウランを後ろに隠し振り向くと、一人の騎士団の団員の姿。
「あれ? その制服は医務室の人っすね。医務室はあっちっすよ?」
「いえ、あの、迷っているわけではなくて……」
「あ、誰かに用事っすか?」
的確に問われて迷ってしまう。
悪気がなくて、単に通路を覗き込んでいる人がいたから話しかけた風な人は白色の襟章――白の騎士団の団員だ。
でもここは試合前の団員がいる場所。無闇に立ち入るのはよろしくない……とアリアスはさっき実際に見た光景に結論を導きだした。
「いいえ。医務室から観覧席に行こうと思っていたところで行き過ぎて、来てしまったみたいです。すみません」
かなり苦しいがこれでこの場を後にしよう。
「レックス発見」
しかし声をかけられるまで見ていた方、今背を向けている方から声が飛んできて、アリアスは「あ、これまずいな」と直感した。礼儀的に浮かべていた笑顔が固まった。
「ブレア隊長」
前に立つ男性の視線が上がり、後ろから複数の足音が近づく。
「レックス、どこに行っていたんだよ」
「観覧席の方に行ってました」
「さては女か。そういえば恋人いるって言ってたな。いつの話だあれ、違う女か」
「失礼な、同じ人っす!」
「どっちでもいいが、個人戦は優勝出来なかったんだからこっちで優勝してから会いに行けよ」
「うっ――優勝出来なかったのはそういう先ぱ……ブレア隊長もじゃないっすか!」
「こっちは準優勝していてな」
「まあまあ、
「それより次また集合時間ぎりぎりに来ると団長にどやされるぞレックス」
前に一人、後ろに数人なので完全に挟まれてはいない。
アリアスは、目を丸くして頭上の会話を右に左にと追っている少年の手をそっと引き、壁際に沿って離脱を図る。
「アリアスさま、良いのです?」
「うん」
気に留められることなく挟まれた状態からの脱却には成功した。とはいえまだ抜けたばかり。小声でセウランに声をかける。
「セウラン、武術大会が終わるまでいることは出来る?」
「いてもいいです?」
「帰るのが遅くなって怒られなければ」
「それは大丈夫なのです!」
「そっか」
最後まで武術大会を一緒に観覧しようとアリアスは満面の笑みの少年に笑いかける。
でも最後まで魔法を使い続けるのはさすがにどうなのかと思い、その辺りはもう少しだけ離れてからだと、足音を忍ばせ距離を空けてきた後ろを振り返る。
「お前ら、通路で何してんだ」
あれ。と思わず足が止まった。
「団長。実はレックスがいないと思ったら女の子引っかけていました」
「引っかけてないっすよ! ふざけるのは止めてくださいっす!」
「え? だってさっきここで女の子と一緒だっ――あれ?」
「さっきの人なら治療係の人で間違えてここまで来てしまっただけだったみたいなので、戻ったんすよ。たぶん」
「いや、その子だろう」
小集団が割れ、まだ同直線の通路にいるアリアスに視線が集まった。同時に、一番奥に現れた人の姿がアリアスからも見えるようになった。
「アリアス」
「え」
「……え?」
「…………え、団長の知り合いっすか?」
ゼロが名前を呼び、小集団の視線が今度は一気にゼロに移る。
「まさか」
「何だゼロ、珍しいな女か」
「えっ、団長マジっすか!」
「嘘だろ」
「うるせえよ。それより何もしてねえだろうな」
「し、してないっす! え、団長、」
「誓って何もしていないが。え?」
「おい、敬語抜けてるぞ。――団長、え」
「試合前には戻る。レックス遅れんなよ」
「名指しっすか!?」
ゼロは、なぜか狼狽えはじめた小集団の間を通り「これは現実か」「そんな素振りあったか?」「いや、まさか」とどよめきをそれ以上構うことはせずに素早く歩み寄ってきた。
他の団員たちはゼロの姿に隠れて、もうアリアスからは見えない。
「あ、あの、ゼロ様すみません」
「何で謝る」
歩み寄りの素早さにやはりここに来るのは良くなかったのではないかと思ったアリアスに、ゼロは首を傾げた。
そのまま上体を屈ませアリアスの頭に口づけを落とそうかという直前、アリアスの後ろにいるセウランを捉えたゼロは目を僅かに見開いた。
「――お前」
おそらくこの反応からして、アリアスと同じく彼には色彩がそのまま見えている。珍しく完全に不意を突かれたようで、すぐには次に継ぐべき言葉が見つからない様子。
「こんにちはなので――」
「ぜ、ゼロ様!?」
呆気にとられていたはずが、セウランが元気な挨拶を終える前に掌を打ち付けるようにその口を塞いだから、アリアスは何事か目を丸くする。
「ここ離れるぞ」
もごもごと何か喋りたそうにしている少年を半ば小脇に抱える形で、ゼロはさっきとは異なった様子で足早にその通路を離れた。
「息が止まるかと思ったのです」
実際に呼吸は出来なかったと思う。
人気のない通路に来て、掌から解放された途端に大きく息を吐いた少年はそれでもすぐに笑顔になる。
「改めまして、こんにちはなのです!」
「お前、何でここにいる」
すこぶる嬉しそうに竜の少年は挨拶を述べたのに対し、ゼロは意味が分からないとありありと顔に出していた。
「それとどうしてアリアスといる」
「観覧席で偶然会ったんです」
「観覧席で?」
「はい。師匠に会いに来たそうなんですけど、師匠が留守にしているので……」
「言われてみればジオ様いねえな」
セウランの代わりに一緒にいる理由と聞いた要件の表面を伝えると、ゼロは師がいないという点にどこかを向いた。方向からするに窓がある、舞台がある方。
視線はセウランに戻る。
「ジオ様にって、何しに来たんだ。……一回ジオ様とお前らの関係を聞いておきてえとこだな」
「それは……あの、
「俺にもか?」
「はい」
言えないことを後ろめたく思っているようにおずおずと言ったセウランではあるが、何やら四方をきょろきょろしてゼロを見上げる。
「聞こうと思っていたことがあったのです。この地に入ったときから、どことなく嫌な気配と空気がするのです。あの魔族の影響です?」
「いや、それは……」
言えないということに怪訝そうにしていたゼロが声を途切れさせた。
「……境目の結界が綻びてた名残だろ」
かと思うとそれだけを言い、話を切るように首を振った。
「ジオ様に用事なら用事で、不在なんだろ? いつ戻って来るかは知らねえが、待つのか?」
「いえ、戻る時期が明確ではないとのことで一度帰りますです。その前にゼロさまの勇姿を見届けるのです!」
「ああ、試合のことか」
早く帰れよ、とゼロはものすごくげんなりした顔になった。
「あ、私が責任を持って一緒にいます」
「こいつ一人にさせてたら心配っていうよりどんなことするか分からねえから、そうしてくれると助かる。セウラン、お前そのままで出ていくんじゃねえぞ」
「魔法をかけますので大丈夫なのです!」
「……魔法の無駄使いだな」
目的と理由がある分、師よりはましである。
場を移したときの雰囲気を考えると意外とすっと話が纏まったそのとき、セウランを見下ろしていたゼロが顔を上げ、ゼロを見上げていたセウランも何もない壁を見た。
「どうしたんですか?」
二人とも、同じようなタイミングで動きを見せたので今何か反応するようなことがあったとは感じなかったアリアスは首を捻る。
「どうしたってこともねえが……何かおかしいな。さっきのお前の話聞いたせいか?」
「ぼ、ぼくの話のせいなのです?」
「冗談だ。けど一瞬嫌な感じがした……念のため、人やるか」
ゼロと別れ際、セウランと移動した際に離れていた手を迷子防止に繋ぎ直すと「外見と言動のせいで自然に見えるな」とそれを見たゼロが言った。
セウランは一体何歳なのだろうか。
「ゼロ様、一回戦見ていました」
騎士団の待機場所に戻るため、行く方向がまるで正反対なゼロを振り向き言うと、まだこちらを見て立っていたゼロが嬉しそうに笑みになった。
「最後まで観覧席で応援しています。頑張って下さい」
言える機会があるとは思わなかったことと、セウランがいる手前言おうかどうか迷っていたことを最後の最後に言った。アリアスが言い逃げする前にゼロが距離を詰め、アリアスの頬に軽く口づけた。
「アリアスが見てるなら、負ける気しねえな」
「……それ、関係ありますか?」
「気持ちの部分は大事だぜ?」
恥ずかしげもなく言われるものだから、アリアスは照れ隠しするのに、ゼロの不敵な笑みは容易にそれを剥ぎ取ってしまいそうだ。
「ルーと当たるなら決勝だ」
知っている。
ゼロの指揮する白の騎士団とルーウェンの指揮する青の騎士団が当たるのなら、決勝。
「個人戦じゃねえが、今回は俺が勝つぜ」
彼は、アリアスが見ていたと言った何年か前の試合のことを示してにやりと笑った。決勝まではまだ勝利を重ねるので、それを前提とした彼らしい言葉であった。
それから今度こそゼロと別れると、セウランがにこにことした笑顔になっていた。
「仲睦まじい様子でしたと長に良いお土産話が出来そうなのです!」
止めて頂きたい。
誰に何を話そうとしているのか。
「セウランは、ゼロ様のことが好きなの?」
「はい! ぼくだけではなく、皆好きなのです」
「皆って……」
竜の谷と呼ばれる場所にいるとされる、竜たちのことか。
セウランは大きく頷いた。
「ヴィー……じゃないのです。ええと、ゼロさまのことは誰もがお帰りを待っていたのです」
「お帰り?」
「はい。だからゼロさまがぼくたちの元に来てくださったときは、信じられない思いで、とても嬉しかったのです」
詳細な年数は知らない。かつてゼロは左目のことと自分の身の上を知るために竜の元へ行ったと聞いたことがある。その情報を知っていても、セウランの話の全体を掬うことは出来なかった。
ゼロの深きところに位置する話。
出会って二年以上。しかし学園にいた期間を思えば一年過ごせたかどうかのアリアスは、いつか聞くことはあるのだろうか。
そういえば自分にも話していないことがあるのではないか。日常で不便がないために失念しているが……。
少年の話を聞きながら進んでいるはずが、急に腕が後ろに引っ張られた。正確に述べるに、手が繋がっている少年が立ち止まったから気がつかず歩いていたアリアスが引っ張られたように感じただけ。
「どうしたの?」
「……今、さっきよりも強く嫌な気配がしましたです。それが、さっきと違って弱まらないのです」
セウランは眉を潜めており、見たことのない真剣な顔をしていた。師の不在の事実を伝えてしていた難しい顔ではなく、深刻さがある。
「やはり、気のせいではないのです。近くに、いますです……?」
呟く少年は橙の双眸を前や横をさ迷わせ、次ははっきりとアリアスの手を引いた。
「セウラン?」
「この先は、駄目なのです」
竜の少年の異変から遅れること少し。
何かを怖れているように見えるセウランの肩に手を置こうとしたアリアスの肌を走る悪寒。
――嫌な感覚
他に人気のない通路に何者かの気配を覚え反応した先は、セウランが目を離さない方だ。
最初に見えたのは、石造りの地面に作られた染み。ボタ、と液体が落ち飛び散った。その染みは幾つも、幾つも道標のように連なり際限なく落とされていく。
その源を、探す。
曲がり角から出てきた足。靴が立てる音は上手く耳に入ってこない。視覚情報のせいだろう。足が踏み出されると同時に、その後に何か液体で足跡がつく。
服装は整っているとは言い難いと、ズボンの裾から辿っていくだけで分かる。
そして、上げてゆく視線はとうとう地面に落ちた液体と同じものが伝う手を見つけた。指先、手の甲、手首――ヂャラと金属音を立て落ちたのは短い鎖――腕に至るまで濡れている。
血塗れの男が、アリアスの前に血を滴らせた全身を現した。
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