第5話 放浪
夕方、沈みにゆく陽の色が濃くなる時刻。
「アリアス」
よく通る声が、近くからではなくどこか離れたところからかけられた。アリアスは今日の仕事は終わりで城の通路を歩いていたところだった。
「あ、ルー様」
声の持ち主は背後、振り向いた通路の先にその姿があって近づいてくることを見てとり待つ。
そして会話するのに最適な距離、すぐそこまでやって来たところで改めて何か言おうとした……のだが、にわかにひょいと身体が持ち上げられたことによって一瞬浮いた。アリアスが反射的に動きを固まらせているうちに半回転し、すぐに地面に戻される。
「ど、どうしたんですか」
「顔は見られるのに、中々話せないからなー」
地に足をつけたはいいが、急なことに驚きはする。
やっと目で捉えられた兄弟子はつい、と付け加えて微笑んだ。
何だ、そういうことか。小さな子どもを抱き上げるときのように持ち上げられて何事かと思えば、理由を聞けばああそうかと思ってしまう。
確かに、顔は見れども会話するということは中々ない日々だから。仕事をして、宿舎に帰る日々でもある。
「びっくりしました」
「ごめんな」
青色の目で柔らかく見下ろされて手で頭の右側をゆっくり撫でられ、何を言うのかと思っていると。
「うん、元気そうで安心した」
「大げさですよ」
「そうか?」
だって長くも遠く離れているわけではないのだから。久しぶりに顔を合わせたみたいな発言にアリアスが少し苦笑すると、ルーウェンは緩い笑みを浮かべた。
「お仕事は終わったんですか?」
「うん。アリアスは今から宿舎に戻るところか?」
「はい」
「じゃあそこまで送ろう」
促されて、二人で歩き始める。
「可能性はずっと前から考えていたはずなのに、いざこうしてみると不思議だなー」
「何がですか?」
「妹弟子が一人前になって離れてしまっていくこと、かな?」
「私だって子どもではいられませんから」
急にしみじみとどうしたのだろうか。
城に戻り勤務し始め半年と数ヶ月。アリアスとて時々思うことがある。
元より生活していた場所で全く異なる生活をはじめ、立ち入ったことのない場所に立ち入り反対に疎遠になっていった場所もある。
決まった仕事なかった日々とは違い、特に騎士団専属となってからは兄弟子の姿を仕事の最中に見ても言葉を交わさないことは普通だ。
それはとても不思議だと言えるかもしれない。言い換えれば奇妙な感覚。
慣れていくのだろう、と思う。
寂しいかと聞かれると少し考えることになる。今は毎日に慣れる過程で忙しいという感覚が勝る毎日だから。
そのうちこうして偶然会うことなければ、下手すると気がつけば何週間か経っていてはっと気がつくことがあるのかもしれない。そう考えると寂しいような。
何週間はさすがにその前に会うことあってないか。
「ルー様」
「なんだ?」
「もしも、会えなくなって寂しくなったらルー様に会いにいってもいいですか?」
聞くと、兄弟子は目を丸くしてすぐに目尻を下げて優しく笑った。
「いつでもおいで」
と。
「そうなんだよなー、アリアスは宿舎だから俺が行くわけにもいかないし……あ、夜は夜更かしせずにちゃんと早く寝るんだぞ? 疲れが溜まると体調も崩すからな」
「ルー様、私は子どもではないです」
そこだけは譲らない。さっきの抱き上げる動作にしろ子ども扱いをそろそろ脱却しなければ。
脱却しようとして容易にできることであればとっくにできているという話でもあるが。
ちょうど通路の曲がり角。アリアスは「あ」とまったく異なることをはたと思い出して隣の兄弟子を見上げる。すかさずどうしたんだという風に首を傾げられる。
思い出したことは、本日驚きに驚いたこと。
「そういえばサイラス様が」
「サイラスさんに会ったのか?」
「はい。もしかしてルー様もですか?」
「うん、あの人は連れ戻――いや呼び戻されたこともあって、会議にいらっしゃってたんだ」
「それで突然帰って……」
呼び戻されたのか。と姿を見なかった期間を考えると、急に姿を現したかのようなサイラスを思い出す。誰かに呼ばれて行ってしまったことも。
しかし声を途中で止まらせたのはそれともうひとつ、アリアスは今まで行っていた場所から少し気にかかったことがあった。
会議。
「……その会議」
「うん?」
「師匠、出ましたか?」
「師匠?」
「実はさっき見に行ったんです。そうしたら、ずっと寝てたみたいだったので……」
歩いている通路は魔法師しか行き交わない場所ということと最高位の魔法師の部屋がある近くとことで人の行き来が少なめ。その中でもジオの部屋がある場所はまるで人の行き来がない場所を選んでいるのか、静か。
アリアスはその師の部屋を訪ねたあとだった。ソファに横たわって今は朝かと聞いてきた師の部屋から。会議等はなかったのか、なかったというやり取りを流れ作業ながらしてきたことが頭によぎったのだ。
別に騎士団の会議ならばいいのだが会議に出席したというサイラスは騎士団所属ではない、可能性がある。ではその会議は。
「師匠はいらっしゃってなかったな」
「そうですか……」
アリアスはため息をつきたくなる。
師は良くも悪くも変わらない。ずっとなのでそれは慣れているものだが、それでいいものかと思うときだってある。会議をサボるということはそもそもあり得ないのでは? 感覚がずれてきそうで怖い。
それはそうとさっき顔を覗かせた部屋。師の部屋は見ていなかった時を考えるとそれほど散らかっていなかった。あまりに散らかりすぎて一度自分で片付けたのだろうか。もちろん魔法で。
どれにしてももう過ぎたこと、ともはや考えても仕方のない案件だということがこれまでの経験上明らかなので、アリアスは流れ上自分でずらしてしまった話を戻す。
「それにしても、サイラス様は本当にお久しぶりで驚きました」
「そうだなー。アリアスが大きくなっていてサイラスさんの方も驚いていたんじゃないか?」
「はい。『本当にアリアスか?』なんて言われてしまいました」
「それは相当だな。まー本当、六年だからなー」
「そうですよ、六年なんてどこに行ってらっしゃったのか聞いたらあちこちだって返されました」
「……それ以外に、何か聞いたか?」
「いいえ。でも、怪我をしていらっしゃったんですけど……」
「怪我を? あー……」
心当たりがあるのだろうか。ルーウェンは少し考える素振りをみせたのち、言う。
「各地を回る魔法師として旅をされていたから、盗賊の退治とか色々あったみたいなんだ」
「そうなんですね」
王城の他、地方に派遣され勤務する魔法師とは別に、ひとつの土地に留まらず国中を旅し様子を見て回る魔法師たちが少数いる。彼らを通称して「放浪魔法師」と言ったりする。
師が王都の外に出る際によく利用する口実でもあったりする。最近どこかにふらりと出ていったという話は聞かないけれど。
そんな彼ら放浪魔法師が数年帰って来ないことはざらだかどうかは定かではないが、各地の様子を報告書にして定期的に届けるという話は聞いたことがある。
盗賊退治とは意外と危険な目に遭うのか。腕しか見なかったけれど他にも怪我はなかったのだろうか。
それに、放浪魔法師として仕事に勤めているのであればまた王都を出ていってしまうということだろうか。
「それなら、サイラス様はすぐにまたどこかへ行ってしまうということですか?」
「いや」
またどこかへ行ってしまう前に会えるといいなと思い尋ねると、アリアスの予想に反して兄弟子は否定を口にした。
「しばらくは、城にいることになると思う」
「……?」
「あの人は才能をお持ちだから、そろそろ城にいて欲しいと言われているんだ」
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