第7話 再びの
石で造られた、騎士団の訓練場の一つ。門を経て、トンネルのようになっている通路を抜けるとそこにはただっ広い空間。上を見ると天井も何もなく、青い空が広がっている。
今、そこから巨大な生き物が降りてこようとしていた。
竜だ。
巨大な翼を緩く羽ばたかせながら、ゆっくりと降りてくる。
重量感のある音はこれだったのだ。遥か上空を飛ぶものを見るより格段に近く大きな姿に、目を奪われる。鱗が光を反射してきらきら光っている。
やがて一体の竜がいくらか重い音を立てて、地面に降り立つまでずっと見ていた。
「次も来るぞ! 気を付けろ!」
羽ばたきの音と、それによる風の音。それらがなくなり、人の声が聞こえ始める。周りを見ると、端の方に騎士団の服を着た者が何人かいた。さっきの声も彼らだったのだろう。竜が降り立つことの注意喚起をしていたのか。
ルーウェンの後ろから、改めて竜を見上げているとその目と合ったような気がした。
竜の目は夕暮時のような橙色をしていた。どこまでも、広がっているような、不思議な瞳。ふいにそれが遮られる。ルーウェンのマントだ。
「タイミングいいなー」
上の方で呟かれる言葉に、後ろからひょいと顔だけを覗かせることにする。
すると、人が五人ほど集まっているところ、一人が細長いベルトのようなものを持っている。それを辿ると、竜に繋がっている。
竜を制御するためなのかどうか……でも、あれだけで制御出来るとは思えない。もしかすると、魔法具――魔法をかけてある特殊な道具――でもどこかにつけてあるのかもしれない、とアリアスが思っていたところ。
竜の周りに集まる人たちが、揃って見上げる方向があることに気がついた。
それは竜の鱗に覆われた中の橙色の目がある顔に向けられている、というよりはそこから長い太い首に視線を動かした先。首のつけ根と思われる場所に向けられていた。
人影が見える。竜に人が乗っているのだ。
魔法師騎士団の、普通の騎士団とは異なる点。
大きな点の一つがこれであると言える。
魔法を宿す竜、古代から生きる彼らの一族を育て、またこのように乗ることまで許される者がいる。
それは誰もが、ということは出来ないようで、竜に選ばれるらしい。騎士団でも数えるほどしかいない、というこれも師に聞いたのだったろうか。
竜から身軽に飛び降り、着地する様子がそこにはあった。そこからが、良くなかった。
アリアスは瞬時にルーウェンの背後に引っ込む。握られていたままだった手をするりと取り、それは完全に姿を消す。
「アリアス?」
「何でもないので気にしないでください」
「いや、無理だろう。どうし……」
「よお、ルーじゃねえか」
自らの背後に隠れるようにしたアリアスの様子に、顔を後ろに向けていたルーウェンであったが、かけられた声に言葉を途切れさせ前を向く。
その後ろのアリアスは口にだけ浮かべていた笑顔を戻し、緊張気味の表情になる。
「いつ戻ってきた?」
「ついさっきだ」
「顔は出しに行ったあとか?」
「いや、まだだ。館には行った後なんだけどな」
「へえ、真っ先にここに顔を出しに来たのか?」
「実は、そんなつもりはなかったんだけどなー。ああ、これ白の騎士団宛が館の書類に混じっていたらしい」
「ああ、悪いな。なんだ、使いっぱしりにされたのか?」
「まさか」
「だろうな。お前のこと使いっぱしりに出来る人なんて、ジオ様くらいだろうからな」
ぽんぽんとすぐ近くで交わされる会話が続く度に、アリアスの頭は意味もなくぐるぐると回っていた。
この声は。でも一度しか聞いたことがないし。けれども、やっぱりさっきのは見間違えでは……。まさかここで。白の騎士団?
「じゃあ何だってこんなもん持ってここにいる?」
「それは妹弟子がこっちに来てるって聞いたからだな」
「ああ、話にちょいちょい出てくるな。こっちにってここにか? いたのか?」
「門の前で会った。だからついでに顔出すかと思ってなー」
「使いっぱしりは妹弟子の方ってか」
「使いっぱしりって言うな」
楽しげな笑い声。
そのときアリアスはと言えば、早く会話が終わらないかなと遠い目をしかけていた。突発的に感じた焦りのようなものによって隠れたが、それが良かったらしい。
ルーウェンの後ろは、前が全く見えないのだ。彼の体格の良さゆえに、それよりずっと小柄なアリアスを隠してしまえているのだ。謎の安心感、壁を一枚隔てているようだ。
しかし、アリアスは甘く見すぎていた。
何を。もちろん、壁一枚隔てた向こうにいる人物を、だ。
「で、さっきからお前の後ろに誰かいるみてえだけど、誰だ?」
アリアスは当然、身体を硬直させた。
「え、内緒」
「その様子じゃあ部下ではねえわけだ。妹弟子か?」
か? のところで、アリアスは固まらせていた身体の動きを完全に止めた。それから息を吸ったっきりになった。ルーウェンでない顔が、前の肩越しに現れたからだ。
どうやら、ここ数日は頭の片隅の隅に押し込んでいたらしい記憶。それが、鮮明に甦ってくる。
城の、花が一面に植えられた庭。
突然、その蕾の上に現れた男。
その髪を染めるのは、夕日。
潰された花を治すためにこっそり魔法を使う。
その、あと。
目の前の光景と重なるのは、気のせいではないはずだ。
流れるように片膝をついたのは、またも灰色の髪の持ち主だった。
やはりその顔には存在感のある眼帯があって、左目を覆っている。残った右目はこちらを覗いた瞬間は僅かに見開かれていたのに、その薄めの灰色で今はただこちらを見ている。見上げている。
「また、会えたな」
アリアスは、手はぎゅっと傍らのマントを掴むのみで動けない。
「アリアス」
男の声は、とても丁寧にその名前を紡いだ。
「ゼロ、何してる……?」
漂った空気を裂いたのは、訝しげなルーウェンの声だった。彼は突然膝をついた男を見下ろし、端からも分かるほどに戸惑っていた。
「何、え、何してる。……待て、それより、アリアスの名前をどうして知ってる。結局、何してる」
「ルー、うるさい」
ああ、どうやらこれは現実で、数日前のこともやっぱり現実であったらしい。
またもや脳内はぐるぐると回り始め、二度目となる意味の分からない光景を作り出す男を凝視するしかない。
アリアスの見ている先では、灰色の髪の男が傍らにいるルーウェンを見上げたときにはその顔をしかめてみせている。
しかし、見られていることに気がついたのか、こちらを向きその目に宿す感情を変えてみせる。
「もう会えないかと思ってた」
「……え、あ」
早くもその視線に耐えられなかった。
アリアスは握りしめた布を思わずますます強く握り、引っ張る。どうにかしてほしい。聞いていたところ、知り合いだろう。という意味を込めに込めて。
「……ゼロ、アリアスが困ってるだろう。そもそも結局何してる。お前、アリアスを知ってたのか。いつアリアスと会った。……いや、本当にゼロか? ゼロならそろそろ立て」
さっと前に腕が伸ばされたことが、こんなに安心することだとは。けれども、予想外にもその腕の主も少なからず混乱しているようだった。
「そりゃあ俺の
向けられた視線と、下にあった顔は消えた。ルーウェンが男を立たせたのだ。見るに耐えなかったらしい。渋々立ち上がった男はというと、ルーウェンと向き合いその目に鋭さを戻していた。
「アリアスとか? アリアスは俺の妹弟子だ」
「は?」
「ほらさっき言っただろ。『妹弟子がこっちに来てるって聞いたから』って」
「……へえ、本当かよ」
「それよりお前、俺の質問に答えてないだろう。俺のアリアスといつ知り合った!?」
「俺のとか言うなよ、どうせ兄弟子だろ。いつって言うと……」
ちらり、とその右目がこちらに向けられる。
アリアスは状況を見守っていたそのときに、びくりとする。
ちょっとしたトラウマになっているのかもしれない。何しろ会うのは……というより顔を合わせることが二度目で、合計三十分にも満ていない。
「五日前くらい」
「五日前……? それでどうしたらさっきみたいなことになる……!」
「どうしたらって、そりゃあ一目惚れってやつか」
空気が本当に固まった。
ルーウェンも固まった。
アリアスは言葉がよく理解出来ていなかった。
ゼロはごくごく真面目な顔だった。
「――嘘だろ?」
「普通に否定すんのやめろ。それからそこ退け」
「退くわけないだろ」
「お前にその権利があるってか? 兄弟子はそこで黙って見てろ」
「兄弟子の特権だ!」
「ああお前そういう奴だったな。聞き流してたけどよ、妹弟子大好きな奴だったな。それがまさか、なあ」
「流し目を止めろ! お前は本当にゼロか!」
「他の誰だってんだ」
「こっちが聞きたい……」
会話が続くほどに、兄弟子はよほど混乱しているようだった。何だかアリアスはそっちの方が気にかかってきた。
「ルー様、大丈夫ですか?」
「……色々理解が……」
弱っていた。
「ルー、お前が言いてえことも分からないわけじゃねえよ。俺だって、」
「言うな、もう何も言うな」
額に手を当てるルーウェンの後ろから、その様子を窺っていると、ゼロが彼に頭をかきながら話しかけたが、当の本人はそれを止める。
猫背気味になっていた背筋を伸ばして、ゼロに向き直る。
「それで、俺にここを退けと?」
「ああ」
「何するつもりだ」
「ちょっと話したい」
「……話って何だ……まあ話だけ、指一本触れないっていうなら五分、いや三分くらいは許す」
「時間制かよ」
「これでも譲歩してるんだ。本音はすぐにここを離れたい」
「俺は何扱いされてんだ」
「どうだろうな。……アリアス、ちょっといいか。あいつはゼロっていって、まー俺の友人であり白の騎士団の団長なんだ。おそらく妙な真似はしないし、させない。話、してやってくれるか?」
「……え?」
アリアスは迷った。とても迷った。
理由は簡単だ。突然すぎた言動が、何とも理解できていないのだ。一番初めが、一番衝撃だっただろう。
二度目のさっきも、そうだった。一度目のことを頭のすみにどうにか追いやっていたところだったのに、もう二度とないだろうと思っていたのに。
どうしてあんな声で自分に語りかけてくるのだろう。ひ、一目惚れとは何だ。確かにその意味を知らないわけではない。が、理解が追い付いていない。
どうやらあの人は白の騎士団の団長であるらしい。よくよく見てみると、紺色の軍服姿だ。それにさっき竜から降りてきた。
そこから考えると、一番最初に突然現れたときは竜が『巣』に帰っていくところだった。竜から飛び降りたのだろうか。あの高さから。何らかの魔法を使って降りてきたと考えると、全て納得できる。
納得できないのは、全てがそのあとのことだらけなのだけれど。けれど。
ルーウェンの方を見ると、その大空の目が見返してくれる。兄弟子の友人だとも聞いた。
ならば、それだけでかなり印象が変わってくるのはどうしたことか。さっきのような行動をされては困るが、話すだけならと思って、最終的には頷いた。
「……じゃあ、三分な」
すっとルーウェンがアリアスの前から身を避けた。
「――俺のこと、覚えてるか?」
「えぇ、あー、はい。ゼロ様、ですよね」
今度は膝をつくことなく、そのままの位置で話しかけ始めるゼロ。
その普通の問いに、アリアスは拍子抜けしながらも答える。第一印象は、花を踏み潰した人。
「様はいらねえ。ゼロでいい」
「そんなわけにはいきません。団長さんなんですよね。それにこれが普通なので、変えられません」
「そうか。……なあアリアス」
「は、はい」
「俺は、あの庭でアリアスに一目惚れした」
「…………」
「好きだ。あの日から忘れられねえ」
二度目のその言葉は、耳を通りすり抜けることはなく落ちた。確かに許された時間は三分ではあるが、会話開始二十五秒ほどでのことだった。
一体何で自分がこんなことになっているのだろう、とアリアスは遠い目をしかけて止める。見上げた先には、灰色の目が一つこちらを真摯に見返してくる。
……嫌に顔が熱くなってくるのは仕方がないだろう。生まれてこのかたこんなことを言われたのははじめてだ。
普段周りにいる魔法師は年上ばかりで、同じ歳の人たちはいないし、いたとしてもそんなことを思ったことはなかった。
話をすることを受けたはいいが、なぜこんな展開にすぐ持っていく。
アリアスは困り果てて、横に少しだけ離れたルーウェンの方を向く。どうにかしてください、という意味を込めて。
だが、
「出来れば俺だけを見ていて欲しい」
前から声が飛んでくる。言わずもがな、ゼロだ。
アリアスはギギギ、と音がしそうなくらいに前に顔を戻す。
手に違和感があった。できれば予想は外れて欲しかったが、目を離した一瞬の隙に取られた自分の手がそこにはあった。
さすがは騎士団団長と言ったところか。こんなところでそんな身のこなしを発揮しないで欲しい。加えて、また片膝をついている。
アリアスの視線を逃さないように、見上げる灰色の目もまたそこにあった。
アリアスは何か言わなければ、と口を開いたが声は出なかった。何を言えばいいのかがまず分からなかったのだ。そうして、今や驚きというよりはかなり困って混乱した顔と目をしたアリアスは兄弟子をまた見る。
すると、頼みの綱のルーウェンはゼロを凝視していた。ありえない、というように。しかし、そこで妹弟子の視線に気がつき、目を瞬いた。
「ゼロ、お前、手を離せ。というより立て」
一度目に同じ光景を見たときよりも冷静に、友人に近寄り腕を掴み立たせる。同時にアリアスからも引き離す。
「邪魔すんなよ、ルー」
「アリアスが困ってる」
立たされたゼロは不機嫌そうにルーウェンを見るが、対してルーウェンはそれに同じく冷静に促す。彼はもう通常の様子に戻っていた、表面上は。全ては困っている妹弟子のためにだ。
その言葉に、ゼロはルーウェンの肩越しに表情も身体の動きも固まってしまっているアリアスを目に映す。アリアスの表情は眉が下がり、困っているものに少しだけ安堵が混ざっていた。
諭され、その様子を見たゼロははじめて表情を認識したみたいに、
「お前冷静じゃないだろう。さっきからの言動からして……見たことないぞ」
「……ああ確かにちょっとやり過ぎたっつーか、ぶっ飛び過ぎたかもしれねえ」
目を逸らし頭をかく。眉が少し下がっている。
その様子にも、ルーウェンは目を僅かながらに見張る。この様子は何だ、というような感じだ。
「とりあえず、三分経ったからアリアスは連れて帰る」
「ああ……いや、そこは了承しねえぞ」
「本格的に嫌われるところまで行きたいなら、止めない」
「…………」
「異論はないな。じゃあな」
丸め込むことに成功したルーウェンはぽん、とその肩に手を軽く置いてから、背を向ける。
「アリアス、帰ろう」
「……え、あのでも、ルー様」
「いいから。師匠のところに行こう」
助けをとっさに求めたはいいが、そのまま去ってしまってもいいものかと迷うアリアスの視界をマントで覆い、前を向かせてから彼は背を押す。そうして、やっと二体目の竜が戻ってきたその場を後にする。
「……やっちまった」
「ゼロ団長! こっち来て頂いていいですか!」
「あー行く」
残ったゼロは頭をかいて、話が終わったことを見計らった声に返事をして訓練場の奥へと足を進める。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。