第14話 災難

「な、にするんですか、いきなり……!」


 アリアスはとっさに魔法に魔法をぶつけた。すぐ目の前で弾けた光の残りがまだ瞼の裏に微かに残っているようだった。おまけに軌道を逸らすことが精一杯で、逸らし切れなかった魔法の欠片が右の頬を擦っていった。頬にぴりりとした痛み。

 魔法によって作られた傷の痛みを感じながら、明らかに敵意を持って突然放たれた魔法に心臓が早鐘を打ちはじめていた。とっさに魔法を放っていなければ、どうなっていたか。

 反動で尻を冷たい石の通路につけてしまって座り込みながらも、ひきつりながらの声を発した。すると、男は目を見張りそれから舌打ちする。


「それを寄越せ」

「それ……?」


 男が近づいて来ながら指したものは、アリアスの手の中にまだあるもの。一つは落としてしまっていたが、袋と共に持っているもう一つ。魔法具だ。

 そういえばさっきもこれを見ていたように思える。だが、落とし主だとして、なぜ魔法をいきなり? おそらく騎士団の人が。よほど重要な魔法具なのだろうか。だから自分は疑われでもしているのだろうか。ばくばくとする心臓のままあれこれと考える。


「あの、私はこれは拾っただけで……」

「そうだ俺が落としたんだ。取りに戻ってきた。早く渡せ」


 それだけにしては、なぜそんなにも焦っているのか。そんなに落としてはいけないものなのか。まるで、人に見られることを恐れているような……。

 アリアスは急に攻撃の魔法を使われたこともあり、普通ではない様子に違和感を覚える。どんどん近づいてきた男は目の前で止まる。座り込んだままのアリアスに向かって手を伸ばしてくる。


「早く」

「あ、はい……」


 もしかすると、『春の宴』のときの結界の魔法具なのかもしれない。それか、もっと重要な。人の目には極力触れないように内密に設置され発動されるもの。そう結論付けながら、手の中の袋と魔法具をそろそろと持ち上げる。男は奪うようにしてそれを取った。アリアスの落としてしまった魔法具もがちゃがちゃと拾い、袋の中に入れる。

 その様子を見ていたアリアスであったが、手伝うことも拒否されそうな空気に何となく気まずくなって、そっと立ち上がる。そうして、来たばかりの方へ戻る。

 その背後から、


「待て」


 さっきからの声がした。

 無機質な声に、アリアスはびくりとする。さっさとこの場所を離れたい。というよりもあの男から離れたい、というのが本音だったのだ。それでも、一応振り向いたことは正解だった。


「これを見られたからには死んでもらう」


 また、魔法がこちらに向かってきていた。


「……っ!?」


 パチン、とアリアスは指を鳴らす。指を鳴らすのは、アリアスの魔法の力を身体の内から引き出して魔法を生み出すことの予備動作だった。魔法が生まれ、向かってくる魔法に飛んでいく。青白い光がぶつかり合って弾けた。

 光はすぐに消えてしまう。その向こう。アリアスが身体を魔法を使う際に向けた方は、背を向け去ろうとしていた方向。

 やはり、あの男がいる。魔法具を拾い終えた男は袋を軍服の中にしまっているところだった。立ち上がった彼はこちらを見る。


「まだ防ぐのか、面倒だから抵抗するな」

「なん、で攻撃してくるんですか。それが何に使われるのかは知りませんけど、私はそれが落ちていたから拾っただけで悪用しようとかで盗んだわけではありません」


 軍服なのだ。そんな騎士団の人間に攻撃される覚えはない。心当たりといえば、やっぱり拾ってしまって男が寄越すように要求したあの魔法具。アリアスは何か誤解されているとしか思えなくて、思うように回らぬ舌を回して弁解の言葉を発する。だが、返ってきたのは予想も出来ぬ言葉ばかり。


「関係ない」

「……え?」

「使ったあとになら見つかっても構わなかったが……。誰かに言われて失敗しては、俺のほうが危ないんだ」


 ぶつぶつと一人言のように呟く。まだ薄暗い通路であることが作用しているのか、気味が悪い。男が足を前に出す。かつん、と騎士団専用のブーツの音がする。


「お前をここで殺す」

「何を、言って……」

「死体は見つからない内に運び出す。それで完璧だ。何もなかった。邪魔をされる心配もない」


 ぶるり、と全身に震えが走った。心臓の音がまたうるさくなってくる。

 何より、男の言葉がうまく理解が出来ない。それはきっと、


「あなたは、本当に騎士団の人ですか……?」


 あの軍服を着ていることが原因だろう。

 騎士団の者がこんなことを言うはずがない。理由もなく、攻撃の魔法を使うはずがない。騎士団の何もかもをも知っているわけではない。けれども、おかしいのだ。言っていることが。騎士団ということに関わらず。

 一歩足を後ろに進める。


「もちろん、騎士団の者だ」


 アリアスは走り出した。もう騎士団の者であろうがなかろうがどっちでもいい。問題は、こちらに危害を加えてこようとすることだった。

 けれども、ほどなくしてまた止まることになる。そもそも、ここは通路で背後からこちらまで何という障害物がない。つまりは、背中ががら空きだということ。


「……う、わ!」


 そのことが分かっていたアリアスは後ろを横目でちらりと窺った。そうすると、青白い光がこちらに向かってくるではないか。とっさに頭を抱えて膝を折る。魔法は間一髪頭上を飛び越えて突き当たりに繋がる通路の、小さな中庭に出られるぽっかり開いた空間に飛び込んでいった。バチリ、と植えてあるほっそりとした木の枝に当たって枝が折れる。光を追った目で枝が地に落ちるところまで見てしまった。

 あれが当たれば、身動きは間違いなく出来なくなるだろう。それからどうなるかなど、考えたくもない。そう思うと同時に、あの男は騎士団の者ではないと確信めいたことが浮かぶ。騎士団の服を着ているが、何もかもがおかしすぎる。


「……城での魔法は控えるようにと、騎士団の方は聞いていないんですか?」


 アリアスはゆっくりと立ち上がった。ショートブーツの踵が地面にぶつかり音を立てる。その爪先が向いた方は、中庭ではない。男の方だ。肩ほどまでの茶色の髪が微かに揺れる。顔をしっかりと上げた彼女はしっかりとした目で男を見据える。手はもう頭を抱えていない。その声には先ほどまでの戸惑いと驚きと恐怖からのつっかえはない。

 そんな少女の止まった様子を見て、男は真顔のまま、


「うるさい!」


 答えることはない。

 男が人差し指を向けて魔法を生み出し放つのに対し、アリアスもまた指を擦り合わせて音を鳴らす。互いの方から出てきた魔法の光の筋は互いに向かって飛んでいく。いや、アリアスの方は飛んでくる魔法に向かって自分の魔法を飛ばしている。そのため、二つの同じほどの大きさの魔法が二人の間でぶつかり、弾ける。衝突し、相殺された瞬間にだけ大きくなる光は、すぐに消える。

 けれどもまた、男がすぐに魔法を放つ。アリアスも応じ、魔法同士が衝突する。通路では光が途切れるのは、数秒だけである。

 そうしながらも、アリアスは徐々に徐々に後ろへと足をずりずりと下げていく。男との距離が縮まっており、魔法が放たれてから魔法を放つ自分には距離が詰められては不利になると感じたからだ。それに、いつまでもここで応戦しているわけにはいかない。アリアスは単に、相手を攻撃しようというわけではなく、相手の魔法を相殺しているだけだからだ。この状況そのものを止められなければならない。

 だが運が悪いことに、歩いてきた通路には人気はまるでなかった。今のこの通路だってそうだ。中庭方面まで出たとして、どうにかなるだろうか。それとも、この通路を終えた時点で走り出せば逃げられるだろうか。どのみち、相手がどれくらい魔法力があるかは分からないこともあるから、早めに切り上げなくては。


「誰か、いないかな……」


 ここはほとんど魔法師しか行き交わないエリアだ。通りかかるとすれば、かなりの確率で魔法師。通りかかる者があれば。

 アリアスがこの状況に対して悩んでいたとき、男の表情は焦りが強いものになっていた。それは当然だろう。さっさと始末できると思われた、見たところ城の魔法師には見かけない年齢の少女が魔法で対抗してきたのだから。それも、一度だけでなく、二度も三度も四度も。次々と放つ魔法に同じくらいの強さの魔法を放ってくる。そうして相殺してくるのだ。


「早くやらないと、さすがに人が……」

「おい、そこで何をしているんだ! 魔法を止めろ!」


 そこで、新たな声が加わった。アリアスは前からは目が離せないまま、その声を聞いた。光がもう一度弾け、消えたその合間。男の表情が見えた。苦々しげな顔をしている。その視線は心なしか後ろへと、顔が向きかけている。


「くそ、聞き付けて来やがったか……!」


 なおも続けられる魔法の合間に聞こえたのは、表情を物語るような苦々しげな声。アリアスは少し安堵した。人が来ているようだ。これで状況は好転するだろう、と思った。しかし、


「ちっ、仕方がない」


 男は魔法を止めなかった。それどころか、


「怪しい奴がいる!」


 大声を出した。背後に向かって。切羽詰まった感じの声を。その内容はまた、アリアスには驚愕するしかないものだ。思わず耳を疑う。


「お前、何で魔法を止めない!」

「怪しい奴がいるんだ! あっちの通路で不審な動きをしていた。急に攻撃してきたんだ!」

「なんだと!?」


 向いている先で続けられる会話にも耳を疑う。急に攻撃してきたのはあちらだというのに、明らかに嘘をついているのだ。


「ちょっと、何言ってるんですか! 先に魔法を使ってきたのはそ……」

「すぐに捕まえた方がいい!」


 虚偽の言葉を解こうと声を張るが、魔法とあちらの声に遮られる。


「まさか……。そうだなとにかく生け捕りにするぞ」

「いや、駄目だ! あいつは怪しい魔法具を持っていた、隙があれば使ってくるはずだ!」

「魔法具を?」

「ああ、だから手伝ってくれ。気絶させよう」

「分かった!」


 どういうつもりだ。繰り広げられるのは、アリアスにしてみればまるで茶番。塗り固められる会話に、口を挟む前に魔法が二方向からに増える。新たに来た者もまた魔法を放ち始めたのだ、自分に向かって。一対二。圧倒的に不利だ。指を鳴らす回数が二倍になる。光の弾ける回数も二倍。光のない時間はそれまでの二分の一に減る。

 そのわずかな間に目にしたのは、先にいた男と同じく軍服姿の男性。騎士団の者だ。同じ騎士団の者同士だろうか。襟章はよく見えない。顔見知りであるならば、アリアスからすると結局、明らかに怪しさの増してくる男は本当に騎士団所属の人なのだろうか。

 でも、とアリアスはそれは信じられない。


 次々と飛ばされてくる魔法の中に、強さの増した魔法があることに気がつく。殺傷能力が高い。紛れ込むその魔法に優先的に魔法をぶつけながら、確信する。怪しい男が放っている方の魔法だ。気絶させるなんて嘘だ。どさくさ紛れて自分を殺してしまうつもりだというくらいの魔法。それが稀に混じっている。

 殺すと言われた。見てはいけないものを見てしまったからのようだった。その途中で人が来た。けれども、中途半端に生かしたままでは言われたくないことを言われるかもしれない。だから、殺しにかかってきているのだろうか。想像が頭の中で膨らむ。でないと、この状態に納得がいかない。

 本当は結界で守って魔法をしのげばいいのだろうが、残念ながら結界はろくに張れないのだ。それで魔法に魔法をぶつけているだが、そのことが怪しさに拍車をかけているのだろうか。敵意があると。けれども、結界を時間をかけて張ったとしてもこれらをしのげるとは思えない。何しろ騎士団の人たちなのだから。

 けれどここで、敵意がないことを示すために魔法を止めることは論外だ。通路に隠れる場所はなく、全ての魔法を避けられる確証はまるでない。おまけに当たれば、弁解するときを与えられずに殺されるかもしれない。


「駄目だ! この際もっと強くしないと時間がかかる!」

「だが生け捕りにしなければ……」

「早くしないと逃げられる!」


 はっきりと聞こえるのは、怪しい男の方の声。焦りがにじんでいる。もう一人が来てからのさっきまでの白々しいまでの叫びではなく、本音の叫びのように聞こえた。


「まずい……」


 一方の荒々しい声ともう一方の生け捕りを主張し続ける声。その言葉の最中にももちろん魔法は飛んで来る。一方からの魔法が持続時間を無視した強さばかりの魔法になってきている。無論、もはや怪しすぎる男の方だ。

 二人に増えたときからわずかにずれてきた、魔法を処理するタイミング。相手が一人だけであるならば、修正も出来るものだが……。飛んで来はじめてからの魔法に反応続けるアリアスはその処理がだんだん遅れてきていた。徐々に魔法を相殺するときの距離が近づいてきている。目を離すわけにはいかないのと集中を切らすわけにはいかないので、慎重に後ろに下がり続ける。

 たらり、と首筋に手に汗をかく。焦りだ。

 もうどうすることが正解なのか分からなくなってきた。どうすればいいのかも分からなくなってきた。でも、おそらくこのままいけば……。


「団長!」

「だ、団長!?」

「怪しい奴ってのはどこだ?」

「あそこです!」


 そこで、また人が来たようだった。靴音が複数増えたと思えば、声も増える。アリアスはその内の一つに、何やら聞き覚えがあるような気がした。しかし、言うまでもなく確かめる余裕は全くない。


「よく見えねえよ。何でこんなに派手にやってる」

「それが、こいつが急に攻撃されたようで、さらに相手は魔法具を持っているそうで……」

「それは確かか」

「え、はい!」

「危険な代物か?」

「そ、それは分かりませんが、しかし……」

「いいから一旦魔法を弱めろ」

「ですが、相手も魔法をこちらに使ってきています!」

「相手は一人だろ、俺も準備してる。逃がさねえから心配すんな。それより、相手を殺すつもりかお前らは」

「で、ですが……」

「分かりました」

「お前もだ」

「……はい」


 魔法の威力が弱まり、回数が減った。その分こちらも威力を合わせるわけであって、弾ける光の眩しさも大分小さくなる。魔法を後追いで処理するばかりだったアリアスにも余裕が出てくる。光の弱まった通路の先に目を向けると、見たものは。


「……あ……」

「アリアス……?」

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