第24話 気になる様子





「――ということがあったんですけど、どれくらい話してもいいものなんですか?」


 後日、公表しなくても広まっている生まれた竜の話について相談してみた。

 竜のいる部屋とは別の部屋で、日々大きくなる子どもの竜の身体の大きさ体重の変動や様子等を記した記録紙を中心に整理する作業をしているときのこと。

 等間隔に開けた穴に紐を通して紙を閉じる作業をするすると流れる手つきでするディオンが「もうそんなに広まっているんだ」と、まず呟いた。

 ディオンは完全に竜専門の魔法師なので仕事場は基本的にこの建物と大人の竜の降り立つ建物のみ。特に今は他の職場の魔法師とは関わることがない状態で、アリアスの話で情報の流れを知ったようだ。その上で「それもそうか」と納得を表し、アリアスの質問にはこう述べる。


「言っても困るようなことは特にないから気にせずに話してもいいよ」

「そうなんですか?」

「うん。竜が生まれたことはしばらく公表しないで育てる方がいいんじゃないかって考えられただけみたいだから。言われてみると、完全に秘密にしようと思っても無理だと前もって考えていたのかもしれない」


 公表して育てることと比べると、しないで出来る限りそっと育てる方がいいに決まっている。ただし自分たちからは言わないようにしてほしい、その一方で完全な箝口令もなく細かく規制もかけられていなかった。

 情報の洩れは予想されていたということだろうか。


「情報が広まっていても見に来ようとしている人は今のところはいないみたいだし、どうせここは立ち入りが制限されている。問題は、ない」

「確かにそうですね」

「あまりにも野次馬が出てくるようならきっと別だろうけど、そんな常識無しが出で来ないことを願うね」


 そう言いながらも、ディオンは紐に緩みがないことを空いた指で辿り、素早く仕上げに固く結んだ。紙が重ねられ一冊の冊子となったそれは紙には皺が寄らず、最後の最後にも紐は緩まない見事な出来。慣れが出ている。


「よし、それが出来たらまとめてエリーゼ様のところに持っていこう」

「はい」


 アリアスたちが冊子の形にしているのは子どもの竜の記録……と大人の竜の体の状態を記した記録。

 異常がなくとも定期的に全ての記録を責任者であるエリーゼの元へ持っていくことになっており――異常があったときにはもちろんそのときに知らせる――、今はそのための作業をしているのだ。ただひとつの記録紙をこの建物とエリーゼ、他の場所を行き来させるのではなく、別に作った写し。

 それらを手際よくまとめる作業を共にしていたディオンの言葉に、アリアスも最後に紐を結び出来上がった冊子を数冊机の上でトンと整えて、一旦先輩魔法師に差し出す。

 差し出された冊子を受け取ったディオンはざっと視線を走らせ、頷く。合格がもらえた上でディオンは子どもの竜の記録、アリアスは大人の竜の記録を持つ。


 大人の竜の数からしてアリアスの方が数が多い……が、実際の量としては両方同じくらいだろう。

 成長しきった大人の竜の記録がほぼ体の簡単な黙視調査の結果であるだけなのに対して、子どもの竜の記録はそれに加えて食事の分量、外に出ていた時間、寝た時刻、起きた時刻と細かすぎるほど細かく多岐に渡るのだ。そのため毎日毎日、大人の竜の記録の何倍もの速さで量が増えていくことになっている。

 大人の竜の記録をまとめる期間はそれなりの量が溜まるまで長め、子どもの竜の記録は早く溜まる。

 それぞれ冊数、厚さは違う冊子を持ってあとはエリーゼの元へ届けにいくだけ。


「……今日の分も、持っていこう」


 通路に出て出入口へ向かうのかと思いきや一度はそちらへ足を向けたディオンがそう言い、反対方向、奥へ。

 今日の分とは、大人の竜の体調調査の分は揃っているはずだから子どもの竜のものだろう。


 アリアスもディオンの後に続いて、竜のいる部屋に入り部屋の奥、竜の方へ近づいていくディオンの後について行く。

 部屋の中には日中、陽が出ている間は陽光が取り入れられるように壁の覆いが取れるような作りになっている。時刻的には直接入りはしなくとも見える光の色は濃い橙色に染まっているはずだが、そもそも季節柄の気温の低さを考慮した結果、昼間は空気換気も兼ねて開けられている覆いはもう閉じられていた。

 今日の空模様はどのようだっただろうか、と今日は竜の体調調査の当番になかったアリアスが思い出そうとしてみても本日の空の景色の明確な記憶は見当たらなかった。


「今からエリーゼ様のところへ記録を届けに行くのですが、様子はどうですか?」

「ディオンか。……元気一杯とは言えないな」


 高い天井を見上げかけていたアリアスは耳が捉えた会話に、前を向くと少し先でディオンが一人の魔法師の側に。前回竜の卵が来たときにも竜の孵化から世話までをしたことがあるベテランの魔法師で、基本的ににこやかで竜を見るときはことさらに目尻に皺を刻み優しげになる。

 そのはずが、表情が思わしくない。

 遅れて近くに立ち止まったアリアスは思わず尋ねてしまう。


「……どうかしたんですか?」


 すぐそこには竜がいるだろうに。すると、アリアスの問いに「竜の様子がね……」とむしろそちらの方へ意識と視線を送り、曇った表情をより曇らせる。

 はっきりとしない言い方に、アリアスは二人の間から向こう側を見る。


 若干の暗みを帯びた白の鱗が灯りに照らされ、独特の存在感を放つ竜は定位置にいた。

 瞼を下ろしているので橙色の瞳は見えない……瞼が痙攣でもしたようにピクピクと動いた。それだけなら夢でも見ている――竜が夢を見るのかは知らない――のかなと思うだけが、続いてもぞもぞと微妙に身動ぎしているように見える。

 寝ているのではないのか。


「昨日少しだけ寝つきが悪かったみたいなんだ。今日も今日で外に出ても動きが鈍くてすぐに動き回るのを止めた。そのときは寝不足なのかもしれないと思って中に入った……でも、寝不足で疲れたのかなと思うには今眠れていないのはおかしい」


 居心地悪そうに微妙な動きを見せている竜。

 昨日寝つきが悪くて睡眠が不十分で、外に出て疲れたというのなら今頃竜は熟睡中、動ぎひとつせずに鼻から寝息を洩らしている状態が適切だと思われる。けれど竜は眠くて疲れたのではないから、眠りに落ちていない?


「どこか具合が悪い、ということですか?」

「そう考えられる。ただ、原因が分からなくてね。元々子どもといえど竜は竜、根本から身体は丈夫なものだ、病気という線はまず考え難い。その代わり子どもは子ども、体調に異変が起こったことは過去にあったようでね……。随分前の記録にあった例では、魔法で『温め』続けることを止める時期が早すぎて、外に出してしまったことが原因だったと書いてあった。しかしこれは……」


 一例を挙げてみせた魔法師の声がファーレルを見て途切れ、代わりにディオンが言葉を繋げる。


「ファーレルには当てはまらない、ですね。ファーレルは外には何度も出ていますから」

「その通り。……季節から考えてみるに竜にも個体差があるから寒がりな竜であるのかもしれない。寒さで眠れていないのなら、毛布でもかけてあげるべきだろうか」

「かけておきますか。やっても何か害があることではありませんし」


 竜が寒さで眠れていないという考えがすでに突飛のはずが、竜に毛布。

 ディオンは本気で言っている。元々冗談を言っても分からなさそうな表情をしていて冗談を言ったところを聞いたことさえないが、こんなときに冗談は言わない。


「そうだな」


 毛布をかけておくだけかけておいてもいいのではないかという意もある問い返しに、竜に関わって何十年の魔法師はしばらく竜を見たまま黙し、


「……一先ず毛布をかけておいてみよう。ディオン、記録を届けに行くのだったね。これを持っていってくれ。写しはもうある」

「はい」

「それから、エリーゼ様にこのことを」


 ディオンに差し出された数枚の紙。今日の分、びっしりと文字が詰まったそれが数枚。少しの異変も見逃さずに、今のこの状態の竜の様子が事細かに記されているのだ。


「さて、様子見ばかりしているわけにはいかないから念のため過去の記録をさらってみるしかないか。今すぐにでも」


 ひとつ決断を下した魔法師の声音は、少しやっかいな作業が待っていると言わんばかりのものだった。

 アリアスが口は挟まずに見ていると、竜をじっと見ていた年老いた魔法師は微かに笑みを浮かべる。


「心配しなくとも、専用にまとめられたものがある。ただし長年の蓄積と、すぐに回復した少しの異変でも細かく細かく記されたものだから予想以上の量はあるが」

「……過去の記録は、どこに保管してあるんですか?」

「この下だよ」


 この下、と足で示されて足元を見下ろしたアリアスは驚く。


「ここに地下が……?」

「厳密にはこの部屋を出たあちらから向こうの下だがね。過去の記録全部で言えば途方もない量保管されてある。見ると多さに驚くことは間違いないよ」


 多いと一口に言えど、それはどれほどの量があるのだろう。竜の卵が人の手に委ねられ育てることになってから何年、何十年、何百年。国の歴史と同じくらいの長い歴史があってもおかしくはない。

 師が目を通していた大量の文献を思い出した。部屋にたくさん、あれでも一部だと言っていた。

 あの件はどうなったのだろう。あれからまた日が過ぎてしまって師にも兄弟子にも会っていないけれど。


「それを全部見ようということになると総出だが、そんなことが来る日はないだろうから安心してもいい」


 はいとでも言えばいいのかどうなのか。少なくとも、師が国の歴史そのものの文献に埋もれていたようにはならなさそう。


「私達の心配など関係がなかったように元気になってくれることが一番だが、問題は竜が無視してはいけない状態である場合だ。少しでも異変を感じた時点でやれることをやらなければならない。――何かあれば事だ」


 最後の一言が声以上に低く重く聞こえた。

 全ては竜のため。何かあってからでは遅い。考えすぎ、些末事ではないのだと自然といつもと異なる様子の竜を見る。


「戻ってから手伝います」

「頼んだよ」

「アリアス、行こう」

「――はい」


 受け取った紙を冊子に挟み込んだディオンが、まずは目先の仕事をするべくアリアスを促した。竜の、顔を隠そうとしているように見える動きを最後に捉え、返事したアリアスは改めてディオンと再度エリーゼの元へいくためにその場を後に、建物を出ていった。








 目的の人物、エリーゼに会ったのはちょうど建物から出たときであった。


「――エリーゼ様」


 扉を出て歩き出した頃にディオンが先に見つけた姿こそがエリーゼその人。少しずれれば入れ違いになっていたタイミング。

 ディオンとアリアスがその姿に歩み寄って立ち止まると、エリーゼの方も立ち止まった。


「今、記録を持っていくところでした」

「そうでしたか」

「それと竜のことで」

「どうかしましたか」

「調子が少し」


 ディオンが寝つきが悪かった等を伝えると、エリーゼは吊り気味の細い眉をぴくりと動かした。


「それは気をつけなければなりませんね」

「この先すぐに回復していく可能性もありますが、過去の記録をさらっておくことになりました」

「良い判断です」

「これは後から届けに行く方がいいですか」


 エリーゼがここにいるので城のエリーゼの部屋に行っても鍵がかかっていて入れない。ディオンが持っている、まさに今から届けに行こうとしていた冊子を示した。


「そうですね、本当なら鍵を渡して置いていてもらうところですが……あなたたち、一度それを中に置いてきなさい」


 少し思案する素振りをしたエリーゼは以上の指示をアリアスたちに。後から、ということだろう、とここまではおかしくはなかった。


「わたくしと一緒に来てもらいます」

「……ここ、ではなくてですか」

「そうです」


 ディオンが訝しげにしたことが分かった。アリアスも首を傾げる。

 中に記録を置いてどこかへかは分からないけれど、行く。てっきりエリーゼと一緒に中に戻ることになると思っていたから、疑問に思う。彼女は竜の様子を見に来たのではないのだろうか。


「わたくしが今ここに来た理由は人手を調達するためでした。あなたたちに会って、ちょうど良かったです」


 何か、彼女の仕事の手伝いだろうか。


「今から任務で王都を離れていた竜が帰ってきます」


 アリアスの頭の中で立てた予想はまたも外れ、言われたこと。


「任務……」


 任務。王都を離れている竜。小さく口に出したアリアスは、数秒遅れてはっとした。


「あなたたちにしてもらう仕事は、もちろん竜に何か異常がないかを診てもらうことです。ファーレルの方は任せても良いでしょう、至急用意してください」






 ――すでに一週間以上

 ゼロが、帰ってくる。






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