第215話「魔王ルキエ、観光事業を立ち上げる(3) −帝国のご一行、来たる−」

 ──十数日後、帝国にて──




「これが近ごろ、『ノーザの町』で配られているという宣伝文書か」


 宮廷の一室で、皇太子ディアスは羊皮紙ようひしを手にしていた。

 そこに書かれていたのは──



────────────────────


『魔王領の観光施設 (名称未定)で楽しさいっぱい、夢いっぱい!』



 魔王領の『すぱ・りぞーと』で、至高のリフレッシュ体験を!


『ノーザの町』の近くに、日帰り温泉施設ができました。

 湯量たっぷり、心もすっきりの、『わくわく・すぱ・りぞーと』です。


 勇者世界の『鹿威ししおどし』で、魔獣対策もバッチリ!

 安全安心な露天風呂は、帝国の皇女殿下も体験ずみです。


 今は仮オープン中。

 このチラシをお持ちの方だけを、特別にご招待します!


 みんなも『すぱ・りぞーと』で『魔獣アビスルインダババ (レプリカです)』と握手!


────────────────────



「……私はいったい、なにを見せられているのだろうか」

心中しんちゅう、おさっしいたします」


 文官の少女が言った。

 最近、ディアスに仕えるようになった少女で、名前はレイチェル・リースタン。

 大公カロンの縁者で、ソフィアの護衛を務めていたドロシーの妹だ。


 これから大公カロンは、皇太子ディアスの補佐をすることになる。

 その関係で、レイチェルはディアスに仕えるようになったのだった。


「わたしにも……この文書の意味はわかりません。力不足をお詫びいたします」

「レイチェルが気に病むことではないよ」


 皇太子ディアスは苦笑いした。


 彼は椅子に背中をあずけて、天井をながめる。

 落ち着いている自分が、不思議だった。


 以前の彼なら、この文書を見た瞬間に高官会議を招集していただろう。

 そうして文官や武官たちとともに、魔王領への対策を練っていたはずだ。

 魔族と亜人たちが人間を招待するなんてありえない。なにかのたくらみがあるに違いない、と。


「不思議だね。今は、そんな気にならないのだよ」


 リカルドとダフネの事件のあと、妙に肩の力が抜けた気がする。

 素直に宣伝文書の内容を受け止められるのは、そのせいだろう。


「魔王領は本当に観光施設を作ったのだろうね。そのおひろめに『ノーザの町』の者たちを招待しているということだ。リアナとソフィアが施設を使ったのは、町の者たちが安心して利用できるようにだろうね」

「皇女殿下たちが魔王領の観光施設を利用するなんて……そんなことがありえるのでしょうか?」

「ソフィアはトール・カナンに嫁ぐと言っていたからね。それくらいのことはするだろう。ソフィアが施設を利用したなら、リアナも付き合ったはずだ。リアナは、そういう子だからね」


 ──その大胆だいたんさこそが、帝国を変えるのに必要なのかもしれない。

 そんなふうに考えてしまうディアスだった。


「いずれにせよ、警戒するほどのことはないと思うよ」

「殿下のご判断は正しいと思います。ですが……」


 副官のレイチェルは言葉をにごした。

 その表情を見ながら、ディアスは、


「もしかして文書の写しが、他の高官たちの手に渡っているのかい?」

「はい」


 レイチェルはうなずく。


「新たに採用された軍務大臣と魔術大臣が、文書の写しを手に入れられたようです。それで、対策を考えておられるようで……」

「いらぬ手間だね。気持ちはわかるが……」


 皇太子ディアスは、少し考えてから、


「ならば、私が確かめに行くのはどうだろうか?」


 そんな言葉を、口にした。


「私は自身の責任において、魔王領との友好関係を結んだ。ならば、魔王領の行いについて、確かめる義務があるだろう。今はカロンどのが派遣してくれた文官・武官たちがサポートしてくれている。私が十数日、帝都を離れるくらいはできるだろう」

「よろしいのですか? 殿下」

「構わない。皆に話を通しておいてくれ」

「……承知しました」

「もしかしたら、私もこの宣伝文書におどらされているのかもしれないが……」


 皇太子ディアスは羊皮紙ようひしを手に取った。

 文章は整っている。文字もきれいだ。

 この筆跡ひっせきは……ソフィアのものかもしれない。


 ソフィアは読書量が多く、読んだ本の感想を書き残す習慣があった。

 ソフィアとリアナが帝都を離れたあとの離宮で、ディアスはたくさんの感想文を見つけた。

 おそらくソフィアは、リアナの教育のためにそういうものを書き残したのだろう。


 その感想文の筆跡と、宣伝文書の筆跡は、よく似ていた。

 もしもソフィアが文書作成に関わっているなら……皇太子として、現地に行くべきだろう。

 皇女が宣伝する場所の、安全性を確かめる必要がある。


「これは、他の者にはできないことだからね」


 そうして皇太子ディアスは、旅の準備を整えるように指示を出したのだった。






 ──十数日後──




「カロンどの!? どうしてあなたがここにいるのですか!?」

「むろん、宣伝文書を手に入れたからだよ。ディアス殿下」


 大公カロンは「どこに不思議がある?」という感じで首をかしげた。

 お忍びの旅人スタイルだが、ディアスが彼を見誤るはずがない。


 ディアスもお忍びで、『ノーザの町』にやってきた。

 そうして宿に入ったら、大公カロンが休憩所でお茶を飲んでいたのだ。

 カロンの副官のノナと、レイチェルの姉のドロシーも一緒だった。


「まさか、カロンどのまでが、魔王領の観光施設にいらっしゃるとは……」

「うむ。面白そうだったのでな」


 愉快そうに笑う、大公カロン。


「そもそも、文書を手に入れてくれたのはドロシーなのだよ」

「ご、ごぶさたしております。皇太子殿下」


 栗色の髪の少女が一礼する。

 彼女はドロシー・リースタン。レイチェルの姉だ。


 もともとドロシーはソフィアの護衛として、『ノーザの町』に派遣されていた。

 ソフィアが魔王領に入ったあとは、『レディ・オマワリサン』の隊長として、町の警護を務めている。

 同時に彼女は、ソフィアやリアナとの連絡役も兼ねているのだった。


「この宣伝文書は、ソフィア殿下から招待状としてお送りいただいたものなのです。4通のうち、2通はカロンさまと皇太子殿下に、残りの2通は、わたくしとノナさまに……ということで」

「ドロシー。君はソフィアたちと連絡を取っているのかい?」

「は、はい。ときどき、化粧水けしょうすいなどをいただいております。敏感肌びんかんはだへの対策として」

「……敏感肌びんかんはだ


 ディアスは思わず額を押さえた。


『亜人の国とのやりとりの目的が、敏感肌対策。』


 その言葉のギャップに、めまいを感じそうになったのだった。


「まぁいい。それよりカロンどのには、帝都に戻っていただきたいのですが」

「なぜかな?」

「私はこれから、魔王領の観光地とやらの調査に向かうつもりです。私になにかあった場合は、カロンどのに帝国の統治を引き継いでいただかなくてはなりません」

「行き先は観光地だぞ? 危険があるとも思えぬがなぁ」

「油断は禁物です。友好国とはいえ、相手は魔王の国なのですから」

「私とディアス殿下のうち、一人は残る必要があると?」

「そうです」

「わかった。では、コインを投げて決めようではないか」


 大公カロンはふところに手を入れて、銀貨を一枚、取り出した。


「それからこれを投げ上げる。ディアス殿下には、表か裏かを宣言していただきたい。落ちたとき、殿下が宣言した側が出たら、殿下が魔王領に行かれるとよい。逆ならば、まずは私が魔王領に行って見てくるとしよう。いかがかな?」

「……仕方ありませんね」


 大公カロンは目を輝かせている。

 彼は心から、魔王領の観光施設を楽しみにしているのだろう。ディアスが頼んでも、後に退くつもりはなさそうだ。

 ならば、ここが妥協点だきょうてんだろう。


「では、私は表に──初代皇帝陛下のお姿が描かれた側にけます」

「ならば私は聖剣がられている方だな。では──」



 ちりりり、りりんっ。



 軽やかな音とともに、大公カロンがコインを投げ上げる。

 コインは回転しながら落下し、床へ。

 そうして出た側は──


「聖剣だな。では、私がまずは魔王領に行ってみるとしよう」

「……仕方ありませんね」


 残念だけれど、やむを得ない。

 大公カロンはディアスの補佐役だ。彼との取り決めを破るわけにはいかない。


「すぐに戻ってくるとも。それに、私が安全性を確認すれば、殿下も安心して魔王領の観光施設を利用できるであろう?」

「……わかっております」

「では、行ってくるとしよう。ノナとドロシーは同行してくれぬか」

「承知しました」


 そうして大公カロンは、宿を出ていったのだった。


 しばらくして、宿の手配をしていたレイチェルが戻って来る。

 彼女は大公カロンとノナがいなくなったのを見て、不思議そうな顔をしていた。

 そんな彼女に、ディアスが経緯を説明すると──


「……申し上げにくいのですが、殿下」

「どうしたのかな?」

「カロンさまは両腕が使えるようになってから、身体のバランス感覚がよくなったとおっしゃっていました」

「そうらしいね。それで?」

「しかも、交易所のお風呂を使っているうちに、さらに身体をうまく使えるようになったそうです」

「ああ。それは私も聞いているのだが。それがどうしたのだね?」

「大公さまは豪剣ごうけんの使い手ではありますが、繊細せんさいに武器をあつかわれる方でもあります。それがさらに進化したということで……あの……その」


 副官レイチェルは、言いにくそうに、


「以前にうかがったことがあるのです。カロンさまは、指ではじいたコインの表裏、どちらを出すかを操作できるようになったと……」

「……な、なんだと!?」

「3回に2回は成功なさるそうです」

「………………あの方は、まったく」


 してやられた。自分はまだ甘いのだろう。

 大公カロンを最強の剣士で政治家としか見ていなかった。

 あの人はこんな小技も使える人だったのだ。


「まだまだ学ぶべきことはありそうだね。私は」

「殿下……どうされますか?」

「仕方ないね。ここで大公どのが戻るのを待つことにするよ」


 皇太子ディアスは椅子に腰掛けた。

 荷物から取り出したのは、ソフィアの離宮から借りてきた書物だ。

 あの離宮の書物は充実している。それと、ソフィアの書き付けには、書物に興味をもたせるようなものが多かった。

 それを確認しているうちに、ディアスも離宮の書物を読むようになったのだった。


「まぁ、これも充実した時間なのだろうね」


 そうしてディアスは、書物を読み始めたのだった。






 ──翌 日──



「いかがでしたか。大公どの」

「すごかったぞ」


 戻ってきた大公カロンの感想は、シンプルだった。


「いや、ほんとうにすごかった。勇者世界おそるべしと、あらためて感じたよ……」

「具体的におっしゃってください」

「すごかったのだ」

「リアナみたいなことを言わないで」

「言葉では表現できぬこともあるのだよ。ところで、ディアス殿下」

「なんでしょうか」

「『魔獣アビスルインダババ』と向き合う覚悟はおありか?」

「……なんですと?」

の地に足を踏み入れた者が、『恐怖! 魔獣アビスルインダババの館』を素通りするわけにはいかぬ。しかし、あの館に入るには、それなりの覚悟が必要なのだよ」

「宣伝文書には『「魔獣アビスルインダババ (レプリカです)」と握手!』とありましたが……まさか、実在するのですか?」

「レプリカだがな」

「それは存じ上げております」

「ご当地キャラだがな」

「……それはまったくわかりませんが」

「とにかく、危険はない。それは私が保証しよう」


 大公カロンは感動したような口調で、告げた。


「ただし、すべてを体験するには覚悟が必要なのだ。事実、ドロシーは『アビスルインダババの館』には行かなかった。私と同行したノナは……」

「……カロンさまカロンさま。カロンさまぁ」

「ごらんの有様だ。子どもに戻ってしまったようでな……館では自分をさらけだしていたから、あれはあれでリフレッシュできたのかもしれぬが……」


 大公カロンは、腕にしがみついて離れないノナに、苦笑いした。

 そして、ノナの頭を優しくなでながら。


「いずれにしても、私はノナを守らなければならぬと感じたよ。さらに、力不足も感じた。元剣聖などと呼ばれていても、私はまだまだなのだな……」

「……あの地では、一体なにが起きているのですか?」

「その目で確かめるしかあるまいよ。さて、どうされる? 皇太子ディアス殿下」


 大公カロンは不敵な笑みを浮かべて、告げる。


「リフレッシュできる『すぱ・りぞーと』で勇者世界の『鹿威ししおどし』、そしてご当地キャラ『魔獣アビスルインダババ』と向き合う覚悟はおありかな? 皇太子ディアス殿下」









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