第183話「帝国領での出来事(12)ーディアスとソフィアー」

 ──同時期、ドルガリア帝国、帝都──


「あの書状に、魔王領はどう反応するだろうね?」


 ここは、ドルガリア帝国の帝都。

 宮殿の一角で、皇太子ディアスは腹心の文官と話をしていた。


「書状の目的はいくつかあるのだが、君にはわかるかな?」

「は、はい。殿下」


 問われた少女は、急いで答えを探す。

 彼女は幼いころからディアスに仕える側近だ。彼の性格はわかっている。


 皇太子ディアスは、自分の意を察する者を好む。

 しかし、余計なことを言うものは遠ざける。


 数年前、ディアスがソフィアを嫌っているといううわさが流れたことがあった。

 ソフィアが余計なことを言ったのが原因らしいが、真実は文官の少女も知らない。ディアスの意を勝手に察した者が、ソフィアがいる離宮の使用人を減らしたという噂があっただけだ。


 だが、ディアスの思考を読める者など、めったにいない。

 それだけの才能があったからこそ、彼は皇太子に選ばれたのだ。

 強さと向上心、洞察力──それがディアスを今の地位に押し上げている。


 そんな皇太子を見つめながら、側近の少女はつぶやく。


「殿下が送られた書状の目的……ですか」

「そうだ。君の考えを聞かせて欲しいのだよ」


 ディアスの青い目が、じっと側近の少女を見ている。

 間違えたら解任される──そんな恐怖を押し殺し、少女は答える。


「……魔王領に、皇帝陛下からの使者が向かうことを知らせるため、です」


 震える声で、文官の少女は答えた。

 一番、無難な回答だった。


 それを聞いたディアスは拍手して、


「そうだね。さすがに君は優秀だ」

「ありがとうございます。殿下」

「けれど、目的は他にもあるよ。わかるかな?」

「……申し訳ありません。私には、わかりかねます」


 皇太子ディアスは、錬金術師れんきんじゅつしトール・カナンに爵位しゃくいと領地を与えるつもりでいる。すでに皇帝にも奏上そうじょうしている。


 それが通ればトール・カナンを男爵──いや、子爵くらいにはできるだろう。

 その後は彼に、一代限りの領地を与えることになる。もちろん辺境、国境地帯の。

 帝国が魔王領への窓口として活用する・・・・するために。


 そこまでは文官の少女にもわかる。

 けれど、その答えでは足りないのだろう。


 皇太子ディアスは含み笑いを浮かべている。

 あれはできの悪い部下を見るときの表情だ。

 解雇されることを想像して、文官の少女の背中に寒気が走る。


「答えにはたどり着かなかったようだね」


 しばらくして、皇太子ディアスは肩をすくめた。


「申し訳ありません。殿下……」

「問題ない。君にわからないなら、魔王領の連中に見抜かれることはないだろう」


 ディアスは椅子で脚を組み、指でテーブルを叩いた。

 それを見た文官の少女は、急いでお茶をれる。

 れ立ての茶でディアスは口をうるおしてから、語り出す。


「皇帝陛下は魔王領に正式な使者を送る。その使者は、トール・カナンに爵位しゃくいを与える。彼を魔王領への窓口にするためだ。ここまではいいね?」

「はい」

「すると、トール・カナンは今後、帝国側われわれの要求を魔王や魔族に伝えることになる。すると、どうなるかな?」

「魔王領の者たちは、彼が帝国側の人間であることを思い知る……ということですか?」

「そういうことだ。もっとも、それだけが目的ではないけれど」


 皇太子ディアスは唇に指を当ててみせた。


「他の目的については、皇帝陛下にしか話していない。どこに耳があるかわからないからね。誰にも悟られぬように、ゆっくりと、水が土にしみこむように……静かに進めるのだ」


 穏やかな声だった。

 その言葉を聞きながら、文官の少女は思う。


 このお方が次代の皇帝になったら、帝国は変わるだろう、と。

 皇太子ディアスは、勝つためには手段を選ばない。

 あらゆる手を使って帝国を守り、他者から利益を得る。そういう人だ。


 以前、ディアスが大公カロンとの戦いで、双剣を使っていたのもそうだ。

 あれは片腕しか使えない大公カロンをどう攻略するか、考え抜いた結果だった。双剣の一方でカロンの片腕を封じ、もう一方の剣で一撃を入れるという作戦だ。


 戦い方としては間違っていなかった。

 敗れはしたが、元剣聖の大公といい勝負をしたことでディアスの名声は上がっている。

 ディアス自身は満足していないが、十分な成果は出ているのだ。


 皇太子ディアスは常に、上を見ている。

 勇者のように……あるいは、伝説に残る皇帝になるために。常に、高い場所を。


(けれど……今のディアスさまは、急ぎすぎているような気がします)


 最近のディアスは、部下と剣の手合わせをすることもなくなった。

 以前はよく、部下の前でその剣技を披露ひろうしていたのに。


 あまり、人を近づけなくなった。

 ひとりで修練したり、考えに沈んでいることが多くなったのだ。


(なにが殿下を変えてしまったのでしょうか……)


『新種の魔獣』のせいだろうか。

 大公カロンの左腕が動くようになり、彼が再び最強になったからだろうか。

『勇者が爆発する』『ハード・クリーチャーも爆発する』と記された、異世界の文書が見つかり、召喚魔術が危険だということがわかってしまったからだろうか。


 あるいは……ずっと見下していた魔王領が、大きな力を持つようになったからだろうか。


「これから帝国は変わる。あらゆる手段を使って、より強くなるのだ」


 心配そうな部下の視線には気づかず、皇太子ディアスは宣言した。


「強さの意味は変わるかもしれない。けれど、帝国はより大きく、幸福な国になるだろう。それは素晴らしい未来だろうね。そうは思わないかい?」


 そうして皇太子ディアスは、魔王領についての資料を読み始めるのだった。







 ──同時期、ノーザの町で。 (ソフィア皇女視点)──


「そうですか。トール・カナンさまに送られた書状には、そんなことが書かれていたのですか……」

「みんな、びっくりしていたのよ」


 ここは『ノーザの町』にある、ソフィア皇女の宿舎。

 ソフィアは自室で、羽妖精ピクシーのソレーユと話をしていた。


 トールに書状を送って数日後。

 羽妖精のソレーユが訪ねてきたのだ。


 ソレーユは二通の書状を持っていた。


 一通はトール・カナンから。これはソフィアが送った書状への返事だった。

 もう一通は、魔王ルキエ・エヴァーガルドからだ。

 こちらには皇太子ディアスが送ってきた書状の写しと、それについてソフィアに相談したいということが書かれていた。


「魔王領の皆さまは、私を信頼してくださっているのですね……」


 思わず笑みがこぼれる。


 ソフィアは帝国の人間だ。

 なのに魔王ルキエは、ソフィアにディアスの書状の中身を教えてくれた。

 これはソフィアが書状の・・・内容を・・・知らない・・・・ということを前提としている。

 魔王ルキエはソフィアが帝国側ではなく、魔王領の味方だと考えているのだ。


「ソフィア皇女さまは、わたくしたちのお友だちなのよ」


 羽妖精のソレーユは、ソフィアの耳元でささやいた。


「ありがとうございます」


 ソフィアは微笑ほほえみながら、ソレーユに向かって一礼した。


「私も魔王領の皆さまを、大切なお友だちだと思っております」

「ありがとう。とってもうれしいの」

「はい。私もうれしいです」


 ソフィアの胸に、ソレーユが飛び込んでくる。

 細い指を伸ばして、ソフィアはソレーユの髪を撫でる。

 ソレーユは嬉しそうに、ソフィアの首筋に頬をこすりつける。


「……魔王陛下と宰相閣下は、あの書状を読んで『帝国側が、錬金術師さまを取り込もうとしているのではないか?』と、おっしゃったの」


 ソレーユはふと、そんなことを口にした。 


「おふたりは話をされていたの。『「例の箱」の件が終わってすぐに、こんな書状が来るのは不自然だ』と。『「例の箱」に錬金術師さまが関係していると察して、手を打ってきたのではないか』と」

「さすがは魔王陛下と、魔王領の宰相さまですね」

「おふたりは魔王領のために、いつも頭を痛めていらっしゃるの」

「国を守る重責については、私も想像ができます」

「そんなおふたりだから、帝国の意図についても察していらっしゃるのよ」

「お聞かせいただけますか?」

「『魔王領と帝国で正式に国交を開くことと、トールどのを取り込むこと。その両方が帝国の狙い。ただし、本命はトールどの』……これが魔王陛下と宰相閣下の結論なのよ」

「……さすがは魔王陛下と宰相閣下です」


 ソフィアも同意見だ。


 帝国の皇太子であるディアスが、トールに書状を送るのは不自然だ。

 あの書状がトールを狙ったものであることは、十分に考えられる。


「ただ、具体的になにをしようとしているのかは、まだわかってないのよ」


 ソレーユは首をかしげた。

 空中で頭を抱えて、『うんうん』とうなりはじめる。


「ソレーユには、難しいことはわからないの。でも、錬金術師さまのお力になりたいのよ」

「わかります。私も同じ気持ちですから」

「ソフィア皇女さまはこの書状について、どうお考えなの?」

「そうですね……」


 これが、トールを取り込むための策だとしたら──


「ディアス兄さまはトール・カナンさまに、爵位しゃくい領地りょうちを差し上げようとしているのではないでしょうか?」

「爵位と領地を!? ど、どうして!?」

「トール・カナンさまを、魔王領への窓口とするためでしょう」


 ソフィアはうなずいた。


 ディアスの書状は、皇帝が直筆の書状を送るとほのめかしている。

 となると、皇帝直属の者が、使者としてやってくるはず。

 そういう者なら皇帝の委任状を用いて、領地と爵位の授与ができるのだ。


 爵位と領地は、トールを取り込むためのものだろう。

 トールがいれば、『ハード・クリーチャー』への対策もできる。

 帝国側は他国に対して、優位に立つことができるのだ。


(トール・カナンさまが領地や爵位を欲しがるとは思えませんが……帝国には、他に差し出せるものがないのでしょうね)


 愚かなことをしていると思う。

 ソフィアが帝国の女帝だったら、そんなやり方はしない。


 ソフィアなら……まずは『錬金省れんきんしょう』という部署と、巨大な研究施設を用意する。

 次に『錬金大臣れんきんだいじん』という職を作って、トールをスカウトする。

 さらに、帝国に布告を出して、錬金術や勇者の世界に興味がある者を集める。それらをすべてトールの部下にする。

 その上で、トールに予算と、すべての裁量権を与えると宣言する。

 最後にソフィア自身が名誉職として、『錬金省』に居場所を作れば完璧だ。


(──トール・カナンさまを欲しいなら、それくらいするべきなのです)


 自分の想像──あるいは妄想もうそうに満足して、ソフィアはうなずく。

 それから彼女は、表情を改めて、


「帝国は魔王領と正式な国交を開き、その後で、トール・カナンさまを外交の窓口とするつもりなのでしょう。そのために国境付近の領地と、爵位を与えるつもりかと」

「で、でも、そんなことをしても錬金術師さまを取り込むことは──」

「そうなればトール・カナンさまは帝国側の代弁者となります」


 ソフィアは厳しい声で、告げた。


「帝国の要求と、帝国の利益になることを魔王領に伝える立場となるのです。そうなれば魔王領の人々が、トール・カナンさまから心を離すと考えているのでしょう」

「うーん。帝国側が勝手に要求をしてきてるだけなら、錬金術師さまのせいじゃないの」

「ですよね」

「そうなの。そんなことで、錬金術師さまを嫌いになったりしないの!」


 ソレーユは頬をふくらませた。

 気持ちはわかる。

 帝国はおそらく、トール・カナンと魔王領のきずなを甘く見ている。

 というよりも、そもそも彼が帝国から爵位を受け取るはずがないし、帝国側の代弁者になどなるはずがない。それは彼を少しでも知っていれば、わかることだ。


 けれど、皇太子ディアスがそれ以上のことを考えていたとしたら?

 例えば──


「もしも……領地となる場所に、帝国兵が常駐じょうちゅうするとしたらどうでしょうか? それを取り除くことができるのが、爵位しゃくいを得たトール・カナンさまだけだとしたら?」

「……あ」

「ディアス兄さまは知恵者です。ひとつの目的のために行動を起こすとは思えません。ふたつ……いえ、みっつかよっつの目的があると考えた方がいいでしょう。それが、兵の駐屯ちゅうとんだと考えられます」


 ソフィアは続ける。


「トール・カナンさまに領地を与え、そこに無理矢理、兵を駐屯ちゅうとんさせる。その指揮官には、ディアス兄さまの息のかかった者を配置する。その者が、かつて軍務大臣のザグランが命じたような、軍事訓練を行えば……」

「魔王領のみんなは、むーっとするの」

「その責任を、トール・カナンさまに押しつけるつもりなのかもしれません」

「でも、錬金術師さまは爵位や領地なんか欲しがったりしないのよ……」

「そうですね。ですからその場合、領地は別の者に与えられることになるでしょう。好戦的で、魔王領に反感を持つ者に。トール・カナンさまが断ればそうなると、帝国はおどしをかけてくることもあり得るのです」


 トールが素直に爵位と領地を受け取れば、それでよし。

 そうでない場合は、魔王領が不利になるような状況を作り出す。

 それが皇太子ディアスの計画だと、ソフィアは考えていた。


「だったら、どうすればいいの……?」

「私が……対策を考えましょう」


 ベッドから立ち上がるソフィア。

 彼女は羊皮紙とペンを手に取り、書状の用意をはじめる。


「書状を書きます。魔王陛下とトール・カナンさまにお渡しいただけますか?」

「わ、わかったのよ」

「帝都に、魔王領からの返事が届くまでに数日かかるでしょう。急ぐことはありません。私からの書状は、魔王陛下とトール・カナンさまのお手が空いたときに渡してください」

「急がなくていいの?」

「この件には全力で対応しなければいけません。他の仕事を終えて、集中した状態で取り組んでいただきたいのです」

「わ、わかったの。でも、どんな対策なの?」

「皇女という立場を最大限に利用いたします」


 ソフィアは、不敵な笑みを浮かべた。


 この計画には、大公カロンも巻き込むことになるだろう。

 あの方なら、反対はしないはずだ。

 リアナは……びっくりするかもしれないが、たぶん、協力してくれるはず。


(トール・カナンさまに迷惑をかけるのは許しませんよ。ディアス兄さま)


 ここからはソフィアとディアスの知恵比べだ。

 トールを守りたいソフィアと、帝国の利益を重視するディアスの。


(ディアス兄さまは、私がトール・カナンさまの側に立っていることを知りません。有利な点は、そこです。ディアス兄さま……いえ、皇太子殿下は、私に興味がないのですからね)


 ソフィアがディアスと話をしたことは、ほとんどない。

 国境地帯に送られる前、高官会議で言葉を交わしたくらいだろう。


 だから、皇太子ディアスはソフィアのことを知らない。

 逆にソフィアはディアスのことをよく知っている。

 離宮にいても、優秀な皇太子の話は聞いていた。ディアスの性格、能力──離宮の中で聞いていた噂話うわさばなしが役に立つ。そこから彼の考えそうなことを想定して、対策を立てる。


(……ディアス兄さまと、話をする機会があればよかったのですけど。そうすればもっと、確実に対策が立てられたのですけどね)


 ディアスとソフィアは母が違う。

 ただ、どちらも高位の貴族の娘であったらしい。

 互いに仲が良くて、親交も深かったそうだ。


 その縁で、ディアスの叔父が離宮に来たことがあった。

 その人は皇帝がいる席で、魔術書への解釈を披露したディアスの才能を自慢しに来たのだ。

 けれど、その解釈には微妙な間違いがあった。だから、つい指摘してしまったことを覚えている。

 ディアスの信奉者であるその人からは、笑い飛ばされただけだったけれど。


 ディアスはたぶん、ソフィアに興味はないのだろう。

 けれど、ソフィアは大いに彼に興味がある。

 味方としてではなく、国境地帯の平穏を乱す者として。


 ソフィアの目的は、帝国と魔王領を繋ぐ架け橋となることだ。

 それを、変な陰謀で邪魔されるわけにはいかない。


 ソフィアを友だちと呼んでくれたアグニスや、信頼してくれる魔王領の人たちのために。

 なによりも、ソフィアにとって一番大切な人のために。


「私のつたない知恵が、お役に立てばいいのですが」


 そんなことを考えながら、ソフィアは羊皮紙ようひしにペンを走らせるのだった。 









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