第196話「錬金術師トール、対策を強化する

 ──ソフィア視点──




(……やはりトール・カナンさまは、人をよく見ていらっしゃいますね)


 ソフィアはトールとディアスのやりとりを、見つめていた。

 できるだけ、口を出さないと決めていた。


 ソフィアは、自分がトールの味方をしてしまうことがわかっている。

 けれど、それがディアスをかたくなにしてしまうかもしれない。

 ソフィアが口を挟んだ瞬間しゅんかん、ディアスが交渉を打ち切る可能性もある。

 それではなにも変わらない。


 交渉を打ち切ったディアスは、帝都に戻って兵を集めるか、ひとりでカロンを助けに向かうだろう。

 けれど──


(ディアス兄さまでは『カースド・スマホ』に対抗できません)


 皇太子のディアスが『軍勢ぐんぜいわざ』に取り込まれたら、帝国は揺らぐ。

 それは回り回って魔王領に──トールに迷惑をかけることになるだろう。

 そうなることは避けたかった。


「……このディアスが、魔王領と対等の立場で……か」


 ディアスはこぶしを握りしめている。

 トールが魔王領と帝国の、対等な立場での協力関係を提示したからだ。


 ソフィアも皇帝一族のひとりだ。ディアスがなにを悩んでいるかはわかる。


 個人としてのディアスは、カロンを助けたいのだろう。

 ディアスはカロンに手会わせて敗れた上に、今回は身を挺して守られている。

 その借りを返したいはずだ。


 それには魔王領の力を借りるのが最も早い。

 帝都に戻って兵を集めるには時間がかかる。

 一度帝都に戻ってしまえば、事件のことを皇帝や高官に報告しなければいけない。

 リカルドたちがカロンを拘束したなら、それは政治的問題になるからだ。

 その結果、ディアスはすぐには動けなくなる。


 おそらくは、対応する部隊が編成されるだろう。

 それにディアスが参加できるかどうかは、わからない。

 部隊から外されたら、ディアスはカロンに借りを返すことができなくなるのだ。


 だからディアスにとって、トールの提案は願ってもないことだ。

 しかも、トールには『カースド・スマホ』への対抗策がある。

 ディアスとしては、すぐにでも提案を受け入れたいはずだ。


 けれど、ディアスは皇太子だ。

 彼が他国との協力関係を表明すれば、それは帝国の意志として受け取られる。

 次期皇帝が魔王領と結ぶのだ。

 そのことがおおやけになれば、帝国内に衝撃しょうげきが走るだろう。


 ディアスの意思に賛同するものもいるだろう。

 だが、反対するものもいる。場合によっては、帝国は割れる。


 それを抑えるために、皇帝がディアスを廃嫡はいちゃくすることも考えられる。

 だから皇太子としてのディアスは、トールの提案にうなずくことができない。


 ディアスの中では、個人としての彼と、公人こうじんとしての彼がせめぎ合っているのだろう。


(私でしたら、すぐにトール・カナンさまの提案を受け入れるのですけれど)


 おそらく、妹のリアナもそうだろう。

 感覚派のリアナは考えることもなく「わかりました。シュバッと大公さまを助けに行きましょう」と、動き出しているに違いない。


(そんな私たちは、皇帝には向かないのでしょうね)


 ソフィアとリアナは、国家の部品になりきれない。

 だから、ふたりには、帝国を背負うことはできないのだ。


「……大公どのは救いたい。だが……」


 そんなソフィアが見ている前で、ディアスは唇をかみしめていた。


「だが……私は皇太子なのだ。帝国の皇太子が……勝手に他国と……魔王領と……」

「わかりました。協力関係については、おおやけにしなくても大丈夫です」


 あっさりだった。

 ディアスの荷物をぽーんと投げ捨てるように、トールは言った。


「時間は貴重です。今回の事件には、すぐに対処しなければいけません。皇太子殿下が悩まれるようなら、秘密の協力関係でもいいと、魔王陛下には言われています」

「……は?」


 ディアスが、ぽかん、とした顔になる。

 ソフィアは思わずアグニスの方を見た。彼女は、優しい表情でうなずいている。

 本当に魔王領としては、『秘密の協力関係』でも構わないらしい。


 ソフィアには信じられなかった。

 これは魔王領にとって、歴史を変えるチャンスだ。

 それを見逃すなどありえない。


 帝国の皇太子と協力関係を作り上げれば、帝国の魔王領に対する扱いは変わる。

 今回の事件を起こしたのはリカルドだ。

 その解決に協力することで、魔王領は功績こうせきを主張できる。

 帝国との様々な交渉を、有利に運ぶこともできるだろう 


 その好機を、魔王ルキエとトールたちは、手放そうとしているのだ。


(このいさぎよさは、帝国の者には無理です。よほどの勇気がなければ……)


 ──それはまさに『勇者』のように。


 頭の中に浮かんだ言葉に、ソフィアはおどろく。

 思わず口に出しそうになり、慌てて口を押さえる。


「優先順位を間違えないようにしたいと、陛下はおっしゃっていました」


 トールは説明を続ける。


「俺も同意見です。大切なのは、リカルド殿下が使っているアイテムを破壊して、封印ふういんすることですからね。それには帝国側の協力が必要になります。ですから、まずはお互いが協力するのが第一です」

「……う」

「公式の協力関係にこだわって、対処が遅れたらなんにもなりません。それこそ本末転倒ほんまつてんとうです」


 ──重要なのは、問題を解決すること。

 ──魔王領は今回の事件を、政治利用する気はない。

 ──できれば政治利用したいけれど、それで被害が拡大したら意味はない。


 そんなことを、トールは言った。


「それが、魔王陛下のご結論です。秘密の協力関係であっても、皇太子殿下とソフィア殿下は、その事実をご存じですからね。それで十分です。宰相閣下さいしょうかっかも、皇太子殿下の立場について察していらっしゃいましたよ」

「……魔王が、帝国の皇太子に情けをかけるのか?」

「関係ありません。問題の解決を優先するだけです」

「…………」

「俺もリカルド殿下が使っているアイテムに興味がありますからね。できれば破壊する前に……ちょっとだけ。ほんの数秒だけ鑑定かんていしたいと思っています。でも、これ以上被害が増えたら、問答無用で破壊しなきゃいけなくなりますよね?」

「…………」

「だから、できるだけ早く解決したいんです。協力関係を秘密にした方が素早く動けるなら、そっちの方がいいんです。魔王陛下も俺も、そう考えています」

「…………」


 トールは素直な気持ちを話しているだけなのだろう。

 けれど、ディアスの顔は真っ赤になっていく。

 握りしめた拳からは血がにじみ、肩がふるふると震え出す。


 ディアスにはトールの言葉が、こう聞こえているのだろう。



『帝国の皇太子は事態の解決よりも、民や国の平穏よりも、保身ほしんを優先するのか?』

『そこまで御身おんみが大事か』

『魔王領が差し出した救いの手を握ることもできないのか。皇太子ディアスは』


 ──と。



 トールや魔王ルキエに悪意はない。

 けれど、常に序列じょれつを気にする帝国の皇子皇女には、挑発ちょうはつする言葉に聞こえてしまうのだ。


(こうなると、ディアス兄さまの反応は……)


 ソフィアの視線の先で、ディアスが顔を上げた。

 唇から血をにじませて、苦いものをむりやり飲み込んだような表情で、


「……協力関係を、受け入れよう」


 肩をふるふると震わせながら、ディアスは言った。


貴公きこうの言うとおり、問題解決が最優先だ。必要ならば……協力関係にあることを公開しても構わない」

「あ、はい。でも、無理する必要は──」

「それは貴公が気にすることではない!」


 ディアスは声をあげた。


 ソフィアは口元を押さえた。

 思わず、笑みがこぼれそうになったからだ。


(ディアス兄さまはプライドや立場よりも、大公さまへの借りを返すことを選ばれたようです)


 それは正しい選択なのだろう。

 対応が遅れたいせいで大公カロンにもしものことがあったら、ディアスは取り返しの付かない傷を負うことになる。

 その身ではなく、心に。

 ディアスが次期皇帝になったとき、その傷は彼に大きな影響を与えるだろう。


 けれど、ディアスは立場を捨てて、カロンを救うことを選んだ。

 その選択を引き出したのはトールだ。

 だから、ひとりの個人としてのディアスは、皇太子としてのプライドを投げ捨てたのだ。


(さすがは、トール・カナンさまですね)


 トールには、人を変える力がある。

 ソフィアとリアナが変わったように、ディアスも変わるかもしれない。


 そんな期待をしてしまう、ソフィアなのだった。





 ──トール視点──




「あ、はい。協力いただけるのは助かります」


 でも、なんで怒ったような顔をしてるんだろう、ディアス皇子は。

 ソフィアは……横を向いてる。なんだか笑いをこらえているようにも見える。

 ……よくわからないな。


 秘密の協力関係については、ルキエも納得してる。

 ケルヴさんも同じだ。


 ただ、ケルヴさんは『もしかしたら帝国の皇太子は、協力関係をおおやけにするかもしれません。ですが、私が彼と同じ立場だったら……柱を必要とするような事態ですから』と言ってたっけ。

 ケルヴさんはすごい人だから、なにか察するところがあったのかもしれないな。

『アイスピラー』の魔術が使えるエルテさんを同行させようとした理由は、よくわからないけど。


「皇太子であるディアス・ドルガリアの名において、次のことをちかう」


 ディアス皇子はまっすぐ俺をにらみながら、声をあげた。


「事件が解決するまでの間、私は魔王領と協力する。この誓いを破ったならば、我が剣技と魔術をはいし、二度と『勇者を目指す』などと口にせぬ。これが私の覚悟だ!」

「いえ、そこまでしなくても──」

「ソフィアと、大公どのの副官であるノナが証人だ。よいな!」


「はい。ディアス兄さま」

「皇太子殿下……大公さまのために……そこまで」


 いい笑顔でうなずくソフィアと、涙ぐんでるノナさん。

 とにかく、協力関係ができたのはよかった。


「では、まずはこちらが持っている情報をお伝えします」


 それから、俺は皇太子ディアスに『カースド・スマホ』のことを伝えた。



『カースド・スマホ』と呼ばれる危険なマジックアイテムが、勇者世界から送り込まれてきたこと。

 その情報を、魔王領に落ちてきた『正義のスマホ』から得たこと。

 リカルド皇子が使った術が『軍勢ぐんぜいわざ』と呼ばれるものの可能性があること。

 魔王領はすでに『軍勢ノ技』への対策をはじめていること。


 そして『カースド・スマホ』は2つ、この世界に落ちてきていることを。



「ふたつの『カースド・スマホ』のうちのひとつを、リカルド殿下が手に入れたのだと思います」


 俺は説明を続ける。


「俺たちはリカルド殿下から『カースド・スマホ』を取り上げて破壊するため、力を尽くします。ディアス殿下は『カースド・スマホ』を破壊することと、もうひとつの『カースド・スマホ』探索に協力することお約束してください」

「わ、わかった。だが、あんなアイテムが、もうひとつあるのか」

「あるんです。おそらく、ですけど」

「……うむ」

「魔王領内も捜索しましたが、第2の『カースド・スマホ』は見つかりませんでした。ですから帝国領か、その周辺に落ちた可能性が高いです。見つけ出して破壊するには、帝国側の協力が必要なんです」


 これが、魔王領がディアス皇子に力を貸す理由だ。

『カースド・スマホ』は危険だ。

 ディアス皇子の話を聞いて確信した。あのアイテムはめちゃくちゃやばい。


 ディアス皇子の話では、兵士たちはひとつの生き物のように行動していたらしい。

 おそらくは感覚共有と、意識共有。

 司令塔であるリカルド皇子が、兵士たちと感覚や意識を共有して、動かしていたのだろう。


 文字通り、あれは人を軍勢にしてしまうアイテムなんだ。


 リカルド皇子が『森から突然飛び出してきた獲物を、見えていたかのように射た』という言葉が、その証拠だ。 

 俺の予測が正しければ、リカルド皇子は森にいる兵士たちの視界を借りて、獲物の動きを見ていたのだろう。


 確かに強力な技ではあるけど……そんな状態に、人の精神は耐えられるんだろうか。

 多数の兵士たちと意識や感覚を共有しているなら、それは自分に大量の目や鼻や耳、手足が生えたようなものだ。

 そんな状態を続けることができるんだろうか。


 もしも、その状態に耐えられないとしたら──

 リカルド皇子やダフネ皇女や兵士たちの意識は、この世界の人や亜人、魔族とは別物に変わってしまうんじゃないか?


 というか、帝国のリカルド皇子って、よく『カースド・スマホ』を起動する気になったよな。

 蛮勇ばんゆうというか無謀むぼうというか。

 まさかそういう人間を選んで送り込まれたわけじゃないよな……。


「情報を提供してくれたことに感謝申し上げる」


 しばらくして、ディアス皇子が口を開いた。


「あのアイテムが危険だということは、よくわかった。必ず破壊すると約束しよう。もうひとつの『カースド・スマホ』の捜索にも協力する」

「ありがとうございます」

「では、ディアス兄さま。一筆いっぴつ書いていただけますか」


 突然だった。

 それまで黙っていたソフィアが、ディアス皇子の前に一枚の羊皮紙ようひしを置いた。


 そこには『カースド・スマホ捜索と破壊に関する覚え書き』と記されている。

 名前を書くらんもある。

 一番下には『立会人、ソフィア・ドルガリア』の名前がある。


「こうなると思いまして、用意しておきました」

「……準備がいいな。ソフィアよ」

「私は帝国と魔王領のかけはしになると決めておりますからね」

「お前には、こうなることがわかっていたのか?」

「確信はありませんでした。ですが皇太子殿下は、プライドの高いお方ですから」


 ソフィアは挑戦的な笑みを浮かべながら、ディアス皇子を見て、


「ディアス兄さまは大公さまに敗れたあと、何度も再戦を申し出られたと、リアナからの手紙にありました。再戦を申し出た……それは皇太子の立場を利用して『自分と勝負するように』とは命じなかったのですよね?」


 ──確かに、その通りだ。

 ディアス皇子の立場なら、再戦を命令することができた。

 皇帝に依頼して、大公カロンに『ディアスと試合をしろ』と言ってもらうこともできたんだ。

 でも、ディアス皇子はそうしなかった。


「ディアス兄さまは、あくまでも大公さまも納得された上で、再戦を行いたかったのでしょう? そうでなければ、本気で戦ってもらえないと考えたのですよね。無理強いするのではなく、おたがいが納得するかたちでの決着を望まれたのです。私は、公人としての皇太子殿下は別として……ディアス・ドルガリアという個人は、そういうお方だと考えておりました」


 ソフィアは静かな口調で、続ける。


「そのような方であれば、協力関係の約定にも、署名しょめいをいただけると思ったのです。個人としてのディアス兄さまは、敗北を受け入れて、納得するかたちで取り戻そうとするお方なのですから」

「……ソフィアよ」

「はい。ディアス兄さま」

「お前に……それほどの知恵と才覚があるとは……知らなかった。ソフィア、お前は帝都に……」

「戻る気はございませんよ?」


 ソフィアは胸を張り、答えた。


「私はこの地で居場所を見つけました。共にいたいお方や、大切なお友だちと出会いました。私が望むのは、魔王領と帝国との平和のはしとなることです。帝都でのあれこれは、ディアス兄さまにお任せいたします」

「……そうか」

「どうなさいますか? 一筆、いただけますか?」

「…………書こう」

「わかりました。書類は2枚ございます。1枚は魔王領側の控えといたしましょう」


 不敵な笑みを浮かべて、ソフィアは二枚目の羊皮紙を取り出す。

 それを見た皇太子ディアスが、あきらめたような顔になる。


 本当にすごいな。ソフィアは。

 ディアス皇子が言った通り、知恵と才覚では彼を圧倒してるんじゃないだろうか。


 そんなソフィアの前で、ディアスは黙々もくもくと書類を読んでいる。

 彼も帝国の皇太子だ。サインする前に、文面をしっかりと確認してるんだろう。


 その間に、俺とアグニスは部屋の外へ。

 今後のことについて、軽く打ち合わせをすることにした。





「……トール・カナンさまは、やっぱりすごいので」

「いきなりどうしたんですか。アグニスさん」

「『軍勢ノ技』はトール・カナンさまの予想通り、人を強化する技だったので」


 アグニスはきらきらした目で、俺を見てる。


「だったら、例のアイテムで無力化できるかもしれないので」

「あの予想を立てられたのはソフィア殿下のおかげです。俺だけの手柄じゃないです」


 俺ひとりで出来ることなんか、たかが知れてる。

 みんなと話をしたり、意見をもらったりできるから、色々な推測が立てられるんだ。

 マジックアイテムのインスピレーションだって、みんなからもらってるわけだからね。


「とにかく、ひとつめの『カースド・スマホ』の在処はわかりました」


 俺は言った。


「所有者はリカルド皇子。そして、彼は兵士たちを率いている。狩り場から移動してるかもしれないけど、大人数なら、居場所を見つけやすいですからね」

「ディアス皇子が協力してくれるなら、帝国内でも動けるので」

「問題は『人生と仕事がどうでもよくなるアイテム』が、ひとつしか完成してないことです」


 今あるのは『アルファー波・リラックスCD』だけだ。

 強力だけど、相手は勇者世界の『カースド・スマホ』だからね。

 あれひとつだと足りないかもしれない。


 それに、CDは固定して設置するアイテムだ。

 相手が効果範囲外に逃げる可能性もある。その対策も必要だ。


 本当にリカルド皇子たちが視覚や聴覚を共有しているなら、ひとりに『アルファー波・リラックスCD』を使うだけで、数人は無力化できると思うんだけど。

 あとは……どうやって相手を捕らえるかなんだけど。


「それに、ほかのふたつのアイテムが、なかなか難しいんですよ」

「どんなアイテムなので?」

「相手を座らせるアイテムと、ふるわせるアイテムです」

「……それは、難しいので」

「どちらも設置型ですからね。融通ゆうずうがきかないんです。なにかいい方法があればと思うんですけど」


 今回のアイテムは、難しい。

 勇者世界のものをコピーするだけじゃ足りない。

『軍勢ノ技』に合わせたアレンジができればいいんだけど。



「──トール・カナンさま、アグニスさま。署名が終わりました」



 そんなことを話していたら、ソフィアが呼びに来た。

 部屋に戻ると、覚え書きが完成していた。二通ある。


 ソフィアと皇太子ディアスのサイン。

 追加の見届け人として、大公国代表のノナさんの署名もある。

 魔王領と皇太子ディアスが協力関係を保つという証明書だ。


「我々の協力関係は、2つの『カースド・スマホ』を破壊するまでのものだ」


 まっすぐに俺を見ながら、ディアス皇子は言った。


れ合うつもりはない。帝国の高官会議より非難を受けたら、私は『カースド・スマホ対策のための一時的なものだ』と、堂々と答えるだろう。この書類を武器に私を脅迫きょうはくすることはできない。それは、忘れないように」

「承知いたしました。皇太子殿下」

「……ならば、いい」


 ディアス皇子は頬杖をついたまま、ため息をついた。

 なんだか、眠そうな顔だった。


「ディアス殿下、少し、お休みになられた方が」


 ノナさんが声をかける。

 でも、ディアス皇子は首を横に振って、


「眠れないのだ。眠ると……暗闇に取り込まれる夢を見るのだよ」

「悪夢を、ですか?」

「笑うかい? 魔王領の錬金術師れんきんじゅつしよ」


 ディアス皇子は苦笑いした。


「狩り場でリカルドに襲われてから、ずっと同じ夢を見るのだ。暗闇くらやみ……いや、黒い波が襲ってきて、私を取り込もうとする夢を。それはスライムのように私を包み込み、力を与えるとささやくのだ。そうして気づくと、私は……リカルドのようになっている、そんな夢だ」

「……嫌な悪夢ですね」

「しかも、力を得た私は安らいでいる。これで、無敵の皇太子になれたと。次期皇帝となり、帝国を引っ張っていくことができると……軟体生物なんたいせいぶつに包まれた、闇の中でな」


 ……『軍勢ノ技』に取り込まれそうになったショックで、そんな夢を見るようになったのか。

 なんとなくだけど、わかる。

 ディアス皇子も帝国の人間だ。

『軍勢ノ技』が与える『強さ』の誘惑にあらがうのは難しいんだろうな。


 でも、スライムのように包み込む暗闇、か。

 怖いよな。そんな悪夢に襲われるのって。

 まぁ、実際の寝具としては、いいのかもしれないけど。


 例えば──闇を吸い込むくらい真っ黒で、身体をふんわりと包み込んでくれて、温かくて──

 包み込まれると、優しい音楽が流れてきて──

 そういう布団……ベッド……クッションがあれば……。



「──それだ!!」



「トール・カナンさま!?」

「どうされたのですか?」

「ど、どうしたのだ。魔王領の錬金術師どの」

「錬金術師さま!?」


 ソフィアとアグニス、ディアス皇子とノナさんが、一斉に俺を見た。

 俺は4人に一礼してから、部屋を飛び出す。

 廊下の奥に移動して、『超小型簡易倉庫』から『通販カタログ』を取り出した。


 開いたのは『人生と仕事がどうでもよくなる3点セット』のページだ。

 写っているのは、黒いクッション。

 3点セットのうちの、第2のアイテム。


『明日の仕事がどうでもよくなる「やわらかクッション」』だ。


────────────────────


『明日の仕事がどうでもよくなる「やわらかクッション」』



 このクッションは『やわらかビーズ』の効果で、自由にかたちが変化します。

 毎日の仕事でお疲れのあなたを、やさしく包み込んでくれます。


 そのやわらかさは、まるで優しい誰かに抱きしめられているようです。

 他の2点と合わせると、人生や仕事のストレスから、完全解放されるでしょう。ですから休日か、その前の日のご使用をおすすめします。


 この『やわらかクッション』の特徴は──


────────────────────


 ──『通販カタログ』には、素材や特徴、その素晴らしさが書かれている。


 このクッションは相手の身体を包み込み、究極のリラクゼーション効果を与えるものだ。『人生と仕事がどうでもよくなる3点セット』のひとつでもある。


 作るのはそんなに難しくない。

『抱きまくら』を応用すれば、やわらかなクッションは作れるからね。


 問題は『軍勢ノ技』で強化されている相手を、どうやって座らせるかだ。

 相手は、じっとしてるわけじゃない。

 目の前に置かれたクッションに、素直に座ってくれるわけじゃないんだ。

 その問題をどうするか悩んでいたんだけど──


「クッションそのものが移動するようにすればいいのか……」


 発想の転換だった。


 ディアス皇子の悪夢に出てくる『暗闇』のように、クッションが相手に向かって動けばいい。高速で、気配もなく、相手を取り逃がさないように。

るやわらかクッション』にすればいいんだ。


『這い寄るやわらかクッション』は『軍勢ノ技』にかかっている者を、問答無用で包み込み、リラックスさせる。

 クッションの中には『アルファー波・リラックスCD』を仕込めばいい。

 そうすれば相手は、ゼロ距離で『アルファー波』の直撃を受けることになる。

 ケルヴさんたちに使ったのと比べて、効果は数倍になるはずだ。

 相手が感覚共有しているなら、数人……あるいは数十人が、一斉にリラックス状態におちいるだろう。


 高速で這い寄ってきて、相手をリラックス状態にさせて、眠らせる。

 意識を眠り……闇に落とし込むなら、それは暗闇が襲ってくるようなものだ。

 ディアス皇子が見ているという『悪夢』と、似たようなものになるんじゃないかな……?


「帝国の皇太子から、マジックアイテムのヒントをもらうとは思わなかったよ」


 苦手なんだけどなぁ。帝国の皇子って。

 ……変なところで、借りを作ってしまった気がする。


「しょうがないか。今は協力関係だからな。俺のできることはすべてやろう」


 大公カロンはいい人だから、助けたい。

 だから一時的な協力関係でも、力を尽くそう。

 それはまわりまわって魔王領や、ルキエのためにもなるはずだ。


 俺はそんなことを考えながら、ソフィアたちの元へ戻ったのだった。




 





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【お知らせです】




 書籍版「創造錬金術師は自由を謳歌する」4巻の発売日が発表になりました。


 7月8日です!


 4巻は全体的に改稿を加えた上に、後半が新たに書き下ろした、書籍版オリジナルのお話になっています。


(ただいま原稿チェック中です。WEB版を金曜日に更新したのは、土日にがっつりチェックするためでもあったりします……)




 WEB版とは少し違うルートに入った、書籍版『創造錬金術師』4巻を、よろしくお願いします。

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