第205話「皇太子ディアス、会談の場に向かう」
──数日後、国境地帯の交易所で──
「おぉ、久しぶりに来たが、以前よりもにぎやかになっておるな」
「国境地帯に……このような施設が」
数日後。大公カロンと皇太子ディアスは、国境地帯の交易所を訪ねていた。
同行者はリアナ皇女と、数名の高官。それと、護衛の兵士たちだ。
「皇太子殿下、皇女殿下。この交易所には素晴らしいお風呂があるのですぞ」
「はい。存じ上げております。ソフィア姉さまが自慢していましたから」
「……お風呂。国境地帯の交易所に、自慢のお風呂……」
「もしかしたら私の右腕が動くようになったのも、あの風呂が原因かもしれませんな」
「ありえるお話です。シュワシュワワーでジンジンなお風呂だと、うかがっておりますから」
「…………いや、そんなことがあるわけが……」
言いかけて、皇太子ディアスは考え込む。
魔王ルキエ・エヴァーガルドは、彼に高い権限を与えていると聞いている。
だからこそ、魔王領は発展を遂げていると考えれば、納得はできるのだ。
ディアスはそんな魔王領と正式な国交を樹立し、友好関係を結ぶことを選んだ。
父皇帝の説得は、難しくはなかった。
彼はすでに、政治に関心を持たなくなっていたからだ。
だが、高官会議の説得には苦労した。
彼らを説得できたのは、条件をつけたからだ。
その条件とは『魔王領と国交を結ぶのは、条約締結より、次期皇帝ディアスが退位するまで』というものだった。
つまり、ディアスが皇太子である現在と、ディアスが皇帝である間だけ。
わかりやすく言うと『ディアスが権力を持っている間』ということだ。
さらに大公カロンとリアナ皇女の口添えがあり、高官たちはやっとディアスの提案を認めたのだった。
(高官たちの中には、私がすぐに失脚すると考えている者もいるのだろう)
彼らは、魔王領の技術を目にしていない。
だから彼らを見下している。
魔王は勇者に敗れたときのままだと、勝手に思い込んでいるのだ。
(……我々も、ティリクの者たちを笑えぬな)
結局のところ、帝国もティリクの残党も、過去に囚われているのだろう。
おそらくは、力ですべてを解決した勇者の幻影に。
だからリカルドもティリクの残党も、強さを求めたのかもしれない。
そんな彼らを見たから、ディアスは『強さ至上主義』を捨てることを決めたのだ。
「『強さ至上主義』の危険性がわかっていたのは……帝国ではトール・カナンと、ソフィアだけか。最初からふたりの話を聞いていれば、遠回りすることもなかったのだろうが……」
つぶやいて、ディアスは苦い顔になる。
1ヶ月前の自分が、どんな様子だったかを思い出したからだ。
当時のディアスはただ一心に、大公カロンに勝利することを願っていた。
そんな自分が、トール・カナンとソフィアの話を聞いたはずがない。
(……これも後知恵か。まったく、救いようがないな、私は)
ため息をつくディアスだった。
「おぉ、歓迎の準備が整っておりますぞ。殿下」
「ソフィア姉さまもいらっしゃいます! エルフの方や、姉さまのお友だちも!」
交易所の入り口には、魔王領の高官たちが並んでいた。
先頭にいるのは、火炎将軍として名高いライゼンガだ。
隣には文官の長である、宰相ケルヴもいる。
武闘派で知られるライゼンガだが、今日は儀式用の
隣にいる宰相ケルヴは、額に包帯を巻いている。戦傷だろうか。
隣にいる文官の少女が、心配そうに彼を支えている。
その向こうには、狩り場で会った少女たちがいる。
エルフの少女は……ミスラの末裔である、メイベル・リフレインだ。
ティリクの残党討伐において、彼女の功績は大きい。
それに、彼女が『帝国を恨んでいない』と明言したことで、ディアスは心の荷を降ろすことができた。
ティリクのようなことはもう、起こらないと確信できたのだ。
ディアスもカロンも、彼女には感謝している。
その隣にいる少女は……確か、ライゼンガ将軍の娘だったろうか。
皇女であるはずのソフィアと、親友のように寄り添っている。
「ソフィア姉さま! アグニスさま!!」
我慢できなくなったリアナが、姉とアグニスの元に駆け寄る。
ふと横を見れば、大公カロンが『……我が剣の後継者になって欲しいのだがなぁ』と、ささやいている。
ディアスの知らないところで、魔王領の者たちは、帝国の重臣と
「「「交易所にようこそ。帝国の皇太子ディアス殿下。大公カロンさま」」」
魔王領の者たちは、皆、歓迎の言葉を口にしている。
さまざまな種族がいる。エルフにドワーフ。獣人に……水槽に入っている人魚もいる。
無邪気に空を飛び回っているのは、
ディアスは彼らを警戒していない。
歓迎されているのだと、素直に信じられる。
それは『カースド・スマホ』のことがあったからだろう。
あの事件では、弟と妹が敵になり、異種族である魔王領の住人たちに助けられた。
種族の差は関係ない。
重要なのは、わかりあえるかどうか。それだけだ。
「……あれが、魔王領の亜人ですか」
「……やはり人間とは違うものですな」
「……まぁ、話が通じるのであれば、国交くらいは開けましょう」
「……強さでは、我らの方が上でしょう。それを踏まえた上で、交流すべきかと」
ディアスの背後で、高官たちがつぶやいている。
歓迎してくれる者たちに聞こえなければいいと、思う。
(変化には時間がかかるものだ。過去の私を考えれば……高官たちを責められぬな)
そんなことを考えていたディアスは……ふと、気づいた。
魔王と、トール・カナンの姿が見えない。
天幕の中かと思ったが、違う。
会談のテーブルは、外に用意されている。
書簡にサインができるように、ペンとインクまで用意されている。
魔王とトール・カナンは、どこにいるのだろうか……。
「私はドルガリア帝国の皇太子ディアス・ドルガリアだ」
交易所の入り口に立ち、ディアスは言った。
「魔王領の王との会談のために来た。魔王はどちらにおられるのか?」
「お言葉ですが、帝国の皇太子殿下」
「魔王陛下は、すでに交易所に来ていらっしゃいます」
「だが、姿が見えないようだが?」
「……魔王陛下は、あちらに」
青い顔の宰相は振り返り──上空を指さした。
同時に、居並ぶ魔王領のものたちも、同じ場所を指さす。
つられてディアスも空を見る。
羽妖精たちが、飛び回っているが、魔王らしき者の姿は見えない。
見えるのは、小さな人の姿だけ。
羽を広げて飛び回っている少女たち。楽しそうな者もいれば、恥ずかしそうな者もいる。
さらにその向こうに──上空で、背を伸ばして立っている者がいた。
「……まさか、あれが……魔王か!?」
「「「おおおおおおおおおおおっ!?」」」
高官たちがおどろきの声を上げる。
宰相ケルヴの言葉は正しかった。
魔王ルキエ・エヴァーガルドは、確かに、彼が指さす場所にいた。
交易所の上空、数十メートルに。
羽妖精のように見えたのは、離れたところにいたからだ。
比べるもののない上空は、遠近感が狂ってしまう。
でも、確かに魔王は来ていた。
彼女は支えるもののない空の上で、マントを揺らして、立っている。
帝国の使節団の行動は、はるか高みから観察されていた。
魔王はそこで、使節団の到着を待っていたのだ。
「余が、魔王ルキエ・エヴァーガルドである!」
魔王の言葉が、響いた。
歓迎の列を作っていたものたちが、一斉に
上空にいたのは、小柄な少女だった。
漆黒のドレスを身にまとい、金色の髪を風になびかせている。
華奢な身体だ。力はなさそうに見える。
だが、それがなんだというのか。
魔王はすでに、
空を飛ぶのならまだわかる。
かつて召喚された異世界勇者も、風の魔術を使って数分間、空を飛ぶことに成功していた。
しかし、魔王は空中に立っている。魔術を使っている様子もない。
立ったまま、まるで滑るように、ゆっくりとこちらに近づいてくるのだった。
「……ま、魔王が空に!?」
「……勇者もできなかった、完全なる飛行魔術を開発したのか!?」
「……これが魔王の力なのか」
「上空から失礼する。帝国の方々の到着が待ちきれず、見やすい位置から眺めておったのじゃ」
魔王は静かに、地上へと降りてくる。
風は、まったく吹いていない。風系統の魔術ではないのだ。
(……だとすれば、隣にいる錬金術師トール・カナンの
魔王ルキエの側には、錬金術師トール・カナンが寄り添っている。
空中にいるときからそうだ。
互いの肩を抱くようにして、密着している。
彼の手の中にあるのは、小さな板だった。
『カースド・スマホ』よりもさらに小さい。
そこにトール・カナンは指を乗せて、ぽちぽちぽちぽち、となにかを押している。
そのたびに魔王ルキエは前後左右に水平移動し、地上に向かって降りてくるのだった。
「魔王ルキエ・エヴァーガルドの名において、帝国の方々を歓迎する」
やがて魔王は地上に降り立ち、帝国の使節に向けて告げた。
「皇太子ディアスどの。大公カロンどの。リアナ皇女よ。貴公らに会うのを、楽しみにしておったのじゃ」
「……魔王領の王に、おうかがいする」
「うけたまわろう。皇太子ディアスどの」
「魔王陛下……なのですよね」
「そうじゃ」
「失礼ながら、リアナから聞いていたお姿と、違うようですが」
「ああ。父の遺言でな。人前では、あの姿でいるように命じられておったのじゃ」
予想していた質問だったのだろう。
魔王ルキエはこともなげに、肩をすくめてみせた。
「じゃが、もう必要なくなった。これが真の姿じゃ」
「父君の遺言……魔王領の伝統のようなものですか?」
「そう考えてもらって間違いはない」
魔王ルキエはドレスと、金色の髪を揺らしながら、
「これが余の真の姿じゃ。小さくとも、弱々しくとも、これが魔王ルキエ・エヴァーガルドじゃ。がっかりさせてしまったかな? 帝国の皇太子よ」
「……い、いえ。そのようなことは」
弱々しくなどない。
むしろ、逆だ。
魔王は幼く、可愛らしい姿をさらしながら、自信たっぷりに笑っている。
当然だろう。彼女は空を支配しているのだ。
しかも魔王は、超長距離まで届く闇の魔術を使うと聞いている。
そんな魔王には大公カロンでも、『軍勢ノ技』でさえ対抗できない。
ディアスでは相手にもならないだろう。
現に、ディアスの背後で、帝国の高官たちは震えている。
魔王の底知れぬ力に恐怖しているのだ。『強さ至上主義』の高官たちが。
「……ディアス殿下」
「……我らは、殿下の判断を支持します」
「……殿下が魔王との友好を望んだのは、正しかったのです」
「……まさか魔王領の王が、空を飛べるとは思いもしませんでした」
思わず、皇太子ディアスはつぶやいていた。
「このような力を隠していらしたとは、お人が悪い」
「なに、余も最近、空を飛び始めたばかりじゃからな。補助として、トールについてもらっておる」
「錬金術師トール・カナンどのに、ですか?」
「うむ。余はAボタンで上昇、Bボタンで下降することはできるのじゃが……同時に十字キーで前後左右に水平移動するのが苦手でな。初心者じゃから仕方あるまい」
魔王の言葉は、よくわからなかった。
けれどディアスにも、魔王領の技術が
高官たちも、身にしみただろう。
魔王は『最近、空を飛び始めた』と言ったのだ。
だとすれば、彼女の
いつか魔王領の者たちすべてが、空を支配するかもしれないのだ。
「「「…………うぅ」」」
魔王の言葉を聞いた高官たちは、言葉を失っている。
対照的に魔王領の者たちは、今にも歓声を上げそうな様子だ。
例外は額を押さえている
おそらく宰相は、帝国の高官たちの前で感情を抑えているのだろう。
飛行技術がどこまで実現しているのか、読まれないようにしているのだ。
さすがは魔王領の
(力の一端を見せたのは、帝国の高官の反応を予想してのことだろうな)
『強さ至上主義』の高官たちは、魔王領をあなどっていた。
だから友好関係も『ディアス一代限り』ということで納得していた。
そんな高官たちの度肝を抜くために、魔王は空から現れたのだろう。
(交渉を有利に進めるため、か。ならば、こちらも友好関係を結びやすい)
そんな魔王ならば、魔王領と帝国が友好関係を結ぶことののメリットもわかるはず。
会談も交渉も、スムーズに進むだろう。
「私、ディアス・ドルガリアは、帝国と魔王領との友好関係を望んでいる」
「余も同じじゃ。帝国の皇太子よ」
ディアスの言葉に、魔王ルキエはうなずいた。
彼女は側にいる
「詳細を詰めるとしよう。人と亜人と魔族が、共にあるべき未来のために」
そうして魔王ルキエと皇太子ディアスの会談が始まったのだった。
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