第2話「魔王領での出会い」
馬車は北に向かっている。
俺は座席に座って、ずっと耳を澄ませていた。
馬車の外はまったく見えない。窓に板が打ち付けられているからだ。
でも、さっきから揺れが強くなっている。
北方の、街道の整備がされていない土地に入ったんだろう。
馬車の進む音に合わせて、兵士たちと馬の足音も聞こえる。
歩兵と騎兵を会わせて、護衛の兵数は20人前後。護衛というよりも、俺の監視役だ。
帝都を出てから10日以上過ぎている。
俺は数時間ごとに馬車を下ろされて、食事と休憩を取っている。
兵士たちの監視付きとはいえ、食事はちゃんとしたものだった。
「魔王領に着く前に俺が死んだら困るから、だろうな」
休憩の間、俺は兵士たちの様子をうかがっていた。
今のところ、逃げるのは無理だ。
兵団には騎兵が混ざっている。
逃げたら数名が俺を追い、残りがまわりの村や街道に手を回す。何度目かの休憩のとき、そういう警告を受けた。逃げたところで、すぐに捕まるのがオチだと。
「……これだから公爵家には関わりたくなかったんだ」
公爵家とはとっくに縁を切ったつもりだった。
俺は数年間、文官として仕事をしていた。母の姓を名乗り、普通に試験を受けて採用されたんだ。職場では、書類整理やアイテムの修理と補修を担当してきた。
帝国では文官とは「武官にも兵士にも、冒険者にさえなれなかった」者が就く仕事だ。
他からは見下されていたし、給料も安かったけれど、それでもよかった。
職場では『錬金術』スキルを活かすことができたから。
「アイテムの修理には便利だったんだけどな。このスキル」
俺はスキルを確認した。
『錬金術』
物質の精製・合成・加工を行う。
素材を組み合わせることで、新たな素材やアイテムを作り出すこともできる。
また、錬金術の特性として、鑑定能力も持つ。
職場の倉庫には、たくさんの壊れたアイテムがあった。
その管理やチェックが俺の仕事だった。
俺は書類仕事をして、資料を見ながら『錬金術』スキルでアイテムの修理をしてきた。
楽しかった。
自分が公爵家の人間だったことなんか、忘れかけていた。
だけど──
「公爵には、俺の存在そのものが許せなかったってことか」
だから、魔王領への人質として、俺を送り出した。
逃がさないための準備もしてある。
馬車の窓には板が打ち付けられ、ドアには鍵がかかっている。
スキルで脱出するのは可能だけれど──
「発動『錬金術』」
俺はスキルを起動した。
隠し持っていたスプーンが、ぐにゃり、と変形した。
これが、俺の『錬金術』スキルだ。
金属などの素材を利用して、新しいものを作り出すことができる。
だから俺は食事のとき、兵士の隙をついてスプーンやフォークをくすねておいた。金属製品があれば、別のものに加工できる。馬車のドアを開けるくらいできるんだ。
「だけど、その先が問題だな……」
20人の兵士の監視をすり抜けるのは無理だ。
逃げるなら、魔王領に着いた後の方がいい。
兵士たちはおそらく、魔王領までは来ない。
ずっと話を聞いてきたからわかる。兵士たちは、魔王領の者たちを恐れている。
人間の領土と魔王領は大昔に戦争をしていた。
今は平和な状態でも、魔族が人間にいい感情を持っているわけがない。そうじゃなかったら帝国が、人質やいけにえを送り込む必要がない。
そうなると、魔王領に着いた時点で、俺は帝国の兵士から魔王領の者へと引き渡されるはず。
逃げるならその時だ。
魔王領の者たちは、俺が『錬金術』を使えることも知らない。つけこむ隙はある。
「ここで死ぬわけにはいかない。俺はまだ、『錬金術』を極めてないんだ」
帝国にとっては不要なスキルだろうが、俺にとっては違う。
持って生まれたスキルだ。極めたいと思ってなにが悪い。
文官になる前だって、俺は何度か錬金術師の工房を訪ねている。
入るのを拒否されたのは、公爵家が裏で手を回していたからだ。
あのくそ親父は病的なくらい、俺が人前に出るのを嫌っていたんだ。
だから俺は文官として仕事をしながら、ずっと金を貯めていた。
いつか、自分の工房を開くために。
錬金術を極めて、世の中を変えるくらい、便利なアイテムを作るつもりだった。
帝国の家や施設はボロい。
文官宿舎の、すきま風だらけの部屋。
湿気ってなかなか火のつかないかまど。
割れた窓を修理する許可をもらうまでにも1ヶ月かかっている。
戦闘力至上主義の帝国は、他のことにはまったく気にとめていないんだ。
戦力増強以外に人と予算を回せば、もっと暮らしやすくなるはずなのに。
「もしもこのまま生き残ることができたら──」
俺は『錬金術』を極めて生活に便利なアイテムを作り続ける。
そうして──帝国じゃない場所で、快適な生活を送る。
帝国には俺のアイテムを一切使わせない。というか、あんな国は潰れればいい。
世界最強の軍事国家なんて知ったことじゃない。
いつか『錬金術』を極めて、強さなんか無意味な世界にしてみせる──
「──まもなく魔王領との境界だ。警戒を
不意に、兵士の声がした。
馬車が停まる。
目的地に着いたらしい。
そのまま待っていると、馬車の扉が開いた。
兵士たちが、扉を取り囲むように立っていた。
「トール・リーガスどの。こちらへ」
「一人で歩ける」
兵士の手を振り払って、俺は馬車を降りた。
やっと、広い場所に出た。
身体を伸ばしてまわりを見ると──すぐ近くに、黒い森が見えた。
街道はここで止まっている。
北に向かう街道の先で、森は西から東へと延びている。
あれが、人間の世界と魔王領の境界にある森だ。
「あの森の向こうが魔王領か?」
「……」
兵士たちは答えない。
全員、緊張した顔で森の方を見つめている。
「合図の矢を放て。それで迎えが来るはずだ」
「──はっ!」
兵士の一人が、弓を構えた。
真上に向かって、赤い布のついた矢を放つ。
あれが「人質到着」の合図になっているんだろうな。
そのまましばらく、時間が過ぎた。
俺のまわりは相変わらず、兵士たちにがっちりと固められている。
やがて、森の中に、人影が現れた。
「「「「ぐるる」」」」
現れたのは、4体のミノタウロスだった。
牛頭人身の
書物で読んだ通り、本当に牛のような頭をしている。
初めて見た。あれが亜人のひとつ、ミノタウロスか……。
「────出たな。凶暴な亜人どもが」
兵士たちは震えながら、ミノタウロスを見ていた。
「そうか?」
俺は思わず声に出していた。
ミノタウロスたちは全然、凶暴そうには見えなかった。
彼らは武器を持ってない。警戒心を解くためか、両手を頭上に挙げている。
帝国の兵士が小声でミノタウロスたちをののしるたび、淋しそうに目を伏せてる。
「俺の目には、全然凶暴には見えないが」
「ちっ」
「舌打ちするな。あんたたちは使者だろ?」
兵士たちは答えない。
誰がミノタウロスに話しかけるか、役目を押しつけ合っているようだった。
「……もういい」
俺は兵士たちを押しのけて、前に出た。
逃げるためには、相手を油断させる必要がある。
だったら、第一印象はよくしておくべきだろう。
「ドルガリア帝国から来た、トール・リーガスと申します」
俺はミノタウロスたちに向かって名乗った。
「出迎えの方だろうか。申し訳ないが、俺はこれからどうすればいいのかまったく聞かされていない。そちらの代表者の方と話ができればうれしいのだが」
「──貴様。勝手に……」
「……じゃあ、交替するか?」
俺が小声でつぶやくと、兵士たちはしぶしぶ、後ろに下がった。
「……だいひょうしゃ。きます」
不意に、ミノタウロスの一人が言った。
その後ろから、小柄な人影が現れた。
長い銀色の髪を揺らして、ゆっくりと前に進み出る。
「魔王領へようこそ。トール・リーガスさま」
現れたのは、メイド服の少女だった。
白い肌で、長い銀色の髪をリボンで結んでいる。
髪の間から尖った耳が飛び出している。亜人──エルフだろうか。
「私は案内役を命じられました、メイベル・リフレインと申します。魔王陛下の名のもとに、あなたさまをお迎えにまいりました」
「わざわざの出迎え、感謝します。トール・リーガスと申します」
「これは……ごていねいに」
メイベルと名乗ったエルフの少女は、深々と頭を下げた。
左右に控えるミノタウロスたちも、同じようにする。
俺は貴族としての礼を返した。
それに対して、エルフの少女メイベルと、ミノタウロスたちもまた、頭を下げた。
人質や、いけにえを迎えに来たようには見えなかった。
「──嘘だろ。武器もなしに、亜人に近づくなんて」
「──どうかしてるんじゃないか? 相手は、魔王の配下だぞ」
「──あきらめたんだろうよ。どうせ長い命じゃないんだからな」
俺の後ろでは、兵士たちが震えていた。
全員、
「向こうは
俺が言うと、兵士たちはこっちを見て、
「──貴様はなにもわかっていない。エルフは一撃で数人を吹き飛ばすほどの魔術の使い手なんだ」
「──ミノタウロスは怪力の持ち主だぞ。人の頭なんか、簡単に握りつぶせるんだ」
「──向こうは話の通じない──
──向こうには聞こえないように、小声でつぶやいた。
「
こいつらは俺を馬車に閉じ込めて──
食事とトイレの時以外は外にも出さず、景色も見せず──
こっちの話も聞こうとせず──
自分たちが怯えてる相手に、俺を引き渡そうとしてる。
──しかも、話が通じない。
魔王領の者たちの方が、話を聞いてくれるだけましだろ。
「連れの者が失礼しました。代わりにおわびを申し上げます」
俺は数歩、前に出て、言った。
「ドルガリア帝国のリーガス
「まぁ……まぁまぁ!」
エルフの少女の両手が、俺の手を包み込んだ。
ひんやりとした、滑らかな手だった。
彼女はすみれ色の目を見開いて、うなずきながら、
「帝国の方より、このようなあいさつをいただいたのは初めてです!」
彼女は俺に向かって、優しく笑いかける。
「魔王領は北の果てゆえ、行き届かぬところはあるかと思いますが、よろしくお願いいたしますね。トールさま」
「こちらこそ。よろしく」
俺は──とりあえず、様子を見ることにした。
『錬金術』で金属塊に変えたフォークは、左右のポケットに入っている。
いつでも使える。逃げるのは、いつでもできるんだ。
「ト、トール・リーガスどの。使者引き渡しの書類にサインおぉ!」
引きつった声が聞こえた。
振り返ると馬車の横で、隊長が書類を持って手招きをしていた。
使者か。
そりゃ魔王領の人の前で、俺を人質とは呼べないよな
俺は隊長のところに戻り、手早く書類にサインをした。
「
「メイベル・リフレインさんから?」
「……貴公はなぜ、あの生き物に触れられるのだ?」
隊長は真っ青な顔をしていた。
「エルフが使う魔術の威力を知らないのか? どうして貴様はあの生き物に、気安く近づくことができるのだ。どこかおかしいのではないのか?」
「魔王領とは、不戦協定を結んでいるのでは?」
「魔王領の生き物の言うことなど信じられるか」
「子どもを
俺の言葉に、隊長は答えなかった。
ただ、無言で書類を押しつけてくるだけだ。
仕方ないので、メイベル・リフレインにその書類を渡すと、彼女は快くサインしてくれた。
「これで、使者の引き渡しは完了でございますね」
メイベルは俺に向かって、深々と頭を下げた。
「ここからは森に入ります。慣れないと歩きにくいと思いますので、補助の者を用意いたしました。必要でしたら、彼らが抱えて運ぶこともできますよ」
彼女が手を叩くと、木々の向こうから大きな人影が現れた。
4人のミノタウロスだった。今いる者と含めて、合計8人。エルフ少女の後ろで、横一列。巨大な壁になっている。
「ひ、ひいいいいいいいいっ!!」
隊長は俺の手から書類をひったくって、
「こ、これでトール・リーガスの引き渡しは完了ですな! では、我々はこれで失礼する。我らドルガリア帝国と魔王領との休戦協定が、どうかとこしえに守られんことをっ!」
「「「失礼する!!」」」
兵士たちは馬車を急かしながら、魔王領から離れていった。
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