第41話「幕間:帝国領での出来事(4)後編」

 ──リアナ皇女視点──




 第3皇女リアナは帝都に戻ったあと、聖剣を宝物庫に返還へんかんした。

 聖剣は帝国の『力の象徴』であり、彼女の所有物ではない。

 使い終わったら正規の手続きを踏んで、元に戻さなければいけないのだ。


「勇者時代の聖剣、つつしんでお返しいたします」


 慣例で定められた言葉を伝えてから、リアナは担当者に聖剣を渡した。



「──勇者に恥じぬよう、勇気ある戦いをしましたか?」

「──効率的なレベルアップを行いましたか?」

「──仲間を勝利に導くことができましたか?」



 担当者の問いに、リアナは「はい」「はい」「敗北はしませんでした」と答えた。

 担当者はうなずき、聖剣を捧げ持つ。

 これから聖剣は清められ、箱の中に収められることになる。


 保管庫の者たちに一礼して、リアナは宝物庫を出た。


(……わたくしは、失敗をしたのですね)


 リアナはそのまま、足早に正門へと向かう。

 周囲の人々の視線と、誰かに失敗をなじられるのが怖かったからだ。


『魔獣ガルガロッサ』討伐作戦の指揮官は、軍務大臣のザグランだった。

 だが、名目上のトップは、第3皇女であるリアナだ。

 成功の功績こうせきが彼女のものであるように、失敗の責任も彼女にある。


 今回の魔獣討伐まじゅうとうばつで、リアナは大きな失敗をした。


 ひとつは『魔獣ガルガロッサ』の腹の下にいた、伏兵の小蜘蛛に気づかなかったこと。

 そして、小蜘蛛を倒すために、聖剣の『光の刃』を消耗しょうもうさせてしまったことだ。


 そのため、リアナは小蜘蛛の群れに襲われ、兵士たちの陣形も崩壊ほうかいした。

 結局、リアナたちは、魔王領の兵団に救われることになった。

 帝国が望んだ『自国の強さを魔王領に見せつける』という計画は失敗に終わってしまったのだ。


(わたくしへの処分が、帝都内での謹慎きんしんで済んだのはザグランのおかげです。やはりじいは頼りになりますね……)


 ザグランが動いてくれたおかげで、今回の魔獣討伐は『帝国と魔王領がともに勝利した』ということになった。

 帝国は、敗北していないことになった。

 リアナへのばつおおやけにはせず、軽いもので済むことになったのだった。


(やはりザグランの言うことに従っていれば間違いはないですね)


 そう考えて、リアナは力強くうなずいた。

 彼女の立場を守るために、ザグランは魔王領の者たちと交渉して、感謝状の他に自分の私財まで差し出している。彼の判断力と忠誠心はすばらしいものだ。


 ザグランがいれば、魔王領への対策も問題ない。

 これからもザグランじいに従い、協力しよう──その思いを強くするリアナだった。


(ただ……気になるのは『流れ者の錬金術師れんきんじゅつし』のことですね)


 リアナの魔法剣を修復しゅうふくした『流れ者の錬金術師』は、魔王領にいる可能性が高い。

 それは魔王、ルキエ・エヴァーガルドの言葉からもあきらかだ。

 魔王は『魔獣ガルガロッサ』を倒したあとで、こんなことを言っていた──


 ──魔獣を倒したあの力は『錬金術師の力を借りただけ』だと。

 ──その錬金術師は『魔王領に流れ着いたようなもの』だと。


 そして『その錬金術師を紹介して欲しい』と願い出たリアナに、魔王は言った。

『そなたには渡さぬ』『あの者は余が幸せにする』と。


(魔王がそれほど、人間に執着しゅうちゃくするなんて……)


 その錬金術師は、魔王さえも魅了みりょうするほどの能力を持っているのだろうか。

 魔王とその錬金術師の間に、なにがあったのだろう。

 興味はある。その錬金術師のことが、ますます欲しくなる。


 だが、今のリアナには、なにもできない。


 魔王との会談のあと、リアナはザグランにきつい叱責しっせきを受けたのだ。

 余計なことを言うべきではない。自分が兵団の代表者であることの自覚を持つべきだ、と。

 そして、あの錬金術師については、軍務大臣ザグランが判断すると。


 あの時、ザグランは激怒していた。リアナが青ざめて、震え出すほど。

 思わず彼女は──自分が幼くて未熟みじゅくだったころ、ザグランを何度も怒らせていたときのことを思い出してしまった。

 泣き出さずに済んだのは、天幕テントの外に護衛の兵士がいたからだ。


(あの錬金術師のことは……今は忘れましょう)


 リアナはため息をついた。


(自分はまだまだ、帝国の皇女としての覚悟が足りないようです。早く、ザグランに認めてもらうほどの者にならなければ……)


 そんなことを考えながら、リアナは宮廷前に待たせていた馬車に乗った。

 向かう先は帝都の片隅かたすみにある、一部の者しか入ることを許されない離宮りきゅう

 リアナの家族が住んでいる場所だった。





 リアナが離宮に到着したのは夕方だった。

 面会を求めると、リアナは中庭に案内された。

 近づくとその人は椅子に座ったまま、リアナに気づいて、笑った。


「おかえりなさい。リアナ」

「無事に帝都に戻ってまいりました。ソフィア姉さま」


 ドレスのすそをつまんで、リアナは姫君としての正式な礼をする。

 それを見て、リアナにそっくりな少女──ソフィアは、やさしい笑みを浮かべた。


「ていねいなご挨拶あいさつ、いたみいります。『聖剣の姫君』」

「やめてください。ソフィア姉さまに、その名で呼ばれるのは恥ずかしいです……」


 リアナはそう言って、姉の隣にある椅子に腰掛ける。

 姉の耳にくちびるを近づけて、声をひそめて──


「それに、私の魔力は姉さまには敵いません。体調の問題さえなければ、姉さまだって『聖剣の姫君』になれるのに。もしかしたら、わたくしよりも強いかも……」

「体力も強さのひとつですよ。リアナ」


 ソフィアは困ったような顔で、そう言った。


「それに、仮の話をしても仕方ありませんよ。今の私は、兵団についていくだけで体力を使い果たしてしまうのですから」

「ついていくことができれば、姉さまの『光の魔術』は強力でしょう?」


 リアナは子どもっぽい表情で、笑う。


「姉さまが一緒だったら、魔王領におくれを取ることも──いえ、ごめんなさい」

「リアナ?」

「今回の魔獣討伐まじゅうとうばつについては、まだ公表できないのです。ザグランじいの許しがないので……ごめんなさい、姉さま」

「リアナが無事に戻ってくれば、私はなにも言いません。でも……」


 少女ソフィアは手を振って、側に控えるメイドを下がらせる。

 それから呪文を唱え、周囲に──光る壁を生み出す。

 壁は薄く光りながら、リアナとソフィアを包み込んでいる。


「ソフィア姉さま。こんなことで魔術を使っては……」

「これくらいなら平気よ。リアナ」

「無理しないで、姉さま。お熱は……ほら、やっぱり額が熱くなってる」

「私はできそこないの皇女ですものね。それより、リアナ、よく聞きなさい」

「は、はい。姉さま」

「この光の壁は、声が外にれるのを防いでくれるはず。少しだけ、内緒話ないしょばなしをしましょう」


 ソフィアは短いプラチナブロンドを揺らし、同じ顔の妹姫に語りかける。


 リアナとソフィアの容姿ようしは、ほとんど変わらない。

 違うのは髪の長さくらいだ。リアナは背中まで伸びる長い髪だが、ソフィアは肩のあたりで切りそろえている。

 その方が、手入れをするのに楽だからだ。


 リアナには、十名を超える側仕えがいるが、ソフィアにはひとりしかいない。

 その者の仕事が少しでも楽になるように、ソフィアは気をつかっているのだった。


「リアナ。あなたの双子の姉として、忠告します」


 光の壁の中で、それでも声をひそめて、ソフィア皇女は言った。


「ザグランの考え方に染まりすぎるのは危険です。あの者の言葉だけに頼らないように、気をつけなさい」

「で、でも、ザグランは幼いころから、わたくしの教育係で……」

「わかっています。けれど、あの人は人を使えるか使えないかでしか考えない。有能なのは認めます。けれど、あの人の考え方にリアナが染まってしまうのは……」

「もしかして姉さまは、今の待遇たいぐうが不満なの?」

「……え?」

「『光の魔術』が使えるのに、こんな離宮に閉じ込められているんですものね。でしたら、わたくしからザグランに言って、もっといい扱いをしてくれるように──」

「絶対にやめなさい!」


 ソフィア皇女は声をあげた。


「私はこれでいいのです。今のままで、十分なの」

「……ソフィア姉さま」

「私は、休み休みでなければ行軍についていけない。基礎的な体力が弱いせいで、武器を持つこともできない。魔術を使って戦ったあとは、3日は寝込んでしまう。勇者をあがめる帝国の姫君として、扱いづらい存在であることは自覚しています」

「でも、姉さまには『光の魔術』が……」

「ええ。それがなければ、他国に人質として出されるか……政略結婚でもしていたでしょうね」


 妹の言葉にうなずく、ソフィア皇女。


「勇者も使っていたという『光の魔術』を扱えるからこそ、私はまだ皇女として帝国にいられる。こうやってリアナにも会える。ですから私は、現在の待遇たいぐうにはまったく不満はないのですよ」

「それでは駄目なのです。ソフィア姉さま!」


 リアナは首を横に振った。


「わたくしは、姉さまにもっといい生活をして欲しいのです。わたくしと同じお屋敷で、多くの者の敬意を受けるべきなのです。わたくしがいずれ、それを実現してみせます。そのためにわたくしは『聖剣の姫君』として戦っているのですから」

「……リアナ」

「でも今回、わたくしはちょっとした失敗をしてしまったけれど、ザグランはかばってくれました。だから、姉さまのことだって、ちゃんと話せば──」


 やがて、光の壁が消える。

 リアナはまだ話を続けようとしたけれど、ソフィアがそれを止めた。


 リアナ・ドルガリアとソフィア・ドルガリアは、双子の姉妹だ。

 姉は魔術を、妹は剣術を得意としている。


 だが、ソフィアは体力が少ないため、前線に立っての戦闘はできない。

 貴重な『光の魔術』の使い手ではあるが、魔術を使ったあとは体調をくずしてしまう。数日寝込むことも、戦闘中に倒れることもある。


 ソフィアの力を活用するには、大量の回復薬ポーションや、多数の治癒術師ちゆじゅつしを用意するしかないが、それではコストがかかりすぎる。

 そこまでして彼女を使う理由は──今のところ、帝国にはない。

 だからソフィアは、実戦には向かない。


 それでも彼女が使う『光の魔術』は貴重だ。

 研究したいという者もいるし、帝都に強敵がやってきたときに、切り札とすることもできる。

 戦うことはできなくとも、光の魔力で聖剣を発動することもできる。

『聖剣の姫君』の代理として、兵の士気を上げることも可能だ。


 だからソフィアは「いつか使えるかもしれない人材」として、帝都の片隅の離宮で暮らしているのだった。


「難しいお話はここまでにしましょう。次はあなたの旅のお話を聞かせてください」


 ソフィア皇女は手を挙げて、世話役のメイドを呼んだ。

 お茶を淹れ直してもらいながら、リアナに向かってたずねる。


「リアナ。魔王領に行くまで、どんなことがありましたか? 魔獣討伐まじゅうとうばつの話はできなくても、それくらいは構わないでしょう?」

「は、はい。ソフィア姉さま。まずは最初の宿泊地ですが──」


 皇女リアナは話し始める。


 同じ帝都にいながら、二人が顔を合わせることは少ない。

 リアナには聖剣の姫君としての仕事があるからだ。

 ソフィアの方も、よりよく魔術を使うための訓練を繰り返している。


 ふたりが会えるのは、父である皇帝や、リアナの指導者であるザグランが許したときだけだった。


「本当は、魔王領でのことも、姉さまにお話したいのですけど」

「そうなのですか?」

「はい。あちらでは思いもよらないものを見たのです。世界観が変わってしまうほどの力も」

「では、それは次回の楽しみにしておきますね」

「……はい。ソフィア姉さま」


 1時間弱のお茶会のあと、リアナは姉のいる離宮を出た。

 彼女はしばらく、魔獣討伐に関わる処理と、皇帝や高官への報告の仕事が続く。

 さらに兵の再訓練もある。

 次に姉に会えるのはかなり先になるはず──そう思いながら、リアナは馬車に乗り込んだ。



 それから数日後。

 リアナは、姉のソフィアが密かに、軍務大臣ザグランと共に宮廷に入ったといううわさを聞くことになるのだった。

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