第42話「ライゼンガ将軍の屋敷を訪ねる」

 ──トール視点──




 『魔獣ガルガロッサ』の討伐を終えた次の日──


「トールよ。お主に『錬金術れんきんじゅつ許可証』を渡しておく」


 ルキエは俺に、彼女のサインが入った羊皮紙ようひしを差し出した。

 羊皮紙には『魔王ルキエ・エヴァーガルドの名において、魔王領すべての場所において、錬金術師トール・カナンの錬金術の使用を許可する』──と、書いてある。


 これは、俺が魔王領のどこでも、錬金術をやっていいというおすみつきだ。

 略式だけど、魔王の紋章もんしょうまで描かれてる。すごい。


「これは仮のものじゃが、使ってくれ」


 ルキエは許可証のできばえに、満足そうにうなずいてる。


「正式なものは、魔王城に戻ったあとに作成し、届けることとする」

「ありがとうございます。陛下!」


 俺はルキエの前にひざをつき、一礼した。

 まさか、お願いした次の日に渡してくれるとは思わなかった。

 本当にすごいな。ルキエは。


「ただ、その許可証について、ケルヴからお願いがあるそうじゃ」

「はい。トールどの」


 ルキエの言葉に続いて、宰相ケルヴさんが前に出た。


「これは宰相さいしょうとしてのお願いなのですが、錬金術で作ったアイテムを多くの人に広める場合は、前もって許可を取っていただきたいのです」

「許可を、ですか?」

「もちろん、ひとりかふたりに渡すくらいなら構いません」


 宰相ケルヴさんはうなずいた。


「ただ、トールどののアイテムを多くの人に広めて、普及させてしまうと、魔王領全体に大きな影響が出る可能性があります。ですから、そういうことをする時は、前もって許可を取っていただければと」

「わかりました。宰相さまのご判断に従います」


 むやみに勇者世界のマジックアイテムを普及させると、大変なことになりそうだから。


「そんなわけで『マジックアイテム普及申請書』を用意いたしました」


 宰相さんが合図すると、お付きの兵士が、羊皮紙の束を持ってくる。

 これが『マジックアイテム普及申請書』らしい。


 表面にはマジックアイテムの名前と能力、それに渡したい相手を書くらんがある。

 アイテムを広めたいときは、これに必要事項を書けばいいらしい。


「項目をすべて埋めて、魔王城に送ればいいのですか?」

「そうです。その後、私と陛下がチェックして、トールどのに送り返します。アイテムを広めるのは、それからにしてください」

「わかりました」


 さらに、宰相さんは説明を続ける。

 書類に記入したら、ライゼンガ将軍か、その家臣に渡せばいいらしい。

 そうしたら、魔王城に届けてくれる手はずになっているそうだ。


「わからないことがあったらライゼンガに聞くがよい」


『マジックアイテム普及申請書』を受け取った俺に、ルキエが言った。


「もちろん、魔王城に書状で問い合わせても構わぬ。その申請書に一筆添えておけばよい。そうすれば、余のところにも届くゆえな。そうじゃな、ケルヴ?」

「はい。陛下」


 ケルヴさんがうなずいた。


「とにかく、こまめに連絡を取っていただけると助かります。なにか確認することがあったら、私もトールどのの元にうかがいますので。とにかく、連絡と報告をしっかりと」

「わかりました。陛下。宰相さまも、ありがとうございます」


 俺はルキエと宰相ケルヴさんに頭を下げた。


「色々とお気遣いをいただき、感謝しています。俺は将軍の領土でいろいろなものを見て、経験して、得られたものを魔王城へと持ち帰りたいと思います」

「真面目じゃな、トールは」

「そうですか?」

「今回のこれは、余がお主に与える休暇でもある。お主は今回の魔獣討伐で、大変大きな功績を残してくれた。できる限りの報酬ほうしゅうをやらねば、余の名がすたるからの」


 仮面をつけたまま、ルキエは口元だけで笑ってみせた。


「だから、ライゼンガ領での休暇と旅を、ぞんぶんに楽しむがいい。もちろん、その経験を錬金術に活かすのは、いっこうに構わぬがな」

「ありがとうございます。陛下」


 俺はまた、ルキエに一礼した。

 それから宰相ケルヴさんの方を向いて、


「宰相閣下も、申請書をありがとうございました」

「は、はい。ほどほどに活用してください」

「一晩で20枚も準備してくださるのは大変だったと思います。ぜひ、そのご期待に添えるよう、せいいっぱい錬金術の研究を進めていきたいと思っております」

「多めに渡したのですからね! 使い切らなくてもいいのですよ!?」

「……承知しております」


 半分程度に抑えておこう。

 将軍の領土から魔王城に書状を送るのも大変だからね。


 それから、しばらく話をしていると、出発の時刻になった。

 魔王領の兵団が隊列を組みはじめ、ルキエが乗り込む馬車のドアが開く。


「ライゼンガ、アグニス、メイベルよ。トールのことをよろしく頼むぞ」


 ルキエは3人の方を見て、そう言った。


「トールに魔王城の外のことを、いろいろと教えてやってくれ。は魔王領の者すべてが、トールを賓客ひんきゃくとしてぐうすることを望んでおるぞ」


 その言葉に、ライゼンガ将軍とアグニス、メイベルが頭を下げる。


 俺も、魔王城の外で暮らすのは初めてだから不安はあるけど……メイベルとライゼンガ将軍とアグニスがいてくれれば、大丈夫だと思う。

 それに、俺もすぐに領内をうろうろするわけじゃない。

 将軍の館に着いたらすぐに、作ってみたいものがあるんだ。


「それでは皆の者。達者たっしゃでな」

「はい。陛下も道中、お気を付けください」


 俺とメイベル、アグニス、ライゼンガ将軍──それに将軍の配下の兵士たちが見守る中で、ルキエを乗せた馬車と魔王領の兵団は出発した。

 その隊列が見えなくなるまで、俺たちは見送っていたのだった。






「ではトールどの。わが屋敷に参りましょう!」


 ルキエの馬車が見えなくなったあと、ライゼンガ将軍は言った。


屋敷やしきに着いたらまずは食事を……いや、トールどのなら、領内の地図をお見せした方がいいだろうか? それとも、今後開発される鉱山こうざんの図面などを……」

「お父さま。そんなにいっぺんに話しては、トールどのがとまどってしまうので……」

「お、おお。そうだな」


 アグニスに言われて、ライゼンガ将軍は照れたように頭をいた。


「屋敷に友人を迎えるのはめったにないことなのでな。つい、はしゃいでしまったようだ。申し訳ない」

「いえ、気にしないでください」

「そうはいかぬ。トールどのも、我に言いたいことがあったら言ってくれ。願い事でも、欲しいものでも構わぬ。遠慮はいらぬぞ」

「……そうですね」


 そういえば、ひとつ確認したいことがあった。

 錬金術の研究に関係することだから、早めに話をしておいた方がいいかな。


「実は、将軍にうかがいたいことがあるのです。ちょっと面倒な話なんですけど」

「長い話になるのだろうか?」

「少しだけ」

「では、屋敷に戻ってからうかがうとしよう。すぐに着くのだ。落ち着いた場所で話した方がよかろう」


 将軍は豪快ごうかいに笑って、そう言った。


「面倒な話は食事や酒と一緒に、と、相場が決まっておるからな。さぁ、参るとしよう」


 そんなわけで、俺とメイベルは将軍と一緒に、屋敷に向かうことにしたのだった。







「将軍のお知り合いに、光属性の攻撃スキルを持つ方はおられますか?」


 ここは、ライゼンガ将軍の屋敷。

 熱々のお茶を飲みながら、俺はライゼンガ将軍にたずねていた。


 テーブルの上には、将軍が準備してくれた料理が並んでいる。

 焼き肉や、ぐつぐつと音を立てるスープ。

 火炎巨人イフリートの血を引く将軍の屋敷だけあって、熱い料理が多いみたいだ。

 美味しいけど、俺もメイベルも汗だくだ。


 領地にいるうちに、『風の魔織布ましょくふ』の服と下着を作った方がいいな。

 あの布なら通気性もいいし、汗もすぐに乾くから。


「これから始める錬金術の研究には、光属性の攻撃が関係してくるんです」


 俺は話を続けた。


「光属性による攻撃魔術が望ましいですけれど、武器の強化能力でも構いません。そういう方がいらっしゃったら、研究を手伝って欲しいのです」

「光属性による攻撃か……」


 将軍は腕組みをして、難しい顔になってる。


「いるかもしれぬが……トールどの、どうして光属性なのだ?」

「帝国の聖剣について研究するためです」


 姿勢を正し、俺は将軍に向かって言った。


「将軍もご覧になりましたよね? 帝国の皇女おうじょが使った、聖剣と『光の刃』を」

「うむ。あれはすごいものだった」


 将軍はなにかを思い出すかのように、うなずいた。


「我はトールどのよりも近くで見たから、よくわかる。聖剣は巨大な光の刃を生み出し、『魔獣ガルガロッサ』の配下の小蜘蛛こぐもを、次々に切り倒していた。蜘蛛くもたちの糸も、あの刃を絡め取ることはできなかった。正直、あの聖剣とは戦いたくないと思ったよ」

「お気持ちはわかります」


 俺はうなずいた。


「あの『光の刃』は高威力な上に、持続時間も長そうですからね……」


 たぶんあの聖剣は、使用者の光の魔力によって『光の刃』を生み出している。

 皇女は長さ十数メートルの刃を生み出していたけれど、出力調整もできるはずだ。

 もっと短い刃にすれば、さらに長時間『光の刃』を使えたかもしれない。


 皇女が小蜘蛛におどろいて出力全開にしてしまったのか、彼女が調整できないのかはわからない。

 どっちにしてもかなり強い能力だ。


将軍閣下しょうぐんかっかは、十メートルを超える『光の刃』がいきなり飛び出す聖剣と、斬り合うことができますか?」

「無理だ。間合いが読めぬ」

「ですよね……」

「そのこだわりようを見ると、トールどのは、聖剣のようなものを作りたいのだろうか?」

「作りたいとは思っています。でも、今の俺には無理です」


 それにはもっと『通販カタログ』の異世界アイテムを研究する必要がある。

 他にも、各属性の魔力を研究して、効率的な運用方法を発見しないと。

 まだまだ、先は長いんだ。


「だからその前に『光の刃』を防ぐためのアイテムが作れるかどうか、研究してみたいんです」

「そのために光属性の攻撃が必要ということか」


 将軍は「なるほど」と、うなずいた。

 わかってくれたみたいだ。


「はい。光属性の攻撃魔術が防げないようじゃ、『光の刃』を防ぐなんて無理ですから。まずは弱めの『光の攻撃魔術』に対抗する実験をしてみて、それから、聖剣を超える方法を考えてみようと思ってます」


 俺が作りたいのは、聖剣を超える魔剣だ。

 そのためには、まずは聖剣の攻撃を防ぐことから始めようと思ってる。

 異世界の『通販カタログ』なら、光に対抗するアイテムくらいあるだろうから。


「研究熱心なのだな。トールどのは」


 ライゼンガ将軍は苦笑いした。


「陛下は貴公に休暇きゅうかを与えたのだぞ? もっとのんびりすればよいのに」

「わかってます。でも、聖剣のイメージが頭に残ってるうちに、研究をはじめたくて……」

「謝ることはないよ。貴公のそういうところを、我は評価しているのだから。なぁ、アグニス」

「は、はい。お父さま!?」


 俺の隣で食事をしていたアグニスが、緊張した声をあげる。

 もちろん、よろいは着ていない。

 彼女が着ているのは、赤を基調にしたドレスだ。よく似合ってる。かわいい。


「は、はい。聞いておりました。光属性についてですよね?」

「そうなんです。アグニスさまは、光の攻撃魔術を使える人に心当たりはないですか?」

「そうですね……」


 アグニスは赤色の髪を揺らして、少し考えてから、


「魔王領は全体的に光の魔力が弱いので、光の攻撃魔術を使える人は……うーん。どこかにいるとは思うので……調べてみますね」

「急がなくていいですよ。実験をするのは、光属性に対する防御アイテムを作ってからになりますから」

「トールさまは、いつからアイテム製作を始められるのですか?」

「今日か明日くらいには取りかかる予定ではいますけど」

「では、アグニスもすぐに、知り合いを当たってみますので」


 アグニスは俺の方を見て、そう言った。


「うちの領土の森の中には、珍しい種族の者もおります。もしかしたら……光属性の魔術を使える者も……いるかもしれないです」

「すいません。お願いします」

「い、いえ。トールさまには、お世話になりましたので」


 そう言ってアグニスは目を閉じて、胸元の『健康増進ペンダント』を握りしめた。

 ペンダントの光が、彼女の指の隙間からあふれ出してる。

 もちろん、アグニスからは炎は出ない。きれいなドレスが燃えることもない。


「『健康増進ペンダント』は問題なく作動してるみたいで、よかったです」

「は、はい。トールさまのおかげで、かわいい服も着られるようになりました」


 アグニスはドレスのスカートを、軽くつまんでみせた。


「もう、アグニスの意思に反して炎が出ることはない、です。安心して服を着ていられます」


 それから、アグニスは壁際に立っている給仕役の人や、メイドさんを見て、


「……でも、まわりの人たちは、まだ心配してるみたいです……」

よろいを着ていないアグニスを見ると、落ち着かぬ者もいるようなのだ」


 アグニスの言葉を、ライゼンガ将軍が引き継いだ。


「我もアグニスも、トールどのの『健康増進ペンダント』の効果を疑ってはおらぬ。だが、他の者はそうではない。アグニスが普通の服を着ていると、おどろいてとまどう者もおるのだよ」

「アグニスさんの炎を恐れて、ということですか?」

「いや、火炎巨人イフリートの眷属は炎に耐性を持つ。炎を恐れる者はおらぬ。そうではなくて、アグニスの服が燃えてしまうのではないかと、ハラハラしているのだ」

「……アグニスが子どもの頃、よく、そういうことがありましたので」


 アグニスは困ったような顔で、そんなことを言った。


「屋敷のみんなは……そのときのことを覚えているのだと思います」

「我が眷属けんぞくはみな、家族のようなものだからな。昔のことも知っておるのだ」

「なるほど。わかりました」

「まぁ、時が経てば皆も落ち着くだろう。トールどのが気にすることはないよ」

「いえ。これも『ユーザーサポート』のうちですから」


 それに、準備もしてある。


「それじゃメイベル。例のおみやげを出して」

「はい。トールさま」


 俺の隣の席でメイベルが、メイド服のポケットから『超小型簡易倉庫』を取り出した。


「トールさま。これは個人的な譲渡じょうとになるのですか? それとも普及に?」

「大丈夫。どっちでもいいように、宰相さんに『マジックアイテム普及申請書』をもらったその場で、『地の魔織布』について書き込んで、サインをもらっておいたから」


 俺は宰相さんのサインが入った申請所を取り出した。

 これをライゼンガ将軍の領土に広めることについては、すでに許可をもらってるんだ。


「許可をもらえなかったらおみやげにするつもりだったからね。問題ないよ」

「承知いたしました。それでは──」


 しゅるん、と、メイベルは『収納しゅうのう』しておいたアイテムを取り出した。

 幾重にも折りたたんだ、真っ白な布。

 こんなこともあろうかと用意しておいた『地の魔織布ましょくふ』だ。


「トールさま……?」「トールどの、これは?」

「最近作った新素材の『魔織布ましょくふ』です」

「『魔織布』──天幕に使われていたあれか?」

「はい。あれは通気性重視の『風の魔織布』と、中身が確認できる『光の魔織布』でした。これは耐火性がある『地の魔織布』です」

「これをアグニスさまに差し上げることについては、陛下と宰相閣下さいしょうかっかの許可をいただいております」


 メイベルは捧げ持った魔織布を、アグニスに向かって差し出す。

 今回、将軍の領土に滞在することが決まったときに、あらかじめ準備しておいたんだ。

 燃えにくい『地の魔織布』はアグニスの服にぴったりだから。


「また、余った分は、将軍の領土の方に使っていただくようにとのことです。火炎巨人イフリート眷属けんぞくの子どもたちで、炎をまだコントロールできない方に差し上げてください」


 あらかじめ決めておいた口上を、メイベルは口にした。

 でも、表情は、いたずらっぽい笑みをうかべてる。

 メイベルもアグニスの手助けができるのがうれしいみたいだ。幼なじみだからね。


「というわけです。しばらくお世話になりますから、おみやげとして持って来ました」


 俺は、ぽかん、としてる将軍とアグニスに向けて、そう言った。


「あとで屋敷やしきの皆さんの前で、この『魔織布』に耐火性があることを確認してもらうといいと思います。その後に、この『地の魔織布』でアグニスさんの服を作れば、みんな安心すると思います」

「トールさま……あなたさまは……そこまでしてくださるのですか……」

「これも『ユーザーサポート』のうちですから」


 アグニスに『健康増進ペンダント』をあげたのは俺だ。

 だから彼女が鎧を脱いでも安心して生活ができるように、多少のサポートをするべきだ。そう思ってる。


「……ありがとうございます。トールさま」


 いきなりだった。

 アグニスが席を立ち、俺の前にひざをついた。


「このご恩は忘れません。アグニス・フレイザッドは……トールさまのお役に立つように、精一杯努力させていただきますので……」

「いえ、そこまでしなくても……」

「まずは、領内で『光の魔術』を使える者を探してみせますので!」

「はい。よろしくお願いします」


『光属性』対策は、魔剣作成のための研究に必要だ。

 そっちは遠慮えんりょなくお願いしよう。


「我からも礼を言わせていただく。トールどの」

「将軍まで……いいですよ。これはただのおみやげなんですから」

「貴公の持って来る物は予想外すぎるのだよ」

「俺はこれから、将軍の屋敷でお世話になるんですから」


 俺はしばらくライゼンガ将軍の屋敷に住んで、魔王領を見て回ることになる。

 アグニスに案内を頼むことになるだろうし、将軍にだって、手を貸してもらうことになるかもしれない。

 そうそう、鉱山の近くに、俺の工房と家を作ってもらうことになってるんだった。

 今回の旅は、その下見も兼ねてるんだ。


「俺の方が、将軍にたくさんお世話になるんです。だから、これくらいさせてください」

「わかった」


 ライゼンガ将軍はうなずいた。


「貴公のご厚意、ありがたく頂戴ちょうだいしよう」

「よかったです」

「屋敷の部屋も、トールどのが心おきなく錬金術の作業ができるように、2階の隅の、一番広い部屋を用意してある。多少大きな音を立てても大丈夫だ。屋敷の者には話をしてあるから、存分に作業をされるとよい」

「ありがとうございます。将軍閣下」

「メイベルどのはどうするのだ? アグニスの隣の部屋も空いておるが?」

「私はトールさまのメイドとして参っております」


 メイベルは立ち上がり、メイド服のスカートをつまんで一礼した。


「可能なら、トールさまのお部屋に、一番近い部屋をお借りしたいと考えております」

「うむ。承知しょうちした」

「食事が終わるまでに、メイベルのお部屋も準備させますね」


 話がまとまると、ライゼンガ将軍が手を叩いた。

 給仕の者がやってきて、将軍のグラスに酒を注ぐ。


 俺は酒は苦手なので、代わりにお茶をお願いする。

 メイベルは仕事中なので、アグニスは俺たちに合わせてお茶にした。

 それから、ライゼンガ将軍はグラスをかかげて、


「我が友、トール・カナンどのと、そのメイドであるメイベルどのの来訪を祝って、乾杯!」

「「「乾杯!!」」」


 それからしばらくの間、4人でお茶と雑談を楽しんで──

 ほどよく時間が過ぎたころ、俺とメイベルは自室へと戻ったのだった。





 ──トールたちが、部屋に戻ったあと──





「アグニス。父はお前に謝らねばならぬことがある」


 不意にグラスを置いて、ライゼンガがつぶやいた。


「父はお前の恋を応援することができぬかもしれない」

「い、いきなり、なにをおっしゃるのですか。お父さま!」


 父が発した言葉に、アグニスは思わず声をあげた。

 けれど、ライゼンガは辛そうな顔で、


「詳しいことは言えぬがな。我は、一方的にお前の恋路だけを応援するわけにはいなくなったのだ。我は……魔王陛下に忠誠を誓ってしまったゆえな」

「陛下が?」

「だから詳しいことは言えぬのだ」

「もしや、魔王陛下もトールさまを」

「確信はないがそのように感じ……いや、だから言えぬと言っておるだろう?」


 それは言っているのと同じじゃないかとアグニスは思う。


 父が魔王ルキエ・エヴァーガルド陛下に『原初の炎の名にかけて』忠誠を誓ったことは、アグニスも知っている。

 ということは、魔王陛下とトールの間に、なにかあったのだろう。


 そしてアグニスもトールに『原初の炎の名にかけて』忠誠を誓っている。

 もっとも、父の忠誠と、アグニスの忠誠は少し違うのだけれど。


「お父さまが気に病むことでは……ないのです」

「……アグニス」

「あの……ですね。アグニスはトールさまに、この身と魂を捧げてお仕えしたいと思っているだけなので」

「それは、トールどのをお慕いするのとは違うのか?」


 ライゼンガは不思議そうにつぶやいた。


「お前は食事中も、トールどのの方をちらちらと見ていたではないか。我が声をかけたら、びっくりするほどに。あれは緊張していただけではあるまい?」

「それは……自分でもよくわからない……ので」


 顔が赤くなる。

 胸元につけた『健康増進ペンダント』が反応しているのがわかる。

 アグニスは思わず、トールとメイベルがいる部屋の方を見上げてしまう。


「アグニスはずっと、よろいを着て、よろいの隙間から世界をながめてきました。だから、自分がトールさまをおしたいする想いが、普通の女の子が誰かをお慕いする想いと同じものなのか……よく……わからないので」

「そうなのか……?」

「たぶん……ですけど」

「すまぬな、アグニス……」


 ライゼンガはため息をついた。


「お前の母が生きていれば、もっとちゃんと、お前の気持ちを理解してやれただろうに」

「お父さまは十分にアグニスを助けてくださっています」


 アグニスは父をたしなめるように、


「それに、お母さまが生きていたら、アグニスの恩人であるトールさまをさらおうとしたお父さまを許さないと思います。おそらく5年は口をきいてくれなくなっていたかと……」

「それは困る! あやつにそんなことを言われたら、我は生きていけぬ!」

「だから……これでいいのです」

「し、しかし、お前はトールどのに『原初の炎の名にかけて』誓いを──」

「は、はい。それは本心からで、いつわりはひとかけらもないのです。でも、アグニスはトールさまから、色々なものをいただいてばかりなので……」


 アグニスは、ぽつり、とつぶやいた。


「恋とか……そういうことを考えるのは、いただいた以上のものを、トールさまにお返ししてからにしたいので。アグニスはもっと成長して、トールさまに必要とされる者に、なりたいので……」

「……そうか」

「だから、今は、トールさまが領土にいらっしゃる間に、精一杯お手伝いしたいのです」


 アグニスはトールたちが置いていった『地の魔織布』を抱きしめた。

 これから服に仕立てて着ることになる、耐火性を持つ布だ。

 トールはこんなものまで、あっさりと作ってしまう。


 でも、トールはまだまだ満足していないようだ。

 彼が作りたいのは、勇者の世界を超えるアイテムなのだろう。


 トールはおそらく、ずっと先の世界を見ている。

 アグニスは、それについていきたいと思う。

 トールと同じものを見て、トールの手助けができるようになりたいのだ。


「だからアグニスは……まずはトールさまをお助けして……トールさまが目指しているものを、自分でも見てみたいのです。それが今の、アグニスの目標なので……」

「成長したな、アグニス」

「はい。よろいを脱げるようになって、身体が軽くなって……色々なことを、考えるようになった……から」

「これもトールどののおかげか。妻が生きていたら、どれほど喜んだことか……」

「もう……お父さま」

「アグニスがそこまで考えているのであれば、我はもうなにも言わぬよ」


 ライゼンガはそう言って、グラスの酒を飲み干した。


「我にできるのは……そうだな、酒の席でトールどのと話すくらいか。好みの女性について聞くくらいは構うまい。闇夜のようなおだやかな女性と、炎のように情熱的な女性とどちらが好──む? アグニス、なんで我をにらむのだ?

 おや、『健康増進ペンダント』が光っておるな。え? 余計な話はしないで欲しい? いや、でもなぁ。父親として娘の心配をするのは当たり前で……こら、なんで我の腕をつかむのだ!?

 や、やめろアグニス。お前は『健康増進ペンダント』で身体強化しているのだ。父は抵抗ができ……あれ? どこにつれて行くのだ? え? 正座? じっくり話を? な、なんでそんな怖い顔をしているのだ。待て、アグニス、お、落ち着いて────」



 トールが来てはじめての夜──

 火炎将軍ライゼンガの屋敷に、親子ゲンカの声が響き渡ったのだった。

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